こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

12月29日 金曜日 D. Sylvian&H.Czukay「Flux + Mutability」

2006-12-30 00:00:08 | 音楽帳


死ぬようにしんどい最後1週間が終わった。
昨夜、少しお酒を飲み、皆にしばしのあいさつをすると、もう遅く、町屋まで来ると、既に12時。都電は走っておらず、寒い中、家まで歩いた。
約25分。
お金も無いので。

***

死んだように寝て、13時まで。
起きると、雑然とした部屋。

外は、寒風吹きすさび、外には出ることなく、年賀状をしたためたり、部屋を整理するので、夜になった。

***

今日、取り出したのが、David Sylvian&Holger Czukay「Flux + Mutability」。

この「Flux」という16:54の長い曲が頭に浮かんでいたのだ。
寒い時に、この曲を聴いた冬を思い出した。

雪の翌日、東武伊勢崎線に乗り、窓からの白い風景を見ながらの、この「Flux」は素晴らしかったのを思い出した。

タムタムでは無いが、一定のタイコのビートの上に、アトモスフィアとしてのシンセ・ホルガーのギター・ラジオの音が乗る。

「プライト&プレモ二ション」も良いが、このアルバムも、風景を眺めながら、思索をしながらには良い。

多分、デヴィッドのヴォーカルが好きで買ったヒトには残念だが、彼の声は一切入っていない。ホルガー・シューカイの昔からの曲の作り方にのっとり、それをデヴィッドが勉強しているといった様か。

***

2006年もあと2日。
間もなく、静かな神聖なる日本人の伝統的「お正月」がやってくる。
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PULSE (高橋幸宏) 「MEMORY WITHOUT CONSEQUENCE」’97

2006-12-19 20:21:50 | 音楽帳
高橋幸宏が、1997年12月に発表した「PULSE × PULSE」。
この作品はユキヒロ久々の「ヨーロッパ」世界、かつスティーヴ・ジャンセンとのコンビで、期待はしたのだが、、余り曲の出来が良いものが少ないように当時思った。



しかし、1曲だけ、最近も毎日繰り返し聞いている大好きな曲がある。
「MEMORY WITHOUT CONSEQUENCE」という曲。

ユキヒロのロマンティズムの世界で、名曲だと思う。
もっさもっさとけだるいドラムの上に、繊細なユキヒロのヴォーカルが乗る。

しかし、今振り返ると、細野さんに導かれて、やっと「スケッチ・ショー」で復活したユキヒロが過ごした90年代は、正直、ファンとしても付き合うのがつらかった。永遠に繰り返す同じような曲と、中途半端な弱弱しい世界に、私はついていけなかった。
「A DAY IN THE NEXT LIFE」までは、自分なりの調整の範囲で、噛み砕いてはいたが、それ以降については、私は良い理解者にはなれなかった。

この「PULSE × PULSE」は、ユキヒロにとっても、そんな流れを絶つためのアルバムだったのかもしれないと、自分も思ったものだが、その後、再び、やわな世界に戻った時には、ファンとして深刻な心境になってしまった。

だから、スケッチ・ショーで、細野さんの力を借りて、久々に「あるべき世界」に戻ったユキヒロには、個人的にとても喜んだ。
だから、コンサートにも、オールスタンディングという場違いなところでも行った。

まだ、実は「BLUE MOON BLUE」は聞いていないのだが、みな絶賛で、近いうちに買おうと思う。
しかし、ユキヒロの復活を見るにつけ、細野さんの持つ力というか磁力はすごいと今さらながら思う。本当に、偉大な神様です。


Takahashi Yukihiro 「Memory Without Consequence」
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大竹伸朗→19→EZMD→ダダ→坂本龍一「未来派野郎」'86

2006-12-15 22:44:08 | 音楽帳
すっかり、大竹伸朗の「全景」を先週見に行ってから、関心は、大竹さん。

会社では、人目を盗んで、創作活動。
帰り道では、MD録音機で、帰るまでの道の音を録音。
これを、持ち帰り、エコーかけたりいろいろいじって作品にしようと思っている。
帰りの電車での酔っ払いおやぢ3人の会話も録音した。

***

帰って夕食の後、こないだ「全景」展で買った、大竹さんのグループ「19」の「EZMD」(マルセル・ヂュシャンに捧ぐ)を聴く。



そのうち、手は、久々に、坂本龍一の「未来派野郎」に。
「バレエ・メカニック」に感動。



***

「未来派野郎」は、私の浪人とノイローゼとの戦いの果ての、最終局面、'86ー'87年に流れていた。(発売は、1986年4月21日)

細野さんのコトバに置き換えると「OTT(オーヴァー・ザ・トップ)」
資本主義が、これまで以上に無いほどに加速し、全てが「過剰」に向かい、チキガイじみた閉塞感の中、中で膨張した世界は、私の中でも、1986年末に臨界点・破綻を迎える。

危うく、自殺衝動を向かえ、それを越える頃、このアルバムは流れていた。
私には、忘れようにも忘れられない因縁の一枚のLPだ。

***

「最近、お前もわかりやすくなっちゃったね」と言われると坂本が言っていたのは、1983年頃だったか?



その言われたという人物は、私の想像では、友人のアート・リンゼイと大竹伸朗である。彼らの頭にあるのは、「B-2UNIT」であり「WarHead」であろう。



その後、そこにたたきつけた久々の過激な坂本龍一は、モリサ・フェンレイのパフォーマンスのためのアルバム「エスペラント」と、この「未来派野郎」である。

「全ては遊びに過ぎないから」とバカにして、おちゃらけていた坂本龍一が、YMOを散会させて、やっと一人に戻り、その「個」としての戦いが真に始まったのは、この「未来派野郎」かもしれない。
初めて「個」人としてのコンサートをし、今までに無いほどに、動きのある音楽、動きのあるステージを行ったのは、社会に対峙しながら、「個」を獲得するための真剣な戦いと悲劇的な叫びに、私には捉えられた。
36歳にして、坂本龍一は、実に遅いステージ・ソロ・デビューをした。
ステージで汗を流す坂本龍一の目には、もはや「全ては遊びに過ぎないから」という、逃走し続ける、片手間の姿は無かった。

***

このアルバムには、「ロック」に同一化されないまま、生きてきた自分に対するクエスチョンをし続けてきた、1つの応えの形がある。
必死に、その「ロック」、それに「グルーヴ」感に程遠い自分の姿へのあらがいがある。掌握したテクノロジーと、自分なりの鍛え方を経て、このアルバムは、その「ロック」と「グルーヴ感」を出すことに、注力されている。

このアルバムのレコーディングに入る前に、彼は、ヘヴィメタルやレッド・ツェッペリンの全アルバムを聴き直していた。

思えば、この時期こそは、不思議に、テクノが、資本主義社会の過剰さを背景に、そういったロック的なものに接近していった、実にいたいたしい時代だった。
それは、後のミニストリー初めとした流れや、近時では、アンダーワールドなどの世界のような到達点ではなく、やむなくそこに追い込まれていった不幸な時代と言っていいだろう。
少しも平和ではない。(たとえ、今、聴くこのアルバムが、今時点ではどれだけ素晴らしかろうと)

「未来派野郎」坂本龍一 <ウィキペディアより引用の上、補足・追記した>

1・Broadway Boogie Woogie ( music by Ryuichi Sakamoto, words by Peter Barakan ) 
坂本にとっては初めての、ブルースコードを使用したロックンロール的ダンスナンバー。曲名は、ピート・モンドリアンのマンハッタンを上から見下ろした様を描いた絵画の題名からとられた。ヴォーカルはバーナード・ファウラー(マテリアルの「OneDown」にも参加、オーディションをした上で、彼に坂本はヴォーカルを依頼。)と吉田美奈子。曲中流れる男女の会話は、映画「ブレードランナー」からワンセンテンスずつサンプリングして、それぞれ別の場所にあったものを会話風にコラージュされた。間奏のギターソロは当時21歳だった鈴木賢司で、坂本から「鈴木賢司らしい演奏を」と注文したテイクが採用された。サックスは当時ジェイムズ・ブラウン・バンドに在籍していたメイシオ・パーカーJr。

2・黄土高原 ( music by Ryuichi Sakamoto ) 
坂本の楽曲では数少ない、オーソドックスなコード進行を持つ楽曲のひとつ。テクノの呪縛がとけて、いわゆるフュージョン的なテイストが全面に出ている。エレクトリックピアノの演奏は、手で演奏したものを一度NEC PC-9801対応のカモンミュージック社製音楽制作ソフト“レコンポーザ”に取り込んで細かくエディットされ、人間とコンピュータの中間の独特なノリを狙っている。16分音符と32分音符の組み合わせによる細かなシーケンスフレーズが曲を通して流れ続ける。コーラスは吉田美奈子による多重録音。レコーディング中にたまたま遊びに来た飯島真理が気に入り、歌詞をつけて12インチシングル「遥かな微笑み」としてカヴァーしている。なお、曲名は「こうどこうげん」とも「おうどこうげん」とも発音できるが坂本自身は前者を使用している。アルバム『メディア・バーン・ライヴ』にはライヴヴァージョンが収録されている。

サウンドストリートでも「機械で、何とか黒人の持つグルーヴ感を出せないか?と思い、作った」と言っていた。

3・Ballet Mecanique ( music by Ryuichi Sakamoto, words by Akiko Yano, translated by Peter Barakan ) 
元々、岡田有希子('86年4月8日飛び降り自殺で死去)に提供した「ワンダー・トリップ・ラヴァー」を歌詞を書き換えてセルフカヴァーしたもの。時計が時を刻む音や、カメラのフィルムを巻き取る音などをサンプリングしてリズムを組み立てている。ヴォーカルはバーナード・ファウラー、バッキングギターは当時パール兄弟のメンバーだった窪田晴男。ギターソロ・パートは、鈴木賢司のプレイ数テイクをサンプリングし継ぎ接ぎしたもの。後に、中谷美紀に「クロニック・ラヴ」のタイトル・別の歌詞で提供した。アルバム『メディア・バーン・ライヴ』にはライヴヴァージョンが収録されている。

今、聴くと、楽曲の素晴らしさもさることながら、鈴木賢司のギターが素晴らしすぎる。名曲である。



4・G.T.II ( music by Ryuichi Sakamoto, words by Peter Barakan, original Japanese words by Akiko Yano ) 
曲名は「グランツーリスモ(大旅行)」の意で、車の衝突音で曲が始まる。サンプリング音の組み合わせによるリズムの凝りようは尋常じゃない。ヴォーカルはバーナード・ファウラー、ギターは窪田晴男。シングルカットされた「G.T.」のメガミックスヴァージョン。
アート・オブ・ノイズの「Legs」のヴォイスがサンプリングされている。

B-1・Milan, 1909 ( music by Ryuichi Sakamoto ) 
“スペースコロニーの東洋人地区に流れるBGM”というイメージで作られた曲。1909年は詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが未来派宣言を発表した年である。後半から現れる高次倍音を含んだ声は、マッキントッシュの「Smooth Talker」というソフトで作られたもの。

B-2・Variety Show ( music by Ryuichi Sakamoto ) 
サンプリング音で組み立てられたヒップホップ的なビートの上に、“さるルート”から手に入れたというマリネッティの演説が乗る。マリネッティは、自身の演説会のことを“ヴァラエティー・ショウ”と呼んだらしい。

B-3・大航海 Verso lo schermo ( music by Ryuichi Sakamoto, words by Caori Cano, Italian translation by Syuhei Hosokawa ) 
ヒップホップのビートの上に、オペラ的歌曲を無理矢理乗せたいという坂本の野望から生まれた曲で、当時細野晴臣が傾倒していたOTT(Over The Top)の坂本版。強迫的なリフ部分と、複雑な転調を何度も繰り返す歌部分に分かれる。狂気的なヴォーカルはかの香織。初期の仮タイトルは「機械状無意識」。「プレイング・ジ・オーケストラ」ではオーケストラの演奏とバーナード・ファウラーのヴォーカルで再演。

B-4・Water is Life ( music by Ryuichi Sakamoto ) 
クラシックのCDからの音源を切り刻んで編集したコラージュ音楽。

B-5・Parolibre <パロリブレ>( music by Ryuichi Sakamoto ) 
初期の仮タイトルは「オペラ」。タイトルはイタリア語で1910年代の未来派の自由詩のことで、未来派に関わったアーティストによる造語といわれ(直訳すると「話し文学」)、読み方は「パロリーブル」となる。坂本としてはブッチーニのオペラの中の間奏曲のようなつもりで書いている。主題はヘ長調であるのに対し、中間部では変ホ短調に転調する(調性対比)。後半のボーカルはかの香織。ギターはアート・リンゼイ。前半のメロディー部分のオンド・マルトノ(正弦波)はDX 7によるもの。テーマの再現部において、ピアノの後ろでうっすら聴こえる不協和音がいかにも坂本的。後に『1996』でピアノ三重奏アレンジで再演。アルバム『メディア・バーン・ライヴ』にもライヴヴァージョンが収録されている。

***



このアルバムは、ひどい長い時間を、結果的に拘束されてしまった失敗作「音楽図鑑」への反省も踏まえ、スピードを重要視し、約1ヶ月半という、キチガイ的超スピードで作られた。
それは、このアルバムを聴くとわかるように、それまでに無い、細かい部分へのこだわりの無さ、一筆書きのような世界とでもいうのか、時にアンバランスな面も含めながら、一気に完成させられたものだ。

臨界点を経て、クール・ダウンしていく「Parolibre」という、ゆったりしたピアノ曲が、「終末」をかなでるのを聞きながら、私は、服用したトランキライザーが次第に、自分の「意思」の力をかき消して溶かし込むように、カラダと精神を麻痺・弛緩させていくのを感じていた。1986年の暮れであった。

あれから20年が流れたんだね。

「僕には 初めと 終りが あるんだ
こおして 長い間 空を見ている
音楽 いつまでも 続く 音楽
踊って いる 僕を 君は 見ている」(バレエ・メカニック)
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12月15日 金曜日 今日のコラージュ

2006-12-15 19:51:20 | スケッチブック
大竹伸朗さんのことを、ウィリアム・バロウズは、DADAの継承者と評している。
まるで、大竹さんだが、自分もスクラップブックを作っている。
あんなに精力的ではありませんが・・・。
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12月13日 水曜日 我流 大竹伸朗ポストカード1

2006-12-13 14:27:48 | スケッチブック
独自で、大竹さんのポストカードを作ってみました。

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12月13日 水曜日 かたちんばリミックス

2006-12-13 09:47:05 | スケッチブック
ぐちゃぐちゃと、色んな写真やら、自分の絵などを思うままにリミックスしてみました。
大竹さんのピーナッツの絵・別海の絵も貼りました。

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12月12日 火曜日 大竹伸朗リミックス

2006-12-12 15:02:50 | スケッチブック
大竹伸朗さんの絵を元に、画面上でスクラッチ&リミックスしてみました。

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12月10日 日曜日 大竹伸朗 「宇和島駅」

2006-12-11 00:21:29 | 写真日和
午後、1時の作品「宇和島駅」です。



大竹さんが、宇和島駅の改装の時に、捨てられそうになっていた、駅のネオンサインをただでもらってきたもの。
大竹さんの展示会にはかかせないアイテムです。
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12月10日 日曜日 晴天・ラジオ・大竹伸朗「全景」・吉永小百合

2006-12-10 23:01:14 | スケッチブック
昨日の調子悪さは、今日も引きずってはいたものの、
朝10時に起きたら、外は晴天だった。

今日しかない!
そう思って、大竹伸朗「全景」展を見に行くことにした。

***

今日も、「安住伸一郎の日曜天国」(TBSラジオ)は楽しい。



聴きながら、朝昼兼用の食事を摂る。

***

ボーズ・オブ・カナダの「Trans Canada Highway」をCDウォークマンに入れて、聴きながら、カメラで写真を撮りながら、えっこらえっこら、寒空の中、東京都現代美術館に向かう。



11時ごろ、家を出たはずなのに、神社の秋の紅葉を撮ったり、寄り道をし、清澄白河からも迷いながらだったので、着いたら13:00だった。

***

そこから、なんと4時間!
正直体力勝負でした。



「網膜」シリーズや、一風堂の「ラジオファンタジー」のジャケットの原画や、エコー・オブ・サンダーや・・・とにかく大竹伸朗さんの全てが詰まっていました。

誰かも言ってましたが、回数券で何度も来ないと、全容をつかむのは無理です。

***



「別海」のTシャツ!それに、大竹さんのバンド「19」(ジューク)などのCDを3枚購入しました。
しめて、1万円なり。

***

帰り道、作品「宇和島駅」が赤い明かりを、美術館から放っていました。
それを背に、寒い中、木場まで歩いた。



疲れと空腹から、駅前の居酒屋で一杯。

***

家に着くと倒れ込む。
疲れで。
こ一時間程こたつで寝る。

目覚めると、着いていたTBSラジオから、小野真弓ちゃんの声。
横になって、優しい日曜の、みんながリラックスするラジオに耳を傾ける。

22:30から、時折聴いている吉永小百合さんの番組。
ゆったり優しい声に、耳を傾けながら、ウィークエンドが暮れてゆく。

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12月9日 土曜日 しっくり来ない雨の朝  ~Kettel 「Volleyed Iron」~

2006-12-09 12:44:28 | 音楽帳
朝、10時に起きると、外は雨だった。
今日も寒く、手足がかじかむ。

今日の雨で美しい秋の紅葉も散ってしまうのか・・。

気分は余り良くない。
1週間忙しすぎて、調子が悪い。

***

昨夜、ダウンロード出来た電気グルーヴのBS-NHKでやっていた「電気グルーヴスペシャル」を見た。
初めて見るような、真剣なシリアスな石野卓球とピエール瀧のインタビューが見れた。

しかし、ライブに来ている、バカな若者のコメントには、正直うんざりした。
「世界観が変わった」「世界の最先端を行く音楽」「カッコイイ」
非常にズレを感じた。

YMOの革命的な体験をした自分には、それらをコピー・ミックスし、世界の情報との中で成長した電気グルーヴには、そういうコメントは似合わないし、本人らも望まないだろう。

***

正直うんざりしながらも、朝、「VOXXX」を聴いた。



このバカ丸出し感覚は、素晴らしい。
電気グルーヴの頂点となるような作品だとは思う。
よく出来ている。
初めて聞いたときに「おおおっ、ついにバカを達成・結実させたか」と感慨に浸ったものだが、どうも昨夜のVideoでたてまつられた電気グルーヴを見ると、気分的には、しっくりこない。

***

次にかけたのはケトルという人のアンビエント「Volleyed Iron」というもの。



数年前に入手したが、これもいまいちしっくり来ない。
アンビエントではあるが、聴くべきものではない。
お風呂に入っているとき、皿洗いをしているとき、そういった作業中に、たまに聞こえてくる音楽。
それなら可ではあるが。
耳をそばだてて聞くものではないのだ。
そういう意味では、ブライアン・イーノの「環境音楽」のコンセプトには、ジャストマッチするのではあるが・・・。

ひたすら、タラーッ、モラーッとして流れていく、残響音に、正直、「好き」とは言いがたい。

***

聞いたこと無いヒトには、どんなものかというと、アンビエントな雰囲気で空気が流れる中に、遠くで聞こえるエコーのかかった様々な音ー人の声・ポロンポロンというピアノ・雑音・・・・。
全体として「過去の記憶」的な甘い世界ではある。
ただ、イメージが像を結ばないのだ。

こういったものの大好きな自分が、どうも入り込めないには、そこに波長が合わない何かがあるのだ。個人的にはオススメできない。ジャケットが美しくて、手に入れたものの。
好きな人は好きなのだろうが。
実際、アマゾンにコメントを寄せている人は★★★★★を付けているし。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000269R10

今日は、どうやら波長・バイオリズムが悪いようである。
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