ルリマツリが咲いた。
意味不明の三流くそコピー。
■David Bowie 「Look Back In Anger(怒りをこめてふり返れ)」1979■
東京五輪を巡るお芝居。かけひきはまだまだ続く。
芝居の結末はまだわからない。
B面は、7月2日「渋谷陽一のサウンドストリート」でエアチェックしたものが中心となっている。
総体的にB面は、ニューウェイヴというより新譜プラスアルファ。
しかし、みんなニューウェイヴと無縁か?と言えば、なんらかの引っ掛かりがある音楽である。
ピストルズからPILへと展開していったジョン・ライドンが言った「ロックでなければ何でもいい」じゃないが、ニューウェイヴそのものがロック以外のあちこちにあるスタイルを(ある意味節操なく)吸収して、「つくろい」を変化させていったように、受け手側も様々なスタイルの変化・ありように新しい音の萌芽を見い出していた。
それはYMOが取り組んだ歌謡曲や演歌も同様なように。
このカセットの曲たちはじぶんにとってそんなもの。
ただし、最後のボウイだけが別。彼はニューウェイヴなるものの最たる起源であり先駆者だから。
B面
1/ミッシング・パーソンズ「メンタル・ポップスコッチ」
・2021年現在この曲を聴くと「まっすぐなロック」だろうが、当時はアメリカのニューウェイヴバンド(!)と喜んで聴いていた。
8月発売の4曲入りミニLPが彼らのデビュー盤。ヴォーカルのデイル・ボッジオのポートレイトとバンド名表記だけのジャケットデザインが秀逸。
2/パーラメント「Pin The Tale On The Funky」
3/パーラメント「May We Bang You?」
・パーラメント/ファンカデリックの存在を初めて知ったのは、前年(1981)の教授のサウンドストリートだった。
この2曲が入ったアルバム「Gloryhallastoopid」は1979年発表の作品。このアルバムを含む4枚の作品が遅ればせながら1982年6月に国内発売となった。
渋谷さんがある意味での新譜として紹介してくれた。
4/ブラック・ウフル「アイ・ラブ・キング・セラシー(ライブ)」
・「レゲエ」を初めて聴いたのはボブ・マーリーだったが、初めて買ったレコードはブラック・ウフルの「RED」(1981)だった。
1982年6月発表のライブアルバム「ザ・ライブ ~ティア・イット・アップ~」より1曲。
キャッチーな曲「アイ・ラブ・キング・セラシー」のオリジナルは1977年のデビューアルバムに収録されている。
レゲエはこの当時から今まで、具体的なライブ映像よりも映像抜きで、南洋の海や空を脳に抱いてリラックスして聴いていたい。
5/フォーカス「ファーザー・バッハ」
・フォーカスはオランダのプログレバンド。この曲を含むアルバム「マザー・フォーカス」は1975年発表の作品。
「ファーザー・バッハ」はアルバムB面最後の曲。1分数十秒の短い曲。
6/デヴィッド・ボウイ「スペース・オディティ」
・今更言うまでもないボウイ初期(1969年)の名曲。
「ロウ」「ヒーローズ」はLP通して聴いていたが、初期作品について大した情報も無い状況で、1982年7月の夜初めてこの曲を聴いた。
下記は1990年全世界で大々的に行った「サウンド&ヴィジョンツアー」の東京公演の映像。ボウイ43歳の姿。
当時NHKでこのボウイの長時間にわたるライブが放送された。それを収めたビデオテープはどこかに行ってしまったけれども、
「スペース・オディティ」が流れ出して始まるライブのイントロは実に感動的だった。
曲の最後の方でエイドリアン・ブリューがボウイの横に現れる。
2021年、ひさびさにこの名曲をヘッドフォンで聴いて、ぞわぞわと鳥肌が立った。
■David Bowie 「Space Oddity」 (1990 Sound and Vision tour - Tokyo, JP)■
五輪がもし開催されるならそれはただ残念でしかない。
開催されても/しなくても、
徹頭徹尾、最初から最後までこの企画が踏んだプロセスに対する疑念は晴れない。
■RCサクセション 「風に吹かれて」1988(From Album「Covers」)■
どれだけ遠くまで歩けば 大人になれるの?
どれだけ金を払えば 満足できるの?
どれだけミサイルが飛んだら 戦争が終わるの?
その答えは風の中さ
風が知ってるだけさ
いつまで追っかけられたら 静かに眠れるの?
どれだけテレビが歌えば 自由になれるの?
いつまでニュースを見てたら 平和な日が来るの?
その答えは風の中さ
風が知ってるだけさ
どれだけ強くなれたら 安心できるの?
どれだけ噓をついたら 信用できるの?
いつまで傷つけ合ったら 仲良くできるの?
その答えは風の中さ
風が知ってるだけさ
したがって
どれだけ風が吹いたら 解決できるの?
どれだけ人が死んだら 悲しくなくなるの?
どれだけ子供が飢えたら 何かが出来るの?
その答えは風の中さ
風が知ってるだけさ
このカセットA面は、すべてクロスオーバーイレブンからのエアチェックだったと思う。
まさに15(歳)の夜。その夜にヘッドフォンを付けてFMチューニングしては録音していた頃のもの。
A面
1/ヘアカット100「ファンタスティック・デイ」
・1980年がテクノ、1981年はニューロマンティックスの年とすると、1982年はファンカラティーナの年だった。
ニューウェイヴもエスノから南洋の音楽との融合へと向かっていた時期。
この年4月に発表されたヘアカット100の「ペリカン・ウエスト」には、続々とシングル盤としてヒットした曲たちが収まっていた。
当時日本のCM(ホンダの「タクト」)にも「フェイヴァリット・シャツ」が採用される一方で、ヘアカット100は音楽評論家からは「ケーハク」と酷評された。
明るく軽快な類の音楽だから、そう カタイことを言われてもね、、、と思う。
晴れた日にリハビリとして休み休み歩いていると、病人でも陽気な気分になって、1982年初夏に出会ったこれらの曲が脳裏で鳴り出す事がある。
それは決して、単なる個人的な懐古趣味がもたらす作用ではない。
2/フィクス「ザ・フール」
・のちにヒットを飛ばすフィクスのファーストアルバム「密室」(8月21日発売)収録曲。
他の曲を聴くとかなりありきたりな”ロック”的音楽でがっかりするが、「ザ・フール」はルパート・ハインのプロデュース色が濃い名曲。
毎年夏の夜に聴きたくなる1曲。
3/ブロンディ「誘惑の楽園」
・1982年6月発表のアルバム「ザ・ハンター」からのシングルカット曲。
下記はアルバム評の一例。小貫さんも北中さんも、さすが言い得て妙、な言い回しをしている。[(中村)とうようさんのコメントはかなりキツイので割愛。]
「彼らの場合、どんなに流行を安直に取り入れようと、それだけでは切り捨てられない歴史と伝統がある。
やっぱデビーはいい歌手だ。確固たる個性のある人ならたとえどんなデザインの服を着ても自分を失わないかのように、各トラックごとの変化がそのまま彼女を引き立たせる。
昨日2万円落として少し元気のないカルメン・ミランダが腰痛を押して録音したような「誘惑の楽園」が特によく、絵空事、世にはばかる、という感じの原宿キッス。」(小貫信昭)
「やりてばばあ、とまではいかなくても、客あしらいのうまいホステスさんに、何の苦もなくひねられて、遊んだのは遊んだけど、もうひとつ気分がすっきりせんような気がする、などと思ってしまうのは、ぼくが無粋な人間なんだからだろうなあ。ああ、でも、好きだァ。
・・・(中略)・・・アルバムを出すごとにポップポップした軽さにかわって、シリアスな重さが少しずつ増えてきたのは、個人的趣味としては残念。」(北中正和)
1982年春から夏へ向けて、ファンカラティーナ的な南洋のニュアンスをはらんだ音楽が多い中、この曲もトロピカルなムードをたたえていて心地良かった。
ブロンディはこのアルバムを最後に解散する。
4/キャメル「ヒーローズ」
5/キャメル「セルヴァ」
・国内では8月25日発売となったアルバム「シングル・ファクター」の収録曲。「セルヴァ」はこの後、クロスオーバーイレブンで何回も曲と曲を繋ぐブリッジとしてよく使われる1曲となった。
メロディアスで美しいギターとシンセが絡み合うこの曲を、少年はよく夜のしじまに聴いた。