こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記 : 2010年12月31日 さいごに・・・・ 

2010-12-31 21:00:00 | 雑記帳
私が神の不在と邪悪な宗教が嫌いとは、過去に述べました。

しかし、哲学・文学として価値に足る、蜜なコトバに関しては、教わる事が多くあります。

例えば、イエス・キリストのコトバにも「脳」を傾けるものもあれば、そう思わないものもあります。

それだけの事です。
それ以下でも、それ以上でもない。

***

しかし、それを持ってして
「●●●●ハ偉大ダカラ、アナタ~モ~、入信シナサイ。
オ布施ヲ~シナサイ。
イノリナサイ。
イノ~レ~バ~、スクワレマス。」
と言われても、
「嫌だね。」
と言うだけの事です。

***

自分は、もはやテレビもニュースや特定のもの以外は見なくなってしまったし、ぶら下がって来るエサとしての「ニセ世間」のドンチャン騒ぎに合わせて、頷くことも出来なくなりました。

やっとメディアの毒牙が完全に抜けて、解脱する歳になったのでしょう。

私は、その外側に立ち、日々好きな芝居を見、好きな音楽を聴き、散歩し街を放浪しながら写真を取り、思索にふけるだけです。

そんなやさぐれかたちんばが、2010年の最後に、【今】、一番自分にフィットするお釈迦様の言葉を記して終わりたいと思います。

亡くなった相棒のネコ「まみちゃん」も、お釈迦様と同じ4月8日生まれで、自分の老親は「シャカ」と命名するところを、私が静止して「まみ」と名付けたこともありました。

***

『過去を追うな。
未来を願うな。

過去はすでに捨てられた。
未来はまだやって来ない。

だから現在のことがらを、
現在においてよく観察し、
揺らぐことなく動ずることなく、
よく見きわめて実践すべし。

ただ今日なすべきことを熱心になせ。

誰が明日の死のあることを知らん。』(一夜賢者経より)

***

「"過去を追うな"という中で、おまえは80年代ばかり振り返っているじゃないか」という批判されても、仕方のない事ですが、「そう語っている【今】の自分も、想い・書いた途端に既に過去。」と思っています。

お釈迦様の言う言葉は、想い出を捨てろ・自分の今迄を捨てろ、と言っていると思っていません。

「想い出や過去は存在しない。」と論ずるペシミスティックな哲学家の言う通り、見えない過去は現存しないし、過去は「脳」にあり・当時の事実とは異なる「妄想」である点は事実ですが、【私が、今、そのように思って(しまって)いる事だけは事実だ。】という事です。

サルトルの言う「我思う。ゆえに我在り。」という実存主義。

お釈迦様の言葉も同じ発想で、【今】まさに1秒1秒・・・・時々刻々と進む時と共に、周囲の世界は変化するが、それを視ている自分を中心に据えた視点である事には、気付くはずです。
過去は現実としては存在しない。
しかし、自分は居ます。(【今】、のところ)

お釈迦様の「一日賢者」とは、「【今】を愉しめ」と言うようなものかもしれません。

「過去の反省を引きずるな、憂うな/未来に期待せず、憂うな」かもしれません。

***

マンガ「ぼのぼの」には、愉しく愛らしいだけではない哲学的問答が多く潜んでいます。
そこが、このおだやかなマンガの1つの魅力でもあります。
そんな哲学的問答の1つに(MZ師から教えてもらった事ですが)仲間たちの中で今度来る何かに悩んでいる人に対して、スナドリネコさんが「そんなことはそのときになって悩めば良い。」と言ったそうな。

【今】悩んだって無駄なことだということ。

よく試験の合格可否や病院で検査結果を待つあいだに「どうか受かっていますように」「どうかガンでありませんように」と、人はもう既にカベの向こうでは結果が判明している事に対して、願をかけ・祈ったりします。

しかし、既に結果はカベの向こうに事実としてある。

祈りは1つの人の大事な側面ですし、悪い結果ではないことを祈る気持ちは大事です。

告知を受ける側は、まさに、カベの向こうの事実は「神のみぞ知る世界」。
だが、祈りが事実結果を変えることは、悲しいことだが、無い。

宗教の悪い側面として人をだましているのは『祈りが、既に確定した事実結果を変える。』というウソです。

「連中」は、そういう人の弱みに漬け込んできます。

だから、そういう「連中」の勧誘に揺らぐことのない、自分なりの宗教観をあらかじめ別に持つことが必要なのだと思います。

西洋の精神医学には無い、東洋の「森田療法」はその1つのヒントです。
その「森田療法」哲学を生み出した森田正馬が唱えた『あるがまま』。

我々は『祈りが、既に確定した事実結果を変えることはない。』ことを踏まえつつ、事実結果を受け入れながら、その中で『あるがまま』に生きる精神状態が必要なのでしょう。

『あるがまま』『あるがまま』と幾ら唱えても・それは一朝一夕にはなりえません。
「コトバ」ではなく「肉体」で。
そのとき・そのときの自分の制約有る在り方の中で、スナドリネコさんのように愉しむことだと自分は思います。

***

ゲイリー・ニューマンは「エブリデイ・アイ・ダイ」と言いました。

デヴィッド・ボウイは「ヒーローズ」で「YouCanBeHeroes,JustForOneDay・・・・」と言いました。
それは「一生に一回は良い時はあるさ」などというようなロングスパンの悠長な世界で語っている事では無いのは、A面1曲目の「Beauty&TheBeast」の低空飛行する鋭いナイフのような差し迫る音、「サムシング・イン・ザ・ナイト、サムシング・イン・ザ・デイ・・・・」というセリフを聴けば、そういったものではない事は明らかでしょう。

そう思うと、植木等のスーダラ節の「カネの無い奴は俺んとこへ来い。俺も無いけど心配するな。」にすら、単なる楽観主義のみでは無く、カネ以外の価値を【今】に持つという哲学に感じて来てしまいます。

一番【今】を視点[支点]に、1秒1秒の化学変化を理解し・生きたのは、三島由紀夫の言行の在り方かもしれません。

また「音楽図鑑」で「自分とは、複雑なカオス」と表明し、「レプリカ」で“時間の連続体が自分では無い”と自己増殖を表現した坂本龍一。


【坂本龍一「レプリカ」'84/原曲は’82年の「B-2UMITS」ライブ時点で出来上がっていたが、教授が「今」「自分」獲得のために必死で壮絶な闘いをしていた’84年の、ナム・ジュン・パイクとのコラボレーション。「オール・スター・ヴィデオ」より。】

めくるめく思考は尽きませんが、そう言っている間に、かたちんばの想いも既に、次の視点に移ろってきたので、今年はこれにて幕を引きたいと思います。

では、また、『いつか』お会いしましょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピロリの『冬』'83-④ スーパーエキセントリックシアター「村祭り」(YMO「SERVICE」より)

2010-12-31 13:49:42 | 想い出かたちんば


明け方までYOUTUBEを観ているうち、寝るのが4:30になってしまった。
11:40に起きるがダルい。

濃い緑茶を飲み、一服し、洗濯をする。
すっかり自堕落や部屋のゴミを少々片づける。
ノンアルコールビールはいくら呑んでも酔わないので、すっかりたんまり呑んでしまうので、空き缶だらけ。。。

これからお風呂に入って、浅草に行く。
髪にバリカンを入れ、写真を撮り歩き、喫茶店で年賀状を書くつもり。。。

***

クラ~い日々だが、12月31日くらいには、肩のチカラを抜いて、愉しいものを。

YMO「サーヴィス」には、三宅さん・小倉さんを中心にしたスーパーエキセントリックシアターのギャグが曲の合間に入っている。
元々は、幸宏のオールナイトニッポンで一緒に番組を盛り立てていた彼らだったが、YMO3人が気に入って、それをアルバムに入れようという事になった。

とにかく、この頃のスーパーエキセントリックシアターは、本当に面白かった。
何より三宅さん・小倉さんのコンビの掛け合いが絶妙。

数年前の年末、池袋でのスーパーエキセントリックシアター公演にMZ師を観に行ったが、ここでも三宅さん・小倉さんコンビの掛け合いに大笑いし、優しい幸福感に浸った。
2人の元気さに嬉しくなった。

***

ではでは、大晦日の気持ちをユル~くしてくれる、YMO「サーヴィス」から「村祭り」をどうぞ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真日和 : ラッパ屋「YMO~やっとモテたオヤジ~」・In新宿

2010-12-30 20:29:02 | 写真日和
劇団ラッパ屋「YMO~やっとモテたオヤジ~」を観に行った際に撮った写真。



これがシンプルな舞台セット。
立ち食いの「富士そば」・東京メトロ地下鉄・立ち呑み・タクシー・・・
場面が変わるとともに、そのシーンに合わせて、該当の丸だけが光る。



通い慣れた紀伊国屋書店の上にある紀伊国屋ホール。



新宿地下街の階段のショーケースの中に立つ「ショールーム・ダミーズ」。
時代遅れの感覚のマネキンに魅力を感じる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピロリの『冬』'83-③ 坂本龍一「Japan」

2010-12-30 16:55:12 | 音楽帳
1983年暮れ、神経性胃潰瘍で入院していた病院の先生に「何とか家で暮れを過ごしたいんだ!」と強烈に訴えて、条件付きで無理矢理退院して、シャバに出た。

家に帰ると、TVからは「世界の料理ショー」で、いつもの具合に出来上がった料理を、酔うようにクチに運んで「いかに旨いか」を顔のアップで表現していた。



そして、その後NHKでの「YMO散会ライブ・スペシャル」をこたつに入って観て、YMOが終わっていくのを感慨深く、しかし(まだ、ワクワク感があった)年の暮れを自宅で過ごした。

入院中、食べ物を制限されていたお蔭で、シャバに出たら食べたいものを、ノートに記しながら、家ではお正月用のおせち料理のうち、叩きゴボウを作っていた。

***

1983年12月、病院の病床で聴いた「坂本龍一のサウンドストリート」を、お兄ちゃんが録音してくれていて、そのテープを自分の部屋で聴いた年末。

教授が役者として出演し、サウンドトラックを創った、大島渚の映画「メリークリスマス・ミスター・ローレンス」の話題に追われた教授の1983年。

坂本龍一は、もうその取材と話題に追われるのに嫌気がさし、自分は既に次の仕事にかかりたいがために「これで、この話題は終わり!」というシャットアウトとして、カセット文庫で発売したピアノ・ヴァージョンに、「Japan」「Coda」という新曲2曲を加えて「CODA」・つまり「最終楽章」としてLPレコードで発売した。


【ゴミ屋敷と呼ばれる我が家の中の遺品 カセットブック「アヴェック・ピアノ」】

この「Japan」「Coda」2曲と日本生命の「YOU」という商品のCMのバックに流れていた「君について・・・」の3曲をかけた1983年最後の放送のサウンドストリート。

***

この2曲は、教授のいつもの曲の作り方のように、スタジオのその場で創ったものだろうが、極めてハイクオリティなる逸品。


【坂本龍一 「Coda」】

あれから27年後の同日、12月30日の晦日、ボクはこの曲を選んで聴いている。



年賀状を1枚も、まだ書けておらず、既に「今年は年明け年賀だ!」と諦めた。
冬至を越えて、日々、陽の長さは長くなっていくだろうが、あっという間に、今日も陽が暮れてゆく。
山田五郎先生をゲストにしたTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」をかけながら、今年も独りで年末を過ごす。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピロリの『冬』'83-②Hall & Oates「Say It Isn't So」

2010-12-29 18:45:59 | 音楽帳
1983年秋~冬の定番として外すこと出来ないのは一連の「YMO散会」にまつわる「事件」ですが、リアルタイムでヒットした曲の中でも、ホール&オーツの「Say It Isn't So」はハイクオリティな曲として忘れてはいけないナンバー。

幸宏のオールナイトニッポン、教授のサウンドストリートでも、この曲はかかったが、とにかく文句なしに「ええ~なぁ~。」「ホール&オーツのこの曲イイよねえ。」とちまたではみんな異口同音に感嘆して聴いていた。

ホール&オーツはNYのデュオだったが、アメリカが実にくだらない音楽しか生み出さなかった80年代において、別格扱いの、まさに「ソウル(魂)」を揺り動かされる素晴らしい音楽を創り続けていた。

個人的には「ワン・オン・ワン」という曲が特に好きだが、シングルのみで発売されたこの「Say It Isn't So」には、それまでのホール&オーツには無い進化した姿が発見されて、みんなそこにハマっていた。



来年来日するらしいですが、既にチケットは完売しているそうです。
残念。

たかが東大に受からなかった事からぐれて資本主義の単なるカネ追求に走った秋元康が、おニャン子クラブの「セルフ二番煎じ」で「AKB48」という記号を濫用して、その器に入るものから派生する枝葉まで【マーケティング手法としては】実に古い手法でシナリオを書き、荒稼ぎするだけの「哀しい人」が居る一方で、「ホール&オーツ」のような素晴らしい音楽が、いつまでもこうして見えない多くのリスナーを惹きつけ続けることは、魂としての音楽の良い傾向だと思う。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記 : 遥かなる道程

2010-12-29 01:24:23 | 雑記帳
さくりんさんは、29日も仕事だし、MZ師、森下礼さんからもコメントを頂いているが、22時、狭いながらも愉しい我が家に独り戻り、一応、というか、一旦休戦期間に入った。

2010年の仕事が終わった。

さまざまな怒り・嘆き・やらねばならないコト・・・

脳は「カオス」に満ちていて、何も考えたくはない状態。

しかし、あと3日生きられれば、とりあえず2010年を乗り越える地点にまで来た。

こんな夜に、聴きたくなったのが、ビートルズ(実質ポール・マッカートニー)の名曲「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」。

遥かなる道程・・・。

***

私は、中学2年生の時の「或る日」を境に、当時、他人には言わなかったし、今も脳を調べても治癒しないだろうが「過去の記憶力」に障害を持っている(と思っている)。

私がブログをやるのも、家の身の回りに過去の遺品をぐちゃぐちゃに積んで自分を安心させるクセも、写真を撮るのも、メモを取るのも、全ては、「或る日」を境にしたこの脳の障害に対する「過去への糸口」を残すためである。

パソコンの無い時代には、それが、エア・チェックであったり、ノートへの日記やいたずら書きだったりした。

デペッシュ・モードの『コンストラクション・タイム・アゲイン』に「変わりゆく風景」という曲が入っているが、まさに、その中学2年生(1980年)の「或る日」を境に日々周囲の世界がアメーバーのように変わっていく恐怖と闘いながら、その変化する周囲と、それに対応する自分の日々の苦慮を地道に続けながら、「世界」と「自分」の関係の在り方とコントロールを練磨してきた。

そんなパニックから、丸30年×365日-3日。

次第に、そのコントロールはなだらかに、自らで生み出した様々な対処法で対応できるほどにまでなった。

***

外傷があれば、血や見た目の不具合さは可視可能だが、脳や精神は可視不可能である。

それを治療することは「病院があるじゃないか」というのは全くのウソで、「完治するだろう」という浅い希望は、様々な病院に通ったが気休めであった事によって裏切られた。

結局のところは、自分は自分であり、この「自分」という中に見えない形で潜む病は、自分で治すしか無いのである。

私は、実は、安易・闇雲に「かたちんば」などというコトバを乱用している訳では無いのである。

***

私が大学時代に出会った・まさに「邂逅」した一冊。
色川武大さんの『狂人日記』。

そこには、色川さんご自身の病の投影と、実際に精神病院で過ごした一人のノンフィクションを絡めたリアリティに満ちた小説だった。

そこに、私は、私を、見いだした。

私にとっては、三島由紀夫の「金閣寺」と並び、「かたちんば」の代弁者であり、「私だけが異常なのではない」という、発見と薄い明かりを感じた貴重な作品。

これは2冊とも読んでもらうしか無いが「自分がいくら、自分の中で幻覚・違和感が流れようとも、人に伝えなければ・何も言わなければ、異常も正常も他人には視えないのだ。」という『内界と外界』【自分と世界】の有様を見事に表現していて、そこに自分を重ね合わせた。

***

ビートルズ 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」

長く曲がりくねった道は 君のもとに向かう道。
決して消えることがない、前も見たことのあるこの道を。
行けば必ず、ここに辿りつく。
君のもとに辿りつく。

荒れた風の強い夜。
雨が洗い流したあの夜は、涙の水溜りを残して去って行った。
昼を求めて泣きながら。

なぜボクをここに佇ませて、去ったのか。
教えてほしい。
どっちに行けばいいのだろう?

何度も何度も独りぼっちになって
何度も何度も泣いたことがある。
そう言っても わかってもらえないだろう。
いろいろやってはみたってことを・・・・。

でもやっぱり、振り出しに引き戻されて。
長く曲がりくねったこの道に来てしまう。

君はボクをここに佇ませたまま、とっくの昔に去って行った。
もうここで待ちぼうけなんてたくさんだ。
君のもとへ行きたいんだ。

君のもとへ・・・・。


内界=「自分」=ボク・と・外界=世界/他者=君。

君のもとへ辿りつきたいけれども、容易ではない困難な道のり。

しかし、ボクが君に辿りつきたい「想い」だけは捨てないし諦めない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想い出かたちんば : さすらいの「BON」テープ

2010-12-27 22:22:22 | 想い出かたちんば

【こちらは、さすらいの「ボンカレー」】

小中学生の頃、レコードは高価品で、概ねラジオの「エア・チェック」に専念していた。

お小遣いではレコードが沢山買えない分、カセットテープが替わりになる大事なメディアだった。
そんな時代、三ノ輪の王電通りの向かい=パチンコ屋隣の楽器屋兼レコード屋さんの店の軒先で、
雨風にさらされ、マッチ売りの少女・こげぱんのように買ってくれる人を黙って待っていたのが「BON」テープだった。

価格は1本100円。

本音は信頼感あるTDK ADやマクセル UDが欲しい所、400円後半~600円台する彼等を起用するのには覚悟が要り、この数百円差に迷った挙句、断腸の思いで「BON」テープを買う事が、洋楽聴き初めには多かった。
それはやむない選択,選手起用だった。

「BON」テープのデザインは、今思えばくすんだ金&深緑の色合いから中国生産を思わせたが、製造会社表記すらなかった。

MZ師は「あのテープは伸びたり絡まっかたりでラジカセから取り出すのに難儀した」と言っていたが、自分の事故は1回だけ。
深夜、ポーズボタンを駆除し、CMカット編集した珠玉の逸品「幸宏のオールナイトニッポン」を余りに聴き過ぎた故の事故。
耐久性からの寿命だった。

しかし多摩在住MZ師と距離置く三ノ輪のかたちんばが同じ「BON」テープを使っていた事から・・・・
この正体不明のテープのカバーエリア・生産、及び、流通経路は如何に?

音楽好きの謎の逸品なり。
今でも、昔の音を詰め込んだ「BON」テープは他の仲間達と一緒に温度&湿度に配慮され、共に暮らしている。

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劇団ラッパ屋第36回公演「YMO~やっとモテたオヤジ~」千秋楽の幸福感

2010-12-26 21:35:06 | 雑記帳


お芝居はかなり先に切符予約せねばならない。
但し、実際の日が如何なる状況か等想像もつかない。

しかし如何に多忙だろうが、一生に一回の「邂逅」があるから僕らはその想像着かない出会いを求めに芝居小屋に向かう。
ハブ噛み師匠に教えて貰い,切符迄取ってくれるお陰で、MZ師含むいつもの3人で観る「ラッパ屋」公演も4回目位になった。

今回もリアリティある現実の厳しさを踏まえつつも、そんな厳しい日常の中でも、些細な事につい笑ってしまったり・ほんの少しの優しさを感じたりする人間の不思議さ・・・。
生きる不自由さの中でも「人間臭さ」を忘れないラッパ屋の素敵な芝居に笑い、泣き、皆同じ「場」で想いを共有し安堵する幸福感で精神が一杯になった。

資料三昧・一夜寝ないヘヴィな状態で芝居小屋に入ったが、今日もラッパ屋に救われた。
繰り返す事の出来る映画,CD,絵画,写真等には無い、二度と戻る事無い『その瞬間』を同じ『場』で共有する「芝居」の醍醐味と切なさに挽き憑かれてやまない。

ラッパ屋の全員に「お金には替えられない素敵な時間を有難う。」と感謝・合掌。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田 美奈子 「頬に夜の灯」'82

2010-12-26 00:16:00 | 音楽帳
ボクが吉田美奈子さんの存在を知ったのは、マクセルのカセットテープの点数を集めるとオーディオグッズがもらえるというパンフレットだった。

そのパンフレットは、「狭いながらも楽しい我が家(Byエノケン)」のどこかにはあるはずなのだが、消息不明。

そのパンフレットには、大貫妙子さん・ラジ・そして吉田美奈子さんの3人の肖像がモノクロームカラーで横に並んでいた。

このときの、マクセルのCM曲が大貫さんの後世に残る教授との相乗効果を発揮した名曲「黒のクレール」だった気がする。

***

本格的にアルバム全曲を通して聴いたのは「ライトゥン・アップ」というアルバムだった。



ボクは早速このアルバムをカセットテープに落として、磨り減るほどに聴いた。
そのカセットテープのインデックス・カードは、雑誌「写楽(しゃがく)」のグラビアで、朝もやのたゆたう中、通りを横切る少年(中学生の帽子をかぶり・白いシャツに・ズボンをはいた)の【当時は(!)憧れていた】中国の風景のショットを切り抜いたものだった。

このアルバムは、タイトルの「ライトゥン・アップ」の勢いある曲で始まるが、自分がこの1982年から繰り返し愛して聴いているのがA面2曲目の『頬に夜の灯』である。

***

常に孤独で、愛に飢えて40数年生きてきたが、寒い冬の街に佇んでいると、行きかう楽しげな家族、仲の良いカップルが闊歩し、心までが寒くなりそうになるが、そんなとき。
この曲を頭の中のPLAYボタンを押すと、そんな孤独な自分をほんわかと包んで救ってくれる。

元々吉田美奈子さんはきっちりと歌詞がわかる歌の歌い方が出来る人だが、長く愛した分、歌詞がすっかり自分のカラダに染み込んでしまった。

どんなにも孤独な街に佇み・放浪しても、暗い中に「ポッ」と希望のようにまたたく電飾・明かりさえあれば、ボクはこの曲を思い浮かべて、暖かい気持ちになれる。

それは、突っ張りでも・やせ我慢でもなくて、本心である。
結果、みんな一人で死んでいかなければならない孤独を背負った中、寒い季節には自殺者が多く出るが、ボクには、ささやかな光とこの曲があれば十分しあわせになれる。

たぶん、この曲も、ボクの死までの伴走者の中の大事な1人なのだ。



【吉田 美奈子 「頬に夜の灯」 作詞・作曲:吉田美奈子】

灯ともし頃ならば 街も華やいで
急ぐ足を止める 夜に飾られて

すれ違う人 色とりどり
輝く灯に頬を染めたら
一番好きなあなたのため
わずかだけど 愛をおくろう

灯ともし頃ならば 少しはにかんだ
うつむきかげんでも 恋はかなうはず

孤を描く 星たちのまたたきが
終わらぬうちに

時をそのまま 止められたら
なんてステキ あなたのために
恋をかなえる夜の街に
頬を染めて愛をおくろう

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山下達郎 「You make me feel brand new」'87

2010-12-25 00:14:43 | 音楽帳

【今日、定期通院の帰り道、大好きな御茶ノ水で振り返れば、美しい冬の夕暮れ】

今のかたちんばと「クリスマス」は無縁だが、冬の緊張した空気は嫌いではない。
今日は、21時半頃帰り、22:00からいつもの通りTBSラジオ「DIG」を聞く。

その中で、ついさっき掛かった曲だが、このカバー曲「You make me feel brand new」を聴き、フラッシュバックしたのは、UCC缶コーヒーのCMだった。

UCC缶コーヒーCM / 鷲尾いさ子 +山下達郎 「YOU MAKE ME FEEL BRAND NEW」

原曲も知ってはいるが、この達郎さんのカバーは原曲への愛が体内でふくらみを持つうちに、原曲をはるかに超えてしまった感がある。

缶コーヒーのCMで、ハワイのような美しい空と海と砂浜のシーンの中、薄いバイオレットのワンピース水着で、ステップを踏む女性のバックに流れたこの曲の圧倒的で流麗なメロディに、思わず「うわ~っ」となった。

明らかに達郎さんの声で有る事は、1秒で分かったが、どうしてこんなにまでも達郎さんはカンペキ主義者なのだろう。

今では想像もつかない事だが、教授(坂本龍一)はよく達郎さんと一緒に引きこもってマージャンとタバコと雑魚寝のだらりんちょん生活を送っていた日々があった。

偉大なる2人の音楽家の若き日。
そして、2人共にガンコなまでのカンペキ主義者である点。

かたやクラシック・現代音楽という出生、もう一方は黒人音楽をこよなく愛し大滝氏と並ぶレコード・コレクター・・。

お互い出生は異なれど、ガンコな魂は引き合っていたのだろうと思う。

ひさびさに「DIG」のお蔭で、不意打ちな曲に出会い、聴き入ってしまった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする