こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年3月31日 土曜日 - 2011年度の終了 -

2012-03-31 22:14:59 | 写真日和

今日、今年度最後の仕事場に向かう。
その前の、7:30.
3月31日、ドラマ「カーネーション」が終了した。

夏木マリも、プレッシャーや批判を浴びた不幸な仕事ではあったが、最後までよくしのいだ、と思う。
本当にご苦労様だったと思う。
まさかバトンを引き受けた段階では、こんな大きな器に育つに至るドラマになろうとは思いもしなかっただろう。
92歳まで生きた「小原糸子」のエネルギーの凄まじさには、ひれ伏すのみだった。

最終回は、「糸子」の死後、あたかもまるで「輪廻転生」を示唆するかのように、第1回目の糸子の歌で終わる。
幼少時代の子役の「糸子」と、尾野真千子さんの「糸子」。
2人での歌。
久々に見た三つ編み姿の尾野真千子さん。
あまりにものかわいらしさに、思わず顔がゆるむ。


まったく何も無かった不毛の地に、種を萌芽させ・大きな花を咲かせ、毎日にかすかな希望を持たせてくれた尾野真千子さん演じる「糸子」に再び戻る。
このかわいい映像と歌には、彼女の魅力がにじみ出て、あふれていた。
そこに救われていた自分。



台風以上の暴風雨があばれた東京、2012年3月31日。
「春の嵐」どころではなかった。
最終日まで、カンタンには済ませてくれなかった神的ななにがしか。
ボロボロに疲れながらも、2011年度は終わった。


仕事場を出れば真っ暗で、小雨と風の吹く中、傘もささずに水天宮まで歩いた。




















春の嵐が吹き荒れる中、終わりと始まりが交錯する。
花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生さ。。。。有名なコトバ。










三島由紀夫・45歳の、好きな辞世の句がよぎる。

「散るをいとふ 世にも人にも 先がけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐(さよあらし)」(三島由紀夫)


しかし、明日は明日とて生きねばならない。
生きている限り、ひたすら道は続くのさ。

■デヴィッド・シルヴィアン 「輝ける樹々(Brilliant Trees)」 '84 ■


あなたがやってきたら ボクはもう一度自問するだろう
この生命を握っているのは、今でもボクなのかと?
一歩一歩あゆむにつれ、はるかかなたに向かうのなら、考えにひたるたびに、ボクは故郷に近づくはず

そして、あなたがそこに立ち ボクを生かしてくれている
天に両手をさしのべてみても、答えはあなたにしかわからない

ボクの全世界が目の前に存在している
あなたのヒトミが命ずるがままに
あなたのヒトミが命ずるがままに

ボクの全人生が目の前に伸びている
花のように頭をあげ、ボクの生命を土にかえそうと

ボクが立てた計画は、どれも周囲に流されてしまった
どんな教訓を学ぶにも、それなりの代償がいる
信ずる対象がボクから去っていこうとも、ボクはこの腕にあらゆる望みを抱いている
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2012年3月30日 金曜日 - 浅草・向島 -

2012-03-30 20:37:47 | 写真日和

浅草 マルベル堂


刺青キューピー


地下鉄浅草駅の地下道にあるマッサージ店


潰されていく下駄・サンダル屋さんのとなりの建物

***

11年前の2001年、向島~隅田川周辺をたんねんに歩いていた。
その街の気配にいざなわれて、さまよっていたころの写真。


隅田川


三囲神社


向島


東向島


そんな旅のさなか出会ったネコ


その頃のコチャコさん
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2012年3月26日 月曜日 - 御茶ノ水・駿河台 -

2012-03-26 21:28:46 | 写真日和





申し訳ないなどという気がまったく無い、形式だけのあいさつ顔



















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2012年3月24日 土曜日 - Loscil 「Endless Falls」'10 -

2012-03-24 08:49:34 | 写真日和


まさにエンドレスフォールズ。
週末が雨で明ける朝。
Loscilの「Endless Falls」をかけている。
こんな朝には合っている。


23日21時44分頃 京都府北部  M3.6 震度2
23日22時55分頃 千葉県東方沖 M3.9 震度2
23日23時53分頃 福島県沖   M4.1 震度3
24日00時53分頃 茨城県北部  M3.5 震度2

昨夜も、部屋に居るとミシッ、ピシッとラップ音がする。
音が聞こえるたびに、どこか深い所で大地がまた動いている予感。
その不穏さは、今朝も続いている。
いつ何があるのか。
何かが近づいてきているような気がして、過剰に神経質になってしまう。


お茶を入れて、ドラマ「カーネーション」を、BS・地上波と2回見る。


昨日の雨のタクシー車窓より。


雨の中の花。


コチャコの寝る姿の写真を見ると、少しだけ気がゆるむ。

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2012年3月23日 金曜日 - 駿河台下・淡路町・秋葉原(3月2日撮影) -

2012-03-23 07:06:58 | 写真日和

駿河台下にある、過去の震災の碑。




お花屋さんのディスプレイ。


壊されていく淡路町。


































この日帰宅後、スティーリーダン、スミスを聴いた。
とは言うものの、この日は音と自分の間に、何か膜のようなものがあった。
中に入っていけない、そんな感じ。
近時の自分は、全くチカラが無く、アンビエントな響きの引力につい傾斜していく。

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2012年3月22日 木曜日 - 御茶ノ水へ(3月2日撮影) -

2012-03-22 07:04:35 | 写真日和

茅場町。


大手町。




雨に煙る御茶ノ水。


神田川岸に咲く梅。


JR駅前。








通院の吹き抜けホール。


会計を終えて歩き出す。















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2012年3月21日 水曜日 - つくば・新三郷(3月12日撮影) -

2012-03-21 07:12:41 | 写真日和
つくばでやることを終え、新三郷へ市場調査に出かけた。





















































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2012年3月19日 月曜日 - 八丁堀(3月9日撮影)+東向島 -

2012-03-19 22:09:14 | 写真日和













有明から仕事場に戻る道。かき揚げ丼とおそばをいただく。

***

■「3月16日東向島」■

業平橋の駅名が消えた看板。


ディズニーランド化していく墨田区の片隅で。











■田村隆一 「帰途」■

言葉なんか覚えるんじゃなかった

言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても 
そいつはボクとは無関係だ
キミが静かな意味に血を流したところで 
そいつも無関係だ

あなたの優しい眼のなかにある涙
キミの沈黙の舌からおちてくる痛苦

ボクたちの世界にもし言葉がなかったら
ボクはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に果実の核ほどの意味があるのか
キミの一滴の血に
この世界の夕暮れの震えるような
夕焼けの響きがあるか


言葉なんか覚えるんじゃなかった

日本語とほんの少しの外国語をおぼえたお陰で
ボクはあなたの涙のなかに立ちどまる

ボクはキミの血のなかに
たったひとりで帰ってくる
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2012年3月19日 月曜日 - 有明(3月9日撮影) -

2012-03-19 07:06:47 | 写真日和

雨の中、ビッグサイトへ。


素敵な絵が描かれたトイレ。










様々な立ち位置で、地道なアプローチをされている方々との出会い。
そんな方と話す事が展示会では可能。
立場は関係ない世界。

名刺を1枚、1枚かわすことはどうでも良い。
話す事が、その人から多くの教えをもらう事に繋がる。
その人それぞれの苦労や、人となりに出会う。




帰り道のバスの車窓より。





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2012年3月18日 日曜日 - 中野(3月4日撮影) -

2012-03-18 13:29:19 | 写真日和




























***

吉本隆明さんが亡くなった。
自分は、60年代、70年代の吉本さんを知らなかった。

80年代のスタートに大きく関与した糸井重里さん、教授(坂本龍一)経由で、自分は吉本さんを知ることになる。
学生運動に関わった彼らの師が吉本さんである、という点から自分はその存在を知った。
十分な読解力を持たないながらも、背伸びをして「共同幻想論」「マスイメージ論」「大衆としての現在」「重層的な非決定へ」などを読んだ。

揺れ動く少年から大人に向かう密なる年齢に、80年代初期の東京の輝きを浴びた自分はある種幸福だったのだろう。
悩み深き、胃かいよう持ち青白き青年だったとしても。

カルチャーをサブカルチャーが破壊していく、世間と相反する側に立つ自分を、親も周囲も苦々しく見た。
それらの騎士だった糸井さんを初めとしたサブカルチャーの躍進と時代の輝きの後ろに、否定せずに理解しようとした吉本さんが居た。
その印象が、自分には一番強い。
埴谷雄高とのコム・デ・ギャルソン論争も懐かしい。

難しいことを偉そうに言える頭脳は自分にはゼロだ。
しかし、吉本さんは自分がこだわり続けた80年代初頭の登場人物として欠くことは出来ない。
それだけは我々世代の真実である。
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