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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

11月10日 金曜日 代休 原田知世のオシャレな音を聴く。

2006-11-10 18:41:15 | 音楽帳
今日は休み。
といっては、だらリンちょん。

昨夜、幸宏のオールナイトニッポンのテープを聴いていた。
1983年9月6日
ゲストは、YMO+原田知世

「時にかける少女」は1983年作品。
その映画のパロディドラマで、細野さんはおじいちゃん役で、昆布茶をすする。

***

当時、原田知世は好きではなかった。
角川が勝手に作り出した虚像を彼女は演じ、その広告媒体にだまされた人がどれほどいただろうか?

正直かわいいとは思わなかった。
今も思わない。

しかし、である。

彼女は、それから23年。
その間、いい仕事をしている。

正直、あるときを境に見直した。
1994年、深夜番組「文學ト云フ事」のエンディングが、彼女の曲なのだが、すごい好きなのだ。
フランス語で歌われているが、それは大貫妙子を明らかに匂わせるが、彼女らしい清潔なにおいのあるステキな曲なのだった。
アレンジは、鈴木慶一。



今日は、久々に、その曲「T'EN VA PAS」を繰り返し聞いた。
発音もいいし、実にオシャレである。

あともう1曲。
2002年にドコモのCMに使われていた「空と糸 -talking on air」という曲。

いいなあ。

もっと聴きたい。
ヴォーカリストとしての彼女を。
実にキレイないい声をしている。

***

これから、昔のものを集めてみようかな。
「作られたアイドル」はそのカベを越え、見事に、本来の生き生きさ、本人の味を見事に出している。いいヴォーカリストだ。


【今までのシングル】
時をかける少女(1983年、映画「時をかける少女」主題歌)
作詞作曲:松任谷由実 編曲:松任谷正隆

ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ~(1983年、マクドナルドミュージカル「あしながおじさん」主題歌
作詞作曲:松任谷由実 編曲:松任谷正隆

愛情物語(1984年、映画「愛情物語」主題歌、キリン「キララ」CMソング)
作詞:康珍化 作曲:林哲司 編曲:萩田光雄

天国にいちばん近い島(1984年、映画「天国にいちばん近い島」主題歌、東芝「SUGAR」CMソング)
作詞:康珍化 作曲:林哲司 編曲:萩田光雄

早春物語(1985年、映画「早春物語」主題歌、森永製菓「ハイクラウン」CMソング、「第36回NHK紅白歌合戦」出場曲)
作詞:康珍化 作曲:中崎英也 編曲:大村雅朗

どうしてますか(1986年、日本生命CMソング)
作詞:田口俊 作曲:林哲司 編曲:大村雅朗
雨のプラネタリウム(1986年、トヨタ・カローラIICMソング)
作詞:秋元康 作曲編曲:後藤次利

空に抱かれながら(1986年、トヨタ自動車NEWカローラIIGPターボCMソング)
作詞:秋元康 作曲編曲:後藤次利

逢えるかもしれない(1987年)
作詞:澤田直子、松本隆 作曲編曲:後藤次利

彼と彼女のソネット (1987年、フランスの歌手、エルザ『悲しみのアダージョ』の日本語カヴァー)
日本語詞:大貫妙子 作曲:Romano Musrmarra 編曲:後藤次利

太陽になりたい(1988年、トヨタ・カローラIICMソング)
作詞:谷穂ちろる 作曲編曲:後藤次利

Silvy(1990年)
作詞:安藤芳彦 作曲:山口美央子 編曲:杉山卓夫

静かな夜(1991年、佐藤製薬ストナCMソング)
作詞:森雪之丞 作曲編曲:中崎英也

T'EN VA PAS(1994年、フジテレビ「文學ト云フ事」エンディング)
作詞:Regis Wargnier、Cathrine Cohen 作曲:Romano Musrmarra 編曲:鈴木慶一

Attends ou va-t'en(1994年)
作詞作曲:Serge Gainsbourg 編曲:鈴木慶一

あした(1995年、大林宣彦監督作品「あした」主題歌)
作詞:原田知世 作曲:坂下正俊 編曲:鈴木慶一

100 LOVE-LETTERS(1996年、スズキアルトエポCMソング)
作詞:鈴木慶一 作曲:羽場仁志 編曲:Tore Johansson

ロマンス(1997年)
作詞:原田知世 作曲:Ulf Turesson 編曲:Tore Johansson

シンシア(1997年、日本テレビ「デッサン」主題歌、J-PHONECMソング)
作詞:原田知世 作曲:Ulf Turesson、Johnny Dennis 編曲:Free Wheel

恋をしよう(1998年、日本テレビ「TVおじゃマンボウ」エンディング)
作詞:原田知世 作曲:Ulf Turesson、Johnny Dennis 編曲:Tore Johansson

七色の楽園(1998年、テレビ東京「ワンシーン」主題歌)
作詞:原田知世 作曲:Ulf Turesson 編曲:Free Wheel

You Can Jump Into The Fire(1999年)
作詞作曲:原田知世 編曲:Mash

Tears of joy(2001年)
作詞:原田知世 作曲:柿原朱美 編曲:羽毛田丈史

空と糸 -talking on air-(2002年、NTT DoCoMoケータイ家族物語CMソング)
作詞:Lida Hennrick 作曲編曲:鈴木慶一

夢で逢えたら(with DEEN)(2002年)
作詞作曲:大瀧詠一 編曲:DEEN
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11月9日 木曜日 秋晴れ

2006-11-09 22:49:50 | 音楽帳
今朝、寒かった。
今も寒い。

しかし、これこそが秋なのだ。
秋は秋らしくなければならない。

秋というと1983年の秋を思い出すのだ。
極寒の秋だった、そして、冬だった。

あれこそが秋と思いながら、23年がたった。

木漏れ日を見れば、ニック・ヘイワードの「カフェ・カナダ」が、アタマの中を自然に流れ出すし、枯葉の道を歩けば、鐘の音が鳴る、鈴木さえ子の「朝のマリンバ」が、アタマの中を流れ出す。



ひょっとしてそれほど、ロマンティックな秋だったのか?想い出ゆえに、イメージが増強されていったのかもしれない。
しかし、僕は、今でも、あの秋を忘れられないでいる。

未だ、アタマの中には、あの頃の音楽たちが・・。

***

とはいえ、最近、頭痛が突発的に出る。
これも秋ゆえのことか。
秋は痛み入る季節でもある。

日々の疲れと痛む摩擦の中で、自分も消耗している。

明日は、久々の休み。
替わりに土曜日は仕事。

明日はゆっくりしよう。
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11月6日 月曜日 放送禁止について

2006-11-06 23:18:14 | 音楽帳
MZ師は世の中の闇に関心がある。
その点、自分も同様である。

2人は、よく「放送禁止」の本や音楽について話をする。
放送禁止というのには、過剰に「ケガレ」を嫌い別扱いしようとする背景がある。座敷牢に(これも禁止か?)閉じ込めることで見えなくしようとすることで、なんら解決にはならない行為である。

私の自称「かたちんば」も禁止用語である。

最近、こういう放送禁止の歌を集めることをしている。



今まで集めたものは、以下の通り。

・タイマーズ・・・・これは清志郎のバンドだが、ほとんどの曲が放送禁止である。それゆえ、マイナーなレーベルから出たはず。
「いつみさん」という曲は、アナウンサーの逸見さんが題材だが、「いつみさん~いつみさん~ガンだったんですねえ~、いつみさん~いつみさん~やっぱり死んじゃいましたか~」という歌で、これは、どう考えても、禁止もやむをえないだろう。

・ピンクレディ 「S・O・S」・・・・これは、曲の最初のモールス信号が本物のSOSと違い、またラジオなどで放送されると誤解されるので、という理由で禁止になった。

・岡林信康 「手紙」・・・・最初は全然わからなかったが、最後の方で、歌詞に「」というせりふが出てくる。それが全ての理由である。
関東と関西の違い、それは、こういった問題を現実のこととして、コドモたちに教える教育をしている関西と、全く知らせないように育てる関東の違いである。
自分は、関東で育ち、その後、社会人になってすぐに関西にどっぷりとはまったが、決して、どちらのやり方がいいとはいえない。東京は、「流民の街」ゆえに、むしろ無知ゆえに、どんな人種・背景も受け入れる土壌があるが、関西には、未だに、歴史的地域性という問題を抱えたまま、現在を迎えている。関西はあたかも表面的には都市的な発展をしているが、混じり合うことが出来ないまま、歴史を引きずり続けている。

他に「E気持ち」も「アホの坂田」も禁止である。
それ以外にも、頭脳警察や泉谷しげるなどを1日聞いていた。

普通の音楽には無い、つまらぬ日本の産業音楽より絶対的に面白いものが、ここにはある。表現しずらいが、これは「リアリティ」なんだろうな、きっと。
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11月5日 日曜日 夜 タキシード・ムーンをかける。

2006-11-05 23:34:56 | 音楽帳


すごく好きなジャケットなので載せた。
「Scream With A View」という12インチシングルのジャケット。

しかし、実際聴いているのは、この12インチの前の、デビューアルバム「HALF-MUTE」である。

共に1980年のアルバム。
ヨーロッパ的な絶望的暗さだ。

さっき、急にタバコが無いと気づき、あたりに買いに、今日初めて外に出た。
しかし歩けど歩けど、どの販売機も11時過ぎなので、買えないようになっている。
健全な地域の健全な対応。
ここの夜は、極めて静かである。
草加のように、チンピラや酔っ払いが夜中歩くことも無い。

こういう夜の奇妙な間合いにたたずんだとき、タキシードムーンの音楽が、アタマの中を流れ出したのだ。

会社でよく、このかたちんばの本性を見抜いて、「なんでそんなにボルテージ低いんですか?」「いっつもはっきりしないですね」「お前の説明聞いていると鬱になるよ」そういう確信犯的なコメントを寄せる健康バカが数人居て、自分のジャマなこの世から消す(ポア)べき存在として居る。

こういう人々には、まずこのタキシードムーンは聞けない。
たいていの人はこれを「良い」とは言わないような気がする。

ある種の生活様式・精神意識にあるヒト向けの音楽といえるだろう。

実に暗いが、聴きたくなる夜がある。
今夜みたいにね。

オススメはしない。
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1982年3月29日~4月2日 サウンド・オブ・ポップス ~エレクトロニック・ポップ~

2006-11-05 18:21:59 | 音楽帳
1982年の4月1日は巣鴨高校への入学式だった。

1981年の暗い日々を越えはしたものの、不安な日々を少年は過ごしていた。

ラジオは、イギリスNEWWAVEに一足遅れてたどりつき「サウンド・オブ・ポップス」で特集を組んだ(NHK-FM)。

3月29日 月曜日 ヒューマンリーグ「デア!」&ヘヴン17「ペントハウス&ペイヴメント」



3月30日 火曜日 WAS(NOT WAS)&アワ・ドーターズ・ウェディング

3月31日 水曜日 ソフト・セル 1st&キャバレーヴォルテール「レッド・メッカ」



4月1日 木曜日 リジーメルシェデクルー&アイスハウス 1St



4月2日 金曜日 ウルトラヴォックス「新欧州人」&OMD 「安息の館」

いよいよ、日本でも「エレクトロニクス・ポップ」という形で入ってきた。
今考えても、この特集というのは凄いねえ。
キャバレー・ヴォルテールなんて、こんな形でFMで放送するなんてまずないように思う。

この跡、日本もエレポップざんまいになっていく前夜。
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【臨時版】坂本龍一のサウンドストリート 1984年2月7日 シブリク特集

2006-11-05 00:20:00 | 坂本龍一のサウンドストリート
偶然、1984.2.7の坂本龍一のサウンドストリートがLimewireでダウンロード出来た。
さっきから、肩こり・頭痛が激しく、布団に横になり、聴くつもりもなく、この回のテープをかけていた。

ところが、聞き入ってしまった。
この音の中に、自分の居場所を見つけたとでもいうのか。

ブライアン・イーノが環境音楽を発見した際のように、環境の一部に音楽が鳴っている感じ。

・さかんに、受験が間近と言う話。確かに2月。
「僕も高校・大学と受験した。私の場合はこれに大学院もありましたけどね<嫌味>」
「高校受験の時、大雪になって、吉祥寺の方を、雪を踏みながら歩いた記憶がある。あの頃に戻りたい<苦笑・テレ笑い>」

1・フォーレ チェロソナタ第2番3楽章
2・スリーサウンズ トレーシーブルー

思えば、「シブリク」は当時好きではなかった。
NewWave・アヴァンギャルドな音楽を捨てて、下世話な音楽番組のようになった気がして。
80-81の頃の孤独な教授の一人の世界を既に脱していた。
82年の真ん中あたりから、妙に明るくなっていた。
それは、矢野顕子との生活が始まったせいもあろうし、YMOがひと段落したせいもあろう。

3・アラン・トゥーサン モーション

4・スティーブ・ライヒ 八十奏曲

「B-2UNIT」を作った時期、及び、YMOのワールドツアーの時期は、坂本にとって、精神的な異常事態だったことは言うまでもない。むしろ、この時期だけが突出して異常な時期であったのかもしれない、と、今は思える部分もある。

5・エリック・サティ ジムノペティ(教授の弾き語りピアノ)

「高橋悠二さんには負けますが」と別室のピアノのある部屋に移動して、ピアノを弾く。「時計のCMに使われていますが」当時、長嶋茂雄さんが出ていたCMのことか?イーノの「ファースト・ライト」も使われていた。

6・ビル・エヴァンス いつか王子様が


昔、浪人の頃毎日通った、御茶ノ水のジャズ喫茶を思い出した。

YMO散会あとということもあり、やたらその関連のはがきが多い。

7・ドビッシー 喜びの島
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11月2日 木曜日 クワイエット・ナイト ~坂本さんと細野さん~

2006-11-03 00:16:29 | 音楽帳
これから3連休となる。
いろいろとやることはあるものの、この夜は、独りで一軒家の夜を過ごしている。

さっき、LIMEWIREでダウンロード出来た細野さんのデイジーワールドを聴いていた。
2000年1月30日放送のもの。
ゲストは、坂本さん。



興味深い会話。
あれから20数年・・・・

やっと静かに語り合う2人。
そして、それを聴ける幸せに浸るかたちんば。

***

教授は、「音楽図鑑」の頃を振り返り、「あれは、考えすぎで好きになれない」ということを初めて言った。
私もそう。
細野さんは、「B-2Unit」に「参った、スゲエと思った」という。
それを、教授も否定しない。

***

先日、兄に、「教授のどの時期、どのアルバムが一番すきか?」と聴かれて悩んだが、やっぱり1980~1981年の頃が一番好きだ。
アルバムで言えば「B-2Unit」「左うでの夢」か・・。

***

細野「自分でB-2Unitをどう思っているの?」
坂本「んん・・・力はあるね。」
細野「良かった。否定するかと思ったよ。」
坂本「どうしようもなく力があるものってあるじゃない。B-2Unitも初期のYMOも戦メリも・・・。」
細野「今は出せないね。」

***

年をとるごとに、ただ磨耗するだけと思っていた自分は、ここ1年くらいに、「歳をとることのヨロコビ」を感じつつある。
そういったものを、こういう、敬愛する2人の会話に感じ、静かに夜を共にする。

年を取るたびに、むしろ自由になっていく自分を、最近感じつつある。

コメント (4)
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