内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

アニミズムと一神教についての問いかけ ― 上田正昭『死をみつめて生きる』より

2023-12-06 23:59:59 | 講義の余白から

 「日本の文明と文化」という日本語のみで行う授業で、今学期後半、日本のテレビドラマや日本語の書物を通じて、「日本人の死生観」というテーマについて話してきた。話の合間にいくつかの質問を学生たちに投げかけ、それに対する答えを日本語(日本語では難しすぎるときはフランス語)で書いてもらいながら授業を進め、授業の終わりにその回答を回収した。試験ではないし、成績にも加味しないし、君たちがどんなことを考えているか知りたいだけだから、簡単に答えられる範囲で気軽に書いてくれればいいと予め伝えておいた。
 授業中に読んだテキストの理解度を測る質問はおのずと答えが決まっており、正しい答えかそうではないかがはっきりしているが、それだけに興味深い回答というのは少ない。的確に答えられているかいないかだけの違いしかない。
 それに対して、学生たち自身の考えを書いてもらう質問は、回答がそれぞれ異なり、それだけ興味深い。
 上田正昭の『死をみつめて生きる』の以下の箇所を授業で読んだ。

 万有生命信仰は人類学者や宗教学者らによってアニミズムとよばれてきた。アニミズム説を提起したのはイギリスの人類学者タイラーで、一八七一年の『原始文化』のなかで、宗教の起原を論じ、(1)生きているものには霊魂があると信じ、(2)肉体を遊離して飛びまわる精霊(遊離魂)の存在を信じた宗教のもっとも原始的なものは霊的存在(spiritual being)に対する信仰であると力説した。そしてそれは未開人の世界観・人生観ともいうべき一種の人生哲学であり、諸物・諸現象の説明原理になると指摘した。その後ピアジェ(J. Piaget)などの研究もあるが、ひろく支持されてきたといってよい。
 だがアニミズム的信仰が原始・未開であり、唯一絶対の一神教が、宗教や信仰のもっとも発達したありようということができるであろうか。

 上田正昭によるこの最後の一文の問いかけに対して、「あなたはこの問いにどう答えますか」と学生たちに質問した。
多くの回答が、一神教を頂点とする階層化された宗教観に異を唱えていた。その根拠はほぼ同様で、それを簡単にまとめると以下のようになる。
 一神教が支配的になったのは、宗教そのものの内在的価値に拠るのではなく、歴史的理由に拠ることであり、それは自然に対する一定の態度(種差別主義など)を内包しており、その態度はその宗教に拠って正当化されるものではない。それに対して、歴史的に一神教よりも古い信仰形態としての「原始的な」アニミズムと人間の自然に対する一般的態度としてのアニミズムとは区別されるべきで、後者は原始・未開ではなく、人間の自然・宇宙に対するより根源的な関係に関わる問題である。
 回答に認められるこのような一定の傾向性は、学生たちの現代世界に対するある共通の見方を反映している。