こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

航海日誌:コロッケとソースと世界の関係性

2024-02-11 22:30:00 | スケッチブック

これもまたきたなく仕上がった。
「何を遊んでいるんだ、早く食べ始めたい」と家の者にいわれて焦った末に、適当な処理をしたらこんな具合に。

タテ長だからウルトラマン的。
少しワルの顔をしている。右目あたりにキズあり。
あごひげたくわえている。
全体の顔付きはルフィとか闇バイト系の人をにおわせる。赤いヘッドフォン(もしくは防寒耳あて)もすれた感じで、内包された怒りが色になって表現されている。

ソースはケチャップより柔らかく流れやすいから、その点調整が難しい。
ちなみにうちにあるソースはスーパーのダブルブランド品。汎用性高い昔ながらのソース。ウスターみたいにはゆるくない。
ウスターだと墨絵の世界になるんだろうか。。。

***

エイフェクス・ツインのワープレコード 26曲入り・2枚組CDは、一体全体意味不明なリミックス集。人を食った感じが実に素晴らしく心地良い作品。
すべてリミックスというが、幸宏&慶一さんのビートニクス「女は男じゃない」、ボウイの「ヒーローズ」やバクチク(BUCK-TICK)の曲 等々。。。果たしてどこまでが元の素材を使ったのか?真偽が定かではないくらいに原曲の姿はわからない。

当人は好きではない曲をリメイク/カバーしていると言っているが、それも本当かどうか不明のいい加減さ。
正しいものなんかありゃしないのさ、と言っているかのようで、リチャード・D・ジェイムスの意地悪い笑顔が浮かぶ。
コーヒーを飲み過ぎて気持ちがわるいとき、意味とか制約してくる社会にうんざりしたとき、生きるのに疲れて死にたいとき、そういうときの解毒剤に最適だ。

■Buck Tick「In The Glitter, Part 2 (Aphex Twin Mix)」2003■
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航海日誌:ケチャップの世界

2024-02-10 14:00:00 | スケッチブック

歌舞伎ろっく。

ケチャップで大失敗。

皿に盛ったオカズに ケチャップで気まぐれに絵を描く。
盛られたオカズをどんな風に配置するか?考えてみるが、結局行き当たりばったり。
そして、よく失敗する。

消しゴムが無いから、お箸などで手直ししてみるが、余計に惨事!へつながる。
ケチャップの赤色がより怖い顔にさせてしまう。
家の者には白い目で見られ、そんなことはどうでもいいから早く食べろ、と言われる。
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大竹伸朗展

2023-02-14 22:00:00 | スケッチブック

個人的備忘録。
一月に入り、昨年から楽しみにしていた大竹伸朗さんの大回顧展に行った。

東京都現代美術館で開催された前回の「全景展」が2006年秋だから、あれから16年ちょっと。
そんなにも時間が流れたのか?
時はすごい勢いで流れ、止まることを知らない。
理屈抜きの不条理。そんな時の流れに流されながら、時の波間で生きている。

2006年、改修前の東京都現代美術館・全棟を大竹伸朗作品で埋め尽くした「全景展」は、あまりにも圧倒的だった。
「過剰」というキーワードが見え隠れ、メーターは振り切ったままで、観る途中て吐き気を覚えたり、自分の心身がついていけないところもあった。

そのため今回は恐れを抱きながら会場に向かったが、結果的には全くそんなことを感じずに観終えることができた。
16年前「全景展」で観た絵は、その後16年のあいだに色んな場面で繰り返し観てきた。それが心身に染み込んで抵抗力となったのだろう。
しかし、落ち着いて観終えることが出来た理由はそれだけではなかった。

現代美術館全棟に広がった作品は、今回その中から2割くらいに選抜されていた。
上手な区分と展示の仕方。スペースと作品数がギュッと絞り込まれ、圧縮されることでとても見やすくなっていて、全体を貫く大竹伸朗という存在のありかが見えてくる。
そんな納得の行く収まり方をしていた。

こんな割り切る言い方を大竹さんは嫌うだろうが、個人的には味わい深い、手ごたえのする展覧会だった。
「全景展」のライティングは白が基調だったが、今回は間接照明を使って照度を落とした光が、大竹伸朗作品の特長である表面のデコボコや繋ぎ、貼り合わせ箇所を舐めるように見せてくれた。場内を行ったり来たり、距離や角度を変えたりすることで見え方は様々に変化した。

そもそも、大竹さんの作品を二次元の紙やネット写真で見ることなんて馬鹿げたことで、生(ナマ)でこそ堪能できる。
このへんが他の作家作品とは大幅に違うんだろうな、そうわかる展覧会だった。

そう言えば、大竹さんの作品を初めて見染めたのはいつだろう?
とさかのぼると、土屋昌己さん率いる一風堂の1981年アルバム「レディオ・ファンタジー」のジャケットにぶちあたる。
アルバムの中身も未だに好きだが、初夏を思わせるジャケットもお気に入りの一枚。

「全景展」でこの原画を見ることが出来たときにはうれしかった。
今回その絵は無かったが、描かれたパンのようなキャラクターのイラストをスクラップに発見した。あのパンには基となるキャラクターがあったんだ。と40数年目にして知る。


1990年代初めに銀座の画廊で観た造形「ティーチング・オブ・イスラム」は「全景展」にもあったが、今回も再登場。
そこに付いたスピーカーから流れてくる曲をノイズかきわけ聞いてみると、イスラムの現地音楽と判明。
近くにダブ平やモンシェリー小屋があり、立つ位置によって、いくつか聞こえてくる音が微妙に重なり合いミックスされ、イーノのインスタレーション展を思い起こさせた。


便所のいたずら書きを目指した、という巨大サイズの作品「サンティアーゴ」も再登場。
細野晴臣さんが作ったユニット「FOE(フレンズ・オブ・アース)」のアルバム「SEX ENERGY & STAR」ジャケットに、一部が使われている。




つづく
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2020年1月25日(土)DOMANI・明日2020 - 傷ついた風景の向こうに -

2020-08-09 03:00:00 | スケッチブック

「刻(とき)」が取り返しできる、などという思想は捨てるべきだ。
私は、「いつか」「いつか」と言いながら、美味しいはずの果実を腐らせてしまう。

「観たい」「聴きたい」そう思ったときにそうすべきものを、先延ばしにすることで、もったいないことに、美味しい時期を逃がしてしまう。
じぶんの中心、と勝手に思っている音楽や絵画、本やアートなど。

数十年にわたり「いつか見よう」と収めて溜めていたチラシはカビ出した。
もう残る時間は少ない。。。そう思う中で、日々を大事に生きねばならない。
お金や利害や他人目(ひとめ)よりも、それが大事だ。

***

今この時期に行った方が良い、と教えてもらった日枝神社に訪問した足。
その足で、六本木方面に散歩。

ミッドタウンをうろついた末、美術館にぶち当たる。
観たいと思っていた展覧会の1つと交錯する。

「DOMANI・明日2020 - 傷ついた風景の向こうに -」。
会場に、いっさいの音が無い。
日本特有のムダな配慮BGMが無い。

その静けさに安堵する。

3・11から9年が経とうとする今。
その厳然たる事実をかき消そうとばかりに、一部のメディアと人は「五輪五輪・・・」とノイズを発している。

3・11後、除染作業が続く現場や避難地域で育つ自然を追った写真と動画作品。
それらが特に印象深くて、そのコーナーで長いこと佇んだ。

■佐藤雅晴 「福島尾行」■









※佐藤雅晴さんは、 闘病の末、2019年3月9日、45歳という若さで亡くなった。合掌。
(2020年1月26日の記載日記より抜粋)
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1996 スクラップブック

2016-05-06 18:11:31 | スケッチブック

昨夜、夜中までスクラップに夢中になってしまった。
いつか読もう、いつか見返そう、などという雑誌やチラシ紙を取っておいても、もはやムダ。
ひたすら無作為に、脈絡なく、行き当たりばったりで貼り、やめたくなったらやめる。
それでいい。(2016.3.10)

【上】は1996年のスクラップブックより。
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2015年12月14日 月曜日 「スケッチブック -モネ展・上野都美館-」

2015-12-14 23:56:04 | スケッチブック

前を通るたびに「また行列か、、、も少ししたら来よう」。
毎週そうつぶやいている間に最終日になってしまったモネ展。
ついに尻に火が付いて、必死になって行った上野の都美館。

正直、展示内容は大仰な広告ほどのものでは無かった。
また、絵の配置の仕方、人の動線を考えていないロケーションが上手くなかった。
そういうスタッフ側の出来は別にして、モネ展を見れたことに感謝した。

見終わって外に出た道で友人MZ師からTELあり。
「どこに居るの?」「今、上野の森だよ。」
そんな彼は、奥さんの義母を連れて箱根に居るという。「偶然だが、午前中箱根の印象派の絵を視ていたよ。」

彼に言われて「そうだな」と思ったのが、よほどなことがないと普通見られない絵を、目の前で見られる幸福。
「お互い、カネと自由時間がある利益収奪者や泥棒連中じゃないからね。海外になんか早々行けやしないんだから。」

最終日とあって、中に入るのに50分を要する。辛抱する。
都美館3フロアのうち、上がって行った最終フロア2階。

そのフロアは、70・80代にモネが描いた絵をまとめていた。初めて見たものばかり。
しだれ柳・日本の橋・・・目が悪くなるなか、キャンバスにのせた絵の具と筆。
荒々しい筆の転がりと、狂ったような色使い。かすれて塗られていない箇所・逆に絵の具のかたまりがこんもりとそのまま凝固した箇所。

【「キスゲの花」1914~1917年作品】
多くの人は注視して観ていなかったが、私が引っ掛かりを持ったのは、このフロアに掛かった絵たち。肉々しい絵につい急に吉田カツを想い出す。それくらいに、この時代の絵は従来のモネの絵画への印象とは異なる躍動感。

眼が悪かったモネは、これらの絵の全体像を、睡蓮の連作のようにして、微細な印象を表現すべく練磨した神経では描いていない。色や形をきちんと認知していたかは分からない、ある意味筆の成すがままに任せたはずである。ただ、絵とはそういうものであり、偶然が成した痕跡を一定距離や時間が、その佇まいを醸造する部分がある。
そこに一定の作業が作り上げた集積物が在る、という姿。

ある印象を形として成そうとした画家が、それを離れて、もう一つの絵の在り方に渡り・移っていったのは別段おかしくはない自然の成り行きである。
絵にはルールはない。自由だからである。
そんな自分の勝手で一方的な解釈で見られた70・80代の作品コーナーこそが、昨日の自分のめっけものであった。

そして、肉眼と紙ではおおいな違いだが、この時期作品のポストカードを買い、外に出た。
絵が好きで来ているのかどうか定かでない人が群がる場所を離れ、外に出るとすでに陽は沈んでいた。
とにかく静かな場所へ。。。と森に入り込んでは歩き巡り、たばこに火を付けた。

人が居ない方向へ。
上野公園から鶯谷、入谷、下谷、三ノ輪を通り越し、日本堤、山谷を抜けて島まで歩く。時折雨が降ったりやんだり。

暗い道で聴き通したひさしぶりの「ポセイドンのめざめ」が素晴らしく良かった。
”プログレッシヴ・ロック”という呼称が一般に使われるが、ほかに使う言葉がないからそう呼ぶんだ、というのがよく分かる。
キング・クリムゾンという唯一無二の音楽はロックという概念ではくくりようもない。それはピンクフロイドもイエスもELPも同様だが。

暗い道とか外の電飾・街灯とあいまった世界がシャッターを押させるうちに、「ポセイドン」はじぶんをオルナタティヴワールドにいざなっていった。

■King Crimson 「In the Wake of Poseidon」1970■












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2015年9月14日 月曜日 冥途のみやげ展

2015-09-14 23:57:09 | スケッチブック

先日の「伝説の洋画家たち -二科100年展-」に続いて、オバケ・ゆうれいを巡る「冥途のみやげ展」を見に行った。
夏に引っ掛けた催事だが、まだ先があると思いつつ、買ったチケットを持って向かったのは開催最終日。もはや夏ではない秋。

本当は数週間前に会場前を通ったが、その日が東京芸大の早々の文化祭・人ごみの渦でむず痒くて回避した。しかし結局最終日なので、ふだんは行列の並ぶのが吐き気がするほど嫌いなのに、入場制限が掛かり30分くらい並んだ。さほど苦ではなかった。
頼りにならないウワサで集まるらーめん屋でもうどん屋でもないので。

東京芸大は、都美館などでアルバイトの頃、友人と学生食堂に潜り込んだ記憶が強い。
80年代後半のその食堂は、古く懐かしいひなびた空気を放っていた。
一緒に搬入設営をする友人は、芸大の食堂は300円もあればいろんなものが食べられるよ、と二人で行った。

そこは大竹伸朗さんの作品「覗岩」が生まれた、宇和島の食堂そっくりな様。
ラーメンにカレーライス。。。安いけど懐かしい味。

展示された、日本独自の「ゆうれい」が発生した源を辿りながら、江戸時代から明治にかけて書かれた水墨画のゆうれいの掛け軸を中心に、広重・北斎・国芳の作品も含めて構成。
趣旨とはそれるが、色鮮やかな浮世絵の”名画家”たちは、江戸時代の世界のポップスターだったんだな、と今一度実感する。
海の向こうにアヴァロン(桃源郷)たる、色彩にあふれた「ジパング」がある。そう恋焦がれたゴッホの切なくも熱い想い。背景に浮世絵を描いた作品「タンギーじいさん」とともに思い出す。

もうモノを集める歳ではないのだが、ついポストカードを買ってしまう。
ポストカード集めは、YMO写真集「OMIYAGE(おみやげ)」で教授のコーナーで知ってから続いている。

チケットのバックになっている「蚊帳(かや)の前の幽霊」(1906年/明治39年)の現物が素敵で、その一枚をポストカードで買った。個人的には「海坊主」の実画が怖く好きな作品として残った。

■Japan&坂本龍一 「Ghosts」 (Live on Old Grey Whistle Test)1982■






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2015年9月1日 火曜日 秋・雨の上野公園

2015-09-01 23:25:08 | スケッチブック

気が付けば不思議な夏・・・。
一風堂(土屋昌巳さん)のオリジナルラストLP『ナイト・ミラージュ』収録「アフリカン・ナイト」一節だが、ほんとにお盆(失礼:梅雨)は明けたのか?という蒸し暑さをひきづりながら、そこに35℃越えの焼けつく日々が続いた今夏。

そんな悪魔も8月最後の週に入ると、一気に30℃切れへと失速、はうれしい想定外。
歩きシャッターを切る像には、既に秋の色味が見えていた。そして、8月が終わり9月へ。。。

この季節が一日でも長く続くといいな。。。
まるで小さい子が言うような口調で女の子に言われて、そうだね、と返す。

”おしごと”は盆明けから、クニが決めた意味不明の”余計な配慮”=9月5連休対策へ。
その途上・休んでいる場合じゃないが、ルール上・夏季休暇を消化せねばならず、今日休みを取った。

雨が降ったりやんだりのぐずついた天候。それもまた良し。
室内に居ると窒息しそうなので、外に出て歩き出す。降ってもやんでも外に出るから、あまり違いはないのだが。

***

観に行きたいと思い、チケットを買っていた展覧会も”いずれ”と言い訳をしながら後送りしてきたが、開催終了に近付き、いつもは行き当たりばったりの自分が珍しく目的を持って歩き出す。
この日曜で終わる『伝説の洋画家たち -二科100年展-』へ。

戦後の匂いを長く保ってきた上野。
駅前”じゅらく”から並ぶ通り、上野公園の噴水、そのスキマに住まうホームレスの人々の構図。それらはとうにローラーで”浄化”するべく体制に殺され・消えた風景のなかを痴呆気味に歩く。

9月1日・そぼふる雨は見える風景を曇らせたが、それは過去と今日を橋渡しして繋げてくれた。展覧会が開かれているのは東京都美術館。ふだんは「都美館(とびかん)」と呼ぶ。

ひさしぶりの感じがする。
常に燃え続ける画家・横尾さんの三叉路シリーズ展やムンク展など、ここで観た時のインパクトの残像がよぎる。
もっと言えば、大学時代アルバイトでココの搬入のチカラ仕事をしていた頃。

著名な絵画展は、絵の扱いが大事なので任せられず、おおむね一般人の絵画展・書道展だったが、絵を搬入してフロアに掛けていく仕事は割りが良い”とっぱらい”だった。
1日で8,000~9,000円くらい日雇いで貰い、夕方には解放される。
そのお金を持った帰り道に、小銭程度でコーヒーや缶ビールを呑む。そんなしあわせの瞬間を想い出した。

雨降る上野公園を歩いている最中、さまざまな音楽が脳内を流れた。
デヴィッド・シルヴィアンの「9月」、レイン・トゥリー・クロウ「ブラックウォーター」、ジョン・フォックス「雨上がりのヨーロッパ」。。。etc。自動生成に任せる。

展覧会は、平日にしては意外と人が居たが、おだやかな年配の方が中心で心地良かった。
もはや亡くなってしまった”文壇”も、こうした”画壇”にも、大いなるウソが含まれるので複雑だが、好きな画家である岡本太郎・佐伯祐三・長谷川利行・山口薫・藤田嗣治の肉筆には興味津々だった。

良い絵もあれば、そうではない絵もある。

それは常それぞれの人の生きてきた路とこすれ合うものだから、インターネットやデジタルで理解できるものではありえない。百人百様。だから観に行く。くだらないメールバトルを明け方しているヒマがあったら、雨だろうが外に出て、雨に打たれたほうがマシだ。

これは絵に限らないことだが、絵を見るとその横に在る作者が生きた時代の数字を見て計算してしまう。それ自体は昔からのクセだが、今では肉薄した事実。

長谷川利行 1891-1940

そこに刻まれた数字と今の時代への距離、そして、自分年齢で”あと何年”と計算してしまうクセ。
[私が彼なら死んでいる]
80年代と今を測る長さに倍率を掛けてみると、100年ごときなどあっという間の花火に過ぎない。
最近はそう思う。そう思ってから、明治・大正の人たちがぐんと近づいて感じられる。

大阪生まれ(失礼:京都生まれ)、酒呑みでアナーキーな印象の強い長谷川利行。
かつて『美の巨人たち』で見て、記憶に刻まれた「タンク街道」が浮かぶ。
形状は違えど、幼少から三ノ輪は下駄屋・荒木さんの実家から浄閑寺を左にして、なだらかに傾く延長線上・遠景に見ていた、南千住のタンクを描いた絵。荒れた筆のリアリティ。
この展覧会では浅草・神谷バーを描いた、という作品。走らせた絵筆とはねた絵具の痕跡。

薄暗い中、観る人がうごめく。
しかし、これを描いた人たちはもう居ない。
絵だけが在る。
それが、存在する絵よりも印象に残った。

絵だけが残る中をうごめく人々の姿にシャッターを切りたいが、そうもいかぬ。
とある画家の静物画の説明に書かれた言葉。「物がそこに在る、という不思議」。
その画家はそれに導かれて、病気で外に出られない室内で静物画の魅力にとりこになったという。



■ウラミジール・コスマ 「センチメンタル・ウォーク」(映画『デイーヴァ』サウンドトラック)■

ああ、やっぱね~っ、といくら思われても、雨の上野公園のリアルな風景を目の前にすると、未だ好きな映画「ディーヴァ」の美しさを想い出す。

「絵を描くことは、生きるに値するという人は多いが、
生きることは絵を描くことに値するか」(長谷川利行)


「美の巨人たち」(2002年7月27日放送)で見たものをパソコンで取り込み印刷してノートに貼り込んだ当時。
その2002年ノートを、今一度めくる。




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2014年12月12日 金曜日 ランダムノート

2014-12-12 23:58:23 | スケッチブック

2002年12月デジタルスクラップ
テレビを見ない暮らしになってかなり経つ。ゼロというわけじゃないし、視たいものもあるけれど、その時間があったら、外を歩き、風の街に住まっている。

昔、親父(自分の父)に感じていた「古いヒトだなあ」的な、俗世間の「NOW(=今)」とのズレを感じることもない。それは自分が親父側に川を渡った、とも捉えれられるし”知らぬは本人ばかりなり”となるが、それでいっこうに構わない。
というか、あまり不自由を感じないのである。
ここ数年で、自分の暮らしも、元々目指していた半隠居・その範疇に入ってしまってスタイルが出来てしまったように思う。

とはいえ、色物に不足し、どん詰まり感にさいなまれることも多い。死がよぎることも含め。
ただそんな暗澹たる空気に包まれるいっときだけが不幸とも思えず、”今日はここに行ってきました!”などと観光自慢をするのをハッピーとも思えず、その手合いのサイトに”無理して、幸福ぶってる”と冷ややかな視線で冷笑一瞥をくれて終わる。

***

このあいだ、肝臓を壊す前に連れ立った呑み屋のおねえさんから電話が来た。数年ぶりだが、それも明け方で寝ていた時間帯。
起きて電話をする。久しぶりに話す。

どうせカネ儲けと客不足にあえいでの電話だろうと。しかし話せば、つい情が湧く。
だまされていると分かっていても、女のほうが常に一枚うわてである。

それを露骨には言わなかったが、外で会う約束をしながら、途中で破棄をした。
向かう道々、写真を撮り街の迷路を歩き、外気に触れているうちに、なんだかその感じの心地良さの流れを絶つことが出来ず、かと言って、それから会って、ぐだぐだ話してメシを喰って気を使えるだけのエネルギーも無いと判断した。

2002年12月デジタルスクラップ
ハヤリもの、がすべてシナリオ通りに運び、ほぼ分かったパターン上にある。
つまらない事象に大勢が飛び付き・騒いでる様から離れた地点にいるが、やはり不自由さは感じない。
というか、一応”社会”に半分足を入れていると、まわりが自分にいろいろ教えてくれる。
テレビを視なくても。

今日はお昼。いつもお弁当を一緒に食べるなかまと話していると。。。
話題は、今回の選挙に関してテレビはビビッて何も言わない異常さ、それに、”今年の漢字”一文字が「税」になったと教えてくれる。

私「ラジオじゃ、けっこう荻上チキさんなど、いろんな番組で面白い分析をしてるけどね。」
後輩くん「ラジオは、そういう規制外で自由さがまだ有って救いですね。」

先輩「しっかし『税』って。。。カネをめぐる生々しいものが一文字って(苦笑)。いかがなもんだろうか?」
私「あれ、お寺のお坊さんが筆で書くヤツでしょ?どうせなら、大作さんに描いてもらった方がリアリティがあるんじゃないですか?」
後輩くん「それイイですね、税金のがれしているから(笑)。」

メディアの誘導に”乗っかり”サーフィンをするよりも、街を歩いて川や高速の下で会うジプシーの人や、ネコなどをめぐって出会う島の人や、ごく一部のなかまと話しているほうがリアルであり、そこで得た情報のほうがどうやら正確な現実である。
誰がどう街でワルサをしているのかも一目瞭然である。

ほんとうは、こないだ会わなかったおねえさんとも話せば、フィールドワークとしても、より面白い収穫発見ができるのだろうが。
まあ、少しからだのあんばいとの距離を測りながら、気が向いたら連絡でもしてみよう。

■電気グルーヴ 「Baby’s On Fire」2014■
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2014年11月7日 金曜日 立冬・大安・十五夜・”我々”が進む道

2014-11-07 23:41:25 | スケッチブック

ブライアン・イーノ

ボクらはよくウソをつく。そのつもりが無くても。
その瞬間の情念。それは、手続きを踏むあいだに冷めてしまう。(2014年11月7日)

■大竹伸朗 世界・わが心の旅「ロンドン "ダブ平" 連れて」■

今まで何度も何度も見た大竹伸朗さんのNHK番組。今夜、視ながらつい涙がこぼれた。
彼は、よく「最終的には、”想い”だよ」と言う。それは理屈社会では、あっという間に駆逐され、批判される、だろう。整合性は欠いているから。「世間」から見れば、キチガイ扱い。

だが、理屈も社会も政治も評論家も民意も、助け=補助道具とはなっても、”我々”には何一つ”救い”にはならない。過去も今も。多くの評価されない英人たち。評価は大勢が行うのだから。
大勢側から不具者と言われれば、その通りだろう。大勢が勝手に決めるのだから。

彼が言う”想い”は、彼のように強靭な肉体と精神だからこそ通用する。そう思ってしまう時も多い。
常に病弱だった私には、外界に対するそのようなアプローチは出来ない。
この四十余年、しかし、大竹さん含む多くの少数者(アウトロー)から、生きのびるためのヒントをもらってきた。
貴重なヒント。

よく「少数者」というと、それを「特権的立場に位置したいから、そう定義づけるんだよ」という「思考中心主義者」は言う。
しかし、事実はそうではない。

好んで少数者になったわけではない。
それはDNAかもしれないし、引き継いだ血かもしれないし、誰もが意図せずに生まれ落ちた「場」と「空間」が成すワザかもしれない。
しかし、誰を呪おうが、誰も本人を、私らの仲間やグループを、助けはしない。

二年の放浪の果て、偶然、唯一受かった大学。偶然出会った社会学の桜井哲夫先生。
経済なんかクソくらえ、は当時も今も変わらないものの、経済学部に居ながら、ロクに本道を勉強せず。愚にもつかない絵具とたわむれる日々。
民俗学や社会学の授業に潜り込んでは、おおやけがどう思おうが、それとは別の”自分にとっての”ヒントを探しまくった。

桜井先生の自書に掲載された、中井久夫先生の「世に棲む患者」からの引用ページ。
偶然出会ったヒント。
その本を読みつつ、また新しいヒントをもらった今日。

2014年、電車に乗ればほぼ全員が、板チョコみたいなモバイルを眺めて必死になっている。
元々は軍事道具だったインターネットを民間に展開した結果、至った風景。
ゴーゴルだのヤッホーだの、画一的情報統制のもとで、手足を振る姿はすでにSFを越えている。

それはそれで、みんなそれぞれ。
多数者との軋轢に心を病む者は、そこに生きるヒントは見い出せないので、それではない道を進むのみ。

ようく「キミは独りじゃない」というプロパガンダ用語があるが、それだけでは何も救いにはならない。
ボクらは数少ないヒントから、本当の生き抜けるスベを展開せねばならない。
その一端として、自分も何らかのつたない発信をする。

我々が80年代という革命を通じて(現代の「さぶかる」では無い)サブカルチャーという豊かなエアスポットに集まったのは、それがゆえではなかったか?それは決して、安易な「反体制」なんていう二項対立じゃない。2014年から照射した「レトロ」でも「懐メロ」でもない。
みずからに問い直す。

■坂本龍一&トーマス・ドルビー 「フィールドワーク」1985年春■



デザイン 立花ハジメ
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