こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:スネークマンショー「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」'81

2023-03-30 09:30:00 | 音楽帳


スネークマンショーの2枚目アルバム自体の発売は、1981年10月21日。坂本龍一のサウンドストリートには、発売前日10月20日にメンバー3人(桑原茂一、小林克也、伊武雅刀)してゲストで出ていた。
しかし、私がこのアルバムを丸ごと全部聴いたのは、数ヶ月後、1982年3月友だちの家でだった。

***

小中学生通じて仲良く優しくしてくれた田中くんが、「卒業前にうちに遊びにおいでよ、母さんもぜひ来てよ、と言ってるんだ」とお招きしてくれた。

田中くんは江東区の川の近くのマンションに住んでいた。
田中くんにはお父さんが居なかった。それがなぜか?いきさつを知ることなく9年も付き合ってきた自分。
田中くんのお母さんはおおらかで優しい人だった。白いジャケットにパンツルック、大きめのサングラスをしていた姿が浮かぶ。バリバリはたらき、おしゃれでさっぱりした明るい女性。イメージとしては作家で当時ラジオもやっていた落合恵子さんが近いだろうか。

お招き頂いたマンション。今では身近に見なくなった、信頼し合った母子の家。
そこは、なんてことないけど微笑ましい生活感にあふれていた。

用意してくれた手料理を食べながら、田中くんがBGMとして掛け出したのがスネークマンショーのLPレコード「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」だった。
「これ買ったんだ。持ってる?」そんな事を田中くんは私に尋ねた。
私はまだ持っておらず、初めてA・B面通しでLPレコードを聴かしてくれた。それは良いのだけど、スネークマンショーのブラックなコントはどれも「愛」という名が付きながら、女性のあえぎ声や性的な内容に満ちていた。そのレコードをステレオで、それなりの音量で流している。それを聴きながら田中くん親子と私の3人で食卓を囲む昼下がりの風景は、コント並みに、なんとも珍妙だった。
それを流す田中くん。「やめなさい」とは制止せず、おおらかなお母さんの姿。私には初めて見る、寛容な家庭。

春の陽気。少し開けた窓から近い運河が見えた。
海が近く、潮の匂いがカーテンを揺らしていた。

さんざんお邪魔した後の夕方、2人に手を振られて、夕陽が当たる中、赤みを増していく帰り道を歩いたことがついよぎる。



備忘録にしても、またもや大きく脱線。。。
このアルバムは、ファーストアルバム「急いで口で吸え」のヒットから企画されたものだが、ラストアルバムと銘打たれている。コントのいくつかはTBSラジオ「夜はともだち」内のコーナー「それゆけスネークマン」で聴いていたものがリメイクされていた。

コントと音楽が交互に織り成されていく構成は1枚目「急いで口で吸え」同様。スネークマンショーとして桑原茂一、小林克也、伊武雅刀の3人に加えて、戸川純ちゃんなどがゲスト出演。彼女は、まだYENレーベルからゲルニカとして出てくる前なので、当時の自分は彼女が誰なのか?わかっていなかった。

音楽は、名選曲家である桑原茂一が選んだ曲たち。
コントとの合わせ方がいつも通り職人芸。ともに「愛」というテーマで貫かれている。

ホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラブ」。この曲は、彼のソロアルバム「ムーヴィーズ」が国内発売されるより前だった。コント「どんぐりころころ」で「・・イィ気持ち・・」と戸川純ちゃんがあえぎ応じながら、最後は言葉も出せなくなり性に堕ちていく。その数秒後「ペルシアン・ラブ」へ入っていく繋ぎの絶妙さ。
リップ・リグ&ザ・パニックも初めて聴くバンドと曲だったし、インドネシアまで飛んで収穫してきた現地の歌謡曲やガムランもエスニックな最先端を追いかける茂一さんらしい選曲だった。
元プラスチックスのトシとチカが作ったユニット「メロン」は、一過性の軽いお遊びと思っていたら、実は本気モードだったと知るに至ったバンド。ここに入った2曲は南洋チックで、個人的な関心は何よりもギターでエイドリアン・ブリューが参加していることだった。細野(晴臣)さんがミックスでクレジットされている。





1枚目に引き続いて繋がり深いYMOの面々の協力。
1枚目のプロデューサーは細野さんと桑原茂一だったが、2枚目は桑原茂一1人のクレジット。

そして、何よりこのアルバムで一番好きな曲は「今日、恋が・・」。翌朝の幸宏の訃報など知らぬ深夜、眠れぬ中、湯治先の寝床でi-tunesに入ったこの曲を聴いていた。そもそもこのアルバムを一枚通しで再び聴こうとしたのは、特にこの一曲が聴きたかったからだった。

アルバム「サラヴァ」を思い出させるような世界。美しいオーケストレーションは坂本龍一。
サウンドストリートでは茂一さんが「フランシス・レイに捧ぐ」と言い、咲坂さん(小林克也)は「さすが、坂本さん」と言っていた。高橋幸宏と坂本龍一の美しい競演。2人が揃えばいともカンタンにこんな美しい曲がパッと出来たあの時代。いいえ、今だって才能溢れる2人が創作すれば、いくらでもこんな美しい曲は出来るはずだ。

毎年春、卒業の季節になると、この曲を聴きたくなる。




■高橋幸宏「今日、恋が」1981■

Composed:高橋幸宏
Arranged:高橋幸宏・坂本龍一
ドラム:高橋幸宏
ピアノ、ヴァイヴ、ティンパニー:坂本龍一
ギター:大村憲司
コメント (1)
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音盤日誌:Pモデル「パースペクティヴ」'82

2023-03-28 10:30:00 | 音楽帳


最近、やっと冬眠から明けた、という動物的感覚がある。
だからというわけじゃないが、しばらくパット・メセニー的な音をよく聴いていた。勝手にそう呼んでる「パット・メセニー的音楽」とは、パット・メセニー音楽そのもののいわずもがなの素晴らしさではなくて、表層的に似ている音楽を指している。その類は実に幅広く、地中海周辺の音楽なんかがかかっていると、「これって、パット・メセニーかな?」といった錯覚にはまることが多い。

しかし、そんなさわやかな音楽をいくら聴いても、自分の中にさわやかさが生まれるよりも、味のしないモノを飲食したような物足りなさがあって、それはトイレに行ったらおしっこと流れてしまうような薄さみたいに感じる。
記事のタイトルがPモデルなのに、何を長々と言っとる、と田中や金子や清水は言うだろう。言われなくても、そこでやはり「パット・メセニー的音楽」を聴いていたのをやめ、聴く音楽として選び直したのはPモデルだった。さわやかな音楽では気持ちが満ち足りない、というのは、私がねじれた人間であって、やはり毒や濁った色気が無い無臭な音楽で救われるような人間ではないからである。(もしくは、心身がそういうモードの時期、というときもあるが。)

***

春めいてきた中でPモデルが聴きたくなったのは、高校生になった1982年の春、多少蒸し暑い日が出始めた頃、ラジオから流れるPモデルをエアチェックしていた記憶が蘇ってきたからであろう。音楽は、かつてそれを聴いていた日時や季節や天気が似た瞬間、脳裏から立ち上がってくるものだ。
1982年春、Pモデルのアルバム「パースペクティヴ」を繰り返し聴いていた。

当時FM東京の17時から20分くらい、新譜から一日2曲だけかかり、1週間で完結する、という番組があった。ここで「パースペクティヴ」が掛かり、エアチェックしたテープをアルバム代わりとしてしばらく聴いていた。全曲は掛からなかったから、全てを聞いたのは、CD時代になってからのことだ。

1980年YMOが爆発的ヒットしたとき、日本のテクノポップの一角として紹介されたPモデル。テクノポップとひとくくりにされたバンドの一つだったが、微妙に違う。Pモデルは一枚ごとにより新しい音楽を、と格闘続け、この1982年3月1日発売された「パースペクティヴ」での彼らのテーマはリズムだった。
当時、アフターパンク/ニューウェーブの音楽が日々刷新され、マグマのように動き続ける中、リズムやドラムの音は重要なテーマ。
音作りを競い合う中で、個人的に素晴らしい音として思い出されるのは、ピーター・ゲイブリエル、フィル・コリンズ、幸宏のゲートリヴァーヴ、YMO、ブライアン・イーノの一連のプロデュース作品、そしてジョン・ライドン率いるPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)などなど、挙げるとキリがない。

Pモデルの「パースペクティヴ」を最初聴いた頃、これはてっきりPILの影響下で生まれたアルバムと思っていた。階段の踊り場で録音したという残業音が強いドラム音が強烈。言葉遊び的歌詞や絶妙な平沢進のアクセント強いボーカルに、強いアタック音のドラムが合わさる。画びょうを置いたスネアを叩くなど様々な音楽実験もなされていた。全9曲、34分という短いアルバムだが、凝縮され簡潔にまとまっていて、何回も繰り返して聴いていても飽きず、スルメ式に快楽に導かれていく。

当時アルバムを聴いた人からはPILとの関連した質問が多く出たが、平沢進自身はPIL(「フラワーズ・オブ・ロマンス」)を聴いたことあるが、意識していなかったという。当時こういったシンクロニシティがあちこちで発生している。時代の流れがこのようなオリジナリティある音像に向かわせたとも言える。40年経つが、今も通用する良い毒を持つ作品である。「のこりギリギリ」という曲が当時とても刺さり、エアチェックしたSONYの(一番安いカセットテープ)CHFで繰り返し聴いてた。今もこの曲もこのアルバムも聴き出すとクセになる。




■Pモデル「のこりギリギリ」1982■

色とりどりにのこぎり鳥は メートル法の部屋を飛ぶ
愛なんぞじゃありゃしない まして正義なんぞじゃありゃしない
カガミがあるだけ カガミがあるだけ
カガミがあるだけ カガミがあるだけ

のこぎり鳥は どこ 義理欠いた
底 意地とれて のこりギリギリ

きめこまやかにのこぎり鳥は 見える角度で姿を変える
うそなんかじゃありゃしない ましてほんとうなんかじゃありゃしない
日記があるだけ 日記があるだけ
日記があるだけ 日記があるだけ

のこぎり鳥は どこ 義理欠いた
底 意地とれて のこりギリギリ

意気揚々とのこぎり鳥は チェス盤上をねりあるく
敵なんぞはいやしない まして味方なんぞはいやしない
恐怖があるだけ 恐怖があるだけ
恐怖があるだけ 恐怖があるだけ

のこぎり鳥は どこ 義理欠いた
底 意地とれて のこりギリギリ

時はやおそくのこぎり鳥は 直線上の視界の奴隷
いちぬけたいねさようなら ましていちぬけたいねさようなら
言葉があるだけ 言葉があるだけ
言葉があるだけ 言葉があるだけ

のこぎり鳥は どこ 義理欠いた
底 意地とれて のこりギリギリ
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