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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Julia Fordham 「Porcelain」'89年

2010-05-31 21:29:17 | 音楽帳


今夜は、愛するジュリア・フォーダムの1989年発表のアルバム『Porcelain』を聴いている。

自分が、このアルバムを聴きこむことになるのは、ほぼ2000年に近い段階だったが、その頃、カタログを作り・展示会の企画をして実行していたが、東京ビッグサイトと会社を往復しながら、搬入・設営・不足品を調達にデカい車で走っていた自分のドライビング・ミュージックとして、疲れた心身を癒してもらった30代後半の時期の思い出とオーヴァーラップする。



ケイト・ブッシュといい、ヴァージニア・アストレイといい、美しい姿と才能という「天は二物を与える」ものなのだ。

昨年、「ビルボード・ライブ・トーキョー」で間近1mで見たジュリア・フォーダムは、だいぶ歳を取ったが、ステキだった。

「音楽」とは、僕らに与えられた生きる上での『宝物』なのだ。
神が与えた、時も空間をも越えることの出来る、重要な1つの貴重な存在(魔法)なのである。
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かたちんば徒然日記  ~1週間を振り返る~

2010-05-29 16:54:47 | 写真日和
5月24日 月曜日

土・日とあまりに天気が悪いので、2日とも薄暗い部屋で憂鬱にひたすら寝ていた。
2日で30時間以上は寝た。

今日も、仕事しててもウツな所、何度も自分の仕事の1/3を他の人に引継ぎをするはずだったのに、みんな「その気」が無く放置状態なので、ブチ切れて(`ら´)勝手に引継ぎ日程を決めた。

21:00退社
フレンチ・レストランで、旨い生ビールを呑み帰る。



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5月25日 火曜日


【朝の自転車通勤ラッシュ むこうに見えるはTokyoSkyTree】

夜、22:22電車乗って帰る。

3月末にライバル会社が倒産して以降、死ぬような思いで、PCと電話と携帯と資料の渦の中で、外に出られない日々が続いてきたせいか、急激に、腹の張り具合がムーミンそっくりで、どうしたものかと思っている。

ストレス太り?というものなのか?
ことごとく、この約2ヶ月で、どのズボンも入らないようなお腹になってしまった。

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5月26日 水曜日


【毎朝、東武線は隅田川を渡っていく。見慣れた浅草の川の風景。】

22:16電車に乗って、愛するゴミ屋敷に帰る。

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5月27日 木曜日


【僕らにとっては、昼ごはんの時間だけが、外に出られる時間。ケイタイで撮ったキレイなお花。】

16:00仕事中、いきなり歯に激痛走る!
冷や汗かく始末!

未だかつてない激痛にじっとしていられず悶絶!

ネットで歯痛を鎮めるツボを調べ、そこを押し、何とか耐えるが、やばいと思う。
10年近く、歯医者からのあくなき逃亡( ̄◇ ̄;)を続けてごまかして来たが、もはや激痛の前に逃げ切れず逮捕!

已むなく18:00歯医者に連行される!

機械にはがいじめにされて、レントゲン写真を見ろ!と虫歯の嵐!
そして、説教の嵐!

20代先生の前で、ひたすら謝罪の嵐!
「すみませ~ん、もう逃げませんから~(ToT)[号泣]。許してください。」

来週には、キバみたいに伸びた虫歯が巣を喰う親知らずを抜く事も約束させられてしまった。

***


【ただよい歩き、渡る、夜に向かう新川の風景。】

歯医者から追い出されて、夕べの街を漂うと、19:20。
普通なら『不夜城』に幽閉されて、仕事している時間に帰るサラリーマンの多いのには驚いた。
フツーの人というのは、こんな宵の口の時間に帰るもんなんだ・・・・と、その風景に違和感を抱く。

何がフツーか既にわからなくなってしまった自分に気付く。

なんだ!『不夜城』で深夜まで激闘しているのは、俺らだけかい(`ε´)!

***

たまに早くの帰りで、アキハバラに寄り、街に漂っていると色んな発見があって、アンテナがピピッと来る。


【変わり行くアキハバラでも、まだ変わらず生き続ける昔ながらの電飾カンバン。】

やっぱり『不夜城』に、あまりに居過ぎたら感性鈍るものだ。
たまにだから良いのかもしれないけど。

CDショップやディープなジャンク・ショップを覗き、買い物をして、街の写真を撮りながら歩く。
週末には必ず街をふらついて、写真取り歩いていた頃の気分を、久々に思い出した。

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5月28日 金曜日


【やっと、家の近くの屋根の上から顔を出し始めた「TokyoSkyTree」。】

(ΘへΘ)土日に仕事なんかゴメンまっぴらなので、23時過ぎまで片づけもの。
23:28やっと電車に乗ったが、終電が無く、もよりの南千住で降りる。


【駅前の中華屋さん「南光園」は休業中。こちらも『体調不良』なのだ。】

南千住から歩くが、足もカラダもふらふらで、余りにしんどいので、途中から1メータータクシーに乗る。

0:15帰宅。

また、くたくたの1週間が終わった・・・・(-_-#)。
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のんびりのんびりしましょ。

2010-05-29 15:09:39 | 音楽帳


まくら元のビール軍団たち。
1週間、放置している間に、ぐんぐん軍団を形成していきます。

『麦とホップ』は正式な「ビール」では無いですが、おいしいです。
ついつい本数も増えてしまいます。



今朝はさぶかった。
空はくもり空です。
でも、窓を開けると心地よい風。



熱~い好物の緑茶と、ぬくいおうどんを10:50食べると、満腹感で、また、再度、寝てしまった。

起きると14:00。



木曜日に、ひさびさに帰り道に行ったアキハバラで、ついCD・DVDの安売りをしていたので、そのエサ箱をあさる。

そうすると、300円均一のエサ箱にトーワ・テイの「ザ・ベスト・オブ・トーワテイ・ワークス」の新品を発見!
即ゲット!

トーワ・テイは、教授のデモ・テープ特集に募集してきた一般人の頃は、すごい才能を感じたものだが、『才能は枯渇するもの』。
YMOチルドレンの1人として、教授の弟子の1人としてプロでもいろいろやっているが、余り『底は深くない=浅い』人だなと思う。

正直、馬鹿国家アメリカでヒットしたグループ、ディー・ライトにも感心しなかったし、ソロではたまに良い仕事をしているが、トータルで言えば、器量の狭い人だなと思う。

はるか上を、砂原良徳さんが行っている。

かなり性格が悪い人で・自信家であることは、教授同様わかってはいるが、大した能力は無い。

ただ、このCDに収まっている「オブリガート」だけは、本当に素晴らしい曲なので買った。
昔から好きな曲で、それもアート・リンゼイのつぶやくような歌と、ベベル・ジルベルトの伸び伸びとしたボサノヴァのゆったり感ある女性ヴォーカルの掛け合いが素晴らしいの一言。
こういう形で、昔でいうスタジオ・エンジニアとしてトーワ・テイも仕事を積んで、修行していくべきだろう。



しかし、AMAZONでの新品CDが、近時グッと価格が下がり、1500円くらいで買えるようになり、アキハバラでもこういう新品CDが300円で処分されているのを見ると、市場は既に、『CD』というメディアの「切り捨て」「見切り」の段階に入ったようである。
たぶん、というか現実、フロアの賃料を考えれば、店舗の採算も取れなくなり、「HMV」も「タワーレコード」も「ツタヤ」も「新星堂」ももうすぐ、店舗数縮小とネット販売にどんどん移行が加速化していくと思う。

但し、ごく一部、レアなものを扱う独自性を持った「ディスク・ユニオン」や「ジャニス」や「タクト」などのポリシーある御茶ノ水~神保町界隈のお店だけは残るが、軒並みCDショップは閉鎖か倒産する段階に入ったと思われます。
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週末のはじまり

2010-05-29 09:46:09 | 音楽帳


9:30起きる。

くたくたの仕事を終えて、深夜3:00にビールを呑みかけで、灯かりは付けっぱなし、で死んで寝ていた。
案の定、疲れは取れていないが、僕のひそやかなウィークエンドが始まった。

熱い緑茶をまずは煎れ、渚十吾さんのCD「誰もがその人だけ」(1999)をかけながら一服。

子供が、ピアノを練習しながら、途中で脱線しながら遊んでいるか・・・みたいな、このCD。
気持ちを緩めるために、勝手に流れる、聴いても聴かなくても良い環境音楽。



まあ、気合を入れず、ゆるーくポロンポロンとはじめましょっか?

平日とは違う色とにおいの漂う僕たちのウィークエンド。
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映画 『キタキツネ物語』 '78年7月公開

2010-05-24 22:11:21 | 想い出かたちんば
正直、自分は、動物の話しに弱い。

生き物たちは、自分たちで産まれ、そして、巣立ち、たった独りで死んで行くのだ。
その覚悟・勇気1つ取っても、動物というものの偉大さに、ひれ伏す。

ニンゲンのみにくい生き方・死に方を見ていると、本当に「動物たちの生き様を見なさい」と言いたくなる。

牛や豚や鳥などを見えないところで殺しながら、その殺す様を見ないでおいて、平気でそのお肉を旨いだまずいだ評価して、その栄養で生かしてもらっているのに、自殺する人々を見て、「無駄に死んだらあかん」とつい説教臭く思ってしまう。

この世界は、ニンゲンさえ居なければ、自然の摂理・食物連鎖が回っていくものを、ニンゲンが全ての摂理を破壊してしまった。

そういう境遇を背負った限り、ビッコマンだろうがかたちんばだろうが、私もその中の一員であるには変わりない。

そういう自覚を持って、生き物や植物たちと接する事と、全く無自覚である事とは、大いにへだだりがあると思っている。

***

1978年だから、自分は12歳。
当時、ゴダイゴのファンであったのもあるが、映画『キタキツネ物語』を見に行った。



過酷な自然の中でも、頑張って生きるキタキツネたち。
・・・次第にオスとメスが出会って、子供が生まれる。
かわいい子キツネたちが4~5ひき産まれた。

でも、中に、生まれつき目の見えない子が居たり、心配を抱きながら、自然の中で、それでも生きていく生き様に涙した。

***

その映画で、繰り返しかかる町田義人のテーマ曲『赤い狩人』に、また感動を覚えた。

★埋め込みが出来ないようなので、YOUTUBEのアドレスを記します。
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=-wPJOM7dpf4&feature=player_embedded
是非、興味のある方は聴いて下さい。

***

決して、楽しい・明るい・・・そういう映画では無い。
むしろ、「生きる事の過酷さ」をあるがままに捉えた、厳しい映画だった。

しかし、町田義人やゴダイゴの音楽をバックにして、とあるキタキツネたちの一生の「命」に覚えた重さは、今でも忘れない。

その後、さまざまな動物をテーマにした映画が、軒並み続いて映画になっていったが、生き物たちが必死で生きている様を描いた映画には「是」とか「非」で語るべきものでは無い。

但し、近代化社会を果たした地域のニンゲンが【ザ・スミスのモリッシーの「ミート・イズ・マーダー(食肉=殺戮)」での「警鐘」のように】生き物たちのを見る事無く、ただ、コンビニエンスな世界で横柄な態度で、ぶくぶく太っていく様は見るに耐えない。

とある子供は、お寿司のシャリの上に乗るトロやイカがその姿で海を泳いでいると思っている、という笑えない冗談にもならない事を思っているという。

司馬遼太郎は、自然をバカにした者は、自然からの罰に遭う、と言っていた。
その言葉を胸にして、生きていかねばならない。

***

AMAZONで、この『キタキツネ物語』のサウンド・トラックがCD化されているのを知った。
こないだ『男たちの旅路』のミッキー吉野の名盤サントラがCD化されていて買ったのに続いて、うれしい発見である。

今でも、僕は、この映画 『キタキツネ物語』のパンフレットを大事に保存している。
たった独りで、夕陽の中佇む影に生き物の偉大さと切なさで心が一杯になってしまう。
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Howard Jones 「雨を見ないで」'84年4月

2010-05-21 00:43:43 | 音楽帳


1970年代の終わりに発火した「テクノ」は、80年代時々刻々と変化し続け、1984年になると、YMOも既に『散会』し、「エレクトロニクス・ポップ」という呼称に変化していた。
クラフトワーク-ウルトラヴォックス-ゲイリー・ニューマン-YMOといった異次元としての「テクノ」から、機材の進化・一般化に伴い「ポップ化」が進行していく。

1983~1984年「ポップ化」の象徴が、トンプソン・ツインズ、ハワード・ジョーンズに代表される、キーボードをショルダー式に首にかけて、弾きながら歌うという様に現れてきた。

細野さん・幸宏の2人の談義の中でも、80年代を振り返る中で、「テクノ」を「ポップ化」≒「陳腐化」?させたのは、ハワード・ジョーンズだという会話があった。

密室化された「テクノ」を良い意味でも悪い意味でも、本人のせいでは無いが、室外に開放させた起点は、確かにハワード・ジョーンズが1つの象徴だったと思う。

ファースト・アルバム『かくれんぼ』は、良いアルバムだったが、僕が中でも好きだったのは、B面に収録されている「雨を見ないで」という静かな曲。

こんな不安定な天候の梅雨の時期になると、この曲が聴きたくなる。

YOUTUBEに行ってみたが、余りにソフィスティケイトされてしまって、自分が好きな「雨を見ないで」では無くなっている動画しかないので、アップしないですが、とても良い曲なので、是非、アルバムに収録されている原曲を聴いて欲しいと思います。
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日本の『王様』と『へたれ』どもの光景

2010-05-19 23:35:24 | 雑記帳

   【5月17日 夜 「浅草」 アサヒビール本社側から臨む吾妻橋】


5月19日(水曜日)

21:47電車乗った・・・・ほっ・・・・(-3-;)。

今日は、本来、決裁すべき役職の「方々」が決裁すべき「重い事項」を、放っておくと・・・・結局は、みんな誰も『自分の非』となりたくないものだから、放置状態になるのを回避するために、室長と昨夜、前打ち合わせした上で、独り孤独に1つずつ決断し、登録作業し、営業ラインに案内・回答した。

それに神経を使い過ぎたせいか、頭がピリピリ痛む。

政治で言えば、昔から延々~と繰り返しバカ丸出しでやっているが如く、小沢と秘書のように、無言の圧力ある中、秘書が空気を読んで『よかれ』と思ってやった事が、秘書が地雷踏み、返り血を浴びる事に似ている。

企業も政治も全く同じで、権力のパワーバランスに「熱中時代」な一部の特権階級の「方々」は、自らの手を汚さずして物事を動かす事に終始する。

要は、リスクを背負ってまで、群れを先導しながら、先の見えない『道無き道』を開拓・突き進み、分け入っていく「度量」「決断能力」が無い「へたれ(By宮台真司)」ばかりが、この世の定め。

みんな、『王様』の前で、『王様』に喜んでもらう為に『ありもしない』明るき未来展望や大きな打ち上げ花火を打ち上げて、『王様』を喜ばせる「三文芸人」としての詐欺能力には長けているが・・・・・
『王様、”リアルな現実・ホントの現実”は、このような有様ですよ。
だから、こうすべきです。』
などと、冷静に事実を正視しながら、『王様』に対峙して、ある方向感を持って示せる「覚悟」「決断」が出来無い「へたれ」どもの渦なのだ。

これが、今の日本と日本人の有様である。

***

かつて『NOと言える日本』という本がヒットしたが、今、誰が一体、アメリカ・中国人・朝鮮人に『NO』と言えるというのだろうか!?

今、日本人で、ちゃんと『NO』と言えるのは、石原慎太郎と櫻井よしこさんだけじゃないか!

ボンボンで育ち、何1つ決断出来ない『王様』=鳩山由紀夫ちゃん・院政を引く小沢一郎・・・・、たかが転んだ位で車椅子に全治3週間という三文芝居をするぶさいくなあまちゃん女性議員(お前は、一生歩けないように、両足切ってしまへ)・・・・。

お前ら、人が死ぬ思いで、血反吐吐き・血便出しながら働いている中、よくも、その血税で、何くだらない小芝居を、いつまで繰り広げているんだ(`ε´)!

どいつもこいつ・・・・も、「決断」が下せない「へたれ」ばかりなら、全員、正座して、即、割腹せい。

オレが、お前らの最後を見届け、介錯してやるから。
心配するな。
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写真日和 「花咲く日々」

2010-05-18 23:55:13 | 写真日和


とにもかくにも、お花がキレイな季節。

会社の行き来・出先でも、つい歩いている道の風景を撮影してしまう。

花やネコや空・・・そして、風景。

集中して撮影する中、視線を人間に移すと、ニンゲンが一番みにくく見える。
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写真日和 「コチャコちゃん」

2010-05-17 23:01:40 | 写真日和


先々週末、実家に行って、まみちゃんのお墓参りをして、早い「母の日」のお祝いをしたばかりというのに、先週、お袋さんが脚立の上でコケて、ひじを骨折した。

心配だったので、この土日、実家に行った。

お袋さんのケガは、まだ大事には至らず、いつもの太陽のように明るく・元気な様子だったので、ホッとした。

写真は、少々「おねむ」な状態の「コチャコ」ちゃん。
息子のまみちゃんは亡くなったというのに、性格の悪い奴というのは、ニンゲンもネコも長生きするものだ。

ネコは大好きだし、いつも優しく接しているというのに、この「コチャコ」は、14年経つのに、自分を許してくれない。

何も悪いことをした事は無いのに、同じ性格の悪い親父の近くに擦り寄っている。

まあ、「コチャコ」がいなければ、愛するまみちゃんも生まれなかった訳だが・・・・・・・まみちゃんの天使のような優しさ・癒し系の性格の良さとは、全く反対だ。

顔は美人で、可愛いのにねぇ~。
ニンゲンもネコも美人は性格が悪いものなのかな?
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砂原良徳 「Earth Beat」 '01年5月23日発売

2010-05-16 21:05:50 | 音楽帳


昨夜、くもおさんへの遅い返事を、パソコンの無い、老夫婦の実家の寝床の携帯でカチカチ書きながら、「自分の家に帰って、音楽聴きたいなあ」と思っていた。

くもおさんへの返事にも書いたが、精神性において、YMOのDNAを本当の意味で引き継いでくれている若い(と言っても自分と同年代。1980’sYMO革命にショックを覚えた世代。)クリエイターの中では、比較うんぬんでは無くて、砂原さんの精神がやはり抜き出てその「意志」を継いでくれているなあと思う。

YMO3人の前で、お前はどれだけの事が出来るんだい?

そういう自分への問いかけと、ショックを受けたYMOへの恩恵の表現の出し方において、砂原さんは多分、「中途半端な好い加減な事は出来ない」と思っている。

***

2001年5月。
自分は、アキハバラの、後に大火事で店長が泣きながら「店内に居る人は、まだいますからあ・・・」と言っていた、ヤマギワ音楽館の2階のテクノのフロアで、ガラスの外の歩行者天国を見ながら、ヘッドフォンをして、砂原さんの新作「ラブ・ビート」を試聴していた。



そして、その素晴らしさに昂揚し、確実に砂原さんがまた一歩、長い迷いの果てに名作を生んだんだと確信した。
即購入して、夏に向けて、2001年に刻み込まれたそのアルバムを愛聴した。

***

その後、NHK-FMのラジオで、アナウンサーがスケッチ・ショー(細野さんと幸宏)と砂原さんをゲストに呼んだ番組を聴いた。

幸宏「細野さん、なんか、今日は怒られるらしいですよ・・(わざと暗い口調で)。」
細野さん「ホント?」
砂原さん「ええ、なんで僕があ!!?」

という幸宏の低姿勢で、若いYMOチルドレンに、スケッチ・ショーのアルバムを査定してもらうというギャグに始まった。

スケッチ・ショーのアルバムで、砂原さんの好きなナンバーをかけながら、

細野さんと幸宏「いやあ、ほめられちゃったなあ。けなされるしかないからなあ、いっつも。」とまた低姿勢。

次に、砂原さんの「ラブ・ビート」の紹介。
細野さん、幸宏ともに「いいですねえ。いいよ、このアルバム。」と言われて、砂原さんが「死のうかなあ・・・・今日、死んじゃおうかなあ・・・」と言った。

細野さん「大げさだよ(笑)」と言われたが、その砂原さんの嬉しさは、まさに「死んでも良い」というような気持ちだったのだろう。

***

自分も、YMOに育ててもらった・救ってもらったという気持ちの人間だからわかるが、砂原さんも、あの1980’sのまぶしい時代を、いつまでも脳裏に置きながら、いくら時間をかけようとも、最終的に自分が納得する作品を作っていって欲しいと思うのだ。
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