ラジオ番組「ミュージック・スカイホリデー」のパーソナリティーだった滝良子さんが亡くなってしまった。
日曜の夜、よくこの番組を聴いていた。
調べてみるとこの「ミュージック・スカイホリデー」は、1976年(昭和51年)10月~1984年(昭和59年)4月まで7年半放送していたらしい。
日曜夜は、全部のラジオ番組が深夜に終わっていく心細い夜だった。
当時の夜は今より深い夜。町全体が眠っていく夜だった。
寝床に入っても、考えれば考えるほどに眠れぬ方向に行ってしまう性格のじぶんは、翌日から一週間が始まる憂鬱を抱え、よく眠れぬ夜を過ごした。
小さな灯だけ付けて暗くした寝室で、まくらの耳の位置にポケットラジオを置いて、ラジオ番組に耳を傾けた。
そんな夜に「ミュージック・スカイホリデー」の滝さんはやさしく語りかけてくれた。そんなことをよく記憶している。
***
じぶんがラジオに猛烈に夢中になっていくきっかけは、小島一慶さんの番組「夜はともだち」(TBSラジオ)だった。
明るくにこやかな声ですらすらと次々出てくる言葉は、夜のひそやかな楽しみであり、イヤなことがあった日の救いでもあった。
そんな、小学生時代あこがれたディスクジョッキー=一慶さん。その一慶さんも昨年75歳で亡くなってしまった。
多くを言わずに来たが、昨年小さな記事で知った際、かなりうろたえた。そして、当時の番組を聴き直した。
根強いラジオファンがyoutubeに上げてくれている当時の番組が、なんとも言えない懐かしさをまとって聴こえた。
それは単純なレトロ・懐古主義という意味ではなく、今のじぶんと周囲の世界が失ってしまったやさしい色合いを感じさせた。
技術面で現代よりもつたないとしても、そんなことより伝える側にも聴く側にも存在のありかや魂が感じられた。
ラジオという道具を介して、お互いの場を形成し、想像力を膨らませ、羽が無いのに広い世界を飛ぶようなことさえ可能にさせていたのが、わたしにとっての深夜ラジオだった。
うまく言えないのだが、例えばこれをドラマ脚本に置き換えてみたら、向田邦子さんという存在にたどり着く。
向田さんのドラマ作品と他を並べれば、言葉で語らずとも伝わってくるなにがしか。
それと同じようなものが、当時聴いていたラジオ番組と今との距離のあいだに存在している。
今もラジオは大好きだし、Radikoやyoutubeとの連動など新しい手法を試みるなど、今もラジオは面白い。
そして、エネルギーをもらうのだけれど、その一方で、あの頃に置き去りにされた何か。。。それが未だにあると思うのも確かだ。
***
「夜はともだち」も「ミュージック・スカイホリデー」も、同じ1976年に放送を開始している。
一慶さん(&林美雄さん)の「夜とも」が4月に始まり、滝良子さんの「ミュージック・スカイホリデー」が10月開始。
どちらも生放送でやっていた。「今」という時空を共にしている、それが聴く側であるじぶんの心を動かす一つになっていた。
「ミュージック・スカイホリデー」はスポンサーが全日空で、四季折々の空の旅をテーマにしたCMに惹かれた。
番組テーマ曲であるティナの「シャイニング・スカイ」のメロディとコーラスは、今聴いても美しい色合いで、色あせていない。
聴くたびに空を飛ぶような空気感に包まれる。
■ティナ「シャイニング・スカイ」1979■
滝良子さん、お世話になりました。
クロスオーバー・イレブン
~リクエスト特集(6) 23:05~:55
1・FM (4'50")/スティーリー・ダン
2・レット・イット・ホイップ (4'44") /ダズバンド
3・ジェット (4'08") /ウィングス
4・ソウル&インスピレーション (3'03") /ライチャス・ブラザーズ
5・ふられた気持ち(4'36") /ダリル・ホール&ジョン・オーツ
6・素顔のままで(7'08") /バリー・ホワイト
7・スター・ラブ(5'15")/シェリル・リン
8・オフ・ザ・ウォール(4'05") /マイケル・ジャクソン
9・僕の小さなわがまま(3'58") /エルトン・ジョン
10・言い出せなくて(4'56") /イーグルス
ナレーター:津嘉山正種
***
1982年当時のクロスオーバーイレブンは、土曜日も放送があった。
週休2日制の番組が多い中、土曜の夜まで営業していたクロスオーバーイレブンは実に珍しい番組であった。
月~金は、23時00分から23時15分が「ふたりの部屋」、そして23時15分から23時55分の40分間が「クロスオーバーイレブン」。
土曜の放送は、23時05分から55分が「クロスオーバーイレブン」と10分長い50分番組となっていた。
この日は大御所たちの共演、といった具合のラインナップ。
ソロ1枚目のマイケルやイーグルス最終アルバムの名曲など、盛りだくさん。
1のスティーリーダンの曲はアルバム未収録でシングル盤のみの作品、という珍しい曲。
1978年当時ビルボードチャートでも最高位22位。個人的関心としては、TOTOやイーグルスのメンバーが参加しているということ。
5はホール&オーツの曲の中でも特に好きな1曲。ジョン・オーツの渋く黒っぽい声が素晴らしいナンバー。
この「ふられた気持ち」はライチャス・ブラザーズのカバーで、この日の放送は彼らの「ソウル&インスピレーション」と並べたリクエスト構成となっていた。
「ブルー・アイド・ソウル(青い目のソウルミュージック)」とは微妙な表現だが、白人によるソウルミュージックをそう呼んだ。
その分野の先人であるライチャス・ブラザーズ、そして、それをカバーするホール&オーツ。
この曲は単なるカバーという以上に彼らへの敬意、そして、同じ音楽の道を歩む決意と意志を強く感じさせる。
■Daryl Hall & John Oates 「You've Lost That Lovin' Feeling」1980■
~リクエスト特集(6) 23:05~:55
1・FM (4'50")/スティーリー・ダン
2・レット・イット・ホイップ (4'44") /ダズバンド
3・ジェット (4'08") /ウィングス
4・ソウル&インスピレーション (3'03") /ライチャス・ブラザーズ
5・ふられた気持ち(4'36") /ダリル・ホール&ジョン・オーツ
6・素顔のままで(7'08") /バリー・ホワイト
7・スター・ラブ(5'15")/シェリル・リン
8・オフ・ザ・ウォール(4'05") /マイケル・ジャクソン
9・僕の小さなわがまま(3'58") /エルトン・ジョン
10・言い出せなくて(4'56") /イーグルス
ナレーター:津嘉山正種
***
1982年当時のクロスオーバーイレブンは、土曜日も放送があった。
週休2日制の番組が多い中、土曜の夜まで営業していたクロスオーバーイレブンは実に珍しい番組であった。
月~金は、23時00分から23時15分が「ふたりの部屋」、そして23時15分から23時55分の40分間が「クロスオーバーイレブン」。
土曜の放送は、23時05分から55分が「クロスオーバーイレブン」と10分長い50分番組となっていた。
この日は大御所たちの共演、といった具合のラインナップ。
ソロ1枚目のマイケルやイーグルス最終アルバムの名曲など、盛りだくさん。
1のスティーリーダンの曲はアルバム未収録でシングル盤のみの作品、という珍しい曲。
1978年当時ビルボードチャートでも最高位22位。個人的関心としては、TOTOやイーグルスのメンバーが参加しているということ。
5はホール&オーツの曲の中でも特に好きな1曲。ジョン・オーツの渋く黒っぽい声が素晴らしいナンバー。
この「ふられた気持ち」はライチャス・ブラザーズのカバーで、この日の放送は彼らの「ソウル&インスピレーション」と並べたリクエスト構成となっていた。
「ブルー・アイド・ソウル(青い目のソウルミュージック)」とは微妙な表現だが、白人によるソウルミュージックをそう呼んだ。
その分野の先人であるライチャス・ブラザーズ、そして、それをカバーするホール&オーツ。
この曲は単なるカバーという以上に彼らへの敬意、そして、同じ音楽の道を歩む決意と意志を強く感じさせる。
■Daryl Hall & John Oates 「You've Lost That Lovin' Feeling」1980■
クロスオーバー・イレブン
~リクエスト特集(5) 23:15~:55
1・ゴーイング・プレイシス(3'15") /キッド・クレオール&ザ・ココナッツ
2・ビア・イズ・ア・ニュース(3'49") /エレクトリック・ライト・オーケストラ(E.L.O.)
3・イミュニティ (3'53") /ルパート・ハイン
4・ファミリー・アフェア (3'04") /スライ&ザ・ファミリー・ストーン
5・バナナ・リパブリック(5'01") /ブームタウン・ラッツ
6・レッツ・グルーヴ(5"36") /アース・ウィンド&ファイアー
7・プライベート・ジョイ (4'25") /プリンス
8・愛のコリーダ(8'37") /チャス・ジャンケル
ナレーター:津嘉山正種
***
この日はとても夏っぽく鮮やかないろどりに満ちた曲が多い。
ダンサブルだったり、ファンキーな曲だったり、バラエティに富んだ選曲がむしろ素晴らしい1日。。。
1はキッド・クレオール初めての国内LP「楽園の果実」のA面1曲目のナンバー。
5・6は当時毎週のベストテンでよく聴いた大ヒット曲。未だにそのカッコよさは通用する。
8はクインシー・ジョーンズが大ヒットさせたディスコナンバーの原曲。
当時、雑誌「宝島」だと思うが、乗ったクルマから聴こえたら恥ずかしい曲ベスト10(苦笑)で結構上位になっていた。
その気分は分からなくもないが、ストレートな曲調が耳に焼き付いていて、今ではとても懐かしい。
■Chaz Jankel 「Ai No Corrida」1980■
~リクエスト特集(5) 23:15~:55
1・ゴーイング・プレイシス(3'15") /キッド・クレオール&ザ・ココナッツ
2・ビア・イズ・ア・ニュース(3'49") /エレクトリック・ライト・オーケストラ(E.L.O.)
3・イミュニティ (3'53") /ルパート・ハイン
4・ファミリー・アフェア (3'04") /スライ&ザ・ファミリー・ストーン
5・バナナ・リパブリック(5'01") /ブームタウン・ラッツ
6・レッツ・グルーヴ(5"36") /アース・ウィンド&ファイアー
7・プライベート・ジョイ (4'25") /プリンス
8・愛のコリーダ(8'37") /チャス・ジャンケル
ナレーター:津嘉山正種
***
この日はとても夏っぽく鮮やかないろどりに満ちた曲が多い。
ダンサブルだったり、ファンキーな曲だったり、バラエティに富んだ選曲がむしろ素晴らしい1日。。。
1はキッド・クレオール初めての国内LP「楽園の果実」のA面1曲目のナンバー。
5・6は当時毎週のベストテンでよく聴いた大ヒット曲。未だにそのカッコよさは通用する。
8はクインシー・ジョーンズが大ヒットさせたディスコナンバーの原曲。
当時、雑誌「宝島」だと思うが、乗ったクルマから聴こえたら恥ずかしい曲ベスト10(苦笑)で結構上位になっていた。
その気分は分からなくもないが、ストレートな曲調が耳に焼き付いていて、今ではとても懐かしい。
■Chaz Jankel 「Ai No Corrida」1980■
クロスオーバー・イレブン
~リクエスト特集(4) 23:15~:55
1・ペルシアン・ラブ (6'25") /ホルガー・チューカイ
2・恋はドラッグ (4'07") /ロキシー・ミュージック
3・ハートに火をつけて (6'30") /ドアーズ
4・オールド・レコード・ネヴァー・ダイ (4'18") /イアン・ハンター
5・ベスト・デイズ・オブ・マイ・ライフ (3'03") /リンダ・ルイス
6・天国への階段 (7'55") /レッド・ツェッペリン
7・アッシャー家の崩壊(5'35") /アラン・パーソンズ・プロジェクト
ナレーター:津嘉山正種
***
この日も名曲が多いが、かなり支離滅裂な選曲。
時代めいた曲と新しい音楽が混在している。当時のじぶんは1・2・7に興味があった。
1982年当時、1はLPで持っていたし、2は「Avalon」を契機に知ったが、7は知らなかった。
7は、1976年デビューアルバム「怪奇と幻想の物語 ~エドガー アラン ポーの世界~」のB面組曲の一部。
組曲、ということで明らかなように、「時代はプログレ」という時期の作品。
あくまで個人的な感覚だが、聴いているとついピンク・フロイドや10㏄が勝手に浮かんでしまう。
・・・と思ったら、アラン・パーソンズはピンク・フロイドの名盤「狂気」のエンジニアであった。
彼らアラン・パーソンズ・プロジェクトのことは、この年後半に現れた作品「アイ・イン・ザ・スカイ」で知ることになる。
■Alan Parsons Project 「A Dream Within A Dream~The Raven」1976■
~リクエスト特集(4) 23:15~:55
1・ペルシアン・ラブ (6'25") /ホルガー・チューカイ
2・恋はドラッグ (4'07") /ロキシー・ミュージック
3・ハートに火をつけて (6'30") /ドアーズ
4・オールド・レコード・ネヴァー・ダイ (4'18") /イアン・ハンター
5・ベスト・デイズ・オブ・マイ・ライフ (3'03") /リンダ・ルイス
6・天国への階段 (7'55") /レッド・ツェッペリン
7・アッシャー家の崩壊(5'35") /アラン・パーソンズ・プロジェクト
ナレーター:津嘉山正種
***
この日も名曲が多いが、かなり支離滅裂な選曲。
時代めいた曲と新しい音楽が混在している。当時のじぶんは1・2・7に興味があった。
1982年当時、1はLPで持っていたし、2は「Avalon」を契機に知ったが、7は知らなかった。
7は、1976年デビューアルバム「怪奇と幻想の物語 ~エドガー アラン ポーの世界~」のB面組曲の一部。
組曲、ということで明らかなように、「時代はプログレ」という時期の作品。
あくまで個人的な感覚だが、聴いているとついピンク・フロイドや10㏄が勝手に浮かんでしまう。
・・・と思ったら、アラン・パーソンズはピンク・フロイドの名盤「狂気」のエンジニアであった。
彼らアラン・パーソンズ・プロジェクトのことは、この年後半に現れた作品「アイ・イン・ザ・スカイ」で知ることになる。
■Alan Parsons Project 「A Dream Within A Dream~The Raven」1976■
クロスオーバー・イレブン
~リクエスト特集(3) 23:15~:55
1・アメリカ(4'50")/ダダ
2・アイ・アム・ザ・ウォラス (4'35")/ビートルズ
3・キャント・ゲット・イナフ (6'41") /デペッシュ・モード
4・ポップ・ミューヂック (4'54")/M
5・オンリー・ア・ラッド (3'32") /オインゴボインゴ
6・ザ・ホースマン (4'41") /ヴィサージ
7・9月15日(ビル・エヴァンスに捧ぐ)(7'44")./パット・メセニー
ナレーター:津嘉山正種
***
ダダ、というと、私の世代はウルトラマンに出ていた怪獣を想い出す人が多いと思うが、この夜にはダダという名前のアーチストが登場した。
1982年当時この日の放送を、実はじぶんは聴けていないのだが、翌1983年にふたたびこの曲が流れ、そこで出会うことになった。
当初、海外のプログレ的バンド、と勝手に思い込んでいた。ところで一体このバンドの正体は何なんだろうか?と調べる年月は長かった。
結論から言えば、シンセが得意な日本人2人のユニットだった。
正体が判明したのち、彼らのCDを購入したが、これまたナゾめいたジャケット。
音の方はシンセ中心のサウンド、ということではテクノになるのかもしれないが、個人的にはコレという決め手に欠いていて、こういう機会でも無いと聴かなくなってしまった。
田中雄二さんによるダダのアルバム「DADA」紹介文章より。
「・・・ローランド・シンセ・コンテストに入賞経験もある泉陸奥彦と、のちに4-Dを結成、P-モデルのメンバーとなる小西健司のユニット。
泉はカリスマ、小西は飢餓同盟というアングラなプログレ・グループで活動していた人物だが、ここでは2人とも担当楽器を決めない、フリップ&イーノのようなゆるやかな結合体である。
「ステンレス・ママ」のようなアンビエント曲が中心だが、マネジャーを祝ったテクノポップ風「ジロ君のお誕生日会」は当時、テレビのBGMに酷使された。」
この日も名曲が多いリクエスト特集。
5のオインド・ボインゴの曲は、教授(坂本龍一さん)のサウンドストリートでも1981年に掛かった。6のヴィサージは先日も出てきた曲。
またヴィンツ・クラークが居た頃のデペッシュ・モードのシングルカットや「M」ことロビン・スコット唯一の世界的ヒット曲などは言わずもがなの名曲なのでした。
■Depeche Mode 「Just Can't Get Enough」1981■
~リクエスト特集(3) 23:15~:55
1・アメリカ(4'50")/ダダ
2・アイ・アム・ザ・ウォラス (4'35")/ビートルズ
3・キャント・ゲット・イナフ (6'41") /デペッシュ・モード
4・ポップ・ミューヂック (4'54")/M
5・オンリー・ア・ラッド (3'32") /オインゴボインゴ
6・ザ・ホースマン (4'41") /ヴィサージ
7・9月15日(ビル・エヴァンスに捧ぐ)(7'44")./パット・メセニー
ナレーター:津嘉山正種
***
ダダ、というと、私の世代はウルトラマンに出ていた怪獣を想い出す人が多いと思うが、この夜にはダダという名前のアーチストが登場した。
1982年当時この日の放送を、実はじぶんは聴けていないのだが、翌1983年にふたたびこの曲が流れ、そこで出会うことになった。
当初、海外のプログレ的バンド、と勝手に思い込んでいた。ところで一体このバンドの正体は何なんだろうか?と調べる年月は長かった。
結論から言えば、シンセが得意な日本人2人のユニットだった。
正体が判明したのち、彼らのCDを購入したが、これまたナゾめいたジャケット。
音の方はシンセ中心のサウンド、ということではテクノになるのかもしれないが、個人的にはコレという決め手に欠いていて、こういう機会でも無いと聴かなくなってしまった。
田中雄二さんによるダダのアルバム「DADA」紹介文章より。
「・・・ローランド・シンセ・コンテストに入賞経験もある泉陸奥彦と、のちに4-Dを結成、P-モデルのメンバーとなる小西健司のユニット。
泉はカリスマ、小西は飢餓同盟というアングラなプログレ・グループで活動していた人物だが、ここでは2人とも担当楽器を決めない、フリップ&イーノのようなゆるやかな結合体である。
「ステンレス・ママ」のようなアンビエント曲が中心だが、マネジャーを祝ったテクノポップ風「ジロ君のお誕生日会」は当時、テレビのBGMに酷使された。」
この日も名曲が多いリクエスト特集。
5のオインド・ボインゴの曲は、教授(坂本龍一さん)のサウンドストリートでも1981年に掛かった。6のヴィサージは先日も出てきた曲。
またヴィンツ・クラークが居た頃のデペッシュ・モードのシングルカットや「M」ことロビン・スコット唯一の世界的ヒット曲などは言わずもがなの名曲なのでした。
■Depeche Mode 「Just Can't Get Enough」1981■
クロスオーバー・イレブン
~リクエスト特集(2) 23:15~:55
1・ファンダンゴ(3"42") /ハーブ・アルパート
2・ノー・リプライ・アット・オール (4'40") /ジェネシス
3・ヴォイシス(4'21") /チープ・トリック
4・ホームワーク(2'45") /J.ガイルズ・バンド
5・テル・ミー (3'46") /ローリング・ストーンズ
6・オンリー・ザ・ロンリー(3'14") /モーテルズ
7・ハッピー・トゥゲザー (2'52") /タートルズ
8・真夜中の誓い(3'43") /REOスピードワゴン
9・愛の残り火(3"58") /ヒューマン・リーグ
10・シェラ(4"34") /ラーセン=フェイトン・バンド
ナレーター:津嘉山正種
■The Motels 「Only The Lonely」1982■
~リクエスト特集(2) 23:15~:55
1・ファンダンゴ(3"42") /ハーブ・アルパート
2・ノー・リプライ・アット・オール (4'40") /ジェネシス
3・ヴォイシス(4'21") /チープ・トリック
4・ホームワーク(2'45") /J.ガイルズ・バンド
5・テル・ミー (3'46") /ローリング・ストーンズ
6・オンリー・ザ・ロンリー(3'14") /モーテルズ
7・ハッピー・トゥゲザー (2'52") /タートルズ
8・真夜中の誓い(3'43") /REOスピードワゴン
9・愛の残り火(3"58") /ヒューマン・リーグ
10・シェラ(4"34") /ラーセン=フェイトン・バンド
ナレーター:津嘉山正種
■The Motels 「Only The Lonely」1982■
クロスオーバー・イレブン
~リクエスト特集(1) 23:15~:55
1・ア・プレイス・イン・ザ・サン(4'41") /カシオペア
2・ドライヴィング・サタデイ・ナイト (3'25") /キーン
3・ベイビー・カムバック (4'16") /プレイヤー
4・永遠の人へ捧げる歌 (6'36") /コモドアーズ
5・グッド・バイブレーション (3'37") /ビーチ・ボーイズ
6・ゴースト・オブ・フライト401(3'10") /ボブ・ウェルチ
7・セヴンティーン (4'23") /エイドリアンガーヴィッツ
8・マスカレード (7'31") /ジョージ・ベンソン
ナレーター:津嘉山正種
***
80年代の夏休みには、毎年FMで特番が組まれるので、それを楽しみにしていた。
上半期人気だった番組や来日アーチストのライヴの再放送もあったし、正真正銘の夏だけの番組もあった。
1981年夏だったら教授(坂本龍一さん)の「電気的音楽講座」。
放送が家の夕食時間と重なっていたため、少年はいったん食事の席に着きつつ・・・途中トイレに行くふりをしては、部屋に戻ってラジカセの録音ボタンを押したり、様子を見に行った。
親に怒られつつ、食卓と自室を行ったり来たり・・・そわそわしていた。
そんな記憶がある。
クロスオーバーイレブンは、よく夏になるとリクエスト特集をしていた。
リクエスト曲の寄せ集めなので、正直とっちらかった選曲で、通常掛からない曲の並び方をしていたが、番組からの夏の贈り物だった。
普段は曲名すら言わずひたすらセレクトした音楽を紹介する番組と、伝播してくるFM波をチューニングして聴くだけのリスナー。
その双方が夜の闇の中、無言で出会う場だったクロスオーバーイレブン。
しかしリクエスト特集の日だけは、普段には無いお互いの交流が行われた。
まるで1年に一度だけ出会う七夕の夜を想わせる。
■Player 「Baby Come Back」1977■
~リクエスト特集(1) 23:15~:55
1・ア・プレイス・イン・ザ・サン(4'41") /カシオペア
2・ドライヴィング・サタデイ・ナイト (3'25") /キーン
3・ベイビー・カムバック (4'16") /プレイヤー
4・永遠の人へ捧げる歌 (6'36") /コモドアーズ
5・グッド・バイブレーション (3'37") /ビーチ・ボーイズ
6・ゴースト・オブ・フライト401(3'10") /ボブ・ウェルチ
7・セヴンティーン (4'23") /エイドリアンガーヴィッツ
8・マスカレード (7'31") /ジョージ・ベンソン
ナレーター:津嘉山正種
***
80年代の夏休みには、毎年FMで特番が組まれるので、それを楽しみにしていた。
上半期人気だった番組や来日アーチストのライヴの再放送もあったし、正真正銘の夏だけの番組もあった。
1981年夏だったら教授(坂本龍一さん)の「電気的音楽講座」。
放送が家の夕食時間と重なっていたため、少年はいったん食事の席に着きつつ・・・途中トイレに行くふりをしては、部屋に戻ってラジカセの録音ボタンを押したり、様子を見に行った。
親に怒られつつ、食卓と自室を行ったり来たり・・・そわそわしていた。
そんな記憶がある。
クロスオーバーイレブンは、よく夏になるとリクエスト特集をしていた。
リクエスト曲の寄せ集めなので、正直とっちらかった選曲で、通常掛からない曲の並び方をしていたが、番組からの夏の贈り物だった。
普段は曲名すら言わずひたすらセレクトした音楽を紹介する番組と、伝播してくるFM波をチューニングして聴くだけのリスナー。
その双方が夜の闇の中、無言で出会う場だったクロスオーバーイレブン。
しかしリクエスト特集の日だけは、普段には無いお互いの交流が行われた。
まるで1年に一度だけ出会う七夕の夜を想わせる。
■Player 「Baby Come Back」1977■
昔、入院中に偶然出会ったのが、この本だった。タイトルと黒い表紙が目を引く1冊。
院内にあった図書館的スペースで発見したこの本。パラパラめくってピピッと反応し、早速借りて入院ベッドで読み出した。
だが、読んでいる途中で退院が決まり、最後まで読み切れず、それっきりになってしまっていた。
今年に入ってスイッチが入り、この本を買ったが、買った勢いだけで失速し、「積んどく」本のチームに入ってしまい再読機会を失っていた。
しかし、2021年7月23日ついに東京五輪開催へ強行突入してしまったことが起爆剤となって、やり場のない想いを持って、積んだままだった本をここ数日で読み切った。
***
東京五輪誘致決定が2013年9月。
この本が出版されたのは2014年6月である。
この本のテーマは、東京五輪と東京大改革をとりまく「カネと利権」。
五輪誘致決定までの闇、そして新国立競技場建設の闇、、、、闇・闇・闇だらけの裏の真実。
最近タイトル倒しの本が多いが、この本は調査に基づいて積み上げられた事実がまとめられている。
全7章構成で、タイトルを読むだけでも、内容がどんなものか伝わってくる。
序章 ヤクザ・オリンピック
第1章 五輪招致とカネと旧皇族
第2章 森喜朗と「新国立競技場」の深い闇
第3章 五輪ビジネスの支配者たち
第4章 東京大改造バブル
第5章 築地市場移転と五輪利権
第6章 「カジノ利権」に蠢く政財界ウラ人脈
第7章 東京ホットスポット
終章 「石原ー猪瀬ー舛添」の黒い紐帯
新旧織り交ぜた街で構成された都市=東京。
この超過密都市で真夏に五輪を開催する・・・そのためには街をぶっ壊して、無理矢理カネかけて再構築していいんだ、という無茶苦茶な理屈。
そんなことが通用するのか?
いや通用させるのだ、と為政者は言った。
まさにキチガイとしか言いようがない為政者とその犬たちは、高笑いでカネと権力にむしゃぶりついた。
まっとうな神経ではありえないのだが、東京はふるさととして生まれ育った人も少ない土地。
カネと権力に群がることを「ビジネス」と言い換えて悪に手を染めるサラリーマンが多い東京、そして日本社会。
建設業、広告業、他さまざまな業界で、本件のおこぼれをもらう配下企業と関係者の裾野は広かった。
異常な計画の中止を祈るこの8年だったが、戦後の匂いを残した街もこの機に刷新してしまえ、という風が吹く中、想定通り街は様変わりした。
また国立競技場周辺の一帯再開発や、都営霞ヶ丘アパートを話し合い抜きで立ち退かせ全部解体など、中国が過去五輪でやった強引な手法を、この国は平気で市民に行った。
写真や図解が挿入され、非常にわかりやすい一冊。
2014年6月発行と7年前の本であるが、こういった本があるおかげで、たぶらかしてきた政府とすぐたぶらかされる民との間で忘れ去られてしまいがちな五輪の初期問題を振り返ることができる。確かに東京五輪には、今では語られなくなったカジノ(6章)や築地移転(5章)などの問題も絡んでいた。五輪に絡めて、それまで着手出来なかったことも一気に誤魔化してやってしまうつもりだったのだ。
そもそも、この本の表紙の5人。
ああそうか、この5人が当初五輪に関わっていたのだ。。。5人とも五輪実施された2021年の関係者席にはいない。
罪の重さや罪の質はそれぞれ違うが、全員犯罪を行った存在であり「WANTED」。
ここに竹中や、その後罪を継承した小池や菅も入れるべきだろう。
これまでの壮大な迷走は、元々カネで開催地を東京へ無理矢理誘導を行った出発地点から始まる。
「多様性と共生」だの「復興五輪」など言っているが、そんな主題は元々無く、「カネと利権」のために東京で開催する必要があった。
カネと利権だけが計画の目的であり、途中で奇妙な事件が多発し迷走したが、どんなウソをついても誘致させ、五輪開催を目指した。
そもそもの東京五輪のコンセプト土台の設計が如何にいい加減だったかを証明している。計画に無理あるものは、後々巨大な失敗に繋がる。
コロナという想定外の問題があろうがなかろうが、それ以上に深い根腐れが誘致時点ですでに発生していた。
「コロナがあったから仕方ない」ではなく、コロナがあったからそれを隠れ蓑にして、おおもとの問題をもみ消そうとしている。
コロナという特殊事態のノイズを除いて2021年最終地点へ繋がる道を確認する際、参考文献として読むことを勧める。
よく言われる通り、80年代から「五輪は商売になる」ということで商業主義になっていった五輪。
たった2週間程度の世界競技会に、わかるだけでも3兆円超の税金が投入され、都民のテレビ観戦料は一人約10万円とも言われる。
どんな不具合があろうと何ら説明せずごまかし、人をとっかえひっかえしながら、押し倒して突入した五輪。
・・・・「いざ始まってしまえば、あいつら始まるまでの不満なんか忘れますよ」
電2+政府関係者+マスメディア+利権者はそう言い、7月23日前までの空気を一転させるように、開会式を契機にニュースは五輪だけに染まり、大事な天気や生活に関わるニュースすらそっちのけにする。
何があってもシラを切り、突っ張り、押し切れば、何とかなる、という姿勢。
うつろいやすい国民は「また」開催前までの気持ちを忘れて、五輪終了後の選挙戦に向けて誘導されていくのではないか?。そんな心配がよぎる。
先日の都議選ですら、多くの都民は投票にも行かず、異議すら示さず、ありえない結果に終わっている。
そうならないためにも、こういった本を読みつつ、再度8年前からのプロセスを確認しておきたい。