こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

写真日和:三連休

2025-02-25 23:00:00 | 写真日和

たまには写真でも。。。

もうリーマンではないので、世間的な三連休とは関係がないのだが、この数日の振り返り。

三連休、というタイトルなのに、21日/金曜日の写真。

河津桜のつぼみがほころんだ。

もうここから数日経ったので、今日はもっと花開いているだろう。

春は花も自然も美しいが、そこに群がるうるさい人間も一緒に湧いて出てくるのが難。

22日/土曜日は、町屋にお茶を飲みに行く。

日差しの美しい日だった。

お店のネコちゃんには会えたが、あまりに寒くて毛布から出て来ず、いっしょに遊べなかった。

23日/日曜日は、いつも通りリハビリへ。

24日/月曜日、数少ない知り合いのマッサージを受けに、浅草橋まで行く。

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おもひでの街:石神井川を上る(2024年9月21日)滝野川-王子へ

2024-10-16 23:00:00 | 写真日和

大山ハッピーロードってどんなところだろうか?ということから始まった9月下旬の小さな旅。それが、気が付けば石神井川を上る旅に変わっていた。

自分はあることに身をゆだねて冒険して、精神がドライヴしてくるとどんどんと脱線していく。いつも当初の目的から逸脱して、全く予期していない場所まで行ってしまう。歩いていても、室内で絵を描いていても、仕事していても、必ずそんな道をたどる。自分の分裂気質がなせるワザ。

だが、一方では、こういう解釈はこうして後から振り返るから言えることに過ぎない。その瞬間・その瞬間、興味がある方向に進んでいけば、必ずこういう流れになるはずだ。異常ではない。そう言い聞かせ、そのときそのときを大事にしている。

石神井川を上る道には、元々何だったかのか?不思議な一帯が現れる。

地上げでまとめた土地を一帯開発してマンションを建てたのだろう。川端に現れた「しらじらしい」「こぎれいな」マンション。その谷間に元々あったのだろう、手つかずで放置され取り残された小屋。大竹伸朗さんじゃないが、色を塗って作品にしたい魅力的な小屋の風体。

蛇行する石神井川を歩いていくと、金沢橋で王子新道と再び交差した。そこからしばし石神井川を離れ、王子新道を進む。少し行くと目の前には踏切。板橋と十条の真ん中、そのJR埼京線の踏切を渡った。渡る際少し線路の先を視線でたどると、そこにはサンシャイン60があり、ホッとする。

渡ると急こう配の上り道に変わる。橋を渡った途端、そこは「北区滝野川」。

今では細かい住所の確認が早々取れないけれど、亡き母が生まれた場所。親しみのある場所。少し行くと王子神社。そして懐かしいデザインの街灯が現れる。三ノ輪生まれの自分には、昭和から変わらないと感じさせる数少ない風景。

都電荒川線と並んでスロープの坂道を王子駅まで下る。

そして、駅まで来ると、再び石神井川に出会う。どこか温泉街のような川岸と水面までの切れ込み。

帰りは三人で再びお茶を飲み、ピザを少しつまんでから解散した。

昔からおなじみのバスロータリー、そして、サンスクエアは健在だった。

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おもひでの街:板橋(2024年9月21日)板橋区役所-仲宿商店街-石神井川

2024-10-11 23:00:00 | 写真日和

いつも3人で歩く時も/一人で歩く時も、ほとんど無計画にいきあたりばったりで歩く。この日もだいたいの感じで適当に歩いていた。

山手通り(中山道)にぶち当たるとさすがにそれでも地図を視た。高速があっちこっちと絡み合うジャンクションの様相。。。ハッピーロード~遊座大山と直線で来た道から少し逸れて板橋区役所に向かった。区役所の中にある食堂や喫茶に興味があり、ここで一服しようと企んでいたが、この土曜日は営業していなかった。残念だが、ここのラーメンもまた次回。。。

役所を出てしばし王子新道を歩くと、広い十字路がひらけた。

そこは、かつて板橋宿があった場所。 交差点には「旧中山道仲宿」という表示。

歩いてきた王子新道に十字に交わった道は、中山道の一本内側に当たる旧中山道。そして仲宿商店街が道なりに続く。

商店街の終わりだろうか?お店と人が切れたあたりに橋が現れた。

その橋の欄干の表示を見ると「板橋」とある。“板橋区”の板橋とはこの橋が由来なんだそうだ。またここには「距日本橋(=日本橋まで)二里二十五町三十三間」と書いた道標が立っている。

江戸時代、この板橋は江戸の境となっていたらしい。江戸を離れる人、それに江戸へ戻ってくる人を、江戸中心のひとつ手前の宿場ここ「板橋宿」で宴の場を持つ風習があったという。中山道の先へ向かう人や江戸に戻ってきた人が、「まあ、いっぱい呑んで・・・」とやっていたのだ。この辺りにはもう全く江戸の名残はないけれども、往来で静かにたたずみ、かつてのことを夢想してみた。

“板橋”の下に流れていたのは石神井川。川に沿って道が続き、初めて歩くその場所をさらに探索すべく、川の脇道を歩くことにした。いったいどこまでどんな風につながっているのか、それを知りたくなった。途中、小雨が降り出したが傘はない。やむなく小雨に濡れながら、3人話しをしながら川端を歩く。

”板橋”を振り返って撮影してみる。

左側に見えるは帝京大学医学部付属病院。

小雨が降り出した。

 鬱蒼とした川端をすすむ。

汗だくで歩くうち、17時が近付く。

赤味が差していた光は、まもなく日没へと向かっていく。

遠く彼方にかすかだけど、下町の目印スカイツリーが見えると少しほっとする。

***今夜のPC作業中BGMより一曲***

■ピーター・ヌートン&マイケル・ブルック 「サーチング」1987■

いっとき聴き狂った 大好きなアルバム「Sleeps with the Fishes」(1987年10月12日イギリス発売)より。

通して聴くと、水生生物になって深遠な異世界にトリップできる一枚。発売から37年、未だその効能は有効なり。

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おもひでの街:大山(2024年9月21日)ハッピーロード→遊座大山

2024-10-08 22:00:10 | 写真日和

ハッピーロードは、この日がくもりで薄暗かったせいもあるが、思った以上に暗く感じた。天気やアーケードの照度だけではない暗さ。コロナ前後、ジョイフル三ノ輪を歩いたときにも感じた暗さ。それは言うまでもない死活問題の暗さなのだが、そんな暗さの一方、商店街には商売・カネ・経済で割り切ることが出来ない不可思議なものがあちこちに満ちていて、そんなほのかなあかりが存続していることには安堵する。

お手製の看板やサイン、手書きの文字やイラスト、飾られた写真などオリジナリティあふれる手ざわりにグッとくる。

道中でも、演歌?それとも歌謡曲だろうか?聴いたことの無いミュージシャン(!)のポスターを発見。。。その後、歩いていくと、その「レイモンド鍵ヤ」さんのお店というか拠点案内が。。。(その中にいきなり入るのは時間もなく、素人として危険と判断し、次回行くことにした。)

「立小」という省略語に唸る。

大山ハッピーロードを歩きながら、お昼ごはんを物色していたが、3人して入ったのは商店街を抜けた先、川越街道に面したお店だった。商店街には数件中華屋さんがあったが、どうもこの日の気分から決め手に欠いていたところ・・・商店街を抜けた場所にあったこのお店は「ベトナム・中華料理」と書いてあり「あそこって、どういう料理なんだろうね?」と3人。またもや不可思議が理由となって、誘われて入店。

入ってみるとベトナム料理・中華料理が両方存在するお店。フォーが食べたいという3人は、フォーと生春巻きのランチセットを頂いた。時はすでに1時半を過ぎていた。ランチタイムを外したおかげで店内は空いていて、丁度良い頃合い。

室内にはエスニックな調度品やらいろいろ。自分は金魚たちが泳ぐ水槽の横に座り、他2人が従って座った。(ほかの人たちはわざわざそんな席を選ばないだろう。)金魚がぽわーんと浮かぶように水の中にたゆたう、その様を見ながらかなりのボリュームのフォーを平らげた。

食事のあと、大山ハッピーロードをもう一度歩き抜け、その商店街を後にした。東武東上線の線路を渡った向こう側はアーケードは無いが、別の商店街「遊座大山商店街」。

昭和25年大山ピース通り商店会として発足して以降、名称は様々な変遷があったよう。板橋区民会館(現・板橋区立文化会館)が出来た頃には「板橋区民館通り商店街」と呼ばれていたという。その通りを歩き、その板橋区立文化会館に差し掛かると戦メリのポスターを発見。つい1枚シャッターを切った。今年の暮れ12月20日に上映予定のキップが販売中。「その姿と音楽よ、永遠なれ。」そんなコピー。教授が亡くなった事を受けて、最近ではすっかりこの映画は教授とボウイのものとなってしまった。

文化会館を通過し、さらに歩いていくと目の前に横切るような高速が見えてくる。遊座大山商店街は、山手通り(中山道)に交わるところで終わる。 さて、これからどこを歩こうか?と3人話す。この大通りの信号を渡って別の場所へと移動した。

(つづく)

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おもひでの街:大山(2024年9月21日)

2024-10-05 18:00:00 | 写真日和

この9月、ひさしぶりに親友MZ師・ハブ噛み師匠と会うことができた。

かつては毎週のように会っては、ひたすら街歩きをしていた仲間たち。1人が結婚してから、今では一年に何度か出会えれば良い感じになってしまった。

でも、せっかく会うのだから、と今まで3人で歩いていない場所を歩きたいと言ったのは私で、大山のハッピーロードで会おうという提案が通った。池袋から出ている東武東上線で3つ目の駅「大山」で降りた。

 

にぎやかな商店街「ハッピーロード」があるのは知っていたが、そこに降り立ったのは50数年目にして初めてだと思う。

しかし、今生(こんじょう)では初めてのはずの場所も、これまた過去いつの時代にか?来たような気がする。それは自分が生まれ育った場所・三ノ輪にある長い商店街「ジョイフル三ノ輪」と同じ匂いを感じるからかもしれない。身長1メートルに満たない幼児の頃からよく徘徊していた商店街の人間臭い空気に親しみを感じる。

知らない街を 歩いてみたい、どこか遠くへ 行きたい。。

自分を含めてある類の人間もそうだが、“失われた数十年”そして、そこに最終ボディーブローのような”コロナ禍“というパンチを喰らい、商店や商店街はたったこの数年でそれまでのあり方を見直したり変化することを要求されてきている。再開発という問題はどこでも付き物だが、この通りも再開発の波が迫っているようだ。少し前にデモの様子を知ったが、歩いてみるとすでに商店街の一部のアーケードは解体・撤去されていた。

商店街は途中でストンと切断され、唐突に長谷工のマークと建設中のビルが登場する。切断されたところにはかつてお店があったのだろうが、数十メートル何もない地区が現れる。ブチ切られたアーケードの端が見え、商店街を歩いていた人たちは建設中のビルと重機の横を通っていく。

商店街はにぎわう場所と閑散とした場所があるものだが、店じまいや移転をした人もいたのだろう。切断されたあたりには既にお店がなくなりつつあった。アーケードの端に幕を巻いた姿は、まるで戦渦で手足を切断され包帯を巻いたありさまのようで痛々しく感じた。

(つづく)

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夏に向かう日々と100曲: サマー・オブ・2024 ”僕の宗教”

2024-07-18 22:45:00 | 写真日和

本日も個人的備忘録。

今のじぶんは、光熱費の支払いすら困るくらいの“すずめの涙”程度の収入で生きている。

物価は高騰するは、医療費はかさむは・・・。毎月赤字で生きているこの数年。

しかし、そんな“カネ“のゼロの数ばかりながめ、プラス/マイナスにだけ注視して生きていてもまるで味わいの無いコスパ野郎の人生みたいで、”後は死ぬだけ”な生活になってしまう。ということで、出来るだけカネはあまり気にしないように、”まあ何とかな~るだろう~“と植木等ばりの適当さで生きている。結果がどうなるかは神のみぞ知る世界。。。

***

・・・絶望に満ちた現代のこのクニは、無理矢理祝日を動かして連休を増やしてきている。やたらクニが作り出したそんな最近の祝日や連休は、基本“カネ“を使わせるためにある。本来はそれに忠実に従い、カネを落としてくれる”正しい家族”だけがレジャーを楽しむ時間なんだろう。

自分みたいな貧乏人は小さい頃から”正しい家族”が行くようなレジャー場所など無縁で育った。昔の用語「ヨソはヨソ/ウチはウチ」ではないが、家族が全員でにこやかにどこかへ一緒に行く、なんていうこととは無縁であり、行きたくもなかった。一緒に行った数少ない機会も、全員がバラバラで、問題行動や喧嘩やいさかいなど、想い出すにも恥ずかしいありさまであった。

今の自分らはクニからすれば”正しい家族”ではない“まがいものの家族”。

どこか代表的なレジャー場所に行くことについて、大して価値を見い出していない者同士が集まった家族。まあそれでも、たまには”正しい家族“が行くような場所に行って、NHKニュース記事の映像のバックに流れるみたいな、そんな人たちがするような笑顔のふりをして楽しんでみるのも良いだろう。。。

ということで、・・・肺炎にやられてダウンしていた数週間を経て、治癒へ向かうさなか。。。この連休(13-15日)に”ちかてつ博物館“に行ってきた。入場料は、おとな一人当たり220円と懐に優しい。

実は、自分は小学1年生のときから小中9年間も越境入学を強いられ、地下鉄で下町から赤坂まで、蒼い顔でゲロを吐きながら1時間かけて通学していた。まだ身の回りもロクに分からない6歳児のときからのそんな通学経験によって、かなり長い間地下鉄に夢中な“ちかてつ少年”だった。

しかし、その割には”ちかてつ博物館“は初体験だった。

・・・というのも、この博物館が出来たのは1986年のこと。もう自分はすでに大きくなり、“ちかてつ少年”ではないところに居たからである。それでもいつかは一度は行ってみようと思いながら来られなかった博物館。。。

この博物館がある葛西駅という場所は、絶縁した会社に依存した社畜が多く住まう鬼門だが、そんなクソな悪縁は吹いて飛ばし、思い切って38年目にして初上陸してみた。

★本日の一曲

この曲は1990年当時、小林克也さんサイドがnack5で放送していた“続・スネークマンショー”でコントのはざまに掛かったもの。80年代から90年代に向け学会等新興宗教がバブルの如く巨大に膨張し、勢力を伸ばしていた。そんな怪しい時代の中、空気を引き裂くように、あえて軽~く安易な歌い方でもって 宗教(あるいは人や思想を妄信するありさま)を揶揄している様が心地良い一曲だった。半分笑いつつ好きになったこの曲。エアチェックしたカセットを一時はヘヴィーローテーションでかけていた。今聴いても大槻さんのこの唄は素晴らしい。

本日11:00、東京の梅雨明け宣言アリ。そんな夏の日の始まりにも景気付けにも良い曲かもしれない。。。

■筋肉少女帯「僕の宗教へようこそ (Welcome to my religion)」1990■

わたしは“ゆりこ教“でもNo.2の応援団でもない。そもそも彼らには投票していない。

いくら狂っても、そんなおかしな宗教は信じないし所属しない。

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航海日誌:あらためて ねことくらす2

2024-02-16 11:00:00 | 写真日和

ネコがやってきてから、ネコもじぶんも今までとは違う住まい方になり、しばらくは落ち着かない日々が続いている。
最初はケージの中で隠れていた彼らも、数日経ってからだんだんと生活空間の把握していくため、パトロールをはじめた。
私はその付き添い。いや、付き添いというかハラハラしながらの見張り。

彼らが来るに際して大量のカセット、レコードやCDやら雑誌類やらチラシ紙類等々・・・片付けたけれど、その片付けがいかに突貫工事だったか?は彼らがずんずん空間を歩き続けることで明らかになっていく。(正直に言えば、“片付けた”というよりは“積み直した“が正解かもしれない。)
足場が悪い箇所は、彼らがみごとにひっくり返してくれる。
あああ、と見に行くと、雑多なモノが散乱する現場。
仕方ないので、ゆかに這いつくばって至急片付けをする。その視界の隅っこで、彼らはまるで火事場の野次馬みたいな態勢。「あら何があったのかしら?」という顔つきで、まるで他人ごとのように現場を眺めているという始末。かわいいけど、ちくしょう!と思う。

そうして、現場復旧をしていくことで、しだいに少しづつだが、彼らが望むことと私の荷物整理が折り合うような地点に近づいていくのだろうか?。それなら幸せな話の展開だが、今時点ではまだまだ、そんな落ち着く室内整備には遠いような気がしている。

ハロウィンだクリスマスだといった騒ぎに隠れてしまったかのようなヴァレンタイン。
そう思うのは、会社に属さなくなった自分が何も知らないだけなのだろうか?仕事場ほぼ全員に統一して配る 大量の義理チョコをもらって帰っていたのも遠い日。本来は一個だけで良いはずだから、このクニ伝統の大騒ぎが沈静化している今のほうが意味があるのかもしれない。
数日前からヴァレンタインがテーマになった曲を聴いていた。昔のカセットやレコード、CDをひっくり返して。
チェット・ベイカーやコステロのカバーもいいけど、ABCやブライアン・フェリーの曲も捨てがたい。そう言っている間にヴァレンタイン・デイを過ぎてしまった。毎日色々感じながらもトロいのであっという間に2日も過ぎてしまった。

■ABC「Valentine's Day」1982■
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航海日誌:あらためて ねことくらす

2024-02-10 15:00:00 | 写真日和

【ひなたぼっこちゅう。】

みうらじゅん先生はかつて言っていた。
「家にモノが増えたから→整理する、という発想じゃなくて、アグレッシヴにより広い棲み処(すみか)に引っ越すのだ。最後はミュージアム(博物館)にすればいい」(意訳)。
その発想に影響を受けて=真に受けて、独り身だったのに”より大きな空間へと引越・脱出”してきたせいで、膨大にふくらんだ荷物が長年 室内にあふれていた。その棲み家に急遽ネコをむかえることになり、昨年から必死に荷物を整理してきた。(この言葉は好きではないが)世に謂う“断捨離“”終活“第一段である。
新たにネコと暮らすので”終活“と言っては、ネコに失礼だから、そうは言わないけれど。

“膨大にふくらんだ荷物”とは言うけれど、今まで何も手をかけてこなかったわけではない。
コロナ禍に入る寸前にドクターストップで休職となったおかげで 荷物整理する時間が出来て、室内荷物は少しづつ圧縮されてきた。ただそうは言えど、今回はそんなことでは追いつかないのは明らか。物理的にスペースが必要なのだ!同居人が動けるスペースが。
しかも、この来たる同居人は「言語」では話し合えず 説得しきれない。また、”この人たち”は”超極楽自由人”なのである。
つまり、自由人対自由人の対決ならぬ同居となるのだ。
しかし、諸条件からして 今回はじぶんが折れるしかない、と思い、やむなくスペースを開けるための突貫工事が昨年から始まった。

・・・その後むかえるまでのすったもんだの数十日があり、何とか彼らを迎える日が来たけれど。。。
彼らが来て二週間くらいが経った。

貧乏部屋のYMO関連CDがある棚にも、彼らからの攻撃の危険を感じる昨今。
冬の昼下がり。
細野さんコーナーにあるミカドのCDを聴く。

■ミカド「冬のノフラージュ」1984■
ミカドは、チープな楽器で創られた 初期クレプスキュールの楽曲がとても好きだった。
そこからすると「冬のノフラージュ」は少しお金がかかっている感覚で、本来の良さからずれてしまい、当時のじぶんはかなり寂しくなったものだけど、、、。
いろいろな想い出が交錯するが、なによりも細野さんが関わった作品だし、素晴らしい、と言っておこう。今では12インチレコードもCDも持っている。
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写真日誌:初雪

2024-02-06 18:00:00 | 写真日和

調べると今年の東京の初雪は1月13日とのこと。
でも、私にとっては昨夜が初雪。
花曇り、などと冬を舐めていたら ズドンとやられた。

昨夜 用事からの帰り道、手足がちぎれそうにつべたかった。
手指はかじかみ、履きつぶしたくつからは水が浸入して足指は凍痛という始末。

そんな中でもカメラを離さず、数枚シャッターを切った。
雪は景色から色を奪って、全てをモノクロームの世界に変えていった。

スカイツリーもこの夜は全く見えない。











■Sketch Show「Scotoma」2003■



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写真日誌:冬の花曇り

2024-02-02 12:00:00 | 写真日和

「花曇り ジュウガツザクラ 冬サクラ・・・。」

花曇り、とは本来 春のサクラの季節のことば。
気温が上昇し、草木の活動が活発になり、黄砂が飛んだり、景色がぼんやりとした陽気の日に「花曇り」、とふと思う。
冬の日に寒さが空気をキリっとさせ、モノの輪郭をはっきりさせるのと相反する。

そんな春のことばを持ち出すほどに、昨日はかなり暖かい午前だった。
気温は16度にまで上がって、まるで春の陽気。
十月サクラと冬サクラが並んで咲いていた。

このままだったら、春は早い。。。
そう思ったが、午後になって急激に気温が低下し、突風とともに冬に戻っていった。


春の花曇りの日になると、好んでこの曲を聴く。
淡い音の輪郭、大貫妙子さんのふわーっとしたコーラスの美しさ。
曲が進んでいくとともに こちらの体内にじんわりと染みてくる。

■矢野顕子「素顔」1986■

服のように
簡単に顔をぬげなくて
苦しい

声をかければ楽になるが
瞬間に
逃げてしまうだろう
気持をこらえて

目を中心に
ものすごい速さで混み合う
あなたの表情を
両手で支え
くるしんでいるうちに

呼吸をするように
ふっと
素顔になる

目を閉じる
しきりに何か降ってくる
真昼

ドラム:高橋幸宏
ギター:大村憲司
ピアノ:矢野顕子
エレクトリックピアノ、シンセサイザー:坂本龍一
バックグラウンドヴォーカル:大貫妙子
プロデュース:矢野顕子&坂本龍一




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