2月4日(日)高校時代の同級生2人と川越で会うことになり、片道2時間の日帰り小さな旅へ出た。川越に行くのは家の者と行った数年前のコロナ禍以来のこと。そこから数年経ったコロナ明けの最近では、どこに行っても外人と観光客のヤマで自由に動けないので 出来るだけ「ベタ」な場所には行きたくない。しかし「川越に行ってみたい」と同級生が言ったため、重い腰を上げたのだった。正直そうでもなければ片道2時間かけて、川越まで行くエネルギーはもう無い。
それまで疎遠だった同級生2人と年に何回か会うようになったのはここ数年のこと。
最初の頃は、ただ会って数時間居酒屋で酒を呑んで解散する、というパターンに従っていた。しかし、しだいに私が酒を呑めなくなったのもあり「ただ酒を呑むために会うのはつまらない」と言い、3人で街をさんぽしながら話し、そこに共有できる何かを見い出すというのはどうか?と提案。2人が同意してくれたので、3人で当番を持ち回り各々好きな場所に行くことになった。
そして、今回の川越行きを提案したのはI君だった。
I君は7年くらい前に脳腫瘍が発覚し、二度の手術と治療を経て今は寛解。そんな大変な経験を経た現在、彼は「後悔しないように」と休暇には常にやりたいことを前倒しで行っている。現在は寛解だが通院は続いているしイザというときの対処もあるため、遠方への旅行は行くことはできない。日帰りで行ける場所として、一回は行ってみたいと選んだのが小江戸・川越だった。
2月4日は悪天候の予想だった。朝、外を見ると雨。
そこからしばらくちらちらと小雪が舞うのが見えた。しかし、その後止んで曇りを何とか維持してくれた。
川越はいろんな行き方が出来るが、悩んだ末、池袋まで出て、東武東上線で向かうことにした。。。座れた席でガタゴト揺れて行く。。。ふじみ野を過ぎたあたりでいきなり視界が広がり、田んぼが広がる景色になった。そこで思い出した。志木にあった某高校を受験させられたとき、この電車乗ったんだった。やたら土くさく、電車ガラスもすすけて汚れていた記憶がある。たぶん15歳、1982年の今頃、だから42年前のことになる。
今振り返ってみると、行きたくもない学校を親のエゴに押されて受験。つくづくムダで空虚な時間を過ごしていたなあ、と思う。その毒親が90過ぎても未だ生きているのはいかがだろうか?。そう自分は思ってしまう。
色川武大さんの小説「百」を思い浮かべる。しかし、この毒にやられなければ、この同級生にも会わなかったのだろうし、人生は複雑な偶然の積み重ねである。
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今日は断続的な雨の日。最高4/最低2度という厳しい寒さ。家という閉所に一日とじ込められると苦しくなるはずの自分は、実に珍しく室内に丸一日居た。それはネコたちと一緒に居られたからだろう。1982年の今頃聴いていたカセットをひっぱり出して、ラジカセできいていた。その少年の頃によくも悪くも未だに捕まり、インナーチャイルドを抱えた自分がいることを今更ながら再確認する。
■クリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」(Arthur's Theme [Best That You Can Do])1981■