こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

夏に向かう日々と100曲: サマー・オブ・2024 ”僕の宗教”

2024-07-18 22:45:00 | 写真日和

本日も個人的備忘録。

今のじぶんは、光熱費の支払いすら困るくらいの“すずめの涙”程度の収入で生きている。

物価は高騰するは、医療費はかさむは・・・。毎月赤字で生きているこの数年。

しかし、そんな“カネ“のゼロの数ばかりながめ、プラス/マイナスにだけ注視して生きていてもまるで味わいの無いコスパ野郎の人生みたいで、”後は死ぬだけ”な生活になってしまう。ということで、出来るだけカネはあまり気にしないように、”まあ何とかな~るだろう~“と植木等ばりの適当さで生きている。結果がどうなるかは神のみぞ知る世界。。。

***

・・・絶望に満ちた現代のこのクニは、無理矢理祝日を動かして連休を増やしてきている。やたらクニが作り出したそんな最近の祝日や連休は、基本“カネ“を使わせるためにある。本来はそれに忠実に従い、カネを落としてくれる”正しい家族”だけがレジャーを楽しむ時間なんだろう。

自分みたいな貧乏人は小さい頃から”正しい家族”が行くようなレジャー場所など無縁で育った。昔の用語「ヨソはヨソ/ウチはウチ」ではないが、家族が全員でにこやかにどこかへ一緒に行く、なんていうこととは無縁であり、行きたくもなかった。一緒に行った数少ない機会も、全員がバラバラで、問題行動や喧嘩やいさかいなど、想い出すにも恥ずかしいありさまであった。

今の自分らはクニからすれば”正しい家族”ではない“まがいものの家族”。

どこか代表的なレジャー場所に行くことについて、大して価値を見い出していない者同士が集まった家族。まあそれでも、たまには”正しい家族“が行くような場所に行って、NHKニュース記事の映像のバックに流れるみたいな、そんな人たちがするような笑顔のふりをして楽しんでみるのも良いだろう。。。

ということで、・・・肺炎にやられてダウンしていた数週間を経て、治癒へ向かうさなか。。。この連休(13-15日)に”ちかてつ博物館“に行ってきた。入場料は、おとな一人当たり220円と懐に優しい。

実は、自分は小学1年生のときから小中9年間も越境入学を強いられ、地下鉄で下町から赤坂まで、蒼い顔でゲロを吐きながら1時間かけて通学していた。まだ身の回りもロクに分からない6歳児のときからのそんな通学経験によって、かなり長い間地下鉄に夢中な“ちかてつ少年”だった。

しかし、その割には”ちかてつ博物館“は初体験だった。

・・・というのも、この博物館が出来たのは1986年のこと。もう自分はすでに大きくなり、“ちかてつ少年”ではないところに居たからである。それでもいつかは一度は行ってみようと思いながら来られなかった博物館。。。

この博物館がある葛西駅という場所は、絶縁した会社に依存した社畜が多く住まう鬼門だが、そんなクソな悪縁は吹いて飛ばし、思い切って38年目にして初上陸してみた。

★本日の一曲

この曲は1990年当時、小林克也さんサイドがnack5で放送していた“続・スネークマンショー”でコントのはざまに掛かったもの。80年代から90年代に向け学会等新興宗教がバブルの如く巨大に膨張し、勢力を伸ばしていた。そんな怪しい時代の中、空気を引き裂くように、あえて軽~く安易な歌い方でもって 宗教(あるいは人や思想を妄信するありさま)を揶揄している様が心地良い一曲だった。半分笑いつつ好きになったこの曲。エアチェックしたカセットを一時はヘヴィーローテーションでかけていた。今聴いても大槻さんのこの唄は素晴らしい。

本日11:00、東京の梅雨明け宣言アリ。そんな夏の日の始まりにも景気付けにも良い曲かもしれない。。。

■筋肉少女帯「僕の宗教へようこそ (Welcome to my religion)」1990■

わたしは“ゆりこ教“でもNo.2の応援団でもない。そもそも彼らには投票していない。

いくら狂っても、そんなおかしな宗教は信じないし所属しない。

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航海日誌:あらためて ねことくらす2

2024-02-16 11:00:00 | 写真日和

ネコがやってきてから、ネコもじぶんも今までとは違う住まい方になり、しばらくは落ち着かない日々が続いている。
最初はケージの中で隠れていた彼らも、数日経ってからだんだんと生活空間の把握していくため、パトロールをはじめた。
私はその付き添い。いや、付き添いというかハラハラしながらの見張り。

彼らが来るに際して大量のカセット、レコードやCDやら雑誌類やらチラシ紙類等々・・・片付けたけれど、その片付けがいかに突貫工事だったか?は彼らがずんずん空間を歩き続けることで明らかになっていく。(正直に言えば、“片付けた”というよりは“積み直した“が正解かもしれない。)
足場が悪い箇所は、彼らがみごとにひっくり返してくれる。
あああ、と見に行くと、雑多なモノが散乱する現場。
仕方ないので、ゆかに這いつくばって至急片付けをする。その視界の隅っこで、彼らはまるで火事場の野次馬みたいな態勢。「あら何があったのかしら?」という顔つきで、まるで他人ごとのように現場を眺めているという始末。かわいいけど、ちくしょう!と思う。

そうして、現場復旧をしていくことで、しだいに少しづつだが、彼らが望むことと私の荷物整理が折り合うような地点に近づいていくのだろうか?。それなら幸せな話の展開だが、今時点ではまだまだ、そんな落ち着く室内整備には遠いような気がしている。

ハロウィンだクリスマスだといった騒ぎに隠れてしまったかのようなヴァレンタイン。
そう思うのは、会社に属さなくなった自分が何も知らないだけなのだろうか?仕事場ほぼ全員に統一して配る 大量の義理チョコをもらって帰っていたのも遠い日。本来は一個だけで良いはずだから、このクニ伝統の大騒ぎが沈静化している今のほうが意味があるのかもしれない。
数日前からヴァレンタインがテーマになった曲を聴いていた。昔のカセットやレコード、CDをひっくり返して。
チェット・ベイカーやコステロのカバーもいいけど、ABCやブライアン・フェリーの曲も捨てがたい。そう言っている間にヴァレンタイン・デイを過ぎてしまった。毎日色々感じながらもトロいのであっという間に2日も過ぎてしまった。

■ABC「Valentine's Day」1982■
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航海日誌:あらためて ねことくらす

2024-02-10 15:00:00 | 写真日和

【ひなたぼっこちゅう。】

みうらじゅん先生はかつて言っていた。
「家にモノが増えたから→整理する、という発想じゃなくて、アグレッシヴにより広い棲み処(すみか)に引っ越すのだ。最後はミュージアム(博物館)にすればいい」(意訳)。
その発想に影響を受けて=真に受けて、独り身だったのに”より大きな空間へと引越・脱出”してきたせいで、膨大にふくらんだ荷物が長年 室内にあふれていた。その棲み家に急遽ネコをむかえることになり、昨年から必死に荷物を整理してきた。(この言葉は好きではないが)世に謂う“断捨離“”終活“第一段である。
新たにネコと暮らすので”終活“と言っては、ネコに失礼だから、そうは言わないけれど。

“膨大にふくらんだ荷物”とは言うけれど、今まで何も手をかけてこなかったわけではない。
コロナ禍に入る寸前にドクターストップで休職となったおかげで 荷物整理する時間が出来て、室内荷物は少しづつ圧縮されてきた。ただそうは言えど、今回はそんなことでは追いつかないのは明らか。物理的にスペースが必要なのだ!同居人が動けるスペースが。
しかも、この来たる同居人は「言語」では話し合えず 説得しきれない。また、”この人たち”は”超極楽自由人”なのである。
つまり、自由人対自由人の対決ならぬ同居となるのだ。
しかし、諸条件からして 今回はじぶんが折れるしかない、と思い、やむなくスペースを開けるための突貫工事が昨年から始まった。

・・・その後むかえるまでのすったもんだの数十日があり、何とか彼らを迎える日が来たけれど。。。
彼らが来て二週間くらいが経った。

貧乏部屋のYMO関連CDがある棚にも、彼らからの攻撃の危険を感じる昨今。
冬の昼下がり。
細野さんコーナーにあるミカドのCDを聴く。

■ミカド「冬のノフラージュ」1984■
ミカドは、チープな楽器で創られた 初期クレプスキュールの楽曲がとても好きだった。
そこからすると「冬のノフラージュ」は少しお金がかかっている感覚で、本来の良さからずれてしまい、当時のじぶんはかなり寂しくなったものだけど、、、。
いろいろな想い出が交錯するが、なによりも細野さんが関わった作品だし、素晴らしい、と言っておこう。今では12インチレコードもCDも持っている。
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写真日誌:初雪

2024-02-06 18:00:00 | 写真日和

調べると今年の東京の初雪は1月13日とのこと。
でも、私にとっては昨夜が初雪。
花曇り、などと冬を舐めていたら ズドンとやられた。

昨夜 用事からの帰り道、手足がちぎれそうにつべたかった。
手指はかじかみ、履きつぶしたくつからは水が浸入して足指は凍痛という始末。

そんな中でもカメラを離さず、数枚シャッターを切った。
雪は景色から色を奪って、全てをモノクロームの世界に変えていった。

スカイツリーもこの夜は全く見えない。











■Sketch Show「Scotoma」2003■



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写真日誌:冬の花曇り

2024-02-02 12:00:00 | 写真日和

「花曇り ジュウガツザクラ 冬サクラ・・・。」

花曇り、とは本来 春のサクラの季節のことば。
気温が上昇し、草木の活動が活発になり、黄砂が飛んだり、景色がぼんやりとした陽気の日に「花曇り」、とふと思う。
冬の日に寒さが空気をキリっとさせ、モノの輪郭をはっきりさせるのと相反する。

そんな春のことばを持ち出すほどに、昨日はかなり暖かい午前だった。
気温は16度にまで上がって、まるで春の陽気。
十月サクラと冬サクラが並んで咲いていた。

このままだったら、春は早い。。。
そう思ったが、午後になって急激に気温が低下し、突風とともに冬に戻っていった。


春の花曇りの日になると、好んでこの曲を聴く。
淡い音の輪郭、大貫妙子さんのふわーっとしたコーラスの美しさ。
曲が進んでいくとともに こちらの体内にじんわりと染みてくる。

■矢野顕子「素顔」1986■

服のように
簡単に顔をぬげなくて
苦しい

声をかければ楽になるが
瞬間に
逃げてしまうだろう
気持をこらえて

目を中心に
ものすごい速さで混み合う
あなたの表情を
両手で支え
くるしんでいるうちに

呼吸をするように
ふっと
素顔になる

目を閉じる
しきりに何か降ってくる
真昼

ドラム:高橋幸宏
ギター:大村憲司
ピアノ:矢野顕子
エレクトリックピアノ、シンセサイザー:坂本龍一
バックグラウンドヴォーカル:大貫妙子
プロデュース:矢野顕子&坂本龍一




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航海日誌:おまけショット

2024-01-28 18:30:00 | 写真日和

昨年年末 大みそか、年賀状の写真選びをするために撮り溜めた写真を観ていた。
最近はもっぱら撮影するだけで満足して、疲れて見返すことがない写真たち。。。
それをこんなに長く見られるのも大みそかならではのことかもしれない。見ているうちに、本来の目的を離れて 見ることに夢中になってしまった。
そこで思う。つくづく写真というのは、狙って撮ったもの、また、構図やフレームサイズを意識して撮影したものがいかにつまらないことか!
そういうと大げさだが、記録という要素を除けば、左脳や意識で計算して撮影した写真は実につまらない。

***

撮影した写真を見返すうち、その中にあった撮影ミスや切れ端の面白さに夢中になってしまった。今、自分が持ち歩いているコンデジにはワンシャッターで3ショット連続撮影するモードがある。3枚写真を撮る以外に、撮影したフレーム枠の中の一部を切り取って勝手にトリミングした「おまけショット」が付いてくる。サイズはパノラマだったり、4×3、タテヨコ同サイズと色々無作為だが、それがまた時に面白い効果を生む。
写真とは偶然の産物だ。

若くから影響受けてきたアラーキー(荒木経惟)の写真集の1つに、横長パノラマサイズで日付入りで撮影された「A日記」という写真日記がある。そこに収録された写真を想い出す。この「A日記」は写真撮影日をわざと1年先にして、「1年後の未来の今日」を365日“先撮り”した写真集。写真そのものが本来持っている予知夢的な側面がうまく表現されている。これを自分に勝手に引き寄せるなら、「おまけショット」たちはこの写真集に載った写真に似ている。
また、もう1人の写真の師・森山大道さんが従来のフィルムカメラにフィルムを装填した際、最初の数枚・不意に空(カラ)シャッターを切ったときに映った写真を拾い上げて作品にしたことも想い出す。森山さん曰く、そこにたまたま写った像も世界の一部。。。うまく撮れた、とか焦点が合うとか、そういうことは関係が無くて、写ったものは全て世界の一部。
下は、自分が撮影した写真のごく数枚。全てがたまたまの切り取りでもないのだが、どれもがたしかに世界を構成する一つの像・一つのかけらである。写真は撮ることだけでなく、見ることによって、世界がいかに多面体であるか、新しい視点を教えてくれる。

面白がっているのは自分だけであっても、自分が面白いと思えばそれだけでも構わない。




















スナップ2023~2024より。。。
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航海日誌:異次元への旅

2024-01-12 22:30:00 | 写真日和


やっと一人の時間を作ることが出来たので、備忘録。
日々の断片。

昨年末新しい自転車を買った。
実は、自転車を十数年前に壊してから乗る機会を逸し、ひたすら歩きのみで生きてきた。
(その後 数年前に足の方もカラダも壊してしまったが、それでも律儀に歩きのみで暮らしてきた。)

***

1分の予告編で涙腺が緩み、年が明けたら見ようと思い、
長く待ち焦がれていた映画「パーフェクト・デイズ」。この映画を年明けにやっと観ることができた。
そこで久しぶりに気持ちが高揚したことの1つは、今自分が暮らし・過ごし・ぶらりと寄り道する場所が舞台になっていたこと。
浅草、千束、本所、亀戸・・・etc。
そして、さかんに桜橋が映る。ここはじぶんがふだん散歩で渡る道だけれど、”平山さん”はそこを自転車で渡っていく。じぶんが生まれ育ち、その後引き裂かれ 遠ざかり、そして再び戻り暮らすようになった下町。映画に触発されて、1月4日は買いたての自転車に乗って遠出をした。上野近くまで行ってしまった。気分は初めて自転車に乗った小学生の頃に戻っていた。

現代では、グーグルマップ等で 自分が居る場所や、行きたい場所への行き方もあっという間に調べられるから、世の中から未開の街の不思議さや魅力が消えてしまった、と絶望していたが、十数年ぶりに自転車を乗り回したら、そうでもないな、と思えた。
たしかに地図上に描かれた場所やその地の記録写真はその通りなのだが、自転車で走って通る道や場所はまったく違った見え方をした。
知識の世界と体感の世界は異なる。研ぎ澄ますべきは後者。
それは写真と同じように、たとえ同じ場所を通っても 季節や天候、風の吹き方など様々な要素がまじりあい、シャッターを切った画面はその日その時間にしか見えない風景である。すべてはそのときそのとき1回きりの出会い。(ゆえに写真も散歩もやめられない。)新しく手に入れた自転車は、全てを知りつくしてしまったような思い込みの倦怠を壊し、新しい角度の目線を与えてくれそうだ。

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航海日誌: 浜祭 2023

2023-11-07 21:30:00 | 写真日和

11月3日(金)文化の日
4年ぶりに文化放送「浜祭」がフル開催となり、現地である芝公園・増上寺へ向かった。
2019年のときは、現地に行くのが一足遅くなり、最初に訪れた浜松町駅近くの文化放送1階でまごついてしまった。そのために見たかった大竹まことさんのゴールデンラジオには間に合わなかった。残念だがあきらめるしかなく「また来年があるし」と自分に言い聞かせたが、その後まさかのコロナ禍に突入・・・。

今年は4年ぶりの楽しみなフル開催。
早めに行けたらよかったのだが、今回も前の用事に手間取り、13時半を少し回っての現地到着となった。前回の反省を踏まえて直接増上寺に向かい、何とか立ち見の観客に混じって15時半までのゴールデンラジオ・公開ナマ放送を目の前で楽しむことができた。

4年ぶり開催のせいか?2019年よりかなり多い人の海。ラジオ好きが集まった場所ならではの密やかな微笑と空気感が流れる。
人の海から上がる熱気、11月とは思えぬ日差しと暑さ。25度近い気温はカラダにキツく堪えた。駅から勢いいさんで歩いたせいもあり、自分もツレも変な汗をかき 気持ち悪くなったりもした。舞台で被り物(ティラノザウルス)をしている出演者のみんなをうつろな目で見ている瞬間もあったかもしれない。しかし次第に慣れて、笑っているうちに気持ち悪さを乗り越えた。

大竹さんのラジオ番組は2017年からのお付き合いだが、カラダを壊し 仕事を休んでからは、それまでよりいっそう密な付き合い方になっている。月曜から金曜のリアルタイム放送に加えて、聴けないときはラジコのタイムフリーで聴き、それ以外の時間にはYouT ube公式ページ、ポッドキャストなどで過去の放送を聴くという具合。
孤独やしんどさ、カラダの痛みなどに苦しむときでも、ラジオはいつもそばに居て 日々の支えになってくれる。

番組を見終えると、場内にあるショップへ向かった。
2,000円というねだんに買うか否か迷ったが、ここは来場記念、と思って、番組マグカップを購入。代金の一部がチャリティとして寄付されるらしい。
帰って早速このマグカップにお茶をいれて飲んだ。似ていない大竹さんのイラスト、色が変わって出てくる何か・・・そのバカバカしい企画やデザインセンスの無さを楽しんでいる。どうしてこんなものでお茶を飲むのか?と家の者からは白い眼で見られ 極めて評判が悪いが、こちらはたいそう悦に入って楽しんでいる。

湯気のこちらに何が見える?
お茶をいれると色が・・・。

素敵!とは程遠い。
でも、デザインとかオシャレが持つ胡散臭さより、
このめちゃくちゃさのほうがが良い、と勝手に言い切りたい。


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写真日誌:夜を歩く ~九月 ミッドタウン近辺~

2023-10-09 23:30:00 | 写真日和

ハワード・ジョーンズを観に行った9月上旬。
その夜から、あっという間に一ヶ月が経ってしまった。

その夜の写真をめくる。
ヒタヒタと沁み込んだ闇の感触。それを想い出す。



ミッドタウン周辺は毎月用事があって歩くが、こんな夜遅くまで居ることがない。

六本木、赤坂、乃木坂、青山・・・。
夜は昼とは全く違う世界が開いている。

もう今の自分はお酒を呑むこともない。
でも腹が減ったので、この夜 何か食べて帰ろうと思ってうろうろした。

しかし、歩いても歩いても呑み屋以外の食事処はどこも店じまい。。。
しくじった!
孤独のグルメの五郎さんみたいに、一人 呑み屋に入って夕ご飯を食べる覚悟、それが自分にはない。



ひさびさに歩くひとけない道。
最近ごたごた世間をにぎわしている、Jの本社がある通り。
ふだん通るこの道も、この夜は虫の音が聞こえるほどにひっそりしていた。

かつて奴隷のように働いていた頃は、夜遅くまで外に居るのは普通だったが、
今では夜を歩くことはほとんどない。
朝から夜中まで働いた、あの“ほとんどビョーキ”な日々もすっかり遠くなった。

さらば社畜生活、さらば社畜社会、さらば社畜化した同僚たち。。。

■Howard Jones「The One To Love You」2019■
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写真日誌:夜を歩く ~中秋の月~

2023-10-01 21:30:00 | 写真日和

金曜の夜、リハビリの数時間を終えて外に出ると、月が煌々と見えた。
見えた、といっても、建物と建物のあいだであり、歩きながら視界をずらし、なんとかビルのあいだから覗いた月を拝んだのだ。

この数日、カラダが異様に重ダルい。
さらには、目が回るように平衡感覚がおかしい。
ついにこのカラダにも重大な状況が迫ってきたか、と思ったが、「それは満月のせいでは?」と家の者に指摘される。
そうかも知れない。とたんにバカバカしい妄想が解ける想いがする。

テレビでは盛んに、同じことを言っていた。
中秋の名月が満月とは限らない。
今年はたまたま満月。
次に満月になるのは2030年。

2030年?
7年後なんてはるか遠い。こういったはるか先の話しは、今では自分に無縁な世界と捉えるようにしている。
でないと、気が遠くなるのだ。

昔、1980年、雑誌でストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルがインタビューに答えていたくだりを想い出す。
「10年後どうなってるかって?たぶん死んでるよ」と言った捨てセリフに「かっこいい」と当時中学生の自分は思っていた。
しかし今の私には、リアル過ぎてシャレにならない。

月夜にストラングラーズを聴いていたか?と言えば、全く違う曲を聴いた。



■Echo & The Bunnymen「The Killing Moon」1983■


なんとかズームでブレブレの月をおさえた。
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