こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年3月31日 月曜日 音楽風景 ~大村憲司 「春がいっぱい」'81~

2014-03-31 21:03:28 | 音楽帳

土曜日。
温かい陽気の島。そこを写真に収めながらの散歩。
しかし、すっきりした快晴。。。とはいいがたく、春ぼらけに近い、不鮮明な空気に包まれていた。

日曜日。
土曜夜半から降り出した雨は、やまず。室内に居ることにいたたまれないのと、せっかく咲いた花たちが散った後を見るのは忍びない。。。
と、外に出るが、雨風の中、傘は数十分でボロボロ、着ているモノはびしょびしょ。。。
あらしを前にして、おずおずと家に戻った。

そして、今日、月曜日。
スコーンと抜けるような、気持ちの良い青空。ゆっさゆっさと桜の樹が揺れている。

いくら「あれ」から30年以上の時間が流れても、厳しい冬を越えた一年がめぐって、桜が花を咲かせたら、大村憲司さんの『春がいっぱい』を聴きたくなる。
「ゆとり」や「すきま」がぎっちぎっちに詰まって行く社会の中で、どれだけもみくちゃであっても、そんなそばでは、大樹は空に手のような枝を広げて、今年もちゃんと美しい桜は花を咲かせるんだ。

YMOファミリーが全面的にバックアップして出来た、大村憲司さんのレコード『春がいっぱい』。
鮮やかなイエローのジャケット。80年代=YMO世界の象徴的なデザイン。それを、ぼくはLPレコードで持っていない。
録音したカセットテープで聴いていたが、その後、CD化された音盤を神保町のジャニスで借りてコピーした。それを今も聴いている。それだけで十分幸福だ。

このアルバム『春がいっぱい』には、さまざまな表情の曲が収録されている。
1980年YMO第二期ワールドツアーで演奏された「マップス」、ツアーの最中もいつも一緒だった奥さんへの愛が見え隠れする「セイコ・イズ・オールウェイズ・オン・タイム」。
そして、元ギター少年のまま育った大村さんが奏でる、メロディが心地良く美しい「プリンス・オブ・シャバ」まで。

お酒が大好きで、肝臓を壊して亡くなった、無頼な男気あふれる大村憲司さん。彼を囲むなかまたちとの交流が描いた、優しいロマンティシズムが、このアルバムには漂っている。
エヴァーグリーンな音楽。

■大村憲司 「ザ・プリンス・オブ・シャバ」1981■
後ろを振り向いてみると、何度も似たような記事を書いていることに気付く。
それでもいいのだ。

それくらいに、これらの曲が、じぶんの中に埋まってしまったスイッチならば。
他人は、おんなじような場所を徘徊・ループするばかりのじぶんの様を、ボケ老人の繰り返しと言うだろう。
しかし、これほどしあわせなことはないのかもしれない。






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2014年3月29日 土曜日 くらしの風景 ~迷いだらけの雑考~

2014-03-29 13:24:32 | 雑記帳

電車に乗ると、処世術本を読む人をよく見る。
それは、他人事ではない。
いまだに若いも老いたるも、その手の本を読んでしまうのは、いくつになろうが、結局はその日・その状態のありさまが揺らぐゆえ。

「三十にして立ち、四十にして惑わず」という言葉があるが、人は死ぬまで迷いながら進むものだろう、と五十に近しわたしは思う。
惑わず、どころか、毎日毎日、迷っている。
ただ、経験を踏んだ分だけは、幾多の回路が出来たけれど、だからといって、それで済んでいるわけでもない。
いくら「学んだ気になっても」、それは翌朝には崩されている。そういう具合だ。

画家・大竹伸朗さんの言葉がよぎる。
「十代でロンドンに飛び出して、そこでスクラップなるものに出会い、体内の何かが動かされて。。。そこから20数年創り続けてきたけど、何一つ進んだ気がしない。
40代なんて、しょせんガキみたいなものだ。」
別のインタビューでは「死ぬまでに、たぶん自分は思っていることの半分もカタチに出来ないで終わるだろう。」

描き散らした1990年のスケッチブックより

絵、というのを題材に挙げると、
「何か作ってやろう」という「野心」ではじめると、大抵は予定調和のつまらないものに行きつく。(これをAと置く)

わけなんかなく、イタズラ書きで始めて、いつのまにか熱中した。
という場合のほうが、断然面白い。(これをBと置く)

じゃあ、客観視する他人は、AとB、いずれに興味を抱くだろうか?
それはケース・バイ・ケース。
ただ、当人に意味があると思える時間を過ごしたのは、断然B。どんなに他人にとって、姿カタチが「愚」であろうと、当人にはBにこそ意味がある。
逆に、Aがほめられたことに、あるいは、それが「カネ」になったことで、Aの手法に専念する。

経済ばかりが優先される今の現代人は、そこでAに飛びつく人が多いだろうし、それを「ビジネス」とか「ビジネスマン」と自称してほくそえんでしまう。
絵で言えば、例えばラッセンのリトグラフだったり、要は想定内。
そこで迷いを捨てて、ビジネスのみに走った瞬間に、彼はもはや画家ではない。

***

じぶんは画家ではないが、そういった経済側からのインプットと無縁ではない。
それは、このブログに載せた文章・イタズラ書き・写真などなど、明らかにゼロではない。
その辺に居るオンナが、色気を出して、意識的犯罪的に、胸の谷間を見せたり、超ミニスカートで挑発するようにして、「わたしを見て、わたしを買って」というのと変わりない瞬間。

「だからじぶんは駄目人間なんだ」と思うとき、エセ野郎と自嘲したりもする。

ただ、他人の目線とじぶんの目線が決して一致することはない。
ゆえに、他人がいくら「Aが良い」と言っても、「いやいや、ボクの気持ちはBなのですよ」と交わりえぬ平行線が存在することがある。

***

そのへん本物のアーティストというのはさすがで、
ホルガー・シューカイ先生や埴谷雄高さんなどは、描いたものを「しばらく寝かせておくんだ」と言うし、似たようなことは多くの人が語っておられる。
写真家の森山大道さんは「写真を撮っても、すぐには見ない。1年かそこらして見たりすると良い。」とも言っていたりする。

そこにあるのは、どうやって「じぶんという当事者が関わった事象を、すこし頭を冷やして感じられるか?」といったことだろうか。。。

ブライアン・イーノ師などは、別の手法として、偶然性をそのまま音楽に持ち込むために、いろんなやり方をする。
録音したものを逆再生やテープループにしたり、切り刻んだり。
「ディスクリート・ミュージック」以降のように、装置をセットして、あとは機械まかせにして、じぶんをその中に入れないようにして、出来上がりを微調整させるだけにとどめるなど。

***

ウィリアム・バロウズの「カットアップ」なる手法などを話し出すと永遠に終わらないので、ここでいったんやめる。

本当なら、最初オリビアへの想いを再度つづるつもりだったのに、別の方向に話しが行ってしまった。
「迷いも、また愉し」。
いつもそうなら良いのだけれども。

三ノ輪のおばあちゃんが、とっくり1本、熱燗が入ると「どうやって、人生行路を渡っていくのかね」というクチぐせ・定番せりふが出たのを思い出した。



■クリスチャン・フェネス&坂本龍一 「Haru」2007■
昨夜、長年過ごしたなかまの送別会に行った。
ついつい、今だから言えた話しが面白くて、内臓不完全なじぶんを忘れて、深酒。
おぼつかない帰路の足取りの中、深い闇に桜が花を開かせていく姿を見た。

死んだように1時に寝て、12時近くに起きた。10時間も寝たなんて、いつ以来だろうか?
やけに色付き鮮やかな夢をたくさん見た。逢ったことの無い(なかまの)親父さんを招いて、島への道を3人で歩きながら、ここはこういう場所なんですよ、と案内していた。

夢か?まことか?そんな不思議だけど、安らかな時空は、まだまだこれからも出会えるし、突然舞い降りるはずだ。

食いしん坊だった、まみちゃん。忘れ得ぬ相棒との、いとおしく幸福な何気ない日常。
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2014年3月26日 水曜日 音楽風景 ~いとしのオリビア~

2014-03-26 23:48:08 | 想い出かたちんば

貯めたお小遣いでラジカセを買えたのは、小学校6年生のころだった。
最初は、土曜日のお昼間・FM東京で放送していた「歌謡ベストテン」の曲の録音だったりした。
ポーズ(一時停止)ボタンで、曲名を言った後のタイミングを見計らって、曲のみを録音した。

使用したカセットテープは、1本100円の「ボンテープ」。
そのテープは、上から違うものを録音して、今ではその音源は無い。
1978年当時ヒットした越美晴さんの「ラブ・ステップ」があったのは記憶にある。
というのも、テープのぎりぎりのところまで録音していき、カセットテープの片面の最後に「ラブ・ステップ」を入れたが、曲の途中で切れてしまい、残念だった想い。(でも、そのカセットを聴いていた)

シングル盤「ラブ・ステップ」自体が大好きな曲だったが、ピアノを「ダンダンダン」と笑顔で躍動的に弾き、おしゃれな服装で歌う越美晴さんの「お姉さん」ぶりに、惹かれていたのも事実だった。

その後、中学生になると、うしろ髪を引かれながらも、「歌謡曲断ち」を自らに宣言した。
そのはずが、その延長線上で、1983年秋・新しい姿で細野さんのそばに”コシミハル”として現れるとはゆめゆめ思わず。。。

***

「これからは洋楽のみだ!」と自らに宣言した中学一年生。
音楽のジャンルも領域もミュージシャン名も深くはわからないので、とにかくFM雑誌にエンピツなどでマルをした番組を、やたらめったら録音した。
ラジカセという武器でもって。

毎日夕方4時から6時には、NHK-FMで「軽音楽をあなたに」という番組があって、毎日いろんな音楽が特集されていた。
記憶に残っている断片。
1979年に、当時上映中のホットな映画のサウンドトラック特集が組まれた。
映画自身は見ていなかったが、「オール・ザット・ジャズ」とかその他もろもろの映画音楽を録音して聴いていた。

1980年映画「ザナドゥ」のサウンドトラックに出会ったのは、そんな流れだった。
この頃、土曜日のお昼間の定番ラジオが、小学生時代に「歌謡ベストテン」だったものは、洋楽チャートの「ポップス・ベストテン」に代わっていた。
毎週ノートに、その曲名と順位を付けながら聴いていた。

ヒットしたテーマ曲「ザナドゥ」は、オリビア・ニュートン・ジョンとELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)の共演。
そして、昨日も聴いていた・未だ大好きな曲「マジック」も、映画「ザナドゥ」のサウンドトラックからのシングルカット。

まるで妖精のようなオリビア・ニュートン・ジョンが、とにかくかわいくて仕方がなかった。清楚でチャーミングなオリビア。
恋ごころばかりがつのっていく一方の童貞少年。

「これからは洋楽のみだ!」と宣言したは良いものの、日本人アイドルが外人に変わっただけの部分がある面は否めなかった。(それは、今だから言えることだけれども。)
ただ、オリビアは、曲も声も歌い方も含めて好きだった。
それがルックスのみのアイドルへの視線とは大きく異なっていた。(山口百恵さんなどは別格)

オリビアと出会った十代。
恋と性が、体内で同じ平面で繋がっていたころ。
「週刊プレイボーイ」や「平凡パンチ」や「GORO」といった雑誌のグラビアが、この上ない魅惑の未知の世界だったころ。

それは、恋でもないのに、肉欲のみでセックスが出来てしまうようになった「汚れちまった悲しみに」という20代後半~30代を迎える前のこと。

あー、それで2014年。
極めて「カンタン」「安易」に「プチ」っと「成型」手術が出来て、女子力という名にすげ替えた「経済フェミニズム」時代の今。
それだからなおさら、オリビアという恋しい人の存在を改めて想い、うなってしまう。

*今回、1980年時点でオリビアは既に32歳だった事実を知る。
そのかわいさから、当時「20代のお姉さん」と思っていたが、大きな勘違いだったことを34年後に知る。

■オリビア・ニュートン・ジョン 「ザナドゥ」1980■

この曲は、ELOお得意のスペーシィーな空間の広がりを感じさせるサウンドと、オリビアが持つ嫌味のないキレイなハイトーンヴォイスが合体した強力なポップス。
テクノではないのに、そういった方向のイメージが自分の中にあるのは、まだ当時シンセサイザーサウンドが珍しかったゆえのことだろう。

PS : 昨夜、オリビアの「マジック」のプロモーションビデオを見て、自分の中のイメージ違いを見つけた。
(当時、このプロモーションビデオはテレビで見ていなくて、実は34年目にして初めて見た)

自分のイメージの中でのシングル曲「マジック」は、ジャケットの写真のように、妖精の姿のオリビアなのである。永遠に。

しかし、ビデオでは、その後スポーティーな「フィジカル」で肉体的側面をあらわにし出した前兆を匂わせるもの。
パーマの髪・衣装・思わせぶりな目付き。
「フィジカル」で「どきっ」としながらも、大人に変化していったオリビアも魅力的だったけど。。。

こういうことを書くと「男視点での都合の良い女性像への郷愁」と思われても仕方がない。
また、過去、6つ上の兄より言われたコトバもよぎる。
「おまえは、女性に対して幻想を抱きすぎているんじゃないのか?」
そうかもしれない。

まあ、もう今の自分は、過去の放蕩がたたり、すでにEDマン。
女好きに変わりはないものの、それをもって許してくださいな。
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2014年3月25日 火曜日 くらしの風景 ~夜明けのすきま~

2014-03-25 22:59:07 | 雑記帳

ちゅんちゅんちゅん。
このところ、夜明けの時間が早くなった。
おかげさまで、このところは、鳥たちの鳴き声で朝起きる日々。

調べてみると、元旦には6時51分だった日の出も、今日3月25日には5時38分。
年度末最終日の3月31日は、5時30分になるらしい。

***

朝起きてダルさを感じるのは、昔から慣れてしまった悪癖であるが、比較的温かく、鳥たちがうれしそうに鳴いているのだけは救いである。
しかし、さすがに5時台なので、再度「もう少しだけ寝よう」と思ったが、二度寝が出来なかった。

このところ、睡眠導入剤を使わずに眠る日がある。
かつては無かったこと。
自分が服用している薬は、4時間すると切れるので、大きな影響は残さないものだが、それでも服用しないに越したことはない。
だがだが、まだまだ、睡眠導入剤を服用せずに寝て起きると、夢を見ている時間も長く感じ、眠りも浅く感じる。
それも「慣れ」だとは思うが。

***

今朝。
二度寝は出来なかったものの、せっかくの静かな朝だったので、脳が情報で満たされぬうちに。。。
と、ブライアン・イーノ&ハロルド・バッドの「鏡面界」を聴いていた。
この数十年で、何百回目だろうか。

そして、お湯を沸かし、濃い緑茶を呑む。いつもの幸福な一杯。

***

朝の電車にしばし揺られ、降りて川のそばを歩く。
すると、紳士な白い毛並みがモーニング服みたいな、ゆりかもめたちが、朝に泊まっている。
春を謳歌しているかのように、鳴きながら空を優雅に飛んでいる。

昨日の朝にはまだつぼみだったモクレン。
それが今朝、花を咲かせるさまを見た。

■オリビア・ニュートン・ジョン 「マジック」1980■
朝の電車で聴いていた1曲。

沈丁花(じんちょうげ)

モクレン
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2014年3月24日 月曜日 音楽風景 ~生きることに疲れた日には~

2014-03-24 22:54:02 | 音楽帳

ジャニス・イアンとの出会いで記憶にあるのは、隆盛を極めた70後期~80年代初頭。
自分にとっては、有名なドラマ『岸辺のアルバム』引用曲よりも、角川映画全盛の頃、映画化された『復活の日』のテーマ曲。

TBSラジオを夜な夜な聞くなか。
明かりを消したひとりのベッドの暗がりで、角川映画のラジオCMバックに掛かっていた「You Are love」。(1980年5月作品)

その後。。。
と思いながら、ちゃんとジャニス・イアンのレコードに向き合うことなく、歳を取ってしまった。
2008年、ビルボードライヴ東京に、ジュリア・フォーダムに会いにいった際、ジャニス・イアンも予定表にあったが、自分の気持ちはその時点でも、そこにむかえなかった。

***

この金曜日~日曜日の3日間。空白の時間を与えられて、年末年始以来、自己に向かい合えた。
その傍らで、偶然発見したジャニス・イアンのベスト盤。

1つ。。。そして、また1つ。。。歌が流れていく。
本当は、その曲と曲の境目に変化があるのだろうが、ジャニス・イアンの音楽にはそれがない。

それは決して、金太郎アメのような(切っても切っても同じ音楽)という類の感覚ではない。
どの曲にも、そこに流れていることを感じるのは、彼女の落ち着いた歌声、揺らがない芯、しっかりした土台の上で発声された想いの発露。
それが、ずーっと川の流れのように、自然につづいているのだ。
そして、いつの間にか、こころの奥深いところに響いている。

***

めまぐるしく情報に追い立てられる2014年の日本。その器の中に居る自分。
その中で、本当の意味の「個」人の内発的意志を保つのは、実に困難である。
つまらないことに言いがかりを吹っかけられて、その対処にコテコテしている間に、大事な時間はあっという間に過ぎ去り、その日は終わってしまう。

「また今度」「続きはまたあした」と、時間切れで、やりたかったことは後送りにされていく。
そうしているうちに、なあにもしていなかった数か月が過ぎてしまっていたりする。
これは許されないことだが、濁流に流されていく人々の姿は事実である。

「もうゴメンだ」と、そんな状況に反発して躍起になる方法もあろう。そういう心境のモードになるときもある。(刺激的電気ショック的音楽・にぎやかな音楽が有効だったりもする。)ただ、そんなこともない時だってある。

***

昨日、日曜日。
疲れてしまい、頭痛激しく・やまず、一日じゅう、光を避けた部屋。
微光のみが差す室内で横になっていた。
それによって疲れが取れるわけでもなく、むしろ余計に疲れてしまい、気持ちは追いつめられるばかり。
気分は「出口なし」。ひたすら落ち込んでいく。

そういう中。
聴くつもりはなかったのに、たまたま掛けた1曲目に導かれて、ジャニス・イアンの歌声と時を一緒に過ごした。

かつて自分が中高生までの頃、音楽を聴く、という時間は、鳴っている音と自分の内面を眺め合いつつ、何かに気付く。
そういう不思議な時間だったように思う。
元から静かな音が好みの性格は、そこに戻って、しばしの解放を味わった。

■ジャニス・イアン 「From Me To You」1975■


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2014年3月22日 土曜日 東京風景 坂本龍一 「A Flower Is Not A Flower」'05

2014-03-22 21:44:09 | 写真日和



■坂本龍一 「A Flower Is Not A Flower」2005■




























撮影場所:東向島、曳舟
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2014年3月21日 金曜日 くらしの風景 ~春分~

2014-03-21 22:17:33 | 雑記帳

土屋昌巳さんの新譜が、昨年11月に発表されていたことを知り、先日購入した。
しかし、モノを手に入れても、なかなかそこに着手しないのがクセの自分。
新譜を聴くには、何かのキッカケ・導火線が必要なのは常である。

この1ヶ月以上続くクビと背中、腰のコリ。。。というより痛み。
それが、上にまで昇って、頭痛にたどり着いたのは、この2週間。
頭痛にまで来たのは久しぶりなのだが、必死にストレッチをするものの、容易に癒えない。
クスリを出来るだけ服用しない意志はあるが、リンラキサーを1つだけふだんより多めに服用するのだが、それも効き目がない。
要因を、持病の頚椎ヘルニアや仕事と結び付けて考えようと思うが、どうもそうではない。

そんな折におとずれた「春分の日」の祝日・休み。
土屋昌巳さんの新譜「スワン・ダイヴ」を開ける。扱いずらくて嫌いな「紙ジャケット」仕様。
朝に、2回繰り返し聴いた。
まだまだ、そんな程度では分からない。それはLPレコードを買った70年代末と変わりはない。

写真を撮りに街へ出て歩く。それ以外に、肉体運動をしないのは、もう十年以上。
朝、外の空が鮮やかだったので、むずむずして、珍しく計画を立てて、それを実行に移す。
神田に向かい、街を撮る目的と共に、「あんまさん」にマッサージしてもらうこと。

神田駅に降り立ち、適当に路地に、オモテ通りに、と繰り返し迷走する。シャッターを切りながら。
光と影が織り成すエクスタシー。
そして、マッサージに向かう。

施術をしてもらった方「相当ひどい状態でしたね。一時間の間に、やっとコリの塊がほぐれましたが。
右半身が前に出て、いがんでいました。」
自分「ふだんは、歩き回っているのですがねえ。。。」
施術をしてもらった方「いったんカラダの歪みにクセが付くと、後はその延長線上になって、進みます。
自己補正が利かなくなるので、来てもらって良かったですよ。」

横になって、気持ちよくて、時折眠りに堕ちながら、気付いた。
自分で自分を責めこみながら、小難しいことばかりを考えていたこと。

帰ると、再び「スワン・ダイヴ」を聴く。
はっきりしたことは言えないが、6曲目最後の「スワン・ダイヴ・パート2」が、自分の中に引っかかる。
スローな響きに始まり、土屋さんのギターが出て転調し出すときに、ついキング・クリムソンがよぎった脳裡。
鳥たちが空を舞っている。その声。

そういう今夜は、起承転結パターン化されていることが、自分に安堵を運ぶ2時間サスペンス。
ウソで塗り固められた偽装放送としてのテレビ番組。それをまともに見なくなって久しい。
そんな中でも、録画した2時間サスペンスは、最初から前提がフィクションであり、ゆるくて、心地良い。
昔も今も好きな、このチープさ。

何かを深く考える必要の無い時間。
それが、今の自分には必要なのだ。
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2014年3月17日 月曜日 東京風景 ~冬越え~

2014-03-17 21:39:39 | 写真日和
春のきざし、と、何度も言いながら、三寒四温、冬に揺れ戻され空振りしてきたが。。。
いよいよ、な春の予感がする。

昨日、一日歩いて島めぐりをしてカラダが思った感覚。
温度が上昇し、てくてく歩くと、あちこちで花を発見し、ネコたちは寝ぐらから出て日なたぼっこする姿に出会った。

明日は、予報では南風・春一番が吹く模様である。

歩いている小旅のさなかでは、その瞬間の空間に居て、目の前を見ている。
しかし、時を置いて、座してみると、2014年が明けて、2ヶ月半を生きてしまったことに気付く。

焦ってどうなるものでもない。
昨年からの走り書きメモ帳をめくりながら、時の速度を自分のなかですり合わせ・咀嚼してみる。



■プリンス 「ポップ・ライフ」(アルバム「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ(一日で世界一周)」より)1985■



















大雪の降った、生き物たちには苦難多かった冬。
それを見事に乗り切ったネコたちを想えば、生きねばなるまい。
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2014年3月15日 土曜日 音楽風景 ~坂本龍一 「Futique」'89~

2014-03-15 23:45:15 | 音楽帳



■坂本龍一 「Futique」(アルバム『ビューティー』)1989■
















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2014年3月15日 土曜日 暮らしの風景 ~Here Comes The Sun~

2014-03-15 09:07:10 | 雑記帳



■ビートルズ 「ヒア・カムズ・ザ・サン」■
グローバルなんたらかんたら・・・などというコトバを、そのへんの凡人や(さら)りーまんがクチにすることはなくなった。
いっとき流行った「グローバル」というコトバ。
グローブは地球を意味するが、グローバルは「グローバル社会」と、たいてい「社会」が後ろに付いて使われる。
昔「バブル」というコトバをうれしそうに平気で使う者の、馬鹿ヅラを思い出す。

グローバルは、地球的とは間逆の意味合いであって、帝国主義に近い。
それを平気でクチにする人を、こいつはその中の奴隷として巻き込まれていくのに、ようようと語る様に「馬鹿なヤツだなあ」と思った。

IT革命は、いっときヒトに役立つと思ったが、むしろ、ヒトの言行を全て取り締まり束縛する世界。
電車の中で、宗教に洗脳され・とりつかれたように、アイ・パッドやスマートフォンに熱中するヒトしか居ない情景を日々見つつ。

今週は、その外側・産業革命時のような工場(こうば)の中で、作業に没頭していた。例年3月繁忙期の地獄でもあるが。
今朝も7時半に起きたが、その影響で、眼に激痛が続き、焦点が絞れない。
それは、最近始まった視点のかすみ(老眼の始まりか?)。
それに加えて、ここ1ヶ月の頚椎ヘルニアマンによる、首の激痛。
最低量の鎮痛剤で散らし、ごまかしながら。

グローバルとは言うが、それと反対側世界はなかなか語られない。しかし、極めて狭い世界に、もう1つの世界がある。
島の路地、草花や虫やネコさんたちとの距離感に、テリトリーの宇宙があって、それを眺める。
未だにそんな世界をぼうっと見ているのが好きである。

いくらグローバルなる用語があっても、身近な島の、もっとズームアップした顕微鏡的世界の宇宙の方が、はるかに魅力的だ。

音楽を、世間が与えたカテゴリーで語るヒトは多いが、自分はそうはなれない。
アンビエントは、われわれが発見した、社会側に属さない豊穣なる大地である。
これが四月の魚さんへの、自分なりの答えです。

「Here Comes The Sun」
ココにこそ、陽は降り注ぐ。
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