こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

秋の100曲:Box Of Toys「I'm Thinking Of You Now」1983

2024-11-12 22:00:00 | 音楽帳

ケアーを聴いたら、同じ1983年11月1日に掛かったボックス・オブ・トーイズも聴きたくなる。
ケアーはシングル3枚だったけどボックス・オブ・トーイズはたったシングル2枚しか無い。

その2枚中の1枚「I'm Thinking Of You Now」が好きだったが、当時は幸宏のオールナイトニッポンから録音したガサガサのAMラジオの音のみ。我慢してそのカセットテープで満足させていたが、その後かなり経ってyoutubeによってクリアーな音で聴くことが出来るようになった。
メロディの良い1曲は、個人的に勝手に「叙情派テクノ」と自分の中で分類していて、そこには大好きなチャイナ・クライシスが位置している。


そうそう、ボックス・オブ・トーイズは、オーボエの音といい、やたらチャイナ・クライシスに似ているな、と思っていた。
それもそのはず・・・このレコードを出しているインディペンデント・レーベル「イネビタブル」にはかつてチャイナ・クライシスが在籍していたのである。といっても、それはデビュー曲である「アフリカン&ホワイト」の頃のこと。

ちなみにこのイネビタブルには、ピート・バーンズ率いるデッド・オア・アライヴやワー!(・ヒート)なども所属していた。
みんな「卒業」して、大きなレーベルからレコードを出すことになっていった。
じゃあ、ボックス・オブ・トーイズはどうなったのか?は私はよく知らない。バンド名を変えたり、他で活動をしていったのかもしれないが。
まあ、「I'm Thinking Of You Now」が聴ければ、自分はそれでもう満足だけども。

■Box Of Toys「I'm Thinking Of You Now」1983■

PS:スカイツリーは昨日11月11日はクリスマスカラー。
翌日の今夜はワインレッドな感じ。

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秋の100曲:Care「Flaming Sword」1983

2024-11-10 11:00:00 | 音楽帳

ケアーというバンドのシングル曲「フレミング・スワード」。
幸宏のオールナイトニッポンで1983年に出会い いまだに好きな一曲。
これもまた秋になってお蔵から出してきて、ここ数日聴いている。

1983年11月1日のラジオ番組内では、トシ矢嶋さんが選んだイギリス最新の一曲として番組冒頭で紹介。
ただこのとき幸宏せんせいがバンド名と曲名を逆に紹介していたことが後になって分かった。
(当時も今もバンド名だか曲名だかよくわからないタイトルが確かに多い。)

シングルジャケットは木彫り版画風イラスト。中身の音楽はそのテイストと全く違って、実にさわやか。色んな楽器が現れ、オモチャ箱みたいで楽しい。
今では隠れた名曲みたいに「その手の本」に掲載されることもあるが、当時「この手の音楽」を知るには雑誌「フールズメイト」くらいしかない状況。ほんとうにごく一部のマニアくらいしか知らなかったバンドだろう。

ケアーというバンドは3枚のシングルのみで解散、このシングルは2枚目にあたる。
「一時期ティアドロップ・エクスプローズにも在籍、最後にはワイルド・スワンスのキタリストであったボール・シンプソンと、パニーズやワーなどのプロデュースを手掛けていた元オリジナル・ミラーズのイアン・プロディーという、いわゆる”リバプール・マフィア”の強者2人による新グループ」ときいても未だよくわからないけれども、このシングルはとても大好きな1枚。
すがすがしく、2024年の今でも、聴くと気持ちがすーっと良くなる。
1983年も2024年もこの世はうんざりすることや人ばかりだけど、この曲も収録したオールナイトニッポンのカセットテープも、そんなひでえこの世を生き抜くためのクスリみたいなもの。ときどき出して聴くと、たましいがよみがえる。

■Care「Flaming Sword」1983■

PS:スカイツリーももう早々とクリスマスに向けた装い。
10月31日のハロウィンを終え、11月1日にはディスプレイが設置された。

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秋の100曲:YMO「Shadows On The Ground」1983

2024-11-07 21:00:00 | 音楽帳

11月、とか、ノベンバーという時期となったが、めくるめく毎年この時期ココロによみがえるのは「ノベンバー・・・」と始まるYMOのこの曲。
1983年12月31日散開に向けた彼らの声や姿が、ついこないだのことのように浮かぶ。
毎年毎年この季節、あの41年前の秋の幻影を引きずりながら、アルバム「サーヴィス」を聴いてはトリハダを立てる。

木枯らし1号が吹いた今日。あたりを染めなす太陽の下、チャリンコで北風を切って走る。
イヤホンでこの曲を聴いて、またつい感情が揺さぶられてしまう。

■YMO「Shadows On The Ground」1983■

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秋の100曲:Fra Lippo Lippi「A Small Mercy」1983

2024-10-30 11:30:00 | 音楽帳

10月29日(火曜日)くもり、のち雨

10月も終わりになって、やっと秋らしくなってきた感じですね。
と昼、小島慶子さんが言っていた。大竹まことさんの「ゴールデンラジオ」冒頭でのやりとり。
「こんなに寒くなって、ちょっと嬉しいよねえ」と大竹さん。
確かに。
私も秋が好きなので。

家を出る12時近く、霧雨がぱらついていた。気温は18℃あったが、私にはとても肌寒くて、厚着でハナをくすくすしていた。3回目の肺炎に近い症状はやっとこの土日で治りつつあったが、元々冷え性だから用心。周りは薄着でも、病弱な私には参考にならない。赤の他人の感覚に頼って風邪を引いては元も子もないのだ。服装をどうするかは、最近の最重要課題といましめる。
結局、気温はこの日、18℃以上にはならなかった。

***

大竹さんのラジオが始まる頃、じぶんはリハビリ兼ねてカラダを動かすために上野付近に移動していた。行く車中では音楽を聴きながら、車窓から色味の失せた風景を眺めていた。
iTunesで聴く曲をまさぐり、フラ・リッポ・リッピでやっと自分の心象風景とマッチ、落ちついた。こんな時空が停止した、実に秋らしい日には、やっぱり定番の曲が聴きたくなる。毎年のことだが、彼らのセカンドアルバムは、秋から冬にかけて聴きたくなる一枚。


■Fra Lippo Lippi「A Small Mercy」1983(アルバム「Small Mercies」より)■



白い秋らしい日。次第にくもりは雨に変わり、雨は翌日まで続いた。

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秋の100曲:Mihaly Wulfen「Selected Ambient Works」2024

2024-10-23 19:00:00 | 音楽帳

”とても秋とは呼べない気候で、これからだってアテにならないが、昨日から急激に冷え込み、やっと「秋」と呼んでもいいかなという気分になった。”

・・・と書いたのは数日前のこと。ここまで書いて止まったままだった。

その理由は2つある。

1つ目は、それくらいに異常な気候が6月くらいからひきづっていること。

今日だって、気温・湿度ともにおかしい。最高気温26度、室内の湿度は85パーセントくらいまで上昇。蒸し暑く、外にTシャツで出ても肌に熱気や湿気がまとわりつく。まるで梅雨どきみたいなじとじとした陽気。。外は小雨が一日降り続いた。

果たしてこれで秋なんだろうか?またこんな陽気が今後も現れはしないか?そんな不安。

近い場所の樹々はしだいに確かに色を付けてきたけれど、昔描いたような何か決定的な「秋」と呼べる要素が少ない。

 

理由の2つ目は、先週から体調不良になっていたからである。

書いて途中だったのは、単純にPCに向かう態勢になれなかったのだ。

最初は鼻風邪か?と思いつつごまかしてチャリで風を切っていたが、微熱がよろよろと現れては消えを繰り返しだしたのが危険な兆候だった。

やっと漕ぎ始めたリハビリ兼ねた仕事は休みたくなく、やむなく近場の町医者に頼ったが、貰ったクスリは効かず。そのうち微熱は次第に大波となり、結局大病院にかかることに。3回目の肺炎か?と焦ったが、結果はその手前。採血結果はひどく、かなりな炎症反応が出ていた。予期せぬ今年3回目の「全身休め!」指示を神より受け、日・月・火・水と寝込んでいた。

いろんな箇所の疼痛、頭痛、発熱、鼻水、セキ等々に苦しみつつ、夜中びしょびしょに汗かいた寝巻きをとっかえては水分を摂り、断眠を繰り返す日々。

***

今こうして書いているのは、少しまっとうに戻ったゆえのこと。

でも、苦しいので余り時間長く考えたり作業したりはできない。

そんなここ数日、身もだえる寝床での救いはやはりTVとラジオと音楽だった。長い時間その空間を満たしてくれる、アタマが痛くならない静かなものを選んだ。好き嫌いの激しい自分だが、とにかく身動きが容易にできないので、選んだらそこに身をゆだねた。

 

今日聴いていたのは、ミハイ・ウルフェンの「セレクテッド・アンビエント・ワークス」。

同じようなタイトルはエイフェクス・ツイン以降いっぱいあるけれども。これも極上の逸品。

 

古い自分はついついブライアン・イーノを思い起こした。

また、イーノがアンビエントという音楽を発見した、病床でのできごとを想い出した。

病気のときほど、音楽の白黒がはっきりとわかるときはないのだ。

■Mihaly Wulfen「Selected Ambient Works」2024■

  1. Clouds
  2. September
  3. Cloud Movements
  4. Rhinestone
  5. Orionids
  6. April Cold
  7. Deep Water Currents

Recorded, mixed & mastered by M. Wulfen

2024年10月8日リリース  

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夏に向かう日々と100曲:サム・スモール・ホープ

2024-09-26 23:40:00 | 音楽帳

7月頭から始まった酷暑は、果たして「夏」と呼ぶべきか?
異常な暑さの日々はこれでやっと一件落着になるのだろうか?
そんな疑問。

9月22日(日・秋分の日)最高28.9 最低22.5°C
9月23日(月・祝)最高27.7 最低19.7°C
9月24日(火)最高25.3 最低17.7°C
9月25日(水)最高23.7 最低17.9°C
9月26日(木)最高29.1 最低19.4°C

23日、やっと秋らしい空気とさわやかな風を感じる日をむかえた。翌24、25日はさらに気温下降が進んで、むしろ肌寒いくらいの陽気。
この約3か月間、外に出るときは(ハダカというわけにいかず)Tシャツが精一杯だったが、この日はさすがにその上に一枚羽織って外に出た。

***

備忘録。夏を振り返れば。。。

6月。夜ヨコになるとノドの痒み・セキ・鼻水が止まらない日々。そんなことが1か月以上続いた。それを副鼻腔炎の一症状と家人と自分に言い聞かせてごまかしてきた。しかし、その1か月超の不調の原因が「肺炎」と確定したのが7月4日。真っ白になった肺のレントゲン写真に驚愕。
そんな診察日は35°の猛暑。。。それなのに、病院帰り 乃木坂、赤坂、溜池、、と長さんぽした。家の者からは「貴方は死にたいのか?クレイジー」とバカ扱いされた。でも、と言い訳したいのは「ひどい酷暑なのに歩きたいくらいに美しい晴れだったのだ」。

「即入院レベルだよ」と医師に吐き捨てるように言われた肺炎。
その後治療の末、一週間後(スロースタートの)仕事を再開。だがその一週間の休養が中途半端だった為 すぐに肺炎を再発症。ノックアウトされてダウンしてしまった。そんな一進一退を繰り返しているうちに、今度はエアコンが壊れる事件が勃発。

そんな「ああだのこうだの」を言ってるうちに8月は終わってしまい、台風の騒ぎも超え、ほぼ立ち直るとすでに時は9月。
振り返ると、この7.8月の酷暑はもう別次元の概念の季節なのではないか?。
また、肺炎の原因の一つは明らかに暑さによる免疫力低下だったのではないか?。何かそんな気がする。

9月23日段階で、カラダ側はすでにスイッチが秋冬モードに切り替わっていて、手足の冷えが始まっていた。少し涼しかった夜半、Tシャツに肌がけもはいで寝てたからか?起きたら鼻声。ただでさえひどい副鼻腔炎の更なる悪化は未然に防がねばならない。
セコくセコく日々の細かい防御を積み上げて、体調を崩さないようにせねばまた入院レベルに逆戻りしてしまう。

もはや季節はついに夏ではなくなったが、過ぎゆく夏(&”秋よ、ようこそ”)への曲としては、相変わらず毎年の定番。
ヴァージニア・アストレイを今年も聴いている。秋冬の服を出し、来たるべき寒さに備え、衣替えするように。

「サム・スモール・ホープ」は、ヴァージニア・アストレイの中でも 特に美しい天上の一曲。
自分にとっていわばアイドルだった3人が共演するという奇跡が実現したナンバー。

この世がひたすら生き苦しく、世間の人々と歩調を合わせた暮らしが全くできない。どうしていつもこうなんだろうか?と思う自分にとって、たましいのありようが身近に感じられてならない3人。
輪廻転生の過去どこかで一緒に居たか、たぶんいつか会っていたに違いない。そのような気がしてならない。
そんなひそかな直感と3人それぞろへのシンパシーを抱いた中高生の時代から、約40数年。

音の合間から、高い秋の空が透き通って見える。
この気高さ。決してよごされることのない純潔。
この曲は自分にとっていつまでも大事な美しさを保っている。
確かな手応えが何一つないこの世で 数少ない大事なシェルター。聴いていると地上に視えない楽園が舞い降りる。



■Virginia Astley ・David Sylvian &  Ryuichi Sakamoto「Some Small Hope」1986■

満たされぬままに広がるあらゆる夢
私達の前を通り過ぎて行くあらゆる生き物
私の孤独な魂はささいな思いに悩む
けれど真心だけは純粋でいられる

何故毎日がこんなに気だるいのか
恐怖から逃れられる人はいないのか
そんな悲しい絶望感を抱かずにはいられない
たったひとつの小さな希望を持って

地球の奥深く眠る屍の様に私はひとりぼっち
やるせない想いに魂は打ち沈み
若芽の様に......
けれど私の人生はいつもこんなふう

すこやかな時間を過ごしていても
後悔の念が私を苦しめる
すると過去がすべて消えていく
はるか彼方へ

あなたは旅立ち
時は過ぎていく
友達でいられるわね
(私は)目を閉じて
彼方へと思いを馳せる

ほんのわずかな望みも
はるか彼方のもの

作曲:ヴァージニア・アストレイ&坂本龍一

ヴォーカル:ヴァージニア・アストレイ、デヴィッド・シルヴィアン
キーボード・プロデュース・アレンジ・ミックス:坂本龍一

”今度は今度、今は今”(映画「パーフェクト・デイズ」)

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夏に向かう日々と100曲:坂本龍一「sweet revenge」1994

2024-09-15 23:30:00 | 音楽帳

9月14日(土)
外は晴れていた。気温は34℃くらいまで上昇。
私は、家のやむない雑用にひきづられ、室内にとどまっていた。

秋めいてきた。と思った9月5日の心地良い陽気はあっという間に吹っ飛んでしまった。
急カーブを描いて、その後また夏の暑さがぶり返してきた。
もう9月半ばになろうというのに毎日35度近くまで上昇してきている。

季節感が狂ってしまっているので、「夏」ということばの概念をどこまで拡大解釈するか?
の世界になっている。

***

家にいて家人の雑用にひきづられ室内に幽閉されていると、容易に解決しない些細な雑事にうんざりしてしまう。
やっぱり自分は一人でいるのが本性なのか?今日も次第に閉じ込められた世界に窒息しそうになる。
16時半 いろんな事情を振り切って、無理矢理 外へ脱出する。

「急がねば」とはやる心は、この時期の日の沈む速度のはやさをカラダが知っているからだ。
14日の日没は17時49分。もう日没時間は18時をとうに切っており、15時も過ぎたあたりから陽には赤味が差し出す頃。

外の空気は吸いたいが、遠くには行けない。
遠くへの旅はあきらめ、川のある高台で夕暮れを観よう。。。と橋に向かった。

***

チャリンコで走るさなかのおともは「sweet revenge」。
ひさびさにCDを取り出し、i-tunesに入れたアルバムを この一週間ずっと走る中 聴いていた。

高速で走り交うクルマ。誰も止まることのない、そんな橋の真ん中。風がぼーぼーと吹く。
その風の中に一人佇み、サンセット /  数十分の空のショーを観て味わう。

夕陽を一人で観る時間。

アルバム「sweet revenge」が流れていた1994年、自分はawayな異国・大阪で必死に暮らしていた。
そんな「あの頃」のできごとや、彼女の姿、その頃の自分と教授のありようなど、そんなこともよぎりながら。
空が静かな夜に向かっていく。

■坂本龍一「Water's Edge(君と僕と彼女のこと)」1994■

彼女は約束をした 夏が来たら暮らすことを
僕は仕事を変えた かせぐために
昼も夜も働き
君には打ち明けたはずだと 信じ続けていた

寒い朝 突然に彼女は消えた
ぼくたちはもう何もさがさないだろう
それぞれに街を去り 会うのをやめた
三人の週末は色を無くす

彼女はいつもの通り その日のすべてを話した
君に会っていたことも 知っていた
僕はできた奴じゃない
君を殴りとばし 友情を笑えばよかったのか

ぼくたちは十年後 あの頃のように
波をうけ風を切り 海原を行く
それぞれの新しい家族をむかえ
輝いた航跡を 振り返らない

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夏に向かう日々と100曲:Lotus Eaters「No Sense of Sin」1984

2024-09-09 11:50:00 | 音楽帳

9月5日(木)

朝一番、育たないゴーヤの水やりに外に出ると、信じられないくらいに涼しい陽気。

こないだまでの人間離れした狂った陽気はどこかに去っている。

空は美しい青をしている。秋の気配がする。

 

部屋に戻ってネコたちに朝ごはん。

そして、洗濯開始→外干し。。

やっと湿気が消えた空にTシャツがなびく。

今日は通り雨にまどわされずに過ごせそうな予感。

 

11時ごろ外に出る。

自転車に乗り込み、リハビリに向かう。

昼に近づく空の下、ロータスイーターズを聴きながら走る。

 

毎年聴いているアルバムも、思えばあの十代から40年が経っている。

アルバムタイトル「青春のアルバム」は、原盤タイトル「No Sense of Sin」と違い、日本で勝手につけたもの。

「青春のアルバム」とは実にド直球だけど、確かにロータスイーターズには彼らだけに許された純粋無垢がある。

それは、小っ恥ずかしさを超えて輝いている。

 

キラキラとまるで三途の川のような風景に思えるデビュー曲。=「First Picture of You」。

夏のまぼろし。この曲が彼らとの初めての出会いだった。

隅田川を渡り、視界が広がった空の下。

音楽を聴いてチャリンコで走ると解放感に包まれる。

うっとうしい観光客等々に汚された浅草をくぐり抜け、違う街へと駆け抜けていく。

 

これでもかといくつも重なっていくロータスイーターズの青春歌を聴く。

50代後半・2024年の夏のおわりの風景。

 

昼に近づく時間。

空にはたくさんの雲が、湧いて浮かんでいる。

年を重ねたからといっても、未だこころの底では青春じみた幼い妄想が燃えている。

 

■Lotus Eaters「Out own Your Own」1984■

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夏に向かう日々と100曲:トレイシー・ヤング「恋のしぐさ」1984

2024-08-15 14:00:00 | 音楽帳

前回書いた通り、1983年までから一転、1984年の音楽シーンは自分にとって、より暗い状況、と感じられた。

自らの心身の不具合も一因となり、リアルタイムの現実は大きな暗雲として立ちはだかっていた。

自分は1983年秋〜冬、クリスマスまで2回に渡り合計1ヶ月以上、精神性胃潰瘍で入院していた。何とかクリスマスに退院して年の瀬をシャバで過ごすことは出来たが、年が明けた1984年以降もひどい胃痛症状は継続していった。

 

1983年末をもってYMOは散開した。

年が明けた1984年からはアフターYMO時代。

だから、というわけじゃないのに、年が明けたら、世界をビロウドのようにおおっていた魔法は解け、干上がった現実に戻されたようだった。

自分にとって大事だった、何か磁場のようなものが見える周囲から消えていった。

 

虚しい荒涼たる世界を前にして、この先どうやって生きていっていいのか?途方に暮れていた。

これを誰かに言って、それはあなたの中の幻想、まぼろしだよ。と言われても仕方ない。でも自分の中では確実に起きていた感覚であった。

追いかけていたニューウェイヴの世界は、そのありさまを変容させながら、いくつかの方向に向かっていった。

 

***

 

1983年暮れに知ったジ・アート・オブ・ノイズのデビュー12inchシングル「イントゥ・バトル・ウィズ・ジ・アート・オブ・ノイズ」。それを聴いた者たちの反応とざわめき。

もう一方では1983年からメジャーシーンに出てきたヒップホップの影響。その影響は例えばローリングストーンズといったロックやポップスのメインシーンのみならず、ニューウェイヴにもエッセンスとして現れ出していた。

ジ・アート・オブ・ノイズとヒップホップの影響から同系列の音を鳴らし、ハードでタイトなドラムと密な音で埋め尽くされた世界に向かう人たち。

 

あるいは、そんな流れと離れ、それまでエレクトロニクスの音一辺倒だった世界への反動から、ニューアコースティックムーヴメントのように生音や静かな音へと向かう人たちが顕著に現れ出した1984年。

 

***

 

そんな1984年に出会った一つがトレイシー・ヤングだった。

彼女が唯一残したLPアルバム「恋のしぐさ」。当時NHK=FM夜の番組「サウンド・オブ・ポップス」はよく新譜を紹介してくれていて、ありがたい存在だった。その新譜特集からカセットテープに録音した「恋のしぐさ」。このアルバムを1984年夏は繰り返し聴いた。

音楽雑誌ではこのアルバムはボロクソ叩かれていた。トレイシーには特に秀でた特徴があるわけではなく、アイドル的要素も薄く、卓越して歌が上手いわけでもなく・・・。それは聴いた自分にもよく分かる意見であり、その通りだと思う。なぜ、暑き血潮が漲るポール・ウェラーが彼女にここまでチカラを費やしたんだろうか?などと思ったこともあった。

 

しかし、何の情報もなくたまたま出会った「恋のしぐさ」が気に入ってしまい、ずいぶんと大事に聴き込んだ。

過剰に自己主張しないさりげない魅力に惹かれていた。そこには自己主張しなくても世界に受け入れて欲しい、という自分自身の無意識の願望が重ねられていたようにも思う。理詰めで批評されることはどれも正しいかもしれないが、それとは無縁に聴いていたこのアルバム。

トレイシーの声や歌はみずみずしくのびやかで、清くさわやかだった。ポール・ウェラー他から提供された楽曲にはメロディアスな曲も多く、アコースティックな曲では必要最低限におさえた質素な演奏も実に魅力的だった。

エルビス・コステロ提供の楽曲、a-1「(I Love You)When You Sleep」。あなたが眠っている姿が好き、というささやかな言葉の永遠。この名曲はイギリスでシングルカットされた。その7inchシングル盤も持っている。ポール・ウェラーが作った曲はアルバム10曲中の5曲(a-2・3・5、b-3・5)。

モロジャム、モロスタイルカウンシルといった風情の曲もある。a-5は(なんと!)バナナラマのファーストアルバムにも収録された曲。

 

何よりも美しい名曲はa-4「ひとりぼっちの夏(I Can't Hold On 'Till Summer)」。

身近なすぐ話せる友達などいなかった1984年の夏。

このアルバム、これらの曲を聴くと、あのやたら方向を見失った空虚な夏、そんなひたすら長い夏休みの孤独な感覚がよみがえる。

 

■Tracie「I Can't Hold On 'Till Summer (Without Strings)」1984■

・・・・あっという間に時は巡り、今年も8月15日が来て、手を合わせる。

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夏に向かう日々と100曲:Dire Straits「Brothers in Arms」1985

2024-08-07 14:50:00 | 音楽帳

引っ張り出してきたシングル盤とCD。。

極私的備忘録。

“サルタン(1stアルバム)”を聴いたのは春だった。
いつものように北千住のレコード屋さんにチャリンコで立ち寄ったら、室内いっぱいに”サルタン”がかかっていた。
やたらプチプチいうレコード盤で、昔ながらのスピーカーから響くのは、あたたかみのある音だった。
レコード棚に入ったレコードを一枚一枚、カタカタ音させてめくりながら、社会的束縛の外側、悠長で静かな空間に流れる、マーク・ノップラーのギターを聴いた。

それからしばらくはCDの”サルタン”をiTunesに入れてチャリンコで走りながら聴いていたが。。。。
そのうち夏が来て、懐かしい一枚を今年の夏も押し入れから取り出した。

毎日苦しみに満ちていた1985年。
そんな浪人時代の「あの夏の日」を思い出させる一枚、”ブラザーズ・イン・アームズ”。
突き抜ける青空をバックにしたギターのジャケット。

***

個人的な音楽遍歴だが、、
それまでの先人たちが作ってきたロックやルーツミュージックに「NO!」と拒絶し、アフターパンクからニューウェイヴに生きる道を見い出した70年代末〜1983年。
・・・それが終わってしまった感の1984年以降、周囲の世界はまた元通りに、こころは暗い雲で覆われ出してしまった。ロックやポップミュージックのあり方に一撃を喰らわしたはずのニューウェイヴは次第に収束方向に向かい、みんなお行儀の良いありきたりな音楽スタイルばかりになっていった。
だから1984年以降は、まだ高校生だというのに、「それでもあらがい、独自の方法で道を見つけようとする音楽」を探す旅になって行った。

つまり本来は「アメリカで大ヒット!」なんていうフレーズにくくられる世界とは無縁のはずだったが、一発聴いて痺れる独自の音楽がほぼ無い中で、それまで繋がっていたアメリカ・イギリスのチャートやシーンへの注視をやめるわけにいかず、中には良いものもあるだろうと未練がましくしがみつくように、メジャーシーンをまだ追いかけていたのだった。

ほんとうはアルバム”ブラザーズ・イン・アームズ”に入らないはずだったという「ウォーク・オブ・ライフ」、そして、アルバム始まりの「So Far Away」。このシングル2曲が無かったら、自分はこのアルバムを記憶にとどめなかったかもしれない。

***

自分がFM雑誌を初めて買ったのは1979年、中学生時代。
雑誌には毎回さまざまなアルバムが紹介されていて、白黒のザラ紙に印刷された広告やレコード紹介にある数センチ角の小さなジャケット写真は魅惑的だった。こんなバンドがあるんだ、とか、いつか聴いてみたい、と知らない広い音楽世界を想像させた。ダイアー・ストレイツはそんなバンドの一つだった。”サルタン”も美しいジャケットデザインでいつか聴いてみたい、と思いながら時は流れてしまった。

そんなダイアー・ストレイツが突然ブレイクしたのが1985年、5枚目の”ブラザーズ・イン・アームズ”からシングルカットされた「マネー・フォー・ナッシング」。この曲が大ヒットしたのがきっかけだった。MTVをテーマした内容やスティングが一緒に制作していることが話題となったこの曲はビルボード1位となった。

正直言って「マネー・フォー・ナッシング」は好みではないが、その前後にシングルカットされた「ウォーク・オブ・ライフ」「So Far Away」をよく聴いた。その後も「愛のトリック」等何曲かラジオから録音して聴いたが、アルバム全体を通して聴くことなく40年近く経った。
しかし、まさかこのアルバムが歴史に残るくらい売れる(3,000万枚)なんて考えもしなかったし、今までナゾだった。

***

この数年、夏になると”ブラザーズ・イン・アームズ”を聴いている。アルバムA面「So Far Away」「マネー・フォー・ナッシング」「ウォーク・オブ・ライフ」「愛のトリック」といきなりシングルカットされた曲が4曲もたたみかけてくるが、(私にとって)この数年の発見は、それ以降にある。マーケットを意識したビジネスライクな曲はあまりもう聴いても意味が無いし。。。[もう社畜業から足を洗い、卒業して次へ向かっているし。。。商売とは関係ないところで音楽に対峙したいな。。。]

自由なギターだけのサウンドなど、商業色の薄い箇所がA面5曲目以降に現れる。例えば「Why Worry」。これだってキャッチーでビジネスライクな曲として始まるのだが、途中から主題を逸脱していく。果たしてこの曲が8分必要か、といえば、もっと短く仕上げることはできるだろう。そこを必要以上にゆとり持たせた長さは、レコードを聴いていることを忘れさせてしまう。それまでのA面4曲の世界を消し去るように、全く違う世界に聴く者をいざなう。
マーク・ノップラーのソロで大好きなアルバム(サントラだが)に”cal”というアルバムがあるが、ここにも同じようにすごく長い分数の曲がある。同じことはアルバム”サルタン”にも言える。

まるで室内にギターを抱えたマーク・ノップラーと居て、目の前でポロンポロンとギターの練習がてらメロディを奏でているみたいな錯覚を抱く。そんな箇所を発見しては音のあいだに自分の身をたゆたわせ、微細な音の余韻にひたる。
約40年を経て聴いたアルバムには、そんな新しい発見があった。何一つ救いの無い、しかし絶望というにはいまさら、の状況の2024年。そんな夏のささやかな出来事。。。こんなことが自らの突破口になればいいな。。。

 

■Dire Straits「Why Worry」1985■

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