今、フダンソウという草を育てている。
漢字では不断草と書く野菜。
この休みの日曜日に、86歳の「かあさん」からもらったものである。
「かあさん」は、これをお味噌汁に入れたりして、食しているという。
フダンソウ以外にも、植えたニラを抜いて、匂いをかがせてくれた上「持って帰れ」と持たせてくれた。
仕事の無い日に、島めぐりをするのは、今の愉しみだが、花草が美しく咲き乱れる季節には、道端に咲いたお花や青々した草にシャッターを向ける。
特に好きないつもの道や角っ子の今日は、どんな具合になっているかな?」。
日曜日にも、とあるお気に入りの道、10m近い長さに植わった花草を眺めていた。
ところ狭しと色んな種類の花草が、どんな季節にも眼に潤いを与えてくれる場所。
写真を撮るため、自転車に乗った方を見送りつつ、人のじゃまにならない状況になってから、シャッターを切った。
対象は、アジサイである。
そうすると、後ろから86歳の「かあさん」が。。。
自分は、「いやぁ、とっても鮮やかな色をしていたもので。」と、煙たがられた場合の言い訳をしつつも、営業トークのように「かあさん」に声を掛け・口上を述べていく。
しかし、「かあさん」の方は、自分を不審げとは思わず、「私がみんな育てとるんよ」と話し出した。
【「かあさん」作のきゅうり】
「かあさん」からの講話説教は、道端で約1時間半に及んだ。
説教とは「叱られた」という意味では無い。
どう生きるべきかを、「かあさん」の人生を聞いていった結果のことである。
本当にたくさんの種類のお花と野菜たち。それを全部説明してくれて、この20年近く掛けてここまで広げてきた経緯を聞いた。
86歳とは思えない声の大きさ。気取りが一切ないべらんめえ口調と大笑い。
ただ音量が大きいのでは無い。ハラから出ている声である点がすごいのだ。
途中、自転車で寄られた近所の奥さん。2人で見るアジサイの前に、自転車が止まる。
「どーしたら、こんな色良く咲くの?
こないだ墨田区(催事などでだろう)からアジサイ貰ったけれど、全然花が咲かないのよ。
どうしたらいいの?」
かあさん「何、上げとるん?」
奥さん「何って。。。お水。」
かあさん「水しかやっとらんのかいな!?」
奥さん「そうよ。」
かあさん「そりゃ、咲かねえわな。」
奥さん「じゃあ、どんな肥料がいいの?」
かあさん「咲かねえな。こんな時期になってから、肥料上げたって手遅れだわ。
うちのアジサイ、色が良くなった頃合いで、またおいで。1つ上げるから。」
「かあさん」の育てた花草は、どれもが元気で、花は確かに美しい。
だからこそ、自分はこの道が好きで、よく立ち寄っていたのだった。
土も、それを防御する板も、工事現場に行って、現場の人に断りを入れた上で貰ってきたという。
雨の日、風の強い日、カンカン照りの日、、、毎日毎日、4~5時間もかけて面倒を見るのだ。
かあさん「そりゃあ、もう40歳まで苦労多かったからねえ。
もう仕事を引退したから、時間を掛けられるんだけどね。」
元々は、押し花教室に通ったのがきっかけだった。
お花を扱っているうち、興味が深まり20年前に少しづつ始めた園芸が、次第に種類を増やしながら広がっていったらしい。
さすがだなあ、と思ったのは、四季おりおりの花と草を上手に配置していること。
花や草は、それぞれが輝く季節を持っている。
「かあさん」はそれを熟知の上で、春夏の中では、空いた場所に秋冬ものを育て出し、四季おりおりに季節を感じさせる花草が見られる工夫。
「自分も、昨年はゴーヤを育てたりしまして。今日も、色々道具を買ってきたんですが。。。
いろいろ調べては、プランターで育てているんですが、なかなか難しいですね。」
ちょうど手に持っていたのは追加購入したプランター。
かあさん「そんな調べても分からんよ。自分で育ててみて実体験しながらじゃなきゃ。」
最後の頃、話していた会話が印象的だった。
「さっき来た奥さんみたいのに、花なんか咲かせられるかいな。
水だけ上げたってダメさ。草だって旨いメシだって喰いたいときだってあれば、酒も呑みてえわな。
人間だってそうだろ?
お前喰いもんとカネ置いとくから、勝手に生きろ、って具合じゃ、ロクなヤツは出来ねえ。
毎日毎日愛情注いで育てるから、花だって咲いてくれるんだ。
全部の生き物の基本は植物。植物が二酸化炭素を酸素にしてくれている。
それで、あたしもあんたも生かされておる。」
自分「はい。そうでございますねえ。」
まるで映画「男はつらいよ」での、御前様演じる笠智衆さんに教えを乞うて、下を向いた寅さんの図のような風景。
「大荒地野菊というのがあって、そんな隙間にゴーヤが。。。」という点は、「かあさん」に徹底的に言われて帰り、菊はプランターから抜いて、離れた場所に、持っていた鉢に植えた。
手を掛けて上げねばならない草と、自ら風来坊として放っておいても育つ草は分けねばならない。
そうして、帰った勢いで整えたベランダのプランターはきれいになった。
漢字では不断草と書く野菜。
この休みの日曜日に、86歳の「かあさん」からもらったものである。
「かあさん」は、これをお味噌汁に入れたりして、食しているという。
フダンソウ以外にも、植えたニラを抜いて、匂いをかがせてくれた上「持って帰れ」と持たせてくれた。
仕事の無い日に、島めぐりをするのは、今の愉しみだが、花草が美しく咲き乱れる季節には、道端に咲いたお花や青々した草にシャッターを向ける。
特に好きないつもの道や角っ子の今日は、どんな具合になっているかな?」。
日曜日にも、とあるお気に入りの道、10m近い長さに植わった花草を眺めていた。
ところ狭しと色んな種類の花草が、どんな季節にも眼に潤いを与えてくれる場所。
写真を撮るため、自転車に乗った方を見送りつつ、人のじゃまにならない状況になってから、シャッターを切った。
対象は、アジサイである。
そうすると、後ろから86歳の「かあさん」が。。。
自分は、「いやぁ、とっても鮮やかな色をしていたもので。」と、煙たがられた場合の言い訳をしつつも、営業トークのように「かあさん」に声を掛け・口上を述べていく。
しかし、「かあさん」の方は、自分を不審げとは思わず、「私がみんな育てとるんよ」と話し出した。
【「かあさん」作のきゅうり】
「かあさん」からの講話説教は、道端で約1時間半に及んだ。
説教とは「叱られた」という意味では無い。
どう生きるべきかを、「かあさん」の人生を聞いていった結果のことである。
本当にたくさんの種類のお花と野菜たち。それを全部説明してくれて、この20年近く掛けてここまで広げてきた経緯を聞いた。
86歳とは思えない声の大きさ。気取りが一切ないべらんめえ口調と大笑い。
ただ音量が大きいのでは無い。ハラから出ている声である点がすごいのだ。
途中、自転車で寄られた近所の奥さん。2人で見るアジサイの前に、自転車が止まる。
「どーしたら、こんな色良く咲くの?
こないだ墨田区(催事などでだろう)からアジサイ貰ったけれど、全然花が咲かないのよ。
どうしたらいいの?」
かあさん「何、上げとるん?」
奥さん「何って。。。お水。」
かあさん「水しかやっとらんのかいな!?」
奥さん「そうよ。」
かあさん「そりゃ、咲かねえわな。」
奥さん「じゃあ、どんな肥料がいいの?」
かあさん「咲かねえな。こんな時期になってから、肥料上げたって手遅れだわ。
うちのアジサイ、色が良くなった頃合いで、またおいで。1つ上げるから。」
「かあさん」の育てた花草は、どれもが元気で、花は確かに美しい。
だからこそ、自分はこの道が好きで、よく立ち寄っていたのだった。
土も、それを防御する板も、工事現場に行って、現場の人に断りを入れた上で貰ってきたという。
雨の日、風の強い日、カンカン照りの日、、、毎日毎日、4~5時間もかけて面倒を見るのだ。
かあさん「そりゃあ、もう40歳まで苦労多かったからねえ。
もう仕事を引退したから、時間を掛けられるんだけどね。」
元々は、押し花教室に通ったのがきっかけだった。
お花を扱っているうち、興味が深まり20年前に少しづつ始めた園芸が、次第に種類を増やしながら広がっていったらしい。
さすがだなあ、と思ったのは、四季おりおりの花と草を上手に配置していること。
花や草は、それぞれが輝く季節を持っている。
「かあさん」はそれを熟知の上で、春夏の中では、空いた場所に秋冬ものを育て出し、四季おりおりに季節を感じさせる花草が見られる工夫。
「自分も、昨年はゴーヤを育てたりしまして。今日も、色々道具を買ってきたんですが。。。
いろいろ調べては、プランターで育てているんですが、なかなか難しいですね。」
ちょうど手に持っていたのは追加購入したプランター。
かあさん「そんな調べても分からんよ。自分で育ててみて実体験しながらじゃなきゃ。」
最後の頃、話していた会話が印象的だった。
「さっき来た奥さんみたいのに、花なんか咲かせられるかいな。
水だけ上げたってダメさ。草だって旨いメシだって喰いたいときだってあれば、酒も呑みてえわな。
人間だってそうだろ?
お前喰いもんとカネ置いとくから、勝手に生きろ、って具合じゃ、ロクなヤツは出来ねえ。
毎日毎日愛情注いで育てるから、花だって咲いてくれるんだ。
全部の生き物の基本は植物。植物が二酸化炭素を酸素にしてくれている。
それで、あたしもあんたも生かされておる。」
自分「はい。そうでございますねえ。」
まるで映画「男はつらいよ」での、御前様演じる笠智衆さんに教えを乞うて、下を向いた寅さんの図のような風景。
「大荒地野菊というのがあって、そんな隙間にゴーヤが。。。」という点は、「かあさん」に徹底的に言われて帰り、菊はプランターから抜いて、離れた場所に、持っていた鉢に植えた。
手を掛けて上げねばならない草と、自ら風来坊として放っておいても育つ草は分けねばならない。
そうして、帰った勢いで整えたベランダのプランターはきれいになった。