1984年8月25日の「日立サウンドブレイク」の最後の曲は、ブライアン・イーノの「An Ending」だった。
風景は、夕焼けの夏雲が流れる中、手前には、おもちゃの怪獣たちがミニゴルフ場のグリーンのピンの周りに配置された映像だった。
海獣たちのシルエットと、雲の美しい移ろいと、イーノの音楽がマッチしていた。
1984年夏の終わりのことだった。
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昔、坂本龍一はよく言っていたが、
「自分には、歌詞を聴くとかそれを味わうとかいうのが、よく分かんないんだよね。
あればいいという程度の添え物としか思ってないんだよね。
歌詞を聴くって、要は音楽を聴いてないのと同じなんじゃないかと思っちゃう。」
自分も、80年代前半、「オレのウタを聴いてくれ~ベイビー」みたいのには、絶大なる嫌悪を抱いていた。
若いというのは、イコール、敏感で耳が鋭いからもあるが、結局、「言語」という「概念」の「縛り」から放たれることこそが、音楽が最大に能力を発現させるものだと思っていた。
実際、歌詞も「音」の一部というか記号的にしか聞こえてなかった。
コクトー・ツインズが、英語もどきで、実際は英語ではないという事実にも象徴されるように、その考え方に深い共感・共鳴した。
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中学から高校にかけて、カラダの疲れが取れない現象が起き初め、それは、今も変わらない部分である。
それを、世間が「ウツ」と呼ぶなら、自分は明らかに筋金入りの「ウツ」である。
今日も泣きぬれて仕事を、昼すぎから21時近くまでしていたら、眼と脳が疲れて、電車乗っても、車内広告の文字が「うざくて」たまらなかった。
「文字」という「文章」という概念が迫ってくるのが、苦しいのである。
当時、高校生だった頃と基本的には変わらない。
ただ、人生を経た分だけ、素晴らしい歌詞に出会うことで、変わる部分は変わったのではあるが・・・・・・。
まあ、とにかく、当時は、男子校の「文武両道」+バレーボールで心身ぼろぼろのゾンビのような状態であって、そのリハビリは、優しい音楽と可愛い・優しい女性にだけ癒されていたのだった。
そこだけに救いを求めていたのだった。
ブライアン・イーノのこの曲にも、癒されたものである。