こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2020年4月21日(火) 魂の「再生」に向けて

2020-04-21 11:30:33 | 音楽帳

「断捨離」「終活」というコトバを普通に使う人々と、素直に同調できない。
どうしても、そこからは距離を置きたい。そんなひねくれた性分がある。
しかし、その割には、半世紀超溜め込んできた本・雑誌がカビ出した事に驚き、
これを契機に半世紀に得てしまった物品の「棚卸」を昨年から始めた。
過去を再び、今自らの体内に照射して精査させ、再生させる作業。

自分の心身はイカれてしまい、昨年末休職した。
どこにいってもカオスの東京。
そこと地方都市を行きかいながら働き、既に心身は限界であった。
202020202020・・・と呪文のように騒ぎ、五輪・観光立国なぞに向かって破壊されゆく東京。生まれ育った街の破壊に反対なのに、その渦巻きに巻き込まれていく心身は悲鳴を上げていた。
本・雑誌がカビ出したように、自分の心身もサビつき出していた。
そこにコロナがやってきた。

***

・・・休んだからといって心身の疼痛がすぐに癒えるわけはない。
しかし今後このような機会はもう無いだろうと、痛みの合い間を縫って、物品の「棚卸」を行い出した。

想い出主義の自分が溜め込んだゴミ屋敷にあるもの。
それはさまざまだが、昨日はぶらさがったままでカビ臭くなった衣類を、選別してゴミ袋に入れた。
また、昨年から始めたビデオテープ、カセットテープ起こし。
もう見聞きしないものは捨て、それ以外・好きだったモノをデジタルに変換している。かき集めてみると、やはりカビやヨレヨレが迫り、途中で切れてしまったものも多い。
昨日は、ビデオテープに録音した「細野晴臣 2001年音楽の旅」の起こしに取り組んだ。
NHK-FMで2001年に放送されたものだが、2時間×4回分と時間が長かったが、ビデオテープに録音していたので安定した音質だった。また、一方では、「電気グルーヴのドリルキングアワー」の120分カセットテープを・・・。
とビデオデッキとラジカセが毎日、大活躍して働いている。

ビデオもカセットもアナログゆえ、長さ分だけテープを回さないといけない。
さらに長い分数になると、巻き戻し・早送り、頭出しなどの作業手間労力はいっそうかかる。
古いものでは40年以上経ているものも多いが、劣化して切れやすいのはやはり長い物。

雑誌は大事なものを切り抜き、ときにスキャナーする。
いつか取り組みたかった「業務」に取り組む日々が昨年より続いている。
自らの魂の「再生」に向けて。

■YMO 「Be A Superman」1993■
このままでは、まだまだ死ねない。
スーパーマンであれ、と自らを励ます。
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1982年4月1日(木)FM東京 「ソニー・サウンド・マーケット」スタート

2020-04-17 00:00:00 | 音楽帳

1982年4月、何とかかんとか自分は高校生になった。
その日だったのか、と50台の今になって意識して知ったことがある。
FM東京の夜10時からの深夜番組「サントリー・サウンド・マーケット」は、この4月1日に始まったのであった。

オープニングテーマ曲は喜多郎さん、番組名を告げる声は小林克也さん。
穏やかでどっしりと構えた番組構成は頼もしく、この後初夏に放送されたブライアン・イーノの特集も含め、随分とお世話になった番組だった。

この番組「サウンド・マーケット」はこれより前からやっていた気がしたが、そうではなかった。
1982年3月まで10時台番組だった「ライブ・フロム・ザ・ボトムライン」は、この番組開始に伴い、ここで消えたのだった。
必死こいてYMOのライブをエアチェックした有難い番組だったが。

以下は、3月31日と4月1日の番組表である。
11時以降の番組、12時城達也さんの「ジェット・ストリーム」までの内容には変化はなかった。
3月31日

4月1日



■喜多郎 「サントリー・サウンドマーケットのテーマ曲」■

2週間ごとのFM雑誌「ミュージック・ステーション」は1982年頭に発刊され、僕は第1号から買っていた。
その第8号に、この番組の内容紹介ページがあるので、掲載する。
スタート時のパーソナリティは、ジャズシンガーの金子晴美さん。
(途中産休か育児かで西田珠美さんにバトンタッチした。)

当時FM放送は、NHK-FMとFM東京しかなかった。FM東京は元々実験用としてできた民放FM局だった。
当時のFM東京には品があった。この番組への金子さん起用のように、あくまで音楽を中心としながら、大人が聴ける上品さをたたえていた。

その後、80年代終盤の何もなかった時代=平成時代幕開けにJ-WAVEが開局し(*)、それ以降FM他局化時代をむかえた。
(*・・・正確には、J-WAVEは1988年10月1日スタート。平成は翌1989年1月8日より)
その後の変遷には疎い。興味を失ってFMを積極的に好んでは聴かない不遇の時代が続いた。

あれから30年近くを経て、この数年、FM東京を聴いた。
それも終日という地獄。というのも、自分が行っていた職場は(誰か好きな人が居るのだろう)常に朝から晩までFM東京が流れていて、他局に替えることが出来なかったのだった。
このとき聴いてショックで残念だったのは、過去FM放送にあった骨格のようなものはなくなっており、全く下品な垂れ流し放送局となってしまったことだった。

***

311後ワイドFMという実験を経て、Radikoが正式スタートを切って数年が経った。
現代はむしろAMに素晴らしい番組が多いのだが、デジタルのクリアな音声でAM・FM両方を聴けるようになってしまうことを、FM関係者は1つ上の高いところに居るとでも思っていたらしく、AMとのカベが取り払われる参入を毛嫌いしたものだが、そのようなプライドに匹敵する番組作りを行って頂きたいものだ。

いずれにしても、当時愛していたFM東京の姿は、現時点で一部を除いて跡形もなく無い。
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