こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年12月31日 月曜日 たどり着いた365日目の徒然日記ーその2

2012-12-31 22:19:37 | 雑記帳

ブログを開けると、気が付かない間に、たくさんの同志よりのおたよりがポストに。
延々たる独白の場であろうと、こんなことに会うと、ブログを開いていて良かったと思う。
それぞれの方には、お返事をせねば。。。

***

2012年12月31日もあと2時間程度。
とはいえ、地球は滅亡するらしいので、気は緩められない。

昼ごろにぼそぼそと徒然日記を書いた後、午後2時ごろになって晴れ間が見えた。

とはいえ、別に何の感情も涌かない。まだやりきれなかった洗たく物を洗って干す。

のこりごはんでおじやを作り・食べる。

日本酒を、ちびちびと呑みながら横になっていたら、再度「うかつ」に寝てしまう。
起きると部屋が暗い。時計を見ると5時。

「ファイナル・サンセットやねえ」と写真を撮る。空を雲が流れていく。

今年撮った写真を眺めながら、いかに1年というものが長いものかを思い知る。

「一年は、歳を取るほど早いわねえ」というヒトは、「今」が単に年末ゆえにそう錯覚してしまっているだけに思う。
この365日×24時間に、どんな痛みと苦しみと叫びがあったものか。
絶え間ない「刻(とき)」の波間で、どんな濁流の中での疼きがあったものか。
そんなカンタンにくくられたらたまったものではない。

***

夕方から見たり・聴いたり。
伊集院光さんのラジオ、NHK-FM「ふたりの部屋」、ドラマ「カーネーション」(尾野真千子さん)、映像化された「伝染るんです。」(吉田戦車)、大竹伸朗さんの映像、寅さん、クラフトワーク、YMO。。。

冷蔵庫に食材がすっからかんになったので、8時過ぎ買い出しに行く。

今まで余り使っていなかったが、最近、携帯電話のカメラで写すピンボケ感に凝っている。
上空を、B29がごときヘリコプターがスカイツリーに向かう音がうるさい。

お昼のおじやが少なかったせいか?珍しくお腹が空いてパスタを茹でる。

エリンギくん。

これまた好きなチェダーチーズ。その他にんにくなどを入れて。


***

さてさて、残り2時間を切ったものの、世界滅亡はどんなカタチで来るのらろうか。(続く・かもしれない)

アルバム「ROSE」。

■飯島真理(坂本龍一プロデュース)「ブルーベリー・ジャム」1983晩秋■
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月31日 月曜日 たどり着いた365日目の徒然日記

2012-12-31 11:51:19 | 雑記帳

29日、30日。音楽・録音したラジオに耳をそばだてつつも、丸々寝ていた。ときたま食べたり・呑んだり。
完全冬眠。サラシ・シップも無い腰は、やはり痛いので、自分の手でマッサージ。

年賀状を書か「ねば」という意識はあったが、そこに気がおもむかない。
コチャコが亡くなった時には、喪中はがきを出そうとまで思ったが、身内から「よりいっそう変人扱いになるだけだよ」と言われてやめた。

やっと年賀状に向かうのは、30日晦日の夜。「ねば」=Must=仕事は休みにしないと決めたのに。「やむをえない」。

年賀状自体はかなり前に買っていた。寒空の中、郵便局の外で年賀状を売るおじさんから。
「さっぶい中、大変ですねえ。」「いやあ、今がかきいれどきですから。」
お互い大変なのだ。
和紙風味の桃色の模様が散らされた「いろどり年賀」は、かなりステキで、40枚買う。

さてさてデザインはどうしたものか。。。。
画面上でああだのこうだのいじくり、最後が決まるまで3時間以上かかる。
プリントしてみると、淡い桃色とインクが交じり合ってよい仕上がり。

じぶんの今回の決まりごとは、
・明日死ぬかもしれない中、しょせん正月は通過点。よって決して「あけましておめでとう」などとは書かない。
・ましてやコチャコの49日も終わっていない中だし。
・必要以上のものは一切削り取る。

宛名を書くペンを探すのにヒト苦労。どれもこれも乾いて文字が出ないペンだらけ。
そのペンを決めて書き終わると、夜0時近く。
ふらふらしながら、ポストに行くついでに、タバコを買う。



雨はやんでいたが、空は曇っており、とても12月30日とは思えない。
「天気予報は明日は晴れになっていたが、このぶんだと明日も曇りだな。」



夜中の洗たくを終えて、とこにつく。


***


【御茶ノ水から湯島方面に歩いた所のブティック。ショールームダミーズ。】

「マヤ暦では、2012年12月21日が世界滅亡の日」と勝手な解釈をして盛り上がった「アレな人々」。
24日の伊集院光さんの深夜のナマ放送「深夜の馬鹿力」では、この「滅亡」に関する情報を募集。
いろんな方から「滅亡」の情報が来る。21日を過ぎたのにえらいことである。

・風呂釜が「滅亡」した。(ユズ湯で、布にくるまず・そのままユズを入れていたら、栓が詰まったらしい。)
・実家から送ってきたリンゴを開けたら、若干「滅亡」していた。
・ジャージのすそが、自転車のチェーンに「滅亡」した。
・甘栗を買ったら、中のいくつかが、真っ黒に「滅亡」していた。


***


大晦日・12月31日。起きるとやっぱり曇り。

外には出ないが、日のおりおりにせっけんで手を洗うクセ。猛威をふるっていると言われているインフルエンザもノロウィルスも、手を洗う・うがいが予防らしい。

タンジェリン・ドリームのライヴ・アルバム「ロゴス」を聴きながら、深い緑茶を飲む。
全く最終日の感は無いが、365日目まで生きられたのは幸福。

しかし、2012年で人類は滅亡するらしいし、残り半日どうなることやら。。。

■YMO 「階段(Stairs)」 (From Technodelic)1981.11■
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月29日 土曜日 循環しながらスライドしていく日常

2012-12-29 14:53:27 | 音楽帳

昨夜の、しとしと雨。仕事は一時休戦に入る。

帰った部屋は7℃。即、サラシをはずし、服を5枚着込み、ハロゲンヒーターを付けて、服に火が燃え移りそうなほど近づける。
タバコをつまみに缶ビールをやりながら、お風呂が沸くのを待つ。
末端冷え性なので、足指が凍っており、もみほぐす。

お風呂が沸き、浸かるヨロコビ。
温度差のせいで、ガスったお風呂場の視界不明瞭な世界は、より遠くに気持ちを持っていってくれる。

思えば、雨風しのげる場所で、暖房とお風呂にお酒をあおげるしあわせ。
上を見ればキリが無く、下を見るとそれは此の世で生きながらも死まで続く世界がある。
こんな日に間違っても、テレビを付けたり・「人工につくり出された世間」の今のありさまニュースなどを脳に入れてはいけない。全てをシャットアウトする。

湯上り後、白菜・ニンニクを刻み、ご飯と炒めて塩コショー。チャーハンを作って食べる。2合もご飯を炊いて、その1.5合程度をあてがったので、とてつもない量が出来てしまったが、無理してでも平らげる。満腹以上。

食後、鎮痛剤・漢方薬を服用。早々23時前には、ハロゲンヒーター以外の灯りを消し、横になる。
ニコニコ動画さんにアップされた、過去のJ-WAVEの「TR2」(みうらじゅん先生&安斎肇さん)を聴きながら眠りに堕ちる。



深夜3時半、長い長い寝言を言っている本人が気付いて起きてしまう。
「ずいぶんと長ぜりふだったな。」何かを誰かに訴えているのだが、起きると恐ろしく激しい徒労感が襲ってくる。
下手に荷を降ろすと、溜まった疲労が出てくる。

これではいけないと、暗闇の中、睡眠導入剤を服用して寝る。

再度起きると昼。外は快晴の青空でほとんど雲も無い。
窓を開けて手をかざすと、あったかい。
とはいえ、外には出ず、音楽とラジオ生活。ボーリンゲンの塔にこもる。


***

テープループという手法は、ラジカセをやっと買えた中学生の始まり以降、実験活動を試行錯誤の中、じぶんもやっていた。
その時点では、そういう試行錯誤の中から、「ディスクリート・ミュージック」以降「アンビエント」の概念と、それに値する別世界を創り得たブライアン・イーノの音楽は知らなかった。

1999年の作品「ザ・ループ・オーケストラ」のCD「ジ・アナログ・イヤーズ」を御茶ノ水で発見したのは発表後数年後のこと。
ジャケット買いをしてしまったが、中身はそれほど期待したものではなかった。
手法としては、イーノが用いていた数台のオープンリールのテープを用いたもの。



ユーチューブを覗くと、この「ジ・アナログ・イヤーズ」の曲は発見できなかったが、その替わりに「イン・ア・ロンリー・プレイス(In A Lonely Place)」というアルバムが、今年発表になったらしいことを知る。
「In A Lonely Place」といえば、ニューオーダーの恐ろしく暗くてかっこよいジョイ・ディヴィジョン解散後の曲名と同じことを思い出す。

・・・と思ったら「ザ・ループ・オーケストラ」ではなくて「テープ・ループ・オーケストラ」という別物だったエラーに気付く。
こちらの方は、エレクトロニカ以降の流れに沿った、なかなか良いもの。
その中から1曲。

■Tape Loop Orchestra 「I Was Born When She Kissed Me」2012■


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月28日 金曜日 Tangerine Dream  「Exit 」(出口)'81

2012-12-28 20:02:04 | 写真日和

雨が夕方から降り出す。
それまで全然平気なレベルの温度だったのが、夜に向かい次第に1℃づつ下がっていくのが肌で分かる。
傘を差して帰る道。

帰りの電車で、雨が降る中、ひさしぶりにタンジェリン・ドリームの「イグジット」を聴いていた。
中学三年生の夜、よく聴いたアルバム。

■Tangerine Dream 「Exit」1981■


陰鬱さが、今の気分にマッチしている。
当時、じぶんの中に描いていたソビエトという国の「出口なし」の像がここにある。

***

今日は、午前中仕事をし、午後月一回の定期健診に向かった。
12月28日というのに、今年は全く年末感覚が自分の中にはない。
やはり365日分の1日、という感覚しかない。











***

今日の歩き旅の写真の一部。




































コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月27日 木曜日 「2002年12月の写真 ~ぱーと2~」

2012-12-27 23:58:56 | 写真日和
ふたたび、10年前の、今ごろ。

■神田須田町

和泉橋を渡ったところにあった、らーめん屋「味楽」さんのネコちゃん。
黒い蝶ネクタイがよく似合っていた。
ようく、この場所で日向ぼっこをしていた。


再開発のおしよせる波。


休憩場所の柳森神社のとなりまでもがマンションへ。

■本郷給水所公苑










■宅角坂




■秋葉原








■David Sylvian + Holger Czukay 「flux (A Big, Bright, Colourful World)」 ■


2012年12月27日。終了。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月25日 火曜日 細野晴臣 「25.Dec.1983」'83

2012-12-25 23:14:45 | 音楽帳
胃潰瘍で入院していた1983年秋から冬。
毎週毎週、夜な夜な、深夜3時まで録音しながら聴いていた「高橋幸宏のオールナイトニッポン」。
ここで出会った細野さんの深遠なる聖夜の曲を・・・。
残り数十分の今夜に。

■細野晴臣 「25.Dec.1983」■


幸宏と彼の兄がプロデュースしたアルバム「We Wish A Merry Christmas」。

「最近(当時)良いクリスマス・アルバムが無いんですよねぇ。」と幸宏は言いつつ、YENレーベルの面々やムーンライダーズ、大貫妙子さんなどと作ったクリスマス・アルバム。
相棒の故・景山民夫さんが「1枚買ったら10年は聴けますよ。」と言っていたセリフがよみがえる。

YMO、各々のソロ、歌謡曲・ポップスのプロデュース、そして、このアルバム・・・。
まるで泉のように、日々優れた音楽を創り続けていた彼らの秘めたエネルギーのすさまじさ。

A面1曲目に収まった細野さんの曲、「1983年12月25日」。

一過性で消費され、結果、ブックオフの店頭で100円で売られる運命を背負った音楽がほとんど。
そんな中、彼らの音はじぶんの中に、永遠に刻まれている。



























家族も女体も無縁なさぶい中で、独りで静かに過ごす豪勢な夜。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月24日 月曜日・休日 「叫び」

2012-12-24 13:00:35 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

【1988-89あたりのエスキース】

12月24日とか25日に、あまり良い想い出は無い。
コドモの頃は、冬に向かおうとする季節の中で、空を見上げてはクリスマスがやってくる気配に夢を持っていた。

しかし、毎日、下町の家で繰り広げられるのは、夫婦げんか。
北野武さんの「たけしくん、ハイ」のように。

そんな中、12月24日とか25日は、学校の二学期が終わる日。
兄に比べれば、駄目な通信簿を仕方なく受け取り、暗い気持ちで持ちかえり、親父が帰る時間をひやひやしながら待ち、そして、カミナリが落ちる。。。

泣きながら、鳥さんの丸焼きを食べ、灯る小さいクリスマスツリーが見えた記憶。
夢見がちな、コドモにとってはつらい時間でもあった。

***

精神的に密なる中高生時代を過ごした80年代の前半。
その時代のうねりが産み出した稀有な音楽等々の文化が終焉を向かえた頃、その代わりに現れたバブルとその崩壊。
そんな自分とは無縁な時代に、大手広告代理店が絡んだJRのCMをきっかけにして、「家族が集まり・この日だけはいさかいを収めて・ささやかに家で過ごすクリスマス」から、「恋人(以外も『可』)同志がSEXをする日」に挿げ替えられてしまった。

<まあ、自分の家の場合は「いさかいを収めて」が違ったが。>

その後は、時代の変遷を経て、さまざまな過ごし方にバラバラになっていったが。。。

***

今年の今日12月24日。
アマゾンで買ったパソコン関連の周辺機器が届く「ピンポン」に起こされる。
サインをして配達の方にお礼を言って、部屋に戻る。

出し殻になったお茶っ葉から、新しい葉っぱに替えて、深い緑茶を入れて飲む。カラダがあったまる。
溜まった洗たくをして、干す。

老親は、今日はわたしに家に寄って欲しいだろう。
しかし、悪いのだが、今のじぶんは、ヒトが集まるところを通過もしたくない。
また、疲れていて、そんな状態でもない。
部屋で音楽や撮り溜めたラジオのmp3を聴いて、明日からの仕事にそなえて過ごす。

***


「わたしは二人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。
突然、空が血の赤色に変わった。

わたしは立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。
それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。

友人は歩き続けたが、わたしはそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。
そしてわたしは、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」(ムンク)

【ムンクの「叫び」には、『キチガイにしか描けない』という文字が書かれている】

大昔の写真を整理していたら、幼稚園の遠足のときの1枚を発見する。
「叫ぶ」じぶんは、ふざけているのだろうが。
ふざけているのか?どうかは、今はもう分からない。

ただ、3歳の頃には、じぶんはすでに、放り出された、寄る辺無き混沌世界が把握できない不安定感にさいなまされていたのは事実である。
この意識だけは、じぶんの中でははっきりしている。

3歳の頃に、慶応病院の幼児精神科みたいなところに、お袋が連れて行ったのを、よく親族が集まる場面で笑い話しにされるのだが。
そのきっかけは「兄のケツを噛んだ」とやららしい。

兄のケツを噛んだ記憶は無いが、そうやって兄に絡むじぶんが突き飛ばされて、家具のカドにアタマをぶつけて、後頭部を切り血まみれになって、病院で縫われたのは覚えている。

***

幼稚園の頃、担任だった先生が大好きだった。当時20代だった先生。
優しかった先生をじぶんが大好きなのは、周囲とその親にもバレバレだった。

これまた、幼稚園のブランコのウラをすり抜けるときに、ブランコにゴツンをアタマをやられて倒れる馬鹿なじぶんの起こした事件。
そのときに介抱してくれた上で、家に連れて行ってくれた先生。
このとき、アタマの痛さよりも、先生と手をつないで歩けるうれしさと恥ずかしさの方が、脳の中を支配していた。


キレイな直筆の字。

「先生、すみません。
じぶんは、『げんきでつよいおとこのこ』にはなれませんでした。
でも、生きていますよ。なんとか。」

■Bing Crosby & David Bowie 「Peace on Earth/Little Drummer Boy」 1977■

このボウイとビング・クロスビーの映像は、じぶんのクリスマスの定番。よくこの頃、テレビで流れていた。
この日本で流れる日本みゅーじしゃんの下劣なクリスマス音楽とは程遠い。永遠に。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月22日 土曜日 YMO 「新舞踏(Neue Tanz)」 From 「Winter Live 1981」

2012-12-22 23:39:49 | 音楽帳

師走の仕事は、発狂させる。
カラダの中で沈殿・沈黙する言語化されえない暴力衝動が、ついに今日のトラブル処理でキチガイにいたる。

思へば、今週はずーっと、気付かぬうちに電車の中でYMOの「ウィンターライヴ1981」を、毎日意識無く聴いていた。
ビデオだった「ウィンターライヴ1981」からmp3に変換してあったもの。

過激なYMO。

ここにはアルバム「BGM」にも「テクノデリック」でも無い、
別の、「死への衝動」じみたモノがある。
原曲は「BGM」「テクノデリック」収録曲であるのだが、まったくそのレコード盤に記録されたものとは別の存在。

キバを剥き出しにしたYMOが記録=シールドされている。
カッコ良すぎる。
映像を消して、音のみにした「ウィンターライヴ1981」から、あらわになるもの。

■YMO 「Neue Tanz (新舞踏)」■


ひどい頭痛・肩こりは、一日じゅう続いた。
持ったツエで、「不条理」を血まみれにして殺し、その残骸さえも破壊したい衝動。
とんでもない大きな殺意を実行したヒトの多くは、ふだんはおだやかな場合が多い。
よくマスゴミも・何の役にも立たないまま他人の税金で過ごす警察も、無理矢理シナリオを作って「殺意の根拠」を作ろうとするが、何も無いケースの方が多い。

記録・記憶・瞬間・断片・無為






























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月21日 金曜日 Haircut 100 「Prime Time」'83

2012-12-21 23:47:18 | 音楽帳

今朝も早よから、つくばにゴー。


ツエを突きつつ。


ネットのYAHOO=やっほーニュースは、なんでいつもくだらないんだろうか?
といいつつ、おおよその周囲の気配をうかがうために見れば「今年のクリスマス・イヴは数十年ぶりのホワイト・クリスマス」がトップニュース。

クリスマスが文化になる国の家を思い浮かべると良いものだが、東京のバブリーな絵づらを浮かべると不愉快になる。


タリーズでの、濃いモーニングコーヒー。


昼は、ひさびさに好物のかき揚げ丼とおそば。


ヒト仕事を終えて、都内にUターン。


毎度毎度の師走トラブルに会いつつ、仕事場を出て、今日も夜な夜な接骨院へ。


接骨院の帰り道で、光る目。


外を歩けば、居酒屋の外で酔いどれる集団ばかり。。。
仲が悪いのに、あたかも「輪」と言いつつ、仲の良いふりをした忘年会三昧。
まだ、何も終わっちゃいないのに。
そんな連中の巻き添いで、ぶつかって更に腰を痛めないように、避けて歩くネコワザを使う。


世の中不景気のどん底のはず。
その中で、どうにもこうにも言行不一致の『さらりーまん』と自らをさげすんだ呼称を使ってしまう人は、不愉快な飲み会にも率先して参加し、飲んだくれている。

そんな生きる姿勢しか持てない人。
そんなヒトに「人で無し」と後ろ指を指されるつもりもない。

「ですから、元々、じぶんはヒトではないもので。。。」
わたしは、家、もしくは隠れ家で、好きな人たちと良いお酒と時間を楽しみたい。

でなければ、生きている意味が無い。
明日死ぬかもしれないのだから。
てなことで、鎮守さまに早々にお参りを済ます。


『明日があるさ、明日があるぅ~』なんてウタがあったが、明日なんか幻想に過ぎない。


『来年の話をすると鬼が笑う』とは言うが、実際は「明日の話をすると鬼が笑う」だろう。

容態が急変して、さよならしたコチャコちゃん。
まさか、ゆめゆめ思わなかったことが起きたじぶんは、そうとしか捉えられない。

***

マスゴミは、一年なる長期スパンを振り返る番組を、あらかた早々に作ってしまう。
だが、そんな師走の瀬戸際で事件は起きるもの。

いくら彼らが、ガンガンと「たぶんもうすぐ亡くなるんでは無いか?」というマスゴミ人の人生総集編ビデオシリーズを着々と地下でつくろうとも。。。。
カオスに満ちた世界では、そんな安っぽいシナリオ通りにはいかない。


帰り道の公園で、初めて出会ったクロネコさん。


警戒が強く・さわれないので、カリカリをおすそ分け。
遠くからストロボで一枚。

***


「ニュー・ロマンティクス」のムーヴメントに続いて、1982年・春に花開いた「ファンカラティーナ」。
その一端を成したヘアカット100.

これまた、1983年秋だが、中心人物だったニック・ヘイワードくんが脱退してしまい、その後に発表された新生ヘアカット100のシングル「プライム・タイム」。
「高橋幸宏のオールナイトニッポン」でも紹介された1曲。

■Haircut 100 「Prime Time」1983■


「So Tired・・・(とても疲れた)」と言いながらも、
明日も仕事だ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月20日 木曜日 「冬将軍到来」 

2012-12-20 21:31:50 | 写真日和
昨日、ついに冬将軍到来となった。
コートなしで過ごしてきたが、さすがの北風小僧のぴゅーぴゅー吹く中で、じぶんも限界をむかえた。
接骨院からの帰り道の北風が、身に堪えた。

生き物たちには悪いが、今朝から、コートを着ることにした。
晩秋から冬が来たことを認めざるを得ない日となった。
紅葉も、雨などのせいで、ほぼ散ってしまったし。

***

今夜は、ちょうど10年前の2002年12月の写真を眺めていた。
そこから数枚チョイスしてみる。

■上野

2002年12月22日。日記をめくればわかるのだが、たぶんMZ師・ハブ噛み師匠と上野集合で街歩きに行った際のものと思われる。
上野の丸井の温度計は、3℃を告げている。


JR上野駅構内のクリスマス・ツリー。


雨に煙る上野。

■御茶ノ水
別の日とおぼしき、御茶ノ水からの歩き旅にて。

クリスマスのディスプレイ。


ちょうど明治大学校舎の建て直しをやっている頃。
「大学」という場所が、しだいに大学ではなく、ホテル並みのバブリーで過保護な設備機能を持つ空間になっていく過程断面。
昔の明治大学の校舎は、味わい深い素敵な建物だった。

■御徒町(だと思うが・・・)

ベローチェにて。


コーヒーショップの雰囲気と和服のおねえさん。和洋折衷。


黒門町あたりのビッグ看板。当時の持田香織さん。


飲み屋街の路地。



■あの頃は・・・

まみんころ。


レコードやチラシ類だらけの自室。この写真より1曲紹介。

過去にも紹介したものだが、この季節になると聴く曲。この曲も、また1983年の秋に出会ったものである。
「坂本龍一のサウンドストリート」に、鈴木慶一&さえ子夫婦(当時)がゲスト出演した際に掛けた、ニック・ヘイワードの「カフェ・カナダ」。

左上の12インチ・シングル「テイク・ザット・シチュエーション」は、この「カフェ・カナダ」聴きたさに、新宿の中古レコード屋さんで購入したもの。
このインストゥルメンタルの調べから漂う気配と静けさ、そして、浮かぶイギリスの風景。
この蒼さと渋さが入り混じったあじわいに、痛み入ってほしい。。。。

■Nick Heyward 「Cafe Canada」1983■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする