こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年5月30日 木曜日 「流行無縁生活日記」

2013-05-30 23:11:52 | 写真日和

全てのめぐり合わせは偶然に過ぎない。
仕事場を出たときには雨は降っていなかったが、帰路の駅を降りると雨が降り出した。
傘を持たない人が横を自転車で疾走して通り過ぎた。

昨夜、夜がじぶんの貴重な時間、と言ったが、往路&復路の移動最中の時間もじぶんの貴重な時間である。
車中で隅っこをキープして他人は見ない。知っているヒトが近くにいても、見えないフリをする。

昨日・今日と、車中で改めてジャパンのアルバムを聴いていた。
今夜、駅を降りると3枚目のアルバム「クワイエット・ライフ」のA面最期の「イン・ヴォーグ」が掛かっていた。

ヴォーグは単純に訳すると「流行」。
帰って流行の語源をウィキペディアせんせいに聞いてみると。。。
【「流行」の語源は、「物事が河の流れる様のごとく世間に流布する」意味を表す漢語。
徳の広まることや、はやり病(疫病)が広まることを指した。日本においては『流行』は動詞の『はやる』と混同され、使用されるようになった。】
じぶんは、現代日本の会話で語られる「流行」とは無縁。
新聞・ニュース・てれびなどのエセ情報と絶交すると、「流行」と無縁になれる。
■Japan 「In Vogue」1980■




















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2013年5月29日 水曜日 「夜のしじまの過ごし方」

2013-05-29 23:21:47 | 雑記帳

悶々とパソコンソフトと格闘していたが、糸が切れて仕事場を去り「明日、仕切り直し」。
TBSラジオの「DIG」が唐突に終わって以来、ラジオすらも聞かなくなってきた。
1週間の中で「てれび」を見るのは、昼間のお弁当を食べる数十分のみのところ、ラジオまでも聞かなくなり、仙人のような生活になっていく。「てれび」はほとんど見ないので、解約しようと思っている。

最近では帰宅して、パソコンのスイッチを付けるものの「音が鳴っていないと不安」ということすら無くなった。
実家に行くと、老親はパソコンをいじる世代では無いので「てれび」が(見ていようと見ていまいと)ついているのだが、そこに居ると「ああ、ふつーの人は、こういう暮らしなんだな」と思う。

音が無い時空への違和が無くなった。
とはいえ、その後、音を聞くのだが。

まずは、缶ビールをプシュッと開けて、タバコをふかしながら一服。
その後、身を隠せるシェルターで「さあて。。。今夜はどうするべか。。。」。
YOUTUBE等々からダウンロードしたもの・フィールドレコーディングしたもの・あるいは読書。。。
パソコンのフォルダにあるものから、頭に浮かぶモードを選ぶ。

過去のラジオ録音?
伊集院さん?教授のサウンドストリート?細野さんのデイジーワールド?
音楽?
西部邁さんの番組?
ラジオ朗読?
それとも、写真の整理?

1日の終わり。寝るまでの残り時間は限られるが、貴重なる「じぶんの時間」。
思いあぐねながらも、こんなことをブログに書いている時間さえも、その限られた時間内での一部。

過去、営業で外周りをしていた頃、下の世代の人が1人社長で仕事をする「会社」に行った際に、その方とずいぶんと話す中で「面白いものだ」と思った記憶がある。
(彼にとって=[その後「今」のじぶんにとって])仕事は、身銭を稼ぐために過ぎないので、じぶんは睡眠時間を削って、ネットや読書に浸る、と彼はいう。
その社長は、ほとんど寝ないでも仕事が出来る体力を持っているゆえに言えるコトバだが「じぶんに与えられた時間には限りあるので、寝ないでもじぶんが興味あることに、夜仕事を終えてから没頭するんですよ。
睡眠より、そのほうが、大事なものでね。。。」。

体質が大きく左右するが「わたし」は睡眠を削ると、明らかに身崩れを起こして破綻するタイプなので、寝る方を選ぶ。何かを選び・その何かに暗闇で耳を傾けながら。

■Brian Eno 「Becalmed」■
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2013年5月26日 日曜日 「いまだ不透明なる日本史」

2013-05-26 23:56:05 | 雑記帳

実家から路地を迷い辿って帰る。
全心身痛で、ひどい状況。つい鎮痛剤を倍掛けで酒で流し込む。男気のある渋谷陽一さんが「鎮痛剤は決して飲まない主義」と言い切れた強さは、じぶんにはみじんも無い。
手近にあった1982年のロバート・フリップ&アンディ・サマーズ作品「心象風景」を掛け、全身をマッサージしつつ頭を抱えていた。

■Andy Summers & Robert Fripp 「ぶらんこの少女(Girl On A Swing)」■

当時の評論家には、ペンギン・カフェ・オーケストラの影響がモロ出た曲と言われた。

なぜ?こんな全心身痛なのかを考えれば、昨日横になりすぎたせいもあろうが、ゴミ屋敷に積み上げられた歴史を巡る本をめくりつつ・チャンネル桜の議論を聴きつつ・三ノ輪で戦下を過ごしたお袋さんから聴いてきた当時の話・亜細亜戦地におもむいていったおじさんを国旗を振って送り出す三ノ輪のモノクロームの写真・東南アジアで撮影したおじさんのたずさえた日本刀、仲間との写真、そして、そのおじさんが亡くなった際に遺品整理の中から引き受けた写真の中で、むごい写真を破り捨てたシーンが、ぐるぐると昨日の1日、脳の中で駆け巡っていたせいである。

ほとんど勉強に疎かったじぶんが、少しずつ「強制」では無い形で、子供時代から読んできた本を振り返りながらも、そこには一切記載されていない「事実」をハタチ以降追い求めてきたが、それらから芋づる式に次第に分かっていく、今に至る道。
それぞれ書いた方々は、必死に「事実」検証を重ねてきた。それらは断片であるから、それらをじぶんの中で咀嚼しながら、組み合わせながら。

しかし、それすらも水面下、というか、暗い闇の中での真実のシナリオにはたどり着けない。腑に落ちない。
真実に近づこうとする、数少ないまっとうな人の本を、もっともっと読まねばならないと思った昨日だった。

「なぜじぶんが、何の因果か不明なまま、この世に放り出されたのか?」に近づくのは、むしろ文学・哲学という水の流れに教わるべきだが、それとは別の川がじぶんの中には若い途中から流れ出した。それを自己制御しつつも、止めるじぶんの手からポトポトと水が落ちていく。

「この日本と呼ばれる国は、どのようにして今に至ったのか?じぶんが通り過ごしてきた・組み込まれたシステムとは何だったのか?」
今の日本の有り様に、疑問符だらけの中、今まで語られてきた歴史なるものすら大いなるウソが含まれているのは分かりつつも、では何が「真実のシナリオ」なのか?
産まれたからには「it makes me woder」の状態で、居心地が良い訳はない。
周りは「傾倒しすぎ」と良くいうが「カネ儲けだけの野蛮なる世界で過ごして死んで、お前は構わないのか?」と思う。

■「大東亜戦争は終わっていない」(チャンネル桜・2012年8月11日)■
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2013年5月25日 土曜日 「ランダム・ノート ~Premonition~」

2013-05-25 17:08:41 | 雑記帳

大学時代の友人に、先般10年ぶりくらいに会った際のこと。
こんな面白い本があるよ、という話を彼に投げかける。
彼が応える「最近は本は読まなくなったなあ。時はカネなりだから、ついネットで早い結論を求めてしまうんだよね。歳を取って、とにかく時が一刻も大事になったな。」
ヒトはそれぞれだから、何をその友人に言う資格は無いし、彼とじぶんは「いつ死ぬかは誰もわからない」という、不確実な「ありもしない未来」などへの志向では一致している。

じぶんもこうしてパソコンに向かっているし、インターネットのお陰で、様々なことを得ることが出来てきた。
しかし、紙に文字も綴れば、本も読む。
2013年5月の「今」では、過去じぶんが思っていたITへの志向は異なってきている。
ITが進化することには、恩恵もあるが、一方では、ヒトを病ませたり・死に追いやったりする。
仕事場に行けば、恐ろしい量の仕事メールの数々がだーっとやってくることだけを見ても、むしろこんな道具は無い方が良かった、とさえ思う。

話は戻るが、今日ぼうっと考えていて「時はカネなり」とは何たることか!と気づいて、夢うつつの布団からばさっと起き上がる。時とカネを等価には出来ない。
やたらと、ハイッ今日は株が上がった/下がった。。。何が値上げした/値下げした。。。日々そんなモンがああだのこうだの。経済とはあまり関係しない・したくないヒトの耳まで届く。あるいは、株とは無縁なヒトにも。
じぶんも社会の末端に、日常を染めなされている以上は無縁では有り得ないが、最近のどのメディアを開けても、株、株、株、という字ずらが目立つ。少し異常である。

自然主義者など、硬いコトバを言えるオツムは、じぶんには元々無い。
縛られた時間以外は、ネコや生き物や草木のことに囲まれたい。という程度のことで、主義者でも何でも無い。
そういう「今」の中で「株、株、株、、、」と言われても、ほとんど関係が無い。というか響かない。
それが世界を流動させて、戦争も起こせば有事も起こすことに至ると知っていても、じゃあ、その「たった一瞬間」の株価から未来を想定など出来ないのだから、騒ぎに一喜一憂することは無かろう。

「時はカネなり」の元々は、限られたこの世に居られる一瞬の滞在時間は少ないのだから大事になさい、という意味と捉えていたし、教わった。しかし、「今」このコトバを見ると奇妙に見える。
時はカネで解決出来る部分もあろうが、等価にはならない。
時はカネに変換出来ないし、ましてやカネを時に変換も出来ない。
「延命措置/装置や整形美容や『あんちえいじんぐ』そういった類の、科学が産み出した商売があるじゃないか」と言われても。

今朝は8時に起きたが、昨夜の「大丈夫」感がウソのように、一気に疲れがドーンと心身に現れた。「ひどい疲れだなあ」と思いながら、コーヒーの苗やゴーヤくんたちに水を上げる。
奇妙なほどにうすら寒い気温にくしゃみをする。空は曇天。
珍しくお腹が空いて、昨夜炊いて作った「菜(な)めし」を食べて、横になると再度寝てしまう。
起きれば15時。「時はカネなり」であろうが焦るでない。焦らされ・走らされるのは、もう御免願いたい。

15時というのに、まだ気温は上がっていない不思議な日。白い空に時空が停止した感触。
デヴィッド・シルヴィアンとホルガー・シューカイ先生がコラボレーションして創った、長いトーンの曲を掛けて漂う。
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2013年5月24日 金曜日 「静かな月夜へ」

2013-05-24 23:20:09 | 写真日和

夜、仕事場を去る。
珍しく今週やるべきことはやり終えた感。
昨夜に徒労感がひどかった割には、週の最終日に浮上した。
Q&Pコーワゴールドのおかげあって・のことであるが。
全てを100やるのはバカである。「生命と引き換えにするだけの仕事は無い」。やるべきことだけに集中して、さらにそれも終えさえすればよい。
クチにはそう言う「処世術」は多いが、まー比較的うまく行った週だったのかもしれない。

本日は24日、前倒しの給料日。それゆえか?
やたらと、うじゃうじゃヒトが湧き出ている。ほとんど9割方がしょせんは企業に属している。
酒臭いモノ・電車で騒ぐモノ・無駄な会話をするモノ。。。
そういうことは喜ばしい世界では無いし、そんな日と金曜日が重なって、うじゃうじゃである光景は好ましいことではない。
しかし、目の前では、そんなエイリアンがうじゃうじゃ居る。
自動的に無意識がカラダが進む方向は、出来うるだけエイリアンが居ない場所・道を辿っていく。

ぽっかり。
キレイな月が浮かぶ。
涼しい・静かな・誰も居ない夜の道に漂う。
自然や市井の人々の宿る路地を歩いて。
■David Byrne & Brian Eno 「Moonlight In Glory」1980■

From「My Life In The Bush Of Ghosts」


















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2013年5月22日 水曜日 「それぞれの作法、それぞれの祖」

2013-05-22 22:54:44 | 音楽帳

ヒトそれぞれには、それぞれの「食事の作法」がある。
しかし、2013年現代では「作法」などという、日本が古来持ってきた「食物とじぶん」の対峙するに際しての規律は、ほとんど見当たらない。
家族自体が崩壊した中で、作法も何も無いのかもしれない。

先日、ひじき・小松菜・揚げを混ぜた「混ぜごはん」を、じぶんは「菜(な)めし」と呼んだが、それは、お袋さん経由で、じぶんもそう呼んでいるだけ。
幼い頃に、よく他人の家庭にお呼ばれした際に気付いたのが、その家庭内での風習なり作法。
「じぶんがこう思っていることとは違うんだなあ」という感触。
それより前に、他人の家庭の玄関を入ると同時に、その家ならではの「じぶんの家とは異なる匂い」に気付かされるのが先であったが。。。

「菜(な)めし」と呼んでいることを辿っていくと、日本間のかもいの上に飾られたモノクロームの写真でしか会ったことの無い・じぶんにとってのひいおばあちゃん・ひいおじいちゃんに辿り着く。
「ひいおばあちゃんは、菜めしと呼んでね。それが大好きだった。
ひいおじいちゃんは、学校にも行ったことが無いのに、読み書き・計算が出来て、孫にも優しかった。
庭師で、よく行った先でお三時に出てくる和菓子を紙にくるんで、じぶんは食べずに持って帰って・わたしにくれた。」

「祖」との繋がりは、三ノ輪で過ごした15年の間に、大勢の親戚縁者や地域共同体とのやりとりから、じぶんの底に沈んで定着している。

よく「食物とじぶん」の対峙の中で、一番好きなものを先に食べるか?あるいは、一番最後に取っておくか?
そんな習性は、まさにそれぞれの在り方に直結している。

私自身がどちらか?と言えば、一番好きなものを最後に取っておく、という後者であった。
しかし、歳を経るごとに、また、3・11以降変わっている。
いついなくなるかを思えば、前者になる。
それは、食だけのことだけでは無い。

かつてのじぶんは、音楽や本など・・・「恐れ多い」と思うものは、買ったとしても、「いっとき寝かせておく」という習性があった。
ある一定の「熱さ」が去った後で、少しずつ味わい出す、という具合。

ここで上記に対する、早々なる矛盾がある。
8年もだらだらと、身勝手で精神分裂病独白を続けながらも、無意識に「一番好きなものを最後に取っておく」ことをしてきた。
そこには、余りに好きなゆえに、好きなアルバムについて・曲について、語るも恐ろしい、という作用が働いていた。というか好きな分だけ言語化出来ない、とも言える。
となると「3・11以降変わっている」なるも、いささか欺瞞じみてくる。

YMO+3人という4つが「祖」であるにも関わらず、YMO・細野さんや教授について語りながらも、幸宏について語ることを、極力回避してきた。
かつて、じぶんは幸宏の音楽には「幼くして大好きだった母を失ったことが、大きく音楽に影を落としている」と言ったが、その感じ方には変わりは無い。
まるでじぶんでじぶんに刃(やいば)を突きつける・リストカットすることで精神を浄化させるかのように、痛々しい吐露が彼の音楽にはあり(彼は否定するだろうが)、そこには他人事とは思えないシンパシーをじぶんが抱くゆえと考えている。

今まで紹介をすることを避けていた曲である、幸宏の「SAYONARA」。
これは後のアルバム「EGO(イーゴ)」の「レフト・バンク(左岸)」でも顔を出す、近くて遠い存在が、「向こう岸にいる」という幻覚。
それをナイーヴな彼は、無意識にロマンティズムという形に変えて表現している。そうじぶんは思っている。
■高橋幸宏 「SAYONARA」1982■
「What Me Worry?(ボク、大丈夫)」より

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2013年5月21日 火曜日 「一番大切なものは・・・」

2013-05-21 21:32:55 | 音楽帳

いつも玄関にある、書斎での三島由紀夫と・彼が愛したネコの向かい合う写真。
ネコを溺愛した三島の抱くネコに、奥さんは嫉妬したと言う。

三島由紀夫との出会いの始まりだった「仮面の告白」。
23歳にして・彼が大蔵省を辞める覚悟で・彼自身の生命線を掛けて発表した、わたしにとっての深き作品。
その冒頭にある、自然・公園・森・そして過去の「祖」の末に繋がる「今」に対する表現描写が、未だに好きである。
三島が書く、風景や情景描写に込められたものに、じぶんはエロティシズム・官能を覚えるが、後に彼自身が同様のことを語っていることを知り、納得した。
彼にとってのそういった描写は、単なる記載以上の存在なのである。
何もそれは「仮面の告白」のみならず、彼の作品全般に底通したもの。

公園の木漏れ陽を縫って、こちらに向かって走ってくる「誰か」という「なにがしか」。
その描写は、幻覚じみながらも、じぶんにはリアリティあるもので、同様にして高橋幸宏の作品に出てくる描写でもあり、そこには時間を越えて繋がった祖先との邂逅が、わたしの体内にも宿っていることを現している。

1988年(昭和63年)、じぶんは大学2年生。「ハートランド」というビールのCMが好きだった。
バックにはドリーム・アカデミーの「イン・ザ・ハート」なる曲が掛かっていた。
夏近い5月。木漏れ陽が草木に落とす影。森の中でのシーン。
人は死ねども、祖先との繋がりの上の末端で、ボクは森に包まれている。
森は黙っているが、自分らよりも数代に渡って、時を貫いて存在してきた、遠き祖先からの連なり。
このCMに当時、三島の言わんとしたものを投影していた。

■CM「キリン ハートランド・ビール」大樹編 1988■
90年代後半以降、東京に戻り・毎週神保町に足しげく通う中で、やっと発見したドリーム・アカデミーのシングル「イン・ザ・ハート」。

このジャケットに「一番大切なものは、君の知らない場所にある。」というコピー。
「社会的(経済【カネ】特化した)ニンゲン」なる不可思議なエイリアンへの違和感が、歳を取ると共により一層強まる中、反社会的人間(アウトロー)・自然・動植物への惹かれ方をしている今のじぶん。
ドリーム・アカデミーの存在自体も含めて、改めて、そこに導かれていく。





愛するまみちゃんとの最期の日々の中、祈るように聴いた「プリーズ・プリーズ・プリーズ」。
スミス(モリッシー&ジョニー・マー)のカバー。
彼らの音楽には、過去から繋がった今・そして大地を感じさせる、久遠の想いが形となって刻まれている。

■Dream Academy 「Please, Please, Please Let Me Get What I Want」■
(産まれてこのかた痛い目に散々遭って来たけれども、どうか、今度こそは、わたしの想いが叶いますように。。。)


















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2013年5月19日 日曜日 平沢進(EX:P-model)「ユーラシア21」

2013-05-19 20:57:16 | 写真日和

■Susumu Hirasawa 「Eurasia 21」■

2007年6月13日に、既に紹介した曲の「循環」。「今」の「わたし」の「気」にフィットするので。
そこに、本日のあいまいなる旅の一部断片を添える。
歩く中、夕方より降ったりやんだりの小雨に会う。


































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2013年5月17日 金曜日 「ランダム・ノート ~The Space Between~」

2013-05-17 21:22:58 | 雑記帳

お袋さんと、早朝電話で会話。
両手のギブスは外れたが、しびれが消えない。また腰痛が消えない。毎日医者で電気を掛けているが、いっこうに変わらない、と言う。
痛みや腫れがひかない初期は、下手にいじらずに、冷やす/温める等の措置が必要だが、一定期間を経たら、カラダを触って判断し、対処法を「手」で掴むのが本職の姿。
よって「そこに行くのはやめて、今日からよそに行きなさい。どうせ機械に任せときゃいいだろう、という程度だろうから、見切り付けて。」と言う。

その後、再度翌日話すと「近くの整骨院行ったら、マッサージをして、別のことをした。」とのこと。
どういう訳か?やたらと整骨院・接骨院がボコボコと「出店」する現代。
合わないと思ったら、次に行くこと。

しかし、相も変わらず、行くところで・いきなり友達を作ってしまうお袋さん。
80を超えたとは思えないヴォルテージとエネルギーなので、そんな出来た関係に義理堅い面が、悪く作用しているのだろう。。。そう想定して、変更を説得した。
と思えば、初めて会った先生に「6月のヴァン・ヘイレンのライヴまでには治してね。先生。」といきなり言ったらしく、先生の本心はどうかは不明だが「そこを目指して治しましょう」と言った、という。

一方、親父っちは、先日お袋さんの見舞いに行った際に「腰をもんでくれないか?」というので、もんだら「調子が良くなった」と言っていた、とお袋経由で聞く。
幼い頃の鬼畜親父には「マッサージをしないとTVを見せない」と言われて、泣きながらマッサージをしていたが、そんなことからも遠ざかっていたのに。。。

もはや距離感を保った関係となった、ある種・他者として認識した親。
昔、大好きなクマさん(篠原勝之さん・ゲージツ家)が「産まれた時も別ならば、死ぬ時も別」と言う名セリフを、名文筆家としての本で書いていたのがよぎる。
親子は親子でも、お互い違う方向に日々歩んでいる。

親父っちにしてやったツボは「尻」である。
これは、じぶん自身が「コリ症」でマッサージの回数が多々あったために教わったことだが。。。
ニンゲンという形をした奇妙な物体は、アタマが重いので・それが支えるべき首・肩に負担を掛けるが、それとは別に「立つ」「座る」の中で、重量は「尻」に乗っかってくる。

この話を聴いたときに「おお、そうか」と、えらく納得した。
実際、そこで「尻」をもんでもらうと、じぶんが痛みやコリを意識していないにもかかわらず、えらいコッている事実に出会った。
その「尻」をじぶんでマッサージする方法も教わった。両足であぐらをかいて、ゴローンと仰向けに転がる。
そうしながら、尻ペタを床なり・硬いものの上でゴロゴロ転がしながら、自らの体重の圧力でもむという方法。
これはかなり効果がある。。。

しょーもない話をしてしまったので、写真とこじつけ音楽で、後を濁すこととする。
(補:ロキシーの「アヴァロン(桃源郷)」は全曲完璧なトータル・コンセプト・アルバムで、時をも超越した、素晴らしいとしか言いようがない存在ですが)
たまには、ミソにもクソにもならない・しょーもない話で、窒息死から逃れる。

親父っちもじぶんも、せむし男。猫背である。
じぶんの場合、別にネコ好きだから、猫背であるわけではない。


■Roxy Music 「The Space Between」1982 (From Album 「Avalon」)■
























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2013年5月14日 火曜日 「五月の夏日」

2013-05-14 21:54:17 | 写真日和

最近は、朝日が差し込むとともに起きてしまう。今朝も5時40分くらいに起床。
暑くなるとは聞いてはいたが、朝は特にそこまで感じなかった。
仕事場では、せんぷうきを出してきて回し出した。そんな時期か。。。

昼過ぎまで仕事を片付け、ご飯は抜きで午後1時半頃から午後半休・月一回の定期検診へ。
体調補正がてら・ふた駅だけ歩くが、汗が吹き出す夏日の、ヒートアイランド東京。
電車に乗り、御茶ノ水の病院にて検診を終えると、夕暮れどき。
昨夜は、6Pチーズ3個と干した野菜を少々食べた。今日の昼間は、お腹が「グゥ」と珍しく鳴ったが、それを抜いて夕暮れを迎えたので、外のお蕎麦屋さんで珍しく外食をする。
しかし、その後、さらに「変な汗」が吹き出し、調子が悪くなる。
食事を下手にすると、逆にバランスが崩れて・調子が悪くなる体質ではあるが。

即座に「帰ろう」と、汗を拭き拭き、電車に乗って帰路を辿る。それなりに人が乗っていて、より調子が悪くなり、立って目をつぶって過ごした。
陽が長くなったもので、まだ明るい中、カラダを貞子のようにひきづりながら帰り、しばし横になって倒れていた。

ここ30年の東京の5月14日の平均最高気温は22~23℃程度。
しかし今日は、最低18℃・最高28℃という異常値。そんな中、少し無理をし過ぎた面は否めない。
調子が悪い、と言いながらも、シャッターは切り続けていた。

こんな日には、まだ時期が早いのだが、温度が喚起させる教授の「パラダイス・ロスト(失楽園)」を。。。



■坂本龍一 「Paradise Lost」(アルバム「音楽図鑑」より)1984■


朝の道を横切るネコさん。







兜町の一角。

宝町。



日本橋。

呉服町。

大手町。



御茶ノ水。

まだ若いアジサイ。水で出来た花。

ハトたちも、日かげで一服。



帰路の道を横切るネコさん。

月。





夕涼み。
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