こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年4月30日 土曜日 夜-2

2011-04-30 22:39:42 | 音楽帳
さくりんさんへ

「やまなし」→「クラムボン」→「原田郁子」

僕もそう来るだろうな、と思っていました。
クラムボンという日本のユニットはよく知りません。

ただ、原田郁子を間の当たりにした想い出はあります。

それは、あくまで偶然ですが。

スケッチショー(細野さん+幸宏)を聴きたいがために若い連中に混じって立ちっ放しのライヴに行きましたが、前座の方が長かった。



でも発見も多かった。
そこで登場した半野喜弘さん。

彼の音楽は、故ミック・カーンとの交流も含めて、関西人には無い感性を体感。
そこで、ソロ・アルバムでコラボレーションした原田郁子さんが登場する。

収録された『蒼い月』。
そして、ピアノを演奏する原田郁子さん。
その不思議な時空に、この人は只者では無いなと感じた。



うだるような時間の中、本当に『蒼い月』は、ステキだった。
僕の記憶にしっかと確定した原田郁子は、この瞬間だった。



「ふたりは過去になげキッス」。
そこには、ついゼルダの小嶋さちほさんの歌う『東京タワーのてっぺんか~ら、足を揃えて飛び降りる』を、僕自身は思い出す。

***

ドナルド・キーンは、良き三島の理解者でした。
彼が、日本に永住するのは、彼の中で既に決めていたことかもしれません。

こうして日本を愛して、日本に永住する外国人は多いものです。
政府やだらだらの連中はともかく、日本を愛する外国の人々。
過去から日本を愛した人々。
こんなにも美しい国が、こんな事態になってまで、それでも、愛する人々。

小さなながらも「ジ・エンド・オブ・エイジア」=アジアの端っこ、そこに愛すべき歴史ある美しい国が今でもある。

***

PS:地震で、実家の崩れた荷物を整理する中、中学生の頃、学校で、黒い皿をカリカリと削った上で、焼くという皿が出てきました。



自分の記憶では、坂本龍一の名曲「千のナイフ」が在ったように想います。
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2011年4月30日 土曜日 夜 19時 U2

2011-04-30 19:02:02 | 音楽帳


U2&ブライアン・イーノが初めてコラボレーションした1984年の「焔」。
広島原爆の記録を目の当たりにしたU2がタイトルにした「The Unforgettable Fire」=忘れえぬ炎。

そのアルバムを切る最初の曲「A Sort Of Homecoming」のざわめきに耳が行く。

最後にボノは「I AM COMING HOME」と言う。
U2は単なる「ロック」なるちゃちいバンドでは無い。
血反吐を伝う想いを魂=スピリッツの核としたソウルを奏でる重きユニットであることを、改めてこの曲を通じて感じる。

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2011年4月30日 土曜日 午後 グーグー・・・

2011-04-30 16:28:10 | 想い出かたちんば
音楽・アート・・・そういうものの中、自分は「映画」に対する偏見を長い事思っていた。
何も映画を見ないで生きてきた訳ではない。
ただ、2時間○分見ないと表現が完結できない「映画」なるものは、音楽や絵や写真といった短時間で、人の心に届く力に比べ、極めて表現の力の低いものと、今も思っている。

かつて、細野晴臣大先生が言っていたコトバが僕には正論として、今も心にある。
「1秒、その音楽を聴いただけで、その音の魂が分かってしまう。」

よく、かつてはお金が無かったので「失敗だあ!」と分かってもお金も情報も制限あった中、買ってしまった失敗レコードに、「でも、聴いているうちに何か良いことを発見するだろう」と何度も買ってしまったレコードに「何かが見つかるだろう」と期待を込めて聴いたものの、やはり、音楽のスピリッツというものは瞬時に判断できる、また、それ以上の動物的なカン以上のものは無い。

***

2時間○分見ないと表現が完結できない「映画」は、アートにおいて、極めて低い表現方法と未だに思っている。
ただ、瞬時ピピッときた映画というものは、友となる。



数年前、兄から勧められて、一緒にDVDで見た「グーグーだって猫である」。
実は、私はこの映画に因縁がある。

仕事場に、20代の早稲田出身の女の子が来た。
彼女は、破綻的なお酒の呑み方をする。

私は、いろいろあって40代・独身。
さらに、歳もあって、仕事への拘束時間が長い。

そんな中、20代の女の子に、
「あなたは魅力的な人。
付き合ってください。
一緒に映画を見に、まずは行きましょう。」
という告白をされて動揺した。

彼女は美しい人だった。
しかし、僕には時間がなかった。
そして20代の子を相手にする勇気も、体力も、余裕も、時間もなかった。

私が躊躇し、仕事の渦に巻き込まれて、数ヶ月間経つ間に、彼女には同世代の彼が出来た。

そして、一緒に見るはずだった「グーグーだって猫である」を兄夫婦と見るハメになった。
因縁の映画だった。

***

私は、中高生の頃、やたら「元気」という様を呈した小泉今日子が大嫌いだった。
しかし、歳をお互い経てドラマ「ハタチの恋人」に、長澤まさみのお母さん役で出た小泉今日子の落ち着きと、あえて歳を取ったことに拠る美しさに惹かれた。

大島弓子の実話と、それを投影した漫画を下に創られた映画「グーグーだって猫である」。

因縁はさておき、自分が死に掛けているという中、それでも、「グーグーがシアワセでありますように・・・」とつぶやく小泉今日子のコトバに涙を流して泣いた。
寝転がった青草の見上げる永遠の青空に伸ばす手。



単にネコ好きだけに向けられた映画では無い。
そして、ここに大島弓子役として居る小泉今日子の、歳を取ったがゆえに認められるかもし出す美しさといとおしさ。

愛する麻生久美子の映画以外ほとんど見ない映画に、多くの発見と生きる切なさを感じた。

***

本当は一緒に見る映画だった彼女は、鬱病にかかって私の仕事場を去り、今はどこかで病院に掛かりながらどうして居る事だろう。

2011年4月末、今では、近くて遠い望楼。


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2011年4月30日 土曜日 午後

2011-04-30 14:45:02 | 写真日和
昨日、ブログを見て、缶ビールをプシュッ。
睡魔と闘いながらお弁当を食べ終えた。

気が付かない間に、午後3:00頃に、いつの間にか泥のような眠りに堕ちていた。

目を覚ますと土曜日13:00になっていた。
永さんと恵理ちゃんの放送を聴けず。
ラジオを点けると、久米宏さん。

全く一度も起きなかった。
多分、脳が自分にギブアップを要求していたのだろう。

起きると外は曇りだが、明るい。
世の中はどうなっていることだろう。

***

起きたはいいが、カラダは相変わらず変調。
45間近のカラダはかなり傷んでいる。

「しつこい!」と言われても、ヒューマン・オーディオ・スポンジの、自分がパシフィコ横浜で聴いた「Everybody Had a Hard Year」を聴きたくなる。

どんなに繰り返しても、この曲の演奏は自分にとって、永遠なるもの。
何が滅びようと、魂を持った音楽は永遠に残り、輝き続け、人を灯す光である。



この優しい曲を聴きながら、自然ととめども流れる涙をそでで拭きながら。
この1週間の写真を整理する。

25日 月曜日 朝 スティングの「ナッシング・ライク・ザ・サン」をかける。



25日 月曜日 夜 つくばからの道 華僑・在日利権の絡むパチンコ屋だけが、電力をみんなで搾る街の中で光を放つ。
彼らには「カネ」しか興味が無いのだ。 



26日 火曜日 朝 あさり汁とめだま焼 



26日 火曜日 夜 23:48帰る道 暗い中の花 



27日 水曜日 朝 透き通る青空



27日 水曜日 昼 曳舟の路地のお蕎麦屋さん



330円のたぬきそば



27日 水曜日 深夜帰ると画面に長澤まさみちゃんが出ている。
「ハタチの恋人」でのピュアな彼女に惚れ込んでしまい、毎夜、撮りだめたヴォデオを見る日々だった。
しかし、それも過去の事。
花の命は短い。天使は、汚れる。時は残酷だ。



28日 朝 車中から1枚 私が生まれ育った三ノ輪。
もう戻らない刻。



29日 徹夜の朝 帰り道「いさみや」のお店の解体の出会う。
お年寄りだけで昼、揚げ物のお弁当を作り、行列が出来たおいしいお店だった。
枝豆入りのコロッケ、チーズはんぺん。
おいしい揚げ物と、揚げたてをお弁当にして売っていたおじいちゃん・おばあちゃん。

忘れない。



29日 昼 隅田公園に来た家族の肖像。ピースマークをする女の子。
平和な幸福の瞬間。



29日 昼 浅草の三叉路。



29日 昼 日本が瀕死に面する中でも悠然としたスカイ・ツリー
流れる隅田川と遊覧船。
そして、川を渡る電車のゴトゴト。
空は、雲、雲、雲。



29日 昼 帰り道に咲く花・花・花・・・・。
「小さいぼくの家」が近づく。






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2011年4月29日 金曜日 祝日 睡魔とやりたことの闘い

2011-04-29 14:30:35 | 写真日和


さんりんさんへ
眠いのは眠いのですが、青空と雲を見て、音楽を聴いていると、いくら眠くて過労でも眠りたくない、睡魔と覚醒の間の闘い。
結局、24時間社内に密閉されていたので、とにかく青空と雲が素晴らしく広く感じました。
生きている実感とでもいうのでしょうか。

酒も飲んでいないのに、ちどり足。
左と右の目の焦点が一致しない中でも、好奇心の方がカラダは走ります。

茅場町を腫れた足でびっこ引いて歩くと、バッテリーパークカフェなるお店を発見。



なんてステキなネーミングと感心。
そうしているうち、ネコちゃんのブラッシングしているおじさんに出会い、近づいていってお話をする。
「13年半飼っていたネコは亡くなってしまったんですが、この子は何歳ですか?」



「7歳かな。
散歩を一緒にするんですよ。」

「でも、道路危ないですからね。。。」

「この子は、でも、賢いよ。
絶対、一緒に散歩しても、道路には行かない。
よく轢かれるネコが居るけどね。」

「僕が飼っていたミケちゃんも、交通事故で亡くなりました。」

「ミケ?
珍しいねえ。」

「頭いいんですよ。
だから、遠出して、そこではねられたんですけどね。」

「動物の方が、人間より賢いよ。
この子も、わかってるんだよね、私の言う事。」

しばらくなでなでして、お別れする。

浅草を降りると、いつもどおりの賑わい。



隅田公園に行くと、陰影の表情と自然のイオンに気が反応する。



まぶしい永遠の光が緑から見えます。



こもれびの風景。



輝く花たち。
ここには、添えるコトバは要らない。

***

頂いたお便りの中で、原田郁子さんのこと、お話ししたいけど、少し、今の自分には精神力が無いので、また改めて書きたい事があるので、改めて。
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2011年4月29日 金曜日 祝日 ぶらりぶらり

2011-04-29 11:19:24 | 雑記帳
ヘロヘロになりながらも10:30仕事場を出る。

さっさと帰れば良いものだが、外はまるで囚人のシャバの空気を吸うように晴れ晴れしている。

放射能も忘れ、しばし時の流れもゆるみ停止した中を歩いていくと、たくさんの宝物で通りはあふれている。

何も決めずに、気持ちがおもむくままに、祝日で人気の無いオフィス街の合間に発見する何気ないもの。

光と陰。
雲と空。

目的や制限を持たない時間。
ゆるやかにゆるやかに。

写真を撮りつつ、旅をする。

よく祝日だ…行楽だ…
人は皆、遠くに何かがあると必死に時間との戦いのレジャーをする。

私は、身近なところ、
とろとろせいぜい『近所』で良い。

しかも、他人には見向きもされない程度のごくありふれたところ。

遠くに幸せがあると思い躍起になる人がいる。

今の私には、今目の前で手に届く数メートルにあるものたちが断然いい。

(旅の道にて・携帯より)
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2011年4月29日 金曜日 徹夜明けの朝

2011-04-29 10:17:41 | 雑記帳


ついに、仕事の業務量が膨張の上、破綻した。

昨夜は、覚悟を決めて、今朝最終データをサーバーに送り込むために、泣き濡れつつ徹夜作業。
明け方には終わるかと思ったが、難航する。
やっと9時過ぎ予算データが上がり放り込むと、白痴。

間もなく45を迎える、元々心身ともに弱いかたちんばには徹夜は、もう無理だ。
今から帰る。

コメントを頂きながらもぱつぱつであることで、お礼も申せず、申し訳ありません。
カラータイマーが鳴っているので、復旧次第お手紙を書きます。

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2011年4月28日 木曜日 朝

2011-04-28 08:45:36 | 雑記帳
朝、完璧な疲れでメシも食えず、立ち上がるにも振り絞るはごく微量の力。
目のたるみは変わらない。
2:00に寝て7:25に這いずり起きる。
友は、深い味わいの緑茶とタバコのみ。

風呂入る間も気も無く、無精ヒゲだけ剃る。
後やる力は無い。
見た目にごだわる余裕は無い。

窓の外は、雲が混じった淡い精彩を欠いた青。

電車の一番奥をキープし、カラダを壁に倒して支えてもらう。
それだけでも、多少は楽。
首周りと背筋と腰が痛いのはいつもながら。
席は空かず、眠ることも出来ず、倒れて空を見る。
時間を経て、空は次第に太陽光を浴びて青さを増す。
雲はあれども良い天気。
混雑する車内でも、自由度高い一角の余地から、シャッターを窓の外に数枚切る。
雨の翌朝は、余計な空中のカスを拭い去るから、遠くの池袋サンシャイン60がくっきりと見える。

疲れて眠る人。
いびきをかいて眠れる人が、なかなか寝付けない自分にはうらやましい。

被災側も支援側も休める時は、大の字であらがわずに休める開き直りを持つことが必要とされている。
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2011年4月27日 水曜日 深夜

2011-04-28 01:08:46 | 雑記帳
7:36電車に乗る。
茨城に向かう。
途中電車は『急停止します』という録音テープと急ブレーキ。

また地震。
千葉県東方沖震源。
マグニチュード4.3。
千葉県で震度2と小さい。

行く道々、惰性で生きるだらだらの埼玉・千葉・茨城の中高生が菓子を喰らい、ケータイ、音楽に染まり、たりぃ~顔を無防備にさらけ出している。
つい声を掛けてみたくなる。
「やっほ~」と。

竹中直人の深夜番組『恋のバカンス』(1994年)のコントに出て来る、理不尽な怒りをあらわに暴力に訴えるキャラクターを思い出す。
ショスタコビッチ三郎太やボン梶本や流しのボブ彦が、まるで自分には瓜二つだから。



朝、会議開始時間を30分間違ってしまい、偶然駅で会った人にホットコーヒーをご馳走になる。

午前会議終わり、晴れているが暴風の中15分程歩く。

一人で歩いて道端の花を撮ろうと思っていたのに、また人に会ってしまい、仕方なく花は見るだけに済ませ、しゃあないので間持ちさせる為、話しのネタをふり話相手になる。
畜生。

2人歩いてホームに着けば、さらにもう1人「奇遇ですね」と現れる。
「そうでしたか」「こんなことありましてね」と落語家のように、元営業マンの肉体化したサガで、2人相手に応対。
車中ゆっくり過ごす夢も経たれる。

やっと北千住で別れ一息。

くそ忙しいというのに、郵便物をどうしても取りに行かねばならず曳舟へ。
腹いせに街の写真を撮りながら歩く。
普段の下町の何気ない風景、街行く人、路地、看板…。

曳舟で夜中もやってる立ち食いそば屋にぶらりと入る。

当然『タヌキそば』。

食べ終わり外に出ると暑い。
春を飛び越え夏に行ってしまう亜熱帯化した日本に恐ろしさを感じる。
『夏に向けた電力対策』など追いつかないと私は実は予感している。
皆が早々に決断せねばならない。
ああだのこうだの言う間など無い。
今の日本に必要は即断即決。
仕事人は、短パン&Tシャツ出勤・フレックスタイム・時差出勤。
高電気を放置している在日利権絡んだパチンコスロットも25%じやなく100%カット。

曳舟から茅場町に戻ると14:30。
暑がりの自分は、汗をかいてしまい、タバコとコーヒーとうちわで一服。

そこから電話・メール・近付く人の応対とは別に、渦の中、明日夜中リミットの予算分解作業をひたすらエクセル相手に進める。

徹夜も覚悟したが、ネタが無くて進まぬ地点で今日の作業を終え、放射能雨の中駅へ。

0:08電車に乗る。

眠気と疲れで目がショボショボ。
昨夜より一層まぶたが重く垂れている。


【まみちゃんの懐かしいだらりんちょん姿】

1時のチャイムがジージー鳴る中、帰宅。
ペコペコな中、食事とビールにありつけられるささやかな幸福に感謝。
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2011年4月26日 火曜日 夜-2

2011-04-27 00:45:13 | 雑記帳
竹内香苗ちゃんと神保哲生さんのTBSラジオ『DIG』を聴きながら、夕食を終える。

まぶたが垂れているのが判る。
明日も早い。
風呂に入る気力も湧かない。

毎時正確に鳴る電子時計のメロディーが、3・11以降、ノイジーにジージー鳴るようになってしまった。

仕度のみし、薬を飲み床に入る。
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