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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

夏のおすすめ その1:夏が始まる ~小野誠彦(セイゲン)「40デイズ・フォー・40ナイツ」

2006-07-31 22:00:34 | 音楽帳
夏が近づくと自然と聴きたくなる音楽がある。

<といっても、ササンやTUBEというニンゲンとは一生話したくは無いし、相容れないですけど・・・。>

自分の夏のイメージがみなあると思うが、自分にとっての夏のイメージ。
何てこと無いものだが、街を歩いて写真を撮り歩く自分には、脳裏にあるイメージ。
勝手に頭で膨らむ、いくつもの刻まれたシーン。

アイスコーヒー
グラスの中の氷の音
青い空
入道雲
誰も居ない昼の学校のグラウンド
白いシャツ
日傘を差す少女
公園の水道
はだし
花火
蚊取り線香
金魚
風鈴・・・・・・・・・・・

回想されるいつかあったシーン

オノ・セイゲンのこの「FortyDaysForFortyNights」は偶然、中古CD屋「ジャスニ」で発見したもの。
オノ・セイゲンは「場酒場」が好きだったが、なかなかCD屋さんでも目にしないもの。

ジャケットとタイトルにまずココロ惹かれた。
金魚鉢のガラスを透かし見たようなジャケット写真。

「FortyDaysForFortyNights」とは、多分夏休みのことを差しているのだろう。
7月20日~8月末の40日のことを差していると勝手に思っている。

ジャニスのレンタル落ちのCDで、少し痛んでいたが、この1曲目の12分のタイトル曲「FortyDaysForFortyNights」を視聴して、いきなり惚れてしまった。

残響音、環境音、微細な音が、メロディにもならぬまま、たゆたっている。
そんなまま12分が過ぎ行く。

オノ・セイゲンは、その昔、「インテリア」の一員だったが、それよりも多くのミュージシャンのエンジニアとして有名であるようです。

このアルバムは、急に時間感覚が間延びしたかのような錯覚を覚える夏の昼間(それは、いつかコドモの頃体感したかのような)を思い出すような音楽です。
コドモの頃のナツを思い出すようかのようで、いとおしい。

オススメです。
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7月30日 日曜日 暗い夏の日曜日

2006-07-30 22:31:10 | 雑記帳
今日、ついに関東は梅雨が明けたという。
通常は、7月20日には梅雨が明けるので、10日遅れという訳だ。

かたちんばは、どうしていたのかというと、土曜日も日曜日も寝て過ごした。
外に行く気が進まず、ふさいだ状態で、布団に横になり、ラジオを聴いて過ごした。

今日は、昼から、いつものように、「伊集院光の日曜日の秘密基地」を聞いていたが、うとうとしていて、中身は覚えていない。
寝たきり老人のようだ。

まあ、昔から活発的なニンゲンではなかったが。
最近はそれにしても、ひどい休みの過ごし方である。

***

夏を喜ぶ民と異なり、自分には、夏とは切ない季節である。
正直、夏を思い切り遊んで堪能したことのない、暗い人間だし。

僕にとっては、夏はいまだ未体験の遠き幻想である。
多分、自分には、届かないところでしか輝かないのかもしれないと、絶望的になったことは何度もある。

個室にこもっては、音楽で世界のいろいろな所を冒険するのだ。
土屋昌巳のソロを聞いては、ジプシーに想いをめぐらし、ゴンチチ、イーノ、細野さん、久保田真琴さんのアンビエント・ハワイ、マーティン・デニー・・・・

***

夏の切なさの詰まった大好きなレコードは一杯知っている。
それを、明日からは紹介したい。

しかし、まったくココロは沈んだままだ。
クスリを飲もう・・・。
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1982年2月の新譜アルバム特集

2006-07-30 19:00:18 | 音楽帳
1982年2月に日本発売されたレコードはこんな具合です。

●ザ・レインコーツ「ザ・レインコーツ」2月1日発売
●ザ・ポップ・グループ「We Are Time」2月1日発売
●キャバレー・ヴォルテール「レッド・メッカ」2月1日発売
●ウルトラヴォックス「新欧州人」2月1日発売
●コリン・ニューマン「ザ・シンギング・フィッシュ」2月27日発売【写真】
●モダン・イングリッシュ「メッシュ&レース」2月27日発売
●リジー・メルシェ・デクルー「マンボ・ナッソー」2月25日発売
●U2「アイリッシュ・オクトーバー」
●マリアンヌ・フェイスフル「悪の戯れ」
●ソフト・セル「ノンストップ・エロティック・キャバレー」

全体に随分とマニアックなレコードが多いですな。。。

ポップ・グループはアウトテイク集のようなかき集めだが、評価は高い。

ウルトラヴォックスは、2月の来日記念盤として、イギリスのシングルB面などの未発表曲を集めたコンピレーション盤。ここには、例の「パッショネート・リプライ」(YMO「キュー」に影響を与えた曲)、名曲「ミスターX」のドイツ語盤「ヘルX」などが入っている。当時、ジャニスの貸しレコードで借りた記憶がある。

モダン・イングリッシュは「グリーフ」という、まるでジョイ・ディヴィジョンのような名曲が入っている。が、他の曲は面白くない。

U2は、2枚目で「グロリア」が1曲目に入っている。まさか今のような数十年続くバンドになろうとは、このとき思わなかった。
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1982年1月の新譜アルバム特集

2006-07-29 14:42:19 | 音楽帳
ミュージックマガジンのバックナンバーを手にして、昔を振り返り、新譜アルバムをチェックし直している最近である。

1982年は、実に豊作の実り多き、想い出大き年であった。
ロキシー・ミュージックの「アヴァロン」も、デペッシュ・モードの「ア・ブロークン・フレーム」も、ヤズーの「Upstairs At Eric's」も、シンプルマインズの「黄金伝説」も・・・・・・・・。

という訳で、1月からまずは、見てみようと思って、整理した。

1982年1月
●ヒューマン・リーグ「DARE!」1月21日発売
●OMD「安息の館」1月21日発売
●山下達郎「For You」1月21日発売
●バウ・ワウ・ワウ「ジャングルでファン・ファン・ファン」
●マッドネス「7」
●イモ欽トリオ「ポテトボーイズNo.1」
●ムクワジュ「ムクワジュ・ファースト」

マッドネスのアルバムは「シティ・イン・ザ・シティ」という曲が入っている。当時、CMにマッドネスが出た際にかかっていた曲である。このCMのイメージが強くてすっかりイメージが出来てしまったが、実は、もっと渋い音楽をやれるのだということに気づいたのは、その後のことである。
ムクワジュは、パーカシュニストの高田みどりさんなどが作ったグループ。ミニマル・ミュージック、つまりテリー・ライリーやスティーブ・ライヒなどの影響も強く感じる。しかし、おだやかで心地よく、アンビエントに傾斜している曲もある。当時カセットで聴いた。イーノのとりこになっている頃で、ちょうどそれと印象がオーヴァーラップする。オススメである。
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人脈を切る技術

2006-07-29 14:35:18 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
昨日、駅で雑誌を配っていた。
その中の特集が「人脈を作る技術」だった。
無料だが、僕はもらわなかった。
うちの仕事場はオフィス街だからそういうものを配っていたのだろうが、はっきり言って興味が無くて、かつ不愉快なタイトルだ。

人間嫌いの自分が欲しているのは、むしろ「人脈を作らない技術」「人脈を切る技術」だろうから。

ヒトは放っておいても、置かれた状況下の中で、人間関係の中に自然と取り込まれていく。
その中で、いかに自分には不要な人間から距離を置くかが、むしろ課題だ。
はっきり言って、自分は、知り合いも友人も出来るだけ少ない方がいい。
人脈を作って、野望に果敢に取り組み、世を駈け登ろうということなど夢ゆめ思わぬ。
時折こういう野望を持ったギラギラ男に会うが、不愉快なのであっち行ってくりよ、という感じだ。

そういえば、むしろ、現代はこういうことにかけては、男よりオンナの方が多く存在し、かつ、したたかな奴が多く存在するのかもしれない。
まあ、オンナは男と違って、肉体自身や色気〈≦エロけ〉という武器・グッズを持ち合わせているからね。
こないだ捕まった「クマエリ」も、何とか、自己顕示欲を満たす為・有名になる為、それの権利を持った奴にコミットするため「人脈を作る技術」を駆使していたのかもしれない。
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好きな詩・セリフ : 安部公房 「箱男」

2006-07-24 20:19:10 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
「ふと思い出した嫌な記憶。

あれは小学校の学芸会のことだ。

おおよそ人気とは無縁だったぼくが、たぶん誰も引受け手がなかったせいだろう、小さな役を一つまわしてもらえたのである。
「トンマ」という名の馬の役だったが、それでもぼくは興奮のあまりはしゃぎまわった記憶がある。

ところがいざ舞台に上がってみると、短いほんの一か所だけのせりふが、なぜかどうしても出て来てくれないのだ。
あきらめて退場しかけると、馬の飼い主役だった同級生が腹立ちのあまり、ぼくを蹴飛ばした。
ぼくも負けずに腹を立て、蹴り返してやると、相手は床に頭を打ち付けて気を失った。

その後、劇がどんなふうに中断したのかは、まるで覚えていない。
ただぼくがひどい近視眼になり、けちな親から眼鏡をせしめたのは、それから間もなくのことだった。

暗いところで、わざわざ活字の小さな本や雑誌を、顔すれすれに寄せて読みふけったせいである。

見ることからも、見られることからも、ただ逃げ出したかったのだ。」

(安部公房 「箱男」より)


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好きな詩・セリフ : 斉藤由貴 「このまま」 '91

2006-07-24 00:15:20 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
実は、かたちんばは、斉藤由貴のファンだった。
大阪に居る頃、90年代初頭、日曜日の午後には、斉藤由貴のラジオをよく聴いていた。
そんな90年代初頭出たCD「LOVE」【写真】はよく好きで聴いた。

1992年5月の日記には、彼女自身が書いた歌詞がメモしてあった。

「世界が終わろうとしてる
なのに、僕らは、別々の家に帰る」
(斉藤由貴 「このまま」より)

時折、BookOffでも見かけるが、いいアルバムなので、
是非聴いて欲しい。
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好きな詩・セリフ : 色川武大 「ぼくの猿 ぼくの猫」

2006-07-23 21:04:07 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
昔の日記をめくっていた。
大阪に居る頃(91~96)の中のうち、1992年の年末にこのセリフが、本から転記されていた。
不安定な日々。
親父を憎んで数十年。
自分の父親が早く死ぬのを何度祈ったことだろう。

今(2006)未だ親父は嫌いだが、そこまでの感情は無くなっている。

「もうすぐ死ぬとばかり思って、死ぬことで彼の一生をくくろうと、ぼくはしてきたけれど、このぶんでは、なかなかくくれそうもない。
父親の一生がくくれないならば、ぼく自身の生の実感が、何ひとつくくれるわけがない。」
色川武大 「ぼくの猿 ぼくの猫」より

■これは、「百」という単行本【写真】に収録されてます。 

<「百」の書評より>
「おやじ、死なないでくれ―、と私は念じた。彼のためでなく私のために。父親が死んだら、まちがいの集積であった私の過去がその色で決定してしまような気がする」百歳を前にして老耄のはじまった元軍人の父親と、無頼の日々を過してきた私との異様な親子関係を描いて、人生の凄味を感じさせる純文学遺作集。川端康成文学賞受賞の名作「百」ほか三編を収録する。
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写真日和: 長き梅雨

2006-07-23 19:33:27 | 写真日和
毎年、7月20日、つまりは、学校が夏休みになる頃に、梅雨が明けて、夏が始まる、そういう認識がある。
ところが、今年は、そうはいかず、未だ、梅雨は明けず、ぐずついた天気が続いている。

天気がウツだと、気分も鬱になる。
この土日もやっぱり寝てごろごろして過ごしてしまった。

暑いのはゴメンだが、それでも、たまに晴れては欲しい。

***

夏向けの自作CDを途中まで作りかけていながらも、作業は停滞している。
気分がそうならないのだ。

そういいながら、今日聴いていた曲は、実に好い加減なランダムなもの。

●The Fixx  The Fool 1982年8月
●Ultravox   Monument 1982年11月
●Ultravox  We Came To Dance 1982年11月
●camel    Selva 1982年7月
●立花ハジメ ピアノ・ピローズ 1982年5月
●Tangerine Dream White Eagle 1982年6月
●Spandau Ballet she loved like diamond 1982年4月

などなど。

最近は、1982年に出会ったレコードなどを調べて聴きなおしている日々だ。
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想い出かたちんば : テクニクス プレイヤー SL-5

2006-07-22 14:06:44 | 想い出かたちんば
かたちんばが、中学3年生の高校入試の頃、それは、1982年の1月~2月であった。
当人は、ひたすら暗い、周囲への不信感で一杯の日々だった。
しかし、自分の救いは、その隙間に聴けるラジオであり、音楽だった。

当時は、通信販売で買ったプレイヤー付きラジカセを使っていた。
僕は必死こいて、おこづかいを貯めて、「絶対にオーディオを買うのだ!」と毎日、FM雑誌を見ていた。

小学校から貯めたおこづかいが、やっと15万円くらいに到達した。
この入試の暗い日々が明けたら、絶対に買う、そう思っていた。

3月近くになって、やっと結果も出揃った。
流転のあげく、ようやく行くところが決まった末で、僕は、大嫌いであった不信感のかたまりの麹町中学校を休むことにした。
おまえらには、もうオサラバじゃ、そう思い、ひたすらまじめに通っていた学校をずる休みした。

15万円のかたちんばにとっての大金を握り締め、僕は秋葉原の電気街に行った。

お店を見てめぐり、悩んだ挙句、
◎アンプ・・・・・ビクター
◎カセットデッキ・・・・・アイワ
◎スピーカー・・・・ビクター
◎プレイヤー・・・・テクニクス(SL-5)

を購入した。

***

今は、アンプをカセットデッキは、既に役目と寿命を終え、無くなっているが、スピーカーとプレイヤーは健在である。

レコードプレイヤーのSL-5【写真】は、当時1982年2月頃の新製品で、「ジャスト・ジャケット・サイズ」が売り物の、少年の僕には新鮮で憧憬の的だった。
コンパクトなサイズで、従来のレコードプレイヤーにあるような、針を乗せるタイプではなく、全て自動であった点が、当時では革新的だった。

このSL-5は、いろいろ言う事をきかないことも多くなってしまったが、25年にわたって、かたちんばの持つレコードを回し続けている。

今は、数万円でコンパクトな「手軽な」オーディオが主流になってしまったが、当時は、音楽を聴くからには、こういう大きなコンポを自分流の組み合わせで揃えるというのが、ファンの夢だった。
それゆえ「FMレコパル」もあった訳だし・・。

CD含めてデジタル化の流れの中で、容易に世界の音楽が入手可能になり、音楽業界は、そのメディアの革新も伴って、一気に膨らんで今を迎える訳だが。

そういう中でも、自分は、1枚のレコードをレコードプレイヤーに乗せて聴く、コドモの頃の動作を忘れずにいたいと思う。
 
古いニンゲンで申し訳無いが。

コメント (2)
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