こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年10月31日 月曜日 リハビリ・音楽 トッド・ラングレン「ザ・バラード」'71

2011-10-31 22:01:50 | 音楽帳


トッド・ラングレンに出会えたのは、やっぱりサウンドストリートとクロスオーヴァーイレヴンのおかげ。
「ザ・バラード」は、教授がサウンドストリートで「この曲を聴いて、今日は終わりにしましょう。おやすみなさい・・。」と最後にかけた曲。

■Todd Rundgren 「The Ballad (Denny & Jean)」■


「ザ・バラード」が聴きたいがために、この曲の入ったアルバム「RUNT」を買ったのは、90年代以降のこと。
夜想曲としては、ぴったりでしょう。


この休みに、またがさがさとゴミ屋敷を搜索する。
大学時代に描こうとして中座したままの絵が出てきた。
今になって見ると中座したままの方がいいんじゃないか、と思っている。
出来上がる、とは一体何を意味しようか?
中途半端だからいいんじゃないのか。

なにごともコンを詰めすぎては、息苦しくなる。
思えば、日本の過去の先人たちが生み出したわびさびの空間も、墨の世界も、茶の世界も、そのことと繋がる。

なにごとも、やりすぎては、気配や気を失う。

まだ、週は始まったばかりだし。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月29日 土曜日 リハビリ・音楽 ジョー・ジャクソン「ナイト&デイ」'82

2011-10-29 23:59:20 | 音楽帳
70年代の終わりに中学生になり、FM雑誌を教科書にしながら洋楽に入っていく中、まだパンクの残り香がしていた。
そんな中、エルビス・コステロやジョー・ジャクソンの姿やアルバム・ジャケットやレコード評を見ながらも、苦手意識が特に強くあり入っていけなかった。

その後、1982年にジョー・ジャクソンがニューヨークで録音した「ナイト&デイ」というアルバムで、ボクは初めてジョー・ジャクソンの音楽の良さに目覚めた。


決して上手とは言えないヴォーカルなのだが、惹きつける味わいと良質な人間臭さがあった。
そして、ジョー・ジャクソン独自のおしゃれさは、彼が身に付けたおしゃれさ同様、音楽にもそれが反映されていた。
アルバム「ナイト&デイ」は世界の多様なジャンルの音楽形態を引用しながら、ふくらみを持ったトータルアルバムになっていて、よくターンテーブルに乗せてはレコードを聴いた。
A面が「ナイト」サイド、B面が「デイ」サイドだった。


このアルバムで一番最初に、心が踊ったのがヒットした「ステッピン・アウト」。
ニューヨークの夜のきらびやかな、街の明かりと人々が輝く様を上手に描き出していた。
この1982年。ロキシー・ミュージック「アヴァロン」、スティーヴ・ウィンウッド「トーキング・バック・トウ・ザ・ナイト」の中で描いた都市・街の様とボクの中では同期していた。

■Joe Jackson 「Steppin Out」■



アルバム「ナイト&デイ」の中でステキに輝いていたのは、それだけでは無い。
ポロンポロンと弾かれるピアノの音の美しさ。
そこに絡む打楽器類の牧歌的な匂い。そしてチャイムの音。
ナーヴァス、ロマンティークでチャーミングなジョー・ジャクソンの姿。

「ステッピン・アウト」の次にシングルカットされた「ブレイキング・アス・イン・トゥ」は、晴れた午後の昼下がりにかけるのをボクは好んだ。
ピアノの音がゆるやかに時間速度を落としてくれる。

■Joe Jackson 「Breaking Us In Two」■


日本では、この2曲がオモテ裏になった、実に贅沢なシングルが発売された。
実に幸福感に満ちた1982年という年の断片。
当時高校1年生だったボクは、土曜日バレーボール部(では無くて「排球部」だったが)でしごかれ、夜闇の美しい空の中、ボロボロになったカラダを引きずり帰り、呑めない酒(ワインや安いウイスキー)を内緒で呑みながら「ベストヒットUSA」〜深夜番組〜夜中3時ピーターバラカンさん&矢野顕子さんの「スタジオテクノポリス27」を録音しつつ聴き、夜明けが次第にやってくる中、寝る。
そんな繰り返しをしていた。
それが、日々文武両道の男子校のつらい中での、一人だけの土曜の夜のパーティーだった。

ジョー・ジャクソンのこれらの曲も、そんなささやかなパーティーを華やかにしてくれた音楽だった。
アルバム「ナイト&デイ」への恩恵には、こんな想い出がだぶっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月29日 土曜日 リハビリ・音楽 ダリル・ホール&ジョン・オーツ「ワン・オン・ワン」'82

2011-10-29 22:18:16 | 音楽帳

ししゃもとビールをやり、その後、パスタをゆでてピーマン、チーズとあえて食しつつ。

結果、今週のウィークエンドも爆睡になってしまった。
しかし、リラックスすべき時であれば、別にそれでもいいのでは無いか。
ふだん十分働いているんだから。
そういう考えもある。

一方、ネットTVで桜チャンネルを聴いていた。
「見る」ことは疲れるので、画面があっても休みは耳だけを使う方向に傾く。

野田首相には本来はコトを進めて欲しいところだが、韓国に行ってロクでも無い発言をしてしまったことを知る。
韓国のドラマだ・食べ物だ・・自分の妻も好きだ。
何をコビを売ってビビってんだ。

「冗談じゃない」。
一体、日本はいつまで謝罪し続けるんだ。もう21世紀だというのに。
相手は「差し込めば引く」ことを重々知った上で、インネンを付けて来て「カネを出せよ」と言ってきた恫喝歴史に、相も変わらず正気で対応している事に、馬鹿馬鹿しさしか覚えない。
情けないこと極まりない。「結局、お前もか」。

***

そういう馬鹿世界を離れて、音楽に行こう。
1981年から見出した小林克也さんの「ベストヒットUSA」。
そこで出会ったホール&オーツのMTV。

81年に世界的ヒットを飛ばした後に発表した「H2O」。

1982年「ベストヒットUSA」で知った「ワン・オン・ワン」。
ダリル・ホール&ジョン・オーツには、多くの素晴らしい曲があるが、特に「ワン・オン・ワン」を愛してやまない。


当時、兄と口論になったことがあった。
まあ当時ゆえのことだったが。。。
ツェッペリン、イエス、クリムソン・・等々で育った兄は、80年代のありさまに好意を当時抱いていなかった。
あれとこれと・・は聴くに値しない、と知見の広い偉大なる兄に何も言えない自分という関係とコンプレックス。
しかし、兄が言わんとするニュアンスは分かっていた。
80年代ポップスが内包する現実乖離した欺瞞。
しかし、それは音楽だけのことでは無くて80年代そのものが持っていた二重性。
それは分かったが、その「あれこれ」の中にホール&オーツが出てきたことにだけは否定した。
彼らをその中に入れてくれるな、と自分は言った。

そういう口論から三十年経て、時代も価値も人も流転し、兄も今ではホール&オーツのファンである。
当時、ブルー・アイド・ソウル(青い目のソウル)と言われたが、彼らの音楽の中にいつも感じる魂の熱さが我々を深いところで感動に導く。
それは今も昔も変わらない。

■Hall & Oates 「One On One」■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月28日 金曜日 リハビリ・音楽 電気グルーヴ「虹」'94

2011-10-29 00:40:13 | 音楽帳


電気グルーヴは、YMOが持っていた「サーヴィス」精神を極度までにイカせてしまったユニット。
アルバム「A(エース)」を境にして、砂原良徳さんと2人の間での方向性の違いがあらわになり交錯し、たもとを分かつこととなる。
そんな電気グルーヴが、極めて真正面から恥もてらいも捨てて作った名曲「虹」。

今夜は、10分という長さを感じさせない、この延々と流れていても構わない曲を聴きたい。
一週間が終わったウィークエンドの始まりに。。。。。



くりかえす・・・事も たまにある・・・
ぼんやりと・・・ただ意味なく・・・

遠く短い光から 水のしずくハネかえる・・・
ゆっくり消える「虹」みたく とりこじかけにする


ふりかえる・・・事も たまにある・・・
照れながら・・・思い出す・・・

遠くて近い つかめない どんな色か分からない
ゆっくり消える「虹」みてて とりこじかけになる


くりかえす・・・事も たまにある・・・
ぼんやりと・・・ただ意味なく・・・

遠く短い光から 水のしずくハネかえる・・・
ゆっくり消える「虹」みたく とりこじかけにする

(作詞・作曲:石野卓球)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月27日 木曜日 リハビリ・むかしばなし

2011-10-27 21:47:28 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
眼痛は血が出る
んじゃないかのよう
ヘルニア痛も絡み

耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍び
したものの
痛みが限界値を超え
帰路

ネットからのありがたい頂き物
リハビリの一環として
気に入った
むかしばなしを一節

***

むかしむかし、ある小さな山の茶店に、一人のさむらいが入ってきました…

「ごめん」
「はい、いらっしゃいませ」

「じいさん、ここのダンゴは、うまいと評判だ
わしにも一皿、もってまいれ」
「はいはい
どうぞ、めしあがってくださいませ」

茶店のおじいさんは、お茶とダンゴをはこんできました
その時、おじいさんはさむらいの顔を見て、びっくりしました

「あれ、まあ!」

何と、おさむらいの耳はピーンと、三角にとがっていて、顔のあちこちに茶色の毛が生えています
『ははーん、このおさむらいはキツネだな…』

おじいさんは正体を見抜きましたが、キツネはうまく化けたつもりで、むねをはっていばったかっこうをしています
おかしくなったおじいさんは小さなおけに水を入れて、さむらいの前へ持って行きました

「おさむらいさま、お顔と耳が少し汚れておいでのようです
どうぞ、この水をお使いください」
「ふむ、これはどうも」

うなずいたさむらいは、おけの中をのぞいてびっくり

『コンコン
これは化けそこなった!』
キツネは、大あわてです

「さあ、おさむらいさま
ごゆっくり、召し上がってくださいませ」

おじいさんがそう言っても、キツネには聞こえません
キツネはダンゴも食べずに、そのまま山の方へ逃げていってしまいました

…次の日
おじいさんはたきぎをひろいに、山の中へ入っていきました
すると
どこからか「おじいさん、おじいさん」とよぶ声がします
おじいさんは見回しましたが、誰もいません

「はて? 何のご用ですか?」

おじいさんが言うと
「おじいさん、昨日はおかしかっただろう
大失敗だったよ
ウフフフ、アハハハ」
と、笑い声が聞こえてきました

「ああ、昨日のキツネさんか
そう言えば、あの時はおかしかったな
アハハハ」

おじいさんも、大笑いしました

<おしまい>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月25日 火曜日 リハビリ・音楽 秋のタキシードムーン

2011-10-25 22:40:13 | 音楽帳


1983年秋から年末に胃潰瘍で緊急入院した想い出。
行けなかったYMO散開ライブ。
年々秋になると、病床で深夜にこっそり、教授のサウンドストリートや幸宏のオールナイトニッポンを聴いていた季節の感覚を思い出す。

【写真】は2004年にMZ師、ハブ噛み師匠に作った自作コンピレーションCD。
既に、ここからも7年が経っている。
すべて、ボールペンでいたづら書きされたジャケットと中の装丁。
公園で、不思議な秋の子と出会った。


インナーを見ていて、タキシードムーンを聴きたくなった。
80年代初頭当時は「暗いねえ。。。」と言われたが、自分にはヨーロッパらしい退廃的な空気がパッケージされていて好きな音楽。

ところが・・・タキシードムーンとはサンフランシスコの出身と聞いて「ギョッ」。
ドリーム・アカデミーのフォークロアな香りからイギリス系と思っていたが、アメリカ出身と聞いて違和感を覚えたのに近い。

この自作コンピレーションCDの14曲目に入れた「ミュージック・ナンバー2」。
クレプスキュール・レーベルから発売された12インチシングル「TIME TO LOSE」に入っている曲。

退廃的なのに、サンフランシスコ出身で、更にクレプスキュール・・・と不思議なねじれと無国籍。

当時は、レコードしかなくて、アナログ盤からmp3に変換した。
この中古レコード屋さんで見つけた宝物の12インチ・レコードも、ぷちぷち言うのをmp3加工ソフトで補正した記憶がある。

そういう珍しい音源も、今ではYOUTUBEでキレイな音と映像が見られる。
何という幸福。

昔も今も、この曲には暗さなんて感じない。
むしろ安堵を覚える。

■Tuxedomoon 「Music #2 」■
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月24日 月曜日 リハビリ・ラジオ 

2011-10-24 22:58:23 | 雑記帳
ラジオ好きの自分。
TBSラジオの夜中1:00-3:00の「ジャンク」。
月曜日の伊集院光さん、火曜日の爆笑問題がオススメ。

とはいえ、労働者は最後まで聞けない。
レコーダーで録音するか、ポットキャスト、また、ニコニコ動画に掲載されたものを有難く聞かせてもらっている。

その中で・・・特に好きなのが、爆笑問題カウボーイのコーナー「妙に変だなあー」。

稲川淳二さんの怖い話は、稀有な才能と語り口の上手さに感服すると共に、他には無い独自性を持っている。
「妙に変だなあー」は、その稲川さんの語り口を太田くんが使いながら、お笑いにした話のコーナー。
ハガキ職人さんや若手放送作家たちの投稿に大笑い。
太田くんの語り口は、最初は稲川淳二さん風だったのに、変化の末、最近では全く別の独立したキャラクターとなってしまった。
(太田くんらしい狂気の暴走が、また1つの世界を作っています)
このコーナー全体に漂う、微笑ましさ・余りにもバカバカしい話のゆるさがとても好き。

YOUTUBEにもありましたので、是非ご一聴を。。。。



■爆笑問題カウボーイHP
http://www.tbs.co.jp/radio/format/bakusho.html

PS:「妙に変だなあー」は、大人気コーナーになったので稲川さん本人が出演した回があった。
その際に、稲川さんご自身が「妙に変だなあー」のハガキを読む。
これにもまた大笑いした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月23日 日曜日 リハビリ・どうぶつ写真 

2011-10-23 16:12:53 | 写真日和
すっかり疲れてしまった。

'90年初来日したストーンズの東京ドームのライヴカセット、曲の合間にミックが「チョット、ペースを落としまーす」と言い「ルビー・チューズデイ」を演奏するシーンがあるが、自分もペースを落としたい。

どうぶつたちの写真を見るとなごむ。
ネットで発見した写真を数枚載せてみた。


カワウソさん親子。母と子の愛。


岩合さんの写真集「ニッポンの猫」にもステキな写真がいっぱいだが、海には魚を求めたネコちゃんたちが集まって住んでいる。
ニッポンのとある漁港の風景。


ネコ・パンチならぬ、犬パンチ・・・。
というか、まるで「ツッコミ」みたいで笑った。


冬はまだだが、あったかそうなネコちゃん。


ハゲおやじさんとノラネコの距離感。
下町の路地の一角を想起する。


写真じゃないが、秋らしいステキなイラスト。
どこを描いたのだろうか?
京都じゃないのか?過去の東京のようにも見える。
いずれにしても、良い絵。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月17日(月)~ 21日(金)かたちんば徒然日記

2011-10-22 17:47:59 | 雑記帳

[お茶と2002末女性に上げた自作オムニバスCD、吉村弘さんの「water copy」が15曲目]

>あくまで自己内省ためだけの日記
・・・お茶を飲み、吉村弘さんの音楽を聴きながら>

■17日(月)
日曜夜は酒呑まずに寝る。
7:20起床
浅い眠りだった。薬を変えたせいと日曜寝過ぎたせいか?
レメロンは切れが悪い。朝まで残る。
やはり、2時間のみで切れのいいハルシオンの方が合っていたようだ。
しかし、仕事でしばらくは医者には行けそうにない。

寝起きのだるさには変わりはない。
ひと駅たったら座れた。
昨年後半に読んだ姜尚中(カンサンジュン)さんの「悩む力」を再度読み返していたが、今朝はヒントは無かった。
昼、お弁当とリンゴジュースを食す。


ひたすら仕事するうち、次第に頚椎ヘルニアの痛みが出始め、ついに頭痛に発展。
ゆえに、気配を感じさせず幽霊の如く仕事場を後にする。21:10電車乗る。
月曜日から、不思議と呑んだくれたおじさんが、やけに多い。息苦しい車内。
途中で座り、「悩む力」を再度パラパラ読む。

携帯でコトバ探しをする。
『・・・[鬱状態]の半数近くの人が、朝起きたときに最も強く、その後時間が経つにつれて薄れていく傾向があります。
しかし、多くの人が[鬱状態]が治ったわけではないのに、午後になるとよくなったような錯覚をして頑張ってしまい、翌朝またつらくなる。
その繰り返しによって、朝と夕方の格差がどんどん大きくなり、状態を悪化させていきます。』

まるで自分のループそのもの。
だが「明日から午後セーブしよう」なる意識とは乖離して、社会は甘く無い。
待った無し地獄と許されない時空。
他人は大抵言う。
「不夜城みたいな監禁空間で仕事したくない」
客体からの目には閉ざされた空間に延々と流れる病んだ空気。
「いや(NO)」と自分はよく言う。構成員の配置・在り方次第だよと。
しんどくてもそれを越えれば実りが待っている、そんなベクトルが構成されていれば堪えられる。
しかし、4月以降は単なるアウシュヴィッツそのものに時間空間が変化(へんげ)したのは事実。死と背中合わせのリスキーな世界に、今自分は居る。

22:00帰宅
夕飯 焼き魚・刺身・納豆。
ネットTVでニュース。朝日の古舘は相変わらず。数分でチャンネルを変えるとサスペンス。
バックのBGMに、イーノの師匠でもある、大好きなフィリップ・グラスの名盤『グラスワークス』の「天の伽藍」が掛かり、つい笑ってしまう。
有り体なシナリオ、しかし、だからこそ安心出来るサスペンスドラマの平和と「天の伽藍」との奇妙なマッチ。

22:40入浴。23:00風呂上がり静かに350mlビール1缶を暗闇で飲む。
月曜から走らぬために寝床へ。
神保町で発掘した、三島由紀夫の1976年の特集本を読む。

0:00消灯
TBSラジオ「DIG」は、もう野球のストーブリーグの話。
もうそんな季節なんだな、と思いつつ、眠りに堕ちた。

■18日(火)
明け方、寒さでくしゃみ。
7:30いきなり二日目から、キツイだるさで起きる。なぜ?理由解明せず。
ナメコ汁・温泉玉子・ドリンク剤・緑茶。

ニュースで「足立区でも高放射能」。区などという狭いエリアだけに起きている訳が無い。23区全部ダメなんだろう、事実は。社会が沈黙しても、目に見えないだけにまかり通る世界に過ぎない。

空は雨が降りそうな雲天。重いカラダ。
7:55電車がやってくる。マスクの人が目立ち始めた。

引き続き、携帯でコトバ探し。
『・・・[鬱状態]当事者にとっては耐え難いものなので、人はその苦しさに必死になって対処しようとします。
でも、どんな対策をうっても大きな変化を期待することはできません。
それは、その根本が疲労した状態にあるからです。
現在の不調を「疲労のせいだ」と認識できれば、その不安や怒り、焦りなどに対処しなくても、「心身をゆっくり休ませること」によって正しくリセットできるのです。
ですから「何らかの対処」をするのではなく、「何もしない」ことがいちばんの回復の近道なのです。
うつになったら、しばらくの間しっかり休む。
休みには年単位の時間がかかることが珍しくありません。
しかし休みさえすれば、また人のために働くことができるようになる、それが自然な過程なのです。
うつは長い時間との戦いです。
数ヶ月、あるいは年単位で回復していくものです。
ところが一般的には、一~二週間ほどで完全に以前の自分に戻れるのではないかという無意識のイメージを持っている人が多いのです。
そのイメージを修正しないでいると、順調に回復しているにもかかわらず、「ちっともよくなっていない」「自分の性格が弱いからだ」「何か努力をしなければ」と考えてしまい、最も重要な休養をとれなくなってしまう恐れがあります。
そこで、回復するまでの期間を正しくイメージすることが重要になります。』

AM案件にまみれるうちに昼。
今日は相棒不在で、一人でお弁当とリンゴジュースを食す。
昼だけ見れるTVからはニュース。
まみれるうちに、午後「セーブする」のもいつの間にか忘れてしまう。

夕方からやっと本来すべき資料作成を始める。
データの成り行きを見ながら、如何にしてまとめるかを思案。
途中、酒の誘いが来るが断る。
半ば迄資料行くが、否定されてガラガラポンも視野に、仕上げるのはやめる。
素材集めと解釈のみまとめて21:00ふらふらと仕事場を後にする。
まだ火曜日。
電車でいきなり座れる。
朝・昼と、頚椎ヘルニアの鎮痛剤飲んだのに、首痛む。
気付けば昨日からマスクの人と共に、酔客が目立つ。
半期締めの集まりが多いのだろう。まあ、自分もその資料を作っている訳だが…。
途中駅構内にある『おむすび』屋さんを見て、小さい頃の三田佳子のドラマ「ぼてじゃこ」を思い出す。

22:00帰宅
夕食とお茶。薬服用。風呂に行ける力も無く。
何度目かのYMOサンフランシスコライブを再度見る。安堵。
23:20寝床で「DIG」を付ける。
暗闇で神保さんの声を聴くうち眠りに堕ちるものの、つけっぱなし。
キオークマン的に睡眠学習と夢ばかり見てしまう。
明け方、急に現れた茶色の子ネコに出くわし「どうしよう」とうろたえた結果、飼う決断をする夢。

■19日(水)
だるさの程度は軽い方だったが、ぐったり感で7:35起床。即、お茶と温泉玉子を一飲み。
温度低く、昨日までシャツのみ外出から上着を着て飛び出す。
企業体質が元々ローカルな東武線が、今朝は信号トラブル起こしたらしく遅延。
ちんたら運転。
混雑で更に苦々しい。懲りない東武なる企業のていたらく。

経路変え8:39北千住通過。若干遅れて仕事場へ。AM突っ走る。

昼、今日のお弁当は魚の天ぷら。ついカレーヌードルまで食べてしまう。
ニュースを二人で見ながら、NHKが「公共放送」と言い張りつつも、震災後放射能など重要案件を教育テレビでやる矛盾について話す。そこに作為・悪意が透けて見える。
高校野球を総合テレビ⇔教育テレビと切替する次元とは異なるのに。
また新聞売上部数の水増し捏造問題などを話す。

午後資料作成に頭を悩ませる。
悶々と考えては進め、考えては進め・・するうち、軽やかに22時を回る。
今日の時計の速度は普段と違う。

縮まる時間
膨張する時間

時間は一定ではない。

22:15電車。すぐ座る老体。やはり今週は人が多い。
昨夜、酒を呑んでいないが、今夜は呑まずにいれない気分。

23:10帰宅
夕食とビール1本。ネットTVでフランス語講座が映るが、エロそのものが如実に匂う女性の様に驚く。
0時、寝床へ。寒いが、風呂入る気力尽きる。
三島由紀夫の本読むうち1時消灯。マイスリー。

■20日(木)
夢:地方での研修?
自由時間が挟まれたのでぼちぼち歩いていたら、どこ行っても知る顔ばかり。
嫌気がさし、かなり離れた場所のイタリアンのお店で一人食を取ろうとする。
偶然すれ違った、良い歳になっても、元チンピラ上がり2人が絡んでくる。
親父が社長息子の世間知らずと学会員コンビ。
タチ悪いので「邪魔」と言うと暴力へ、即警察に来てもらい彼らはパトカーで運ばれた。

浅い眠り。6時過ぎに起きるが、再度寝る。
髪の毛おっ立てまくりで7:30起床。
茄子の味噌味・温泉玉子。

白い空

だるさはさほどでも無いが、疲れは溜まり出した。
自己セーブとミッション突破、両方を突き抜けられるだろうか?
7:59遅い電車乗り座る。

現代のサービス精神過剰な日本人は「良かれ」と思ってやり過ぎボロボロになり、過労死するか病気に陥り再起不能なる障害を持つに至る事が多々ある。しかし、労災なんか下りる訳は無い。
労働組合も周知通り、内実は体制と裏結託組織。金を収奪されるのみ。
自分の身は自分で守るしかないのが真実なのだろう。

14時過ぎに外出せねばならず、資料をぱぱっと仕上げて片付け、他の雑用済ませる。
人は追い詰められたら、あっさり片付けするものだと思う。

昼 シャケ弁とリンゴジュース。
14:10外出。定期売場に立ち寄る。尋ねた内容に要領得ない窓口。
所詮、東京メトロも半官半民。役所意識のオーラが出ている。
相手が何を望んでいるかへの対応ではなく、こちらに従ってうんぬんかんぬん・・。
説明解読に予想外の時間がかかり、電車に飛び乗る。

かつて小学生の頃「地下鉄っちゃん」だった。
将来、地下鉄の車掌さんになるのが夢だったのも遥か彼方になった。

田舎電車と歩きを交えて、降りた駅から歩けば、咲く秋の花、実る南天や柿が目を癒す道。

16〜18時打合せ。
18過ぎの外は既に闇世界。
駅まで、いつも助けて貰っている女史に車で送ってもらう。「いつも、ありがとう」と別れる。
19:40という異常な時間の帰宅。焼き魚・刺身。
時間がある分、余計な行動になる。
入浴を挟み、結果ビール4本呑んで酔い1時消灯。

■21日(金)
しくじった。酒のせいで、朝きついだるさが「どしん」と重い。
7:30何とか、這いつくばり起きる。

夢:伊集院光さんとしょうもない会話をして、笑っていた。
屋台のおでん屋さんに行く話し。
「じゃあ、もち巾着ちょうだい」というと、腰巻きの隙間から陰部を見せて「これっすか?」という困ったタイプのおやじさん。

どう考えてもおでんの汁が甘過ぎるので伝えると「俺の味をわかんねえんだったら帰ってくれ」とキレるおやじさん。そう言っているさなかに、更にサラサラ砂糖をおでんの中に入れる。「やめた方がいい」と2人で止めようとするが「やらせてくれ」と言われる。

自分が大好きなちくわぶを頼むと「邪道だ」と言われ「まずはガンモでしょ」と食べるものの順番を、最後まで指示するおやじさん。

「は〜い、これもたっぷりかけてねえ…」と全体が黄色に染まるまでカラシを塗りたくった上で「はいっどうぞっ」と出してくる優し迷惑なおやじさん。辛くて涙が出て食べられない。

アサリ汁。朝の一曲、山下達郎「世界の果てまで」。



10-12時、外出して営業ヒアリング。
昼、コロッケ弁当とリンゴジュース。

午後、仕事の海の中を漂い、資料を届けるために19:00頃急いで外に出ると雨。
今週末も天候不順か?

20:30先日断った酒の誘いが再度あり。
モードは帰るつもりだったが、たまには・・と3・11以降5回目位の外でのお酒。
中華屋さんへ6人で。
外で酒を呑むと食をほとんど取れなくなる良くない型の自分。
ビールに紹興酒を呑むうちにろれつ回らなくなり出す。
23:20の電車に揺られ酔って帰宅し、MZ師と電話をしつつ、更にビール1L呑み、ぐだぐだで2時半倒れ寝。

■22日(土)
10時過ぎ目覚めるが、二日酔い。13時まで酒臭い中、布団にくるまる。
水とお茶を大量に飲み「ラジオなんですけど」を聴いていたが、音楽に切り替えて吉村弘さんを聴く。nine post cards・・・wave・・・1982・・・。
16時、だんだんと少しずつ酒が抜け出す。。。。

雨かと思い外に出るとくもり。意外と暖かい。
道にある亀の中を覗くと小魚が泳いでいる。
食材を買って帰り、アゴのダシ汁ベースで、白菜やら入れてうどんをゆで、玉子を落とし、ゴマを振り掛ける。
「食べられるだろう」と思ってよそった量だったが、全部食べられない。
食が細っているのを再度実感。昨年夏73・4あった体重は60を割り出した。
肝臓を壊し断酒したり多様な経路要素はあるが、妙。

YOUTUBEで吉村弘さんで探ったら、知らない曲を知る。
イーノの影響をも超えた「time after time」。
とても良い発見をしたと延々にリピートして聴いている。
サティ→イーノの目指した環境音楽の極地がある。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月20日 木曜日 小坂忠&鈴木茂 「機関車」

2011-10-20 22:48:26 | 音楽帳


忘れるものは もうありませんね?と 機関車は 走るのです。

キミは いつでも ボクの 影を踏みながら 先へ先へと 走るのです。

目がつぶれ 耳が聞こえなくなって それに 手まで縛られても

乗り遅れ まいと 急ぎ過ぎた ボクは もう 止まらない レイルの上

藍色した ウソのけむりを 吐きながら ボクはキミを 愛しているんだ。

***

小坂忠を知ったのは、坂本龍一のサウンドストリートの「渋リク」でのこと。
その後、細野さんとの交流を知る。
この「機関車」は、幸宏の91年「ア・ナイト・イン・ザ・ネクスト・ライフ」というライヴアルバムにも収録されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする