こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:3RD MAN 「Oral Pleasure/Pleasure Recycled」1982年

2020-11-28 18:00:00 | 音楽帳


中央の「3RD MAN」という文字表記と足から血を流す白い天使の石像。
そんなジャケットデザインのシングル盤。このシングル盤は、中古レコード店のエサ箱で、昔よく見た。
昔とは80年代のことで、場所的にはお茶の水のディスクユニオンが多かった。

中古レコード店に行くたびに、いつもナゾに思うレコード盤があった。
必ず中古でエサ箱にある定番レコード。しかし、その中身を聴くことが出来なかったので、いつまでもナゾのままだったレコード。
例えば、LPではファクトリーレーベルのミュージシャンを紹介した「ファクトリーサンプル」という盤。
ここには初期のドゥルッティ・コラムの曲も収まっていた。
「3RD MAN」も同じように、中古レコード店のエサ箱でよく見たものだった。
「3RD MAN」というのが演奏者名なのか?裏面には2人の若者の横写し写真と名前があるので、多分2人のバンド名なんだろう。わかるのはそれ位のこと。

これを購入したのは、あれから数十余年経った21世紀に入ってからだと思うが、購入したもののジャケットばかり見て、中身はろくに聴かないままだった。
今年に入ってからこのシングル盤を摘み上げて、何回も聴いては調べるうち、これがフラ・リッポ・リッピの前身バンドということを知る。と言っても、フラ・リッポ・リッピとは似ても似つかない別バンドの音ではある。



A面「Oral Pleasure」は、ピポピポ言う安っぽいカシオトーンらしきシンセと延々続くリズムボックスの音から始まる曲。
その音から、レコードの回転数は合っているのか?針飛びしてないか?と不安になるのだが、ノイジーなギターとこれまたくぐもったヴォーカルが聞こえてきて、とりあえず曲として始まっていることが確認できる。
初期のニューオーダー、1枚目の「ムーヴメント」や各種12インチシングルで展開された音が想起出来る。

一方B面「Pleasure Recycled」は、回転数を上げた声や電子機器に接触した際のジジジッといった音、まるで練習中と思えるようなホーンの音、それに交じってA面の曲の断片が入ってくる。曲名に「リサイクル」とあるように、ダブヴァージョンの位置付けなのだろう。

バンドというのは、だいたいが数年で散っていくケースが多いが、3RD MANからフラ・リッポ・リッピに向けて、メンバーが作品1枚ごとに違う。

この「Oral Pleasure/Pleasure Recycled」は、Bjørn SorknesとMorten Sjøbergの2人。
フラ・リッポ・リッピ1枚目「イン・サイレンス」は、Morten SjøbergとRune Kristoffersenの2人。
2枚目「スモール・マーシーズ」では、Morten Sjøberg、Rune KristoffersenにPer Øystein Sørensenがヴォーカルとして新たに加入している。

「3RD MAN」のシングルには、キラッと輝く何かを見い出すのは難しいが、1982年ノルウェー産の音楽と思うと粗末に扱えず、つい切り捨てられないのである。


■3RD MAN 「Oral Pleasure」1982■

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音盤日誌:フラ・リッポ・リッピ「スモール・マーシーズ」1983年

2020-11-27 19:00:00 | 音楽帳


騒がしい世の中、悪しき企業や悪しき人間、無益な広告や情報三昧の世界に付き合っていたら、気が狂ってしまった。そんな方は多いだらう。そんな病気背負人でなくとも、付き合い疲れたなら、その外側で静かに音楽に向かい合うと良い。

「最近、こんなLPを聴いている。」 ・・・と言っても、いつもと同じ秋冬定番の1枚。
フラ・リッポ・リッピというノルウェーの2人組デュオバンドを知ったのは、雑誌「フールズメイト」1983年12月号のこと。
レコードショップ「イースタンワークス」広告の新譜ジャケットがとても鮮やかで、ヨーロッパの風景の写真が素敵だった。(ペンネームだろうが)古茶大樹さんという方のレコードレビューにも惹かれた。

このLPのタイトル曲「スモール・マーシーズ」を初めて聴いたのは、1984年4月14日のラジオ番組「FMトランスミッション/バリケード」。神経質で鬱を抱えた繊細な世界の音だった。だが、FMで流れたといえば、この1曲くらいのもので、他の番組でかかるなどということはなく、この1曲をエアチェックしたカセットテープのみで、80年代を通り過ぎた。


■Fra Lippo Lippi 「A Small Mercy」1983■

実際のLPを手に入れたのは90年代であったか?
1枚を通して改めて聴いてみると、全体はかなり多様な曲が1枚に入っている。

「私は決して笑いませんよ」と言うかのような硬いヴォーカル。
声そのものがとても沈みがちなのは、日の差す時間が少ない北欧の凍て付き感ゆえのことなのだろうか?
ドラムは一般的な叩き方が半分、残り半分は原始的な拍子や響き。
シンセサイザーはとても優しい音で、全体をまろやかに包み込んでいるが、ヴォーカル同様ググッと沈み込む曲も多い。ピアノや(古茶さんは「ヴァイヴ」と書いているが)鉄琴やチャイムのようなきらびやかな音が心地良い。

LP「スモール・マーシーズ」は彼らの2枚目で、さかのぼって1枚目「イン・サイレンス」を聴くとロック的で演奏も粗いのだが、この1枚目には「例の」ジョイ・ディヴィジョン的世界の影響か?くぐもった曲が多い(が素晴らしい作品。)よく「ポストパンク」と表現されるが、けだるい雰囲気の中、だるそうな演奏が展開されている。
この2枚目は、その1枚目に比べるとクラシカルであるが、ところどころの沈み具合は継続している。
ノルウェーという地、音楽シーンからの影響、彼らそもそもの持つ味、などがブレンドされ、結果的にはとてもバランスの良い1枚の作品になっている。ポップで分かりやすいが、だからと言って聴き込んでも飽きることはない。

彼らは営業面では3枚目「ソングス」で花開くが、その後必要以上に甘ったるくなってしまう。
ヒットでマイナーにとどまろうとする面が減ったか、全体のバランスが崩れた音と聞こえ、自分の関心も薄れていった。
おすすめできる作品は、2枚目・3枚目で、両方ともよく練り上げられていると今でも思う。レコードだとA・B面それぞれの曲順の流れも素晴らしい。

1枚目も今回改めて冷静に聴くと良い作品だった。
ひたすらミニマルに一定音を繰り返す曲の飽きなさや、ギターの響きが(バンドの)フェルトに聴こえてきたり、さまざま発見がある。





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2020年11月某日 心象風景の源

2020-11-23 11:00:00 | 写真日和


先日、四ツ谷方面への用事があり、終わってから、三島由紀夫さんの生家があった付近を歩いた。

「花ざかりの森」や「仮面の告白」の好きな冒頭部に登場する描写。
見晴らしや家から下る坂。。。
わたしには勝手な想像で抱いていたイメージがあった。
それが実際はどんな地なのか。。。
いつかその場に立ってみたかった。

いざ歩いてみると、生まれた家や描写された有り様はそこに無かった。
頭ではわかっていたが、それは実にそっけない現実だった。
むしろ、そこから少しずれた場所のほうが、小説から想像したイメージに近かった。
しばらくその界隈にたたずみ、シャッターを切った。

小説のように、それが5歳頃見た風景としたら、そこから約90年後。
かつて一人の少年が見たであろう風景。
そこに思いをはせた。
まもなく三島由紀夫さんが亡くなったあの日から50年が経つ。



































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音盤日誌:Dシルヴィアン&坂本龍一「バンブー・ミュージック」1982年

2020-11-07 23:00:00 | 音楽帳


病人の脳のリハビリを兼ねて、秋の音楽帳、が続く。
子供のとき、帰って学習帳を付けていたみたいに。

YMOが休止状態で三人三様となった1982年は、各々のソロ活動が精力的ですさまじかった。
彼らに限らず、1982年の音楽は花盛りだった。この秋、坂本龍一は相思相愛のデヴィッド・シルヴィアンと、初めて2人名義で作品を発表する。
7月30日にイギリスで両A面として発表されたシングル「バンブー・ミュージック/バンブー・ハウシィズ」。国内では9月5日発売された秋の名曲。夕暮れ時間が早くなり、赤味差す西陽や、公園の森や竹林を見ては、脳裏によくこの曲が流れる。2つの曲両方とも素晴らしく、脳裏でたまらない気持ちになる。

***

この頃、坂本龍一は映画「戦メリ」のために、完全に音楽の現場から約一か月半離れている。
1982年8月21日にラロトンガ島に旅立ち、10月5日東京に帰国している。
当時のカセットテープにインデックスが無いので日付があやふやだが、そんなさなかの1982年秋ピーターとアッコちゃんの「スタジオテクノポリス27」に、来日したデヴィッド・シルヴィアンとスティーヴ・ジャンセンがゲスト出演している。

この段階ではジャパンの解散はほぼ決定していたが、そのツアー絡みの来日だったか?
坂本龍一・矢野顕子邸に宿泊し、幼い坂本美雨がスティーヴ・ジャンスンに恋してしまったのも、このときだったか?



シングル「バンブー・ミュージック/バンブー・ハウシィズ」録音には、現場にピーターも同席しており、「ジェネティック」というロンドンから車で1時間半くらいの所にある静かなスタジオで録音されたという。
「どうして両方とも曲名がバンブー?」と訊くピーターに、デヴィッドは「歌詞が創れなかったから」と冗談交じりに答えた。しかし、あえて両方ともバンブーとしたのだろう。竹というモチーフに対して、2つの違う角度や描き方でアプローチしている。

***

坂本龍一が前年 清水靖晃と即興で作った「ドールプレイ・パート1」「パート2」の手法と同じように思う。片方はメロディが主、もう片方は即興性が強い(が教授のことだから、どちらもバランスが整っている。)実は「バンブー・ミュージック」にプロモーションビデオがあり、起承転結型の出来なので、こちらがA面だったのだろう。そう思ってしまうと、素材を教授らしいダブ的処理したものが「バンブー・ハウシィズ」に見えてくる。

また、クレジット上は2人の共作だが、スティーヴ・ジャンセンがドラムで参加している。リンのドラムを手動モードで叩いている。これはビデオの演奏姿にも反映しており、2人のプロフィット5に挟まれ、スティーヴはタイプライターを叩いている。番組「スタジオテクノポリス27」では、「あえて手動で演奏したものの、ライブのときは演奏姿が滑稽だからどうしようか?」とスティーヴは言っていた。ジャパンの2人にとっては「ブリキの太鼓」で描いたアジアオリエンタリズムを、さらに進めた延長線上の音となっている。この曲は、この1982年末のジャパン解散コンサートでもアッコちゃんをゲストヴォーカルに迎えて歌われた。


■DAVID SYLVIAN&RYUICHI SAKAMOTO「BAMBOO MUSIC」'82■


■DAVID SYLVIAN&RYUICHI SAKAMOTO「BAMBOO HOUSES」'82■

DAVID SYLVIAN : keyboards, keyboard programming, vocals
坂本龍一 : keyboards, keyboard programming, mc4, marimba, vocals
STEVE JANSEN : percussion, electronic percussion, keyboards

PRODUCED BY SYLVIAN・坂本・NYE
MIXED BY NYE・SYLVIAN
ENGINEERED BY NYE
SONGS COMPOSED AND ARRANGED BY SYLVIAN・坂本
SLEEVE DESIGN AND LAYOUT : SYLVIAN

「バンブー・ミュージック」のミュージックビデオは、「サウンド・スーパーシティ」(テレビ埼玉)という毎日夕方放送していた番組で見た。この番組は、イギリスの最新音楽ビデオを唯一見せてくれる番組だった。クラブの練習もあるし、ビデオデッキも持っていなかったため、帰れる日は必死こいてかえって、この番組を見る。そんな貴重な番組だった。
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