こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

好きな詩・セリフ: 「箱男」安部公房より 

2006-02-26 22:08:31 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。
見られる傷みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。
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2月25日 土曜日~26日 日曜日 「ガラス戸の中(うち)にて」

2006-02-26 21:10:21 | 音楽帳
◆自堕落な2日間だった。
外には一歩も出ていない。
パソコンの前に座って、ガラス戸の向こうの風景を見ていただけであった。

土曜、まだ晴れていたが、夜から雨に変わり、日曜は、1日雨降りだった。

とんでも無い時間数を、我輩は、寝て、過ごした。
尋常では無い時間数を寝ていたのだ。

汚い話だが、この2日間、風呂に入っていない。
ひげが伸び放題だ。

まあ、別に汗をかく訳では無いので、
本人は汚いなどと、これっぽっちも思っていないのだが。


●起きている間に見たもの・聴いたもの、といえばこんなものだ。

・ドラマ「時効警察」の2話以降のVideoの好きなシーンを抜粋して、見返していた。
・幾度と無く、荒川静香さんの美しいスケートをTVで観たような気がする。「クール・ビューティー」とはステキなコトバだ。


・ニューオーダー/ムーヴメント LPレコード
・・・・久々に聴いたが、やはり暗くて良い。

・スパンダー・バレエ/ダイヤモンド LPレコード
・・・・B面2曲目の「ファラオ」が聴きたくて、ターンテーブルにレコードを乗せた。「ファラオ」はどう聴いてもYMOの影響そのもの。B面は、琴や水の音がして、エセ日本的な雰囲気が漂う。よほど、この頃、彼らにとって、日本は神秘的だったのだろう。

・リチャードHカーク(キャバレー・ヴォルテール)/ヴィジュアル・ステイト CD【写真右】

・シーラ・チャンドラ(モンスーン)/WeavingMyAncestorsVoices CD【写真左】
・・・・インド、である。ひたすらインド音楽が広がる。西洋ロックのビートは一切無い。モンスーンは大好きなので、このCDを買ったが、モンスーンのようなPOPさは無い。ひたすらシーラ・チャンドラのVoiceがうねうねと世界を作っていく。座禅したくなってくる。


▲最近、ノドが突っ張るようになった。そして、ノドから食道が焼けるような感じが、1日に何回かする。そして、もっとひどい症状だが、食べるものの味が分からなくなった。
我輩は、随分と悩みながら、インターネットで調べた。
そうすると「ガンの予兆」ということが出てきた。
我輩はひどく狼狽し、「まさか」と否定したものの、日々、症状は消えず、味は分からず、不安が募った。

そこで、決心をし、ある日、仕事をそっちのけで、信濃町の慶応病院に行った。
病院というのは、何度来ても怖いものだ。

我輩の症状は、検査を要した。
医者の判断は「大したことは無いと思うが、内視鏡検査ではっきりさせましょう」というものだった。
内視鏡検査は苦手で、怖いが、仕方無い。

数年前の検査では、余りに苦しくて、台の上で暴れて、ノドから管を取ろうとして、みんなに羽交い絞めにされた記憶がある。

ガンでは無いものとは思うが、何だかやりきれぬ。


しかし、本日、やっと我輩には、味覚が戻った。
夕飯が、味が分かったのである。
食べることという、生きる基本のありがたみを感じた。



■明日からは、また1週間が始まる。
我輩の不安は、ノド以外にも、別にある。
「転勤告知」があるのでは無いか?という不安だ。

我輩は、現在の東京の多摩エリアの営業に就いて3年を終えようとしている。

どこかに行かされそうな気もしている。
エリートの不愉快な方々とは違って、世の隅で、半隠遁をしながら、生きる、我輩かたちんばである。会社からは、迷惑な存在であろう。

明日からの週で、3月に入る。
どうなることだろうか・・。
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写真日和: このカゴはまみちゃんのもんじゃなんでちゅよ。

2006-02-25 19:37:55 | 写真日和
コチャコちゃんのために、カゴを買ったのに、勝手に、ガンとして、カゴに入って、まみやんは抗議です。
はっきり言って、5Kgの巨大ネコが入るものではありません。

顔がデカイです。
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写真日和: リラックマVSまみやん

2006-02-25 11:02:20 | 写真日和
リラックマをまみやんと対決させましたが、
まみやん、写真の通り全く反応無し。

リマックマの勝利に終わりました。
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慢性鬱病患者の朝の1曲 : ニューオーダー「Regret」

2006-02-23 23:52:01 | 音楽帳
最近、朝、ニューオーダーの曲を聴いている。
今朝も「リグレット」で、独り盛り上がっていた。

かたちんばは相変わらず、自分の世界で、自分流の時間の流れの中で生きているので、世間の時間速度と違い、突然、自分の中で、時代遅れな曲がブレイクしたりする。

ニューオーダーの「Regret(リグレット)」【写真】という曲は、かつて聞いたときに「面白くない」と思ったものだが、最近、急に良くなり、いきなりブレイクなのだった。
シングルで発売されたこの曲は、アルバム「リパブリック」に入っている。

***

彼らを僕はテクノの文脈で捉えていた。
初めて聴いたのが「テンプテイション」の7インチシングルで、それまで聴いたこと無い怪しいテクノの音に魅力を感じた。

彼らの音に、80年代初頭、決して、心酔していた、という訳では無い。
ただ、80年代初頭から、かたちんばは、係わり合いは深かった。好きな曲は多くあったし、その暗さにシンパシーを抱いていたのも事実だ。だが、「ロウ・ライフ」で一旦、聴くことが切れた。「ブラザーフッド」は聴いていない。
そして、いきなり「テクニーク」に飛ぶが、そこで、いつの間にか、ニューオーダーはシーンの真ん中にいて、フォロワーを作り出していた。

さらに、2006年の今年、クルマのさわやかなCMに、何とニューオーダーが流れている・・・。

ニューオーダーは、絶望的でアンダーグラウンドな「どん底」の世界から始まって、、、、、さわやかなCM挿入曲の世界にいたるという、実に、不思議な経過を辿った類いまれな不思議なグループである。

***

ニューオーダーが大好きだったのは、まずは、ニューウェイヴ・テクノの分野の音楽であり、独自の音を追求している点だった。
イアン・カーティスが首吊り自殺をして死去の後、ニュー・オーダー(=新しい秩序)という名前で再出発をした彼らが、最初に選んだのは、元ジョイ・ディヴィジョンの「セレモニー」のセルフカバーであった。
ここから、「新しい秩序」、新しいグループとしての音を発見するための、戦いが始まった。
ニューオーダーが極めて凄いのは、これは当時の彼らの生理的なやむをえない選択だったのかもしれないが、ジョイ・ディヴィジョンというのを1回消し去り、新たな「ニューオーダー」の音を作り出すために、1から音楽を分解し、組み立てていく作業を経て、自分らの音を見い出だして行った点だ。

だから彼らの音には独自性があり、絵画的構成的サウンドなのだ。

どうしようも無く下手くそで、どうしようもなく原始的なのに引き付けられる。
クラフトワークにも通ずる自分らが確立したパターンを繰り返し踏襲しながら前進していくスタイルに惹かれる。

初期の12インチシングル「Everything's Gone Green」「テンプテイション」など、また、ファーストアルバム「ムーヴメント」は、その試行錯誤と経過が収まっている。当時高校生の僕は、時に「まったく出来損ないのガラクタ音楽!」という風に、思わず、レコードを叩き割ってしまいたい衝動もあったものだが、今聞くと、まさしくニューオーダーはもがきながら、何とか新しい自分らのサウンドを作り出そうとしている。暗い中で、実験的に音を積み木のように配置しながら、新しい音楽を構成しようとしている。
今の音を聴いてニューオーダーを知った若い人には、さかのぼって聴かせるには、オススメ出来ない「痛い」代物だ。
だが、今、39歳になった僕は、腐れ縁というか、ニューオーダーの経過が分かるからこそでもあるが、この時期の音を素直に好きだと言える。

***

アンダーな世界をひきずりながら、テクノ、エレクトロの手法を使い、花開いたセカンドアルバム「権力の美学」、そして、3枚目「ロウライフ」までが個人的に好きなものだ。

***

僕は長い間、ギターという楽器こそが、悪しき「ロック」という惰性音楽の、悪しき象徴と感じていた。
ギターという楽器を憎み、それを陶酔して弾くアーチストを軽蔑していた。
一時期、ギターとは聴くだけで、アタマが混乱し、胃が痛くなる、避けて通ってきた楽器だった。

***

ただ、ニューオーダーのギターには、さほど抵抗が無い。
決してロックンロールの文脈からのギターでは無いからであろう。

***

初期3枚のアルバムが好きなのは、ニューウェイヴであり、テクノである点だった。
それゆえ、それ以降の音の熱心なファンでは無かったが、最近、「ロックンロールでは無いギター」ということで、ギターバンドとしての側面から聞き出すと、実にユニークで、面白く聞こえだした。
2000年代に入って出た「クリスタル」というシングルは、モロ・ギター中心のサウンドだが、これも良い。

***

絶望を経過した者だからこその、ニューオーダーの明るさは、なかなか良い。
この曲も、リグレット=哀しみ、といいながら、希望を感じてさせる、ほんのりと漂う明るさが、かたちんばには、うれしい。

初期のくぐもった暗い絶望的ヴォーカルからは考え難い、伸びやかでしなやかな、ツヤのあるバーナード・サムナーのヴォーカルが、美しく、そして切ない。
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2月19日 日曜日 部屋のお掃除に、「カーラ・ボノフ」

2006-02-19 22:57:40 | 音楽帳
9:00起床 お茶飲んで日記書き、レシートの整理。
 空は曇り 白い空。
正直、胸焼けがして、のどがつっぱるのだけど、この正体はひょっとして、刺激物?昨夜、スパゲティ作った際に、にんにくをたくさん入れたし。どうも、そういう理由はあるかもしれない。しかし、「まさか、ガンじゃないんだろうな?」という怖さがここ数日続いている。
禁煙は続いているものの、何か、ノドと胃がヘンである・・。
相変わらず、神経症の自分である。

***

10:30ごろから、珍しく「キレイにしよう」と思い立ち、部屋の掃除を始める。
レコードが聴きたくなり、久しぶりにターンテーブルにレコードを乗せる。

まだ「涙に染めて」でヒットする前のカーラ・ボノフのデビュー・ファースト・LPをかける。
その名も「カーラ・ボノフ」。
1977年作品。
A面1曲目の「SomeoneToLayDownBesideMe」がチョーイイ曲で、大大大好き。
全体には、フォーク、カントリー調の曲が多いが<暗い曲はむしろ少ないが>、この曲の暗さは、「涙に染めて」でのカーラ・ボノフのイメージに近く、いい曲です。

作詞・作曲、そしてピアノをカーラ・ボノフ自らが弾いています。

この曲は、昔の五輪真弓がやったら、ぴったりの曲。
というか、当時、近い音を出していたのでは?
五輪真弓というと、ぴんと来ない人も多いと思う。
もしくは「恋人よ」という曲しか知らない人も多いだろうが、昔、70年代の五輪真弓は素晴らしい音楽をやっていた。
(最近は知らないが、ヒットした後も、素晴らしい音楽をやっているアーチストと思う。)

アメリカの音楽の中心が、自己主張だらけ、エンターテイメント意識の強い、「アッパラパー」なバカな音楽にシフトして<それはそれでイイのだが>いった80年代の前・・・。
アメリカの、素朴で、自己主張をせず、シャイな音楽が、主流としてあった頃。
<イーグルスも自分にとっては、そういう音楽だったが>

何度も盤をひっくり返して、何度も聴く。

この盤は、やっとのことで探し当てた1枚。
ジャケットも波打ち、盤質もよくなかったが、ほかでは、それまで手に入らなかったもので、今後も手に入る目処は立たないので、中古レコード屋さんで、思い切って買い求めたもの。

キズは少ないが、ほこりをたっぷり吸い込んでいるので、プチプチ音だらけ。

その音の合間を、カーラ・ボノフの声が縫って、でて来る。

日曜にかけるレコードらしい。
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坂本龍一のサウンドストリート 1982年1月26日 ゲスト:忌野清志郎

2006-02-19 22:48:25 | 坂本龍一のサウンドストリート
先週の生ピアノが好評だったようで、「ピアノが好評で、ピアノ曲集を作れ」というハガキが多いとのこと・・。

教授「こんちわ」
清志郎「こ、こ、こ、こんちわ・・・」
教授「こんばんわ」
清志郎「こんばんわ・・・」

と静かに始まる。
教授は、最初の間、緊張していた。
2人の間に違和感があった。間をどう取ればいいのか、何を話せばおいいのか、迷っていたようだった。
2人ともシャイだし、話題も広がらなそうな空気が漂う・・。

教授が、ハガキを読む。

「坂本はDavidSylvianと清志郎どちらを取るんだ!」というハガキなど・・・

そのとき、唐突に、清志郎が、いきなりしゃべり出す。
初めての清志郎の聞こえる大きな声の発言「毛深いんだよね、群馬のヤツって・・・」

その後シーン・・・・・。
会話がそこで切れる・・・。

1・RCサクセション 「あの子のレター」
コドモの頃、友達になりたいってハッキリ言えばいいのに、なかなか言えない時に、徐々に、相手の接点になるようなことを言って、距離を縮めていくように・・・。2人は、「オレ、やっちゃたんだぜぇ~」「~なんだぜぇ」とか、お互い恥ずかしそうに、なかばふざけながらボソボソしゃべる。

今回(「いけないルージュマジック」)は、3日間リハーサルの後、4日間録音に使ったそうです。

教授「(今回は)普段のRCとは違うでしょ?僕、頑張ったんだから・・。違わなかったら、泣いちゃうよ。」
「1個づつ、ドラム、ベースと<電子的音楽講座でお話したような工程で作ったんだけど>やりにくかった?」
清志郎「いやあ、本番なんじゃないかなあ~、とか思ってた」
教授「飽きないんだよね。今回の音。やった翌朝でも、聴きたいなあって思うんだ。」
清志郎「ん~、飽きない・・」(本気で言っているのか言って無いのか?さっぱりわからない口調で言う)

実に全く噛み合わない、のである。

沈黙と平行線の会話に耐えかね、やっと、本命の曲が、やっと出る。

2・坂本龍一&忌野清志郎 「い・け・な・い ルージュマジック」(1982年2月14日 発売シングル・A面)

1981年12月27日にヨロシタミュージックで、初めて2人は「お見合い」をしたらしい。
「ベイベー、今度来いよ、ベイベー」という具合で、清志郎に誘われ、29日のRCのコンサートに、糸井さんと2人で教授は見に行ったとのこと。
途中で、ステージに教授が飛び入り。
33歳のおぢさん(糸井さんのこと)が「行っていらっしゃい」と背中を押す形で、ステージへ・・・とのことです。

3・坂本龍一&忌野清志郎 「明・る・い・よ」(1982年2月14日 発売シングル・B面)

教授「僕がトラックダウンしたんだぜ、どうだい?」
清志郎「いいぜえ」

次週には、話さない、ぼそぼその2人の援護部隊として、チャボと糸井さんを呼ぶらしい・・。
では、また来週、ということで、この曲で終わる。

4・RCサクセション 「汚れた顔でこんにちわ」

教授も81年後半にはだいぶ明るくなったが、この回の放送は、以前の暗~い教授に戻った感じだった。
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デペッシュ・モード「ミュージック・フォー・ザ・マスィズ」(1987年)

2006-02-16 19:54:55 | 音楽帳
このところは、朝 夜とデペッシュ・モードの「ミュージック・フォー・ザ・マスィズ(MusicForTheMasses)」('87年)と「ウルトラ」('97年)を聞いている。

***

「ミュージック・フォー・ザ・マスィズ」において、デジタル機材の使い方に大きな変化は特に見られ無い。(むしろ変化を進化と感じられない。)このアルバムから、完全デジタルレコーディングに移行したくらいか。

このアルバムが発売された’87年と言えば、もはやテクノ=デジタル音楽において、機材・サウンドの進化も尽き、それに伴いNEW WAVEも終焉を迎えようとしていたから、もはやそういう観点から見るのはやめたほうがいいアルバムなののかもしれない。

そういう観点から言うと新たな発見は全く無い。そういうNEW WAVEの終焉の、時代のターニングポイントである背景の中の発売であることは、彼ら自身が一番知りながら出したアルバムとも言えるかもしれない。

一方、当時ノイローゼで病院通いだった私の方は「「昨日とは違う翌朝=昨日を越える新しい朝」はもう来ない」と、'80年初頭からひたすら新しい「明日」の音楽に邁進し、<昨日より新しい今日>を追いかけてきたが、そんな「今日」はもう二度と来ないことを知り・諦め、音楽に絶望していた。それが、自分の病状を余計に悪くさせていたから、'87年からは新しい音楽を追う行為を一切やめ出した年だった。

そのような個人的経緯から、このアルバムも一切聴いてこなかった。
デペッシュ・モードの大ファンでありながら、すっかり抜け落ちていた1枚だ。

***

初めて「ミュージック・フォー・ザ・マスィズ」を聴いたのが、ここ数年で、最初はLPレコード、そして、こないだCDも買った。
初めて聞いた印象-
最初、音にすかすか感を感じた。
メロディも安直な気がした。
前に退化している気がした。

せっかく前作「ブラック・セレブレイション」('86)で、もう終わろうとしている我らが創ってきた時代の音楽の最後を葬奏にて行ったアルバム。
夜の闇のような「あの世」との境界線の漆黒・暗黒のブラックサウンド、幻覚を起こすような、渦巻く霧の中に漂うような聴感を作り出したというのに・・と残念に思った。そういう意味で前作からの新たな伸びは無く、新たな発見は一切無いアルバムである。

しかし、そこはスルメのようなデペッシュ・モードのこと、聴き込むごとに、味が出てきて好きになっていった。
NEW WAVEの終焉期に発表されたこのアルバムには、新たな発見は無いものの、いつもの通りイイ曲が多く入っている。
なぜこんなしっかりと安定しているんだろうという位、このアルバムも「コケる」ことなど どこ吹く風、
いつもながら、哲学的思索的な世界がきちんと展開していく。

1曲目の「NeverLetMeDownAgain」が終わると、夕暮れの風の音がする・・・
そして、その風の音は2曲目の「TheThingsYouSaid」に繋がっていく。
この2曲の流れが好きだ。
3曲のボーナスも良い。

***

デペッシュ・モードが凄いのは、どんなものを作っても、芯があって浮き足だったところが無いところだ。
笑いとは無縁で、ニヒルで暗いのも、かたちんばが親近感を持つところだ。
暗いとはいえ、目をそむけたくなるような、救いようの無い暗さでは無い。
時に、観念的哲学的でさえある、そういった意味合いの暗さである。

なぜそんなものが、「POP」とか「メロディアス」とかと結びつくのか?
文字だけでいうと成り立ちそうにない理屈だ。
だが、それが成り立ってしまうのが、デペッシュモードが創り出した彼ら独自のサウンドなのだ。
<こういう優れた音楽がバンバン売れるイギリスという国は、やはりすごかった(過去形)。>

***

「ウルトラ」のライナーノーツには、「自閉しながら世界に拮抗しながら、世界で成功した唯一のロックバンド」 と表現したが、それは実に言い得て妙な言い方で、まさにその通り。
デペッシュ・モードは「ソングス・オブ・フェイス&デヴォーション(Songs of Faith and Devotion)」('93)で、イギリスのみならずアメリカでも成功してしまった。

が、その成功が、その後、彼らの自閉した世界の破綻・不安定感に繋がっていく。
それが、グループとしての崩壊の危機に至る・・・。

イギリスのバンドが、アメリカでの成功を期に自滅=壊れていく、という現象は、多く見られる在り方だ・・・・。
(同系列の在り方としては、ティアーズ・フォー・フォアーズなどがいる)

***
【'93から「ウルトラ」('97)へ】

崩壊からの建て直し・・・・。死が濃厚に刻印された・死の海から腐乱の臭気を引きずりながら甦ったアルバム「ウルトラ」('97)では、一応の復活を遂げながらも、私はその悲惨さの漂う音に、かつて好きだったナーバスなデペッシュ・モードとは違うグループを見てとってしまう。

デペッシュ・モードの音感にいつも漂い・有った、私の愛する「若さ」、そして若さゆえの「憂い」・・・・。
そして、シャイなかげり、青さ(青臭さでは無い)・・・・。
いつだって私が愛していた「悩める青年たち」の悩み・思索しながら進んでいく ある種の弱さ・甘さ・優しさが無い、と、少なくとも私には感じられて、寂しくなった。

何歳になっても、 ~「ミュージック・フォー・ザ・マスィズ」のアルバムジャケットの写真のような~ 暮れていく陽を見ながら、一瞬停止する時空の静かな夕闇に、いつまでもたゆたっていて欲しかったというのに・・・・・。

アルバム「ウルトラ」には、もう弱いナイーブな彼らの姿は無い。
明らかに別のグループに生まれ変わろうとし、動いている彼らの姿勢がよく見える。

それは彼らのその時点での新しい道なのかもしれないのだろう。
そして、その一歩は、同時に、今までいた自閉的な世界を捨てることを意味するのかもしれない。

しかし、
なぜ、人は弱さを失いながらでも、強くなっていかざるを得ないのだろうか?

なぜ、人は、生きていくために、自ら内包し保持してきた弱さや、貫いてきた純潔を、捨ててでも、強くなっていかねばならないのだろうか?

なぜ、人は、その強さと引き換えにして、甘さや優しさを捨てざるを得ないのだろうか?
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写真日和: いっぽう、まみやんは・・・。

2006-02-16 14:49:51 | 写真日和
寒空の中で、飛び回る若い子ネコ ミケちゃんの一方・・・

大御所、まみやんは、といえば・・・ごらんの通り。

相も変わらず、自堕落な日々。

ぺったりこんとお餅のように、横伸びして、何の警戒のカケラもなく、寝ています。
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写真日和: 彼氏?

2006-02-16 13:52:21 | 写真日和
ミケちゃんを、もう1枚。

実は、ミケちゃんには、いっつもくっついている茶色のやせたオスネコが最近いることが発覚。
ミケちゃんは、まだ幼児なので、異性の意識は無いが、その茶ネコは、ミケちゃんが好きみたいです。
庭で見るときも、近所で見るときも、いっつも、ミケの背後には、それを追いかける茶ネコの姿があります。

悲しく切ない話ですが、エサをあげても、このミケちゃんばかりが、むさぼるように食べて、茶ネコは近くで「じ~っ」と見ているだけで、一口も食べません。あんなに痩せているというのに・・・・。
譲っているんでしょうか?
とても痛々しくて、食べて欲しいと思っているのですが・・・・。

捕まえられないし、去勢手術が出来ないので、春になったら、妊娠してしまうのだろう。子ネコはみんなカワイイが、そういった繰り返しを何度も見てきたかたちんばとすると、その子たちの行く末が心配の種だし、このヒドイ現代の街の状況を考えると、生んで欲しくない。まだ1匹ならいいが、ネコのコドモが1匹ということは、まず無いし。


彼氏というか、生きる相棒が出来たのはいいが、正直、そういうことを憂えている日々です。
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