こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

航海日誌:「ワールドロックナウ」終了

2024-04-09 22:00:00 | 音楽帳

今回も単なる個人的備忘録。

FM番組「ワールドロックナウ」が終わるいきさつを知ったのは3月末の最終回だった。たまには聴いてみようとラジオ番組表を見ると「DJ: 伊藤政則」と書いてあり躊躇した。なにかの間違えか?もしくは、番組名は一緒だけどMCが変わったのだろうか?と次に思った。でも、まさかこの番組は渋谷さんありきで成立していた番組だから、それは無いよな。。。

しばらく不可思議な状況に戸惑っていたが、調べて全容を把握したところ・・・昨年11月渋谷さんが急遽入院となり、ピンチヒッターとして政則さんがDJとして起用されたらしい。その後スタッフ側と渋谷さん側が協議の末、27年続いた番組「ワールドロックナウ」を3月末もって終了させることに決定したという。同時に渋谷さんはロッキンオングループの社長を退任し、山崎氏に席を譲ることとなった。

渋谷さんらしいと思ったのは、一体どんな病状かなど一切の情報はどこからも漏れていないことだった。経営者だから社員・関係者に不要な心配をさせまいという意識もあるだろうが、無駄な情報をさらしたくはないのだろう。

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私が実際に渋谷さんのラジオを初めて聴いたのは、1981年の「サウンドストリート」だった。当時中学生だった自分は1980年初めにはYMOの洗礼を受けており、渋谷さんの居る世界とは既に距離があった。

「ロックでなければ何でもいい」とジョン・ライドンが放った言葉が代表するように、80年代初め「ロック」はチープで陳腐、形骸化した音楽を示す言葉になっていた。そんな時代に「ロック」という言葉を多用し、観念的に音楽を語る雑誌(=ロッキンオン)という先入観があり、渋谷さんにも良い印象は持っていなかった。全く同じ言葉を教授(坂本龍一)が番組(サウンドストリート)内でぼそぼそと話していたのをぼんやり覚えている。「・・・自分は先入観を持っていたんだけど、(渋谷さんに)会ってみたら意外とそうでもなくて、ともだちになれそうです・・・」。(この1981年当時はまさか数十年後に「NoNukes/非核」コンサートを一緒にやることになるとは思いもしなかった。)

そもそも自分がロッキンオンや渋谷さんの存在を知ったのは、年の離れた兄弟に拠るものだった。その男が長く伸ばした髪、古臭い風体やプログレ・ハードロック崇拝、それ以上に精神異常で偏屈、理解しがたかった彼/上の世代への吐き気するような嫌悪感が、渋谷さん周辺への懐疑心に繋がっていた。

そんな前提があったけれど、渋谷さんの「サウンドストリート」を次第に聴き、ロッキンオンを買って読むようになり、自分の先入観が先入観に過ぎない部分も大いにあることを認め、それまでとは違う音楽と出会っていくことになる。一時は木・金の2日連続で渋谷さんがサンスト担当だったので、最低でも週2日は渋谷さんの話しを聞いていた。自分が音楽との出会いに喜びを感じていた1981から1984年あたり、毎週毎週様々なスタイルのレコードを紹介してもらった記憶が強い。

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また「サウンドストリート」以降も、渋谷さんが関わるいくつかの番組を聴いてきた。「FMホットライン」「日立ミュージック&ミュージック」、その他NHKラジオで放送されるライヴとかにはよく解説で登場してきたし、テレビで構成担当だった番組とかも見ていた。ただ21世紀入ってからはそれまでみたいに熱心に毎週聴くということはなくなり、「ワールドロックナウ」もたまに聴くという感じだった。

年末になると大貫憲章さん・伊藤政則さんと一年を振り返る特番をやること知ってから、毎年楽しみにしていた。果たしてこんなに仲良かったっけ?と思ったりもしたが、紆余曲折の末3人一緒にわいわい番組でしゃべっている様はほほえましかった。そして昨年末も聴かなきゃと思っていたが、なんやかんや忙しくなって年末特番を聴けぬままこの3月末をむかえてしまった。「ワールドロックナウ」は終わるけれども、その時間は4月から新たに「洋楽シーカーズ」として大貫憲章さん・伊藤政則さん2人の番組になり、先日の土曜に第一回放送がされた。

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ラジオ「若いこだま(1973年~)」や「ヤングジョッキー」からの古い付き合いの方は半世紀以上ということになる。形態を変えて新譜を紹介する番組は半世紀断続的に続いてきたが、今回このような形で途中で番組を終えることとなった。

昔1986年 3月末突然「サウンドストリート」が終了することになった際は、最終回レッド・ツェッペリン特集だった。(当時録音したカセットテープはどこかにあるはずなのだけど、探してもまだ見つからず。。。)渋谷陽一と言えばレッド・ツェッペリン、やはり最終回はツェッペリン特集で、というリスナーからのリクエストはがきにすごく抵抗していたのをよく覚えている。また番組内でこんなことを言っていたのを覚えている。“わたしにとってのサウンドストリート”を書いたはがきが多いけど、”あなたにとってのサウンドストリートよりも、私にとってのサウンドストリート“のほうがもっと・・・と言おうと思って(最終回収録に)臨んだけれど、このはがきの量を前にしてそうは言えなくなった。こうして番組を終えられることはある種幸福なこととも思う。だけど番組が終わるたびに、ツェッペリンを出さざるを得ないようなヘヴィーな事態は今回のこれで終わりにしたい。番組が変わっても「まあ、渋谷がDJやってんだから・・・」と思ってほしい。

27年続いた「ワールドロックナウ」の最終回はリクエスト特集だった。私もそんなに経ったとは思えないが、あの1986年からなんと38年が経っている。

リクエストが一番多かったという曲として政則さんが選んだ最後の曲は、38年前と同じレッド・ツェッペリンの「アキレス最後の戦い」だった。今回の「ワールドロックナウ」終了はサンストの終了とは全く意味合いが違う。政則さんは渋谷さんの復活に向けた応援としてこの曲をかけた。

■Led Zeppelin「Achilles Last Stand」1976■


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2 コメント

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Unknown (くもお)
2024-08-19 04:17:33
お久しぶりです。
渋谷陽一さんのワールドロックナウ時々聴いてたんですが、たまたまらじるらじるで渋谷って検索の履歴が出たので押しても何にも表示が出ない。おかしいなと思ってネット検索したら、療養のため降板後に番組の幕を閉じたとのことで、教授のケースと被り寂しさを覚えました。
サンストを聴きロッキンオンを読んでた中学時代の僕にロックという文化を言葉と文字で植え付けてくれた渋谷さんは今の若者たちへはフェスという新しい文化として定着させたのは偉大な功績かと思います。その聖地だったひたちなかに長く住んだ僕としてもよくわかります。勝田駅前に立つ赤いROCKというモニュメント見ていつもそう感じてました。
僕らの昭和のヒーローたちは、こうしてまた一人静かに舞台を降りて行きます。仕方ないことだけど、僕らができることは昔を忘れず聞き続けることですね。
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Unknown (かたちんば→くもおさんへ)
2024-08-24 16:46:29
くもおさん、こんにちは。お返事おそくなりすみません。
どうもここ数年「何を書こうか」と思っているうち、あっという間に一週間はざらに・・時間が経ってしまいます。。。数年前心身壊し、社畜卒業できたときからどうも痴呆症気味。幸宏・教授・鮎川誠さんの訃報や渋谷さんの病気等々・・これでもかという出来事がここ数年続き、すっかり変わってしまった世のありさまについていけず、自分の日常行動にも「凡ミス」みたいな間違えや奇妙なエラーが生じ・・・ひとむかし前には想像もつかない時空に突入した感じがします。まだ還暦にすら到達していないのに。。

くもおさんのお便りを見て、ついロッキンオンのホームページを観に行ったりしました。例年通り、ひたちなかのフェスはやるようですね。。。自分は行ったことないんですが。

こういう機会でも無ければゆっくり見たことがないホームページ。そこでは淡々と、ロッキンオングループの紹介や新入社員募集とか掲載されていて。。。渋谷さんがかつて思っていたであろう音楽ビジネス・企業活動が回っている。でも、もうそこには起業した当人はいない、というありさま。
そんなものだよな、と思いつつ、それは寂しい風景でもあります。
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