こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年11月28日 木曜日 「正界/狂界」

2013-11-28 23:58:37 | 雑記帳

新しいモノを買うのではなく、すでに身の周りにあるモノを活用する。あるいは、手直しをして使う。
2013年消費じゃぶじゃぶ世界の「世間さま」側視点からは、ケチと呼ばれる行為に当たるだろう。では「世間さま」が多用するエセ「エコ」かと云えば、そこにくくられるほどでもない。

否定するつもりも無いのは、生き物だったり、まだ色気や匂い残る街・路地だったり、虐げられし人だったり、好きな人だったり、そういった類への配慮だけは持っている「つもり」である。
「つもり」=「出来ている」わけではない。
しかし、大嘘付きの「世間さま」に後ろ指をさされるつもりもない。

近時読んだ鶴見済さんの本「脱資本主義宣言~グローバル経済が蝕む暮らし~」は記憶に新しい。
ココロに響いた一冊。「じゃあどうすればいいんだろうか、じぶんは」という戸惑いも覚えた。
やれることは限られるのだから。

かつて、エンピツで線を引きながら読んだ寺山修司さんの本「書を捨てよ、町へ出よう」に、「一点豪華主義で生きろ」といったくだりがあったと記憶している。ここでは、持ちガネがどうせ限られるなら、一張羅のスーツ、ときには馬券の一点買い・・・そんなくだりだった。
しかし、現代における(真性の)日本人の一部が、倹約をしているとするなら、それはケチでも何でも無く、不安時への備えだろう。
有事の時にこそ、それは開かれる。

先日、急いで歩かねばならない場面があって、駅への道を走ったのである、珍しく。
そうすると、買ったクツの頭がパカッと割れてしまった。
そこで、100円ショップで買ったボンドでクツの手直しをした。
すると、何事もなく、調子よく歩けるようになった。
自分は、基本、生き物を殺してつくられた皮製品は買わない。

燃えるごみの収集に、この島には週2回、区の作業の方が来られる。独り者でもあれば、ごみをごみとも思っていない暮らし方もあって、温度が低いこの時期には、週1回、あるいは2週分をまとめて出す。
暑く腐りやすい時期は別として。あるいは、雨風の強い日には出さない。

くつしたというのはよく穴が開くものだが、ハリと糸でかがる。
あるいは、ティッシュは出来るだけ使わず、繰り返し使える雑巾やタオルを用いる。

今の「世間さま」や企業に呑みこまれた全般が、異端扱いするこういうじぶんの行為。
しかし、思えば、ボクらはそういったことが当たり前だった時代を過ごしてきた。
だからと言って、当時「エコ」などというエセ用語は使われていない。

ずいぶんと、日本人様もえらくなったものである。えらくなった、というより、異常な状況を異常と思わなくなったのである。
20年以上の凋落、3・11を経てすら、見栄を張り、常人・平成というエセ蓑の陰に隠れようとする大嘘が日々繰り返される様。

寅さんを毎夜観て、気持ちを浄化させ、正気が何か?へ自分をリセットさせる。
掛け値無し。愛しの寅さん。。。
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2013年11月27日 水曜日 「深まる秋のなかで」

2013-11-27 23:05:20 | 音楽帳

はたと気付く。
近時、今まで以上に、いかにして「かれら」に徹底的に嫌われるか?に対しての熱心さが、強度を増し続けている。まるで、モリッシーのように。

島での生活とは別にして、隔絶された時空で、
日々、周囲に現れる者の9割以上が蔑視すべき者のなか、残り1割のみがなかまのなか、わたしは暮らしている。
「かれら」に言語として明言せずに、あらゆる手を使い・嫌悪の塊を表現しながら、コビ犬をシッシッと追い払うようにして、いかにして近付けさせないか?
憎悪のマグマは、日々体内にブツブツと煮えたぎりながら。

「かれら」が不思議にみえるのは、それだけのヨロイをまとってさえも、馴れ馴れしく・ベタッとくっ付いてきて、
わたしの暮らしを振り回したり・行く道をふさいだり、恩を着せようとしたり、馬鹿でも分かるような手法で・利用しようとしたりすること。
すぐに分かる新興宗教や、詐欺営業の類よりも、そのへんを歩いている民のほうが、遥かにえげつなさが超えている2013年東京。

最後は、本気で息の根止める算段まで整えながら、そういうお互いのヴォルテージが高まっていっていくうち、
じぶんの風体は、どんどんと変容し・先鋭化し・ある種の発酵した匂いを放つまで至る。
ザムザが、ある朝、虫になっていたようにして、資本主義都市は、人のかたちを変えさせる。

ノイズの外側で、寸分なりの静謐時間を過ごすには、やむをえない宿命と思っている。

■デヴィッド・シルヴィアン&坂本龍一 「Bamboo Houses」1982■

ボクが大好きだった建物たち
もうほとんど残っていない

小さくてやせ細った子供たちが歌っている
竹の歌が聞こえる

それでも、人々の生活は続いている












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2013年11月26日 火曜日 「SOUP」

2013-11-26 23:00:16 | 音楽帳

ゴッタ煮・ルツボ・スープのような、おまえ(=じぶん)の脳のいい加減さ。
きまぐれに、時に旨い日もあるが、基本旨くないスープ。
日によって味が異なる。
味が一定にならないので、お店で売買されない。
カネにならないスープ。
固定客不在。流通経路に乗ることが出来ないスープ。



■Elvis Costello 「Everyday I Write The Book」1983■









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2013年11月23日 土曜日深夜 「下町慕情」

2013-11-24 00:46:34 | 写真日和
まだ三ノ輪に居られた頃。王電の向かいのレコード屋さんで買った、XTCの編集盤「ライヴ&モア」。
まだまだロンドンと、海を隔てた距離があった時代。ピックラベルとして、海外シングル盤のB面曲などを集めて1,500円という破格値でシリーズ化していた。
曲数は少ないけれども、その代わりにピクチャーレコードになっていて、レアな曲が聴けることから愛聴したレコード「ライヴ&モア」。
ほかに、ジョン・フォックス、フライングリザーツなどを持っている。

このLPに入った「ソムナムブリスト」という曲がとても好きだった。好きな曲を集めたカセットに落として、毎日聴いた。
夏に草加市に引っ越し、誰も知り合いの居なくなったさみしい1981年秋。
この曲の入ったカセットテープをよく聴いていたのを覚えている。

■XTC 「The Somnambulist(夢遊病者)」1981■
今日は、久方ぶりに母親の見舞いに向かった。家族などに、こびへつらうつもりは毛頭無いが。
マスクをしながら、セキをし・ハナをタレ、ふらふらと夢遊病者のように秋のゴーストシチーを迷走しつつ、シャッターを切り、歩く。
































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2013年11月22日 金曜日深夜 「毒虫」

2013-11-23 00:43:09 | 音楽帳



■土屋昌己&坂本龍一 「カフカ」1982■
1985・1986年・素浪人時代、自分にはどこにも落ち着ける居場所は無かった。そんな放浪のさなか、神保町の三省堂本店で偶然出会ったカフカの「変身」。
この小説から、多くのインスピレーションとペイン(痛み)を受けた。

当時、周りが迫ってくる空間恐怖・幻覚のさなかに居た。
そこでは、いっときも落ち着いて一か所にとどまることが出来ず、止まること自体が恐怖であって、じっと座って文字を追うということも出来づらかった。
そんな中では、分厚い本など読めるはずもなく、毎日少しの行数で足りる言葉で十分以上。
カフカの「変身」を買ったのは、めくって「ここに自分のCUEがある」という直感もあったが、薄くページ数が少ない理由もあった。

ある朝起きると虫になっていたグレゴール・ザムザは、虫の姿で「自分だよお」と叫びつつ・必死に生き延びようとするが、邪魔者扱いされ、家族からの一撃が致命傷となって死んでいく。
その向こうには、この厄介者を敵と扱うことで、両親と妹の3人という家族が結束する姿がおぼろに見える。
ザムザを攻撃し、殺すことで、家族が幸福へのスタートを切る。

これを読みながら、ザムザと自分を重ね合わせていた。
軌を一として、如月小春さん主宰の劇団「NOISE」が、この「変身」を題材とした芝居を仕立てた時代。

自分は、家族が眠った時間帯にそろりそろりと帰り、自室に居たときだけ呼吸が付けた。肉親に聴こえないように、音を絞ってラジオを聴いていた間借人。
紙にえんぴつやペンで、無意識の流れに従っていたずら描きを繰り返しながら、このカフカの小説が脳裏に描かせた映像がよく現れた。

今更、なぜそんなことを思い出したのか?を思えば、今再び、自分は同じような存在になりつつある。
似て非なるものの。疲労困憊した今夜だけの被害妄想とも思うが、思ってしまうからには吐き出さないと眠れない。

母親の見舞いを続けながらも、普段以上に「家族」なるものを意識せざるを得なかった数ヶ月。
自分の母親が病気に転落して、病院・入院を繋いで、今週、3つ目の新天地に転院したにも関わらず、風邪的症状より、一日も見舞いも出来ず・自分は関わることが出来なかった。そんな折、自宅に戻る日まで決まった。

カフカの「変身」を読んだ頃。常にポケットにある何か些細なお守りのようなモノだけが救いで、しがみついていた頃。そこから、精神崩壊・自死未遂に至った導火線は、過去に語ったように、自分の兄が真因だった。私は兄にゆるやかな時間を掛けて殺された。それは明白な事実である。
ハタチで、ことごとく殺された後、自分は・二度目の人生を、キチガイの中から再構築してきた。

そんな、兄に最近では「きみ」と呼ばれて、呆れた言い方をされる。悪意のこもった言い回しで。態度で。
意味合いが分かる部分と、馬鹿な私では理解に及ばない部分がある。
いずれにしても、自分が常人不在の家族の中で揺られてきたのは事実。
もう、関わりあいたくない、そんな気持ちは、過去毎日であった。何度か家出もした。

勝手に向こうから、相対する拮抗的態度を取られる風を抜きにしても、近時の兄の発言・自分に対する振る舞いは、あの「かつて自分を殺した兄」に似ている。過去の坂本龍一同様、「オレ様にモノを申せるヤツなど居ないよ」という不敵さ。それが、自分の無意識に作用する。

この数ヶ月のあいだに、数百万円の相当な大枚が掛かっている。それを一手に担ってきたのは、独立自営の兄である。
自分にはとてもではないが出来ないこと。
自分としては、仕事は二の次で、お袋さんがヤバイと思った日々には、足しげく見舞いと看護に当たったものの、家族どもに見える風景では、しょせん片手間。
自営業で時間余地がある兄のようにはいかない。
また、カネにモノを言わせることも出来ない。

今回つくづく分かったこと。
結局何かを家族にしても、元々、出来損ないの馬鹿、という所から出発している自分は、この家族内に於いても邪魔者・変わり者でしかない。
四十数年前と変わらない立場。そういうこと。

覆いかぶさって来る、そんなレッテルを解消しうるところには、何をしても到達しうることは出来ない。
私は私でしか無い、ということ。
家族なんてものは、所詮そんな程度のものである。今までと間逆の事を言うのだが。
下手に血が繋がっている分、邪魔くさい。今夜は、そうとしか言えない。

この世には、自分を一番分かっているのは、自分以外に居ない。「自分を分かってくれる誰か」などは、妄想に過ぎないのは理解している。
しかし、どの程度ダメ人間であるかすら、家族の目線とはダメさ具合が異なる。

復活しつつあるお袋は、わざと兄夫婦が居る中で、仕事中の自分に電話してきて「また病気かい(馬鹿にした笑い)。セキや鼻水が出るなら、移るから来ないでくれ。ヒマだから、明日もモーニングコールしてやるよ。どうせ、朝も起きられないんだろ。(実際は、アラームで起きているのに。)」

兄からは「全部、こちらで段取り済みだから、来ないでいいよ。」なるメール。

80を過ぎても「風呂・めし」とクチにして、自分は一切動かなかった鬼畜親父は、お袋が死ぬかもしれない/一人になるかもしれないという切迫感から、初めて自分で洗濯・米炊きを覚えた。
たかだか、その程度のことではあるが、えらい自信を持ってしまい、ああだのこうだの、自分に指図するメールを高所から打ってくる。

すべてがうまく回り出したことは幸福である。しかし、である。
わたしは記号になりたい。

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2013年11月21日 木曜日深夜 「And I You」

2013-11-22 01:12:16 | 音楽帳

季節を感ずるのは、経済のベルトコンベア系流れと無縁。
いくら、経済コンベア市場が飾り付けや商品に季節のあつらいをしようとも、消費世界では期待度低い民の自分には、プロモーションや在庫調整程度としか思えない。

ここ数日、自分の触覚がやっと秋を感じ始めた。
それは、自分が住む愛する島に見えた赤い葉っぱ隊だったり、朝日が染め成す風景の色合いと陰影だったり、空気のにおい、空の感じ。

朝の数十分、夜の間合い。そんな隙間時間にだけ現れるもの。
脳は、シナプスを伝って、映像や音を遠くから、自分に示唆を伝えてくる。

昨夜は、とあるCDから曲をmp3にして、島への往復時に聴くミニmp3録音機に入れた。
今日は、それを電車にゴトゴト揺られながら聴いていた。

「またかよ」と呆れられるのは別にかまわない。
自分が秋、と思ったら、やっぱりこのアルバムを聴かねばならないのである。
モンスーンの1983年秋のアルバム「サード・アイ」。

1982年にピーター・バラカンさんの「スタジオテクノポリス27」で録音して聴いた「エヴァー・ソー・ロンリー」、1983年秋になって国内発売された「サード・アイ」をミュージックマガジンで確認しつつ、クロスオーバーイレブンでエアチェックした、ビートルズのカバーである「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」との出会い。
その後のシーラ・チャンドラのソロも聴いたが、この「サード・アイ」を超えるものは見い出せない。

この「サード・アイ」を数十年聴きつつ、たくさんの柔和で優しい曲に温まり・酔うのだが、隠れて地味ではあるのに、とてもココロ惹かれるのが「And I You」。

「I And You」では無い曲名。そこに、深い距離感の意味合いと絶妙な間合いを感じる。

■Monsoon 「And I You」1983■



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2013年11月20日 水曜日 「醜態こそ生なりか」

2013-11-20 23:57:50 | 音楽帳

各種展覧会にも行ったし、つくづくうなづけることの多い、みうらじゅん先生と大竹伸朗さん。
2人とも武蔵野美術大学の出身でありながら、それぞれの道・生き方を辿ったなれども、かたやエロスクラップ、かたやアートスクラップ、という奇妙な縁。
共にシンパシーを覚える、自分にとっては大事なヒト。

様々なインタビューや対談、本などを通じて、2人は表面への表出の仕方は異なれども、底では繋がっている。
そこにおいての発言は「今の発言、頂きました」という、貴重な吐露を発見すること多し。

大竹伸朗さん「いっつも何かを作らないと、背中をつんつんつんつん突かれているような気がしてね。何も創らないでも落ち込むばかりなんだよね。それより、作業場に居るほうが良い。」
みうら兄貴「今、エロスクラップが199巻目なんですよ。それであと1巻で200巻だと、年内に終わらせようと焦っていたんだけど、何でオレは焦っているんだ?と思ったわけですよ。誰にも頼まれていないのに。もはや、目的が何なのかも分からないんですよ。」

勝手に意訳したが、なんとも言い得て妙なる発言として受け止める。
ブログなんてえ~のは、しょせんはきたない男のセルフヌード=醜態をさらすこと=公然オナニーとも言えるのだが、どうもそれだけでは片付かない何かがある気が、自分はしている。

■Utopia 「If I Didn't Try」1983■
トッド・ラングレンのバンド、ユートピアのアルバム「オブリヴィオン」より。
深夜録音したカセットテープで、1983年よく聴いた。
自分の音の師、ピーター・バラカンさんから「スタジオテクノポリス27」で教えて頂いた一曲。







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2013年11月19日 火曜日 「ボヘミアン」

2013-11-19 22:46:50 | 音楽帳

日曜日の夜もお袋さんの見舞いに行ったが、ノドの乾き感、やたらくしゃみをしていた。
東京ドームを見下ろす夜景。見渡す絶景。
それが、その病室最後の夜だった。

その病室の間借人であるにも関わらず、漆黒の夜景の中、明滅するランプを見ていると、自分が病人では無いにも関わらず、一ヶ月を共にした空間は、妙に切ない風景に見えた。

そんな偉そうなことを言いながら、翌日月曜・第三の新天地への移動は、全て兄夫婦に任せた。
もう、自分のお役御免では無いかという寂しさも覚える。
どれだけ自分が頑張ろうと、所詮自分は雇われ人に過ぎない。自由時間は限られる。
それを実感する。

昨夜。
下見はしながらも、転院した病院に、見舞いに行こうと思っていたのだが、ハナミズがたらたらたら・・・ノドが痛くてセキが止まらない。
「世間さま」は、こういう現象を即『風邪』と言い切るのだが、仕事場近くのファンである個人開業医の藤田先生だったら、こう言うだろう。
「風邪か否か、それを決めるのは、この医師の自分だ。あたなは、今、起きている現象さえ述べれば良い。」
先生は、たやすく風邪と断定もしないし、医者の利益倍増・稼ぎの源泉であるクスリもカンタンには出さない。

***

昨日今日と朝には、塩水でうがいをし、お風呂にはゆっくり浸かる。
昼ご飯もゆっくりもぐもぐ、あじわって食べる。
一応、見た目は風邪的現象を示しているので、移してはいけないと、昨日今日とお袋さんとは電話で話す以外に近づけない。
電話の声は、むしろノドがゴロゴロ言って声が出ない自分よりも、お袋さんならではの飛び抜けた元気な声の方が上。
最後に「早くあったかくして寝なさい。」と、病人に説教を喰う始末。
ぜいぜい言いながら、帰る。しばらくは、行きたくても、面会拒絶される招かれざる客人。

30年前の今頃、逆に、自分が胃潰瘍で入院していた病室を思い出す。
あの秋に、繰り返し聴いていた、未だ好きな曲を、今夜は一曲。

■ABC 「そして、今は・・・(That Was Then But This Is Now)」1983秋■







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2013年11月17日 日曜日 「SLEEP ON MY BABY」

2013-11-17 15:22:32 | 音楽帳

311後から変化して、自分に近付いてきたコチャコちゃんを抱っこして、よく遊んだ残りの一年八ヶ月。
そんな愛しのコチャコちゃんが亡くなって、まだ一年目の命日である。
たかが一年・されど一年。
お袋は病院に居て、自分は相変わらず自堕落な日曜日を向かえ、親父は実家に独りで居る。
まみちゃんが10月が命日で、コチャコちゃんが11月。
別々にお参りをしていたが、今年は10月の段階で「11月になったら、ふたりのお参りに行こう」と言っていたのだが。

だらしない自分は、金曜を終えれば、どうしようもない眠りの渦に入る。
二日目である日曜日ですら、やっと昼に起き上がる。
さすがに眠り過ぎてしまい、頭がぼんやりして、逆にウツ状態に堕ちる。
どうしようも無い生活。

昨夜出来なかった溜まった洗濯をしよう、とすると洗剤が無い。
洗剤を買いに外に出ると、比較的あったかい日和。
公園で、キジトラちゃん2号とクロちゃんがふたりでひなたぼっこをしている。
キジトラちゃん2号は目が悪くなって、実は、片目が見えなくなって寂しく独りで居る場面をよく見ていたが、クロちゃんと居る場面に出会い、ほっとする。



今日という日に、何か一曲を、と思っていながら、寝過ぎの頭が廻らない。
やっと回路が復旧し始めて、浮かんだのが高校生の頃に好きだった一曲。
当時、毎週土曜日の夜、愉しみにしていた東京12チャンネル・23時から30分番組「日立サウンドブレイク」。
その回は、モデルの美しい女性が夕暮れの川辺を歩く風景をバックにして、ジェーン・バーキンのアルバム「ベイビー・アローン・イン・バビロン」の曲が数々掛かった。これがジェーン・バーキンをちゃんと聴き込んだ初めての機会だった。
当時、高価なヴィデオ機器を持っていなかったので、友人に録画してもらっていた頃のこと。

Jane Birkin 「Fuir le bonheur de peur qu'il ne se sauve(邦題:虹の彼方へ)」(From「Baby Alone in Babylone」1983)■
その録画したヴィデオテープを見ながら、とあるシーンを水彩で紙に描いたのは、1987年のこと。
それを引っ張り出してくると、26年も経ってしまったせいで、紙も痛んでおり、若干カビも生え出していた。

他人は客観的に良し悪しをどうのこうの言う。それは当たり前のことだが、自分が描いたものは自分の中でだけ意味がある。
それは26年後の今も変わりない。しょせんは他人、がどう言おうが、今ではもうどうでもいい。





どうしようもないわたしが歩いている(山頭火)
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2013年11月15日 金曜日深夜 「SEE YOU」

2013-11-16 02:55:52 | 音楽帳

80年代当時の自分のLPレコードの買い方は、まずFM雑誌に蛍光ペンで、エアチェックしたい番組と曲名に色を塗る、に始まっていた。
密閉型ヘッドフォンをいつも装着して、乱れるFMの電波の中、アンテナとチューニングを微妙に合わせて行き、番組の始まる時間に備える。
そして、新譜紹介する番組をエアチェックして、自分の中に入り込んだ曲があったら、カセットテープに残していく。

必死にそれ以外のアルバム収録曲をFMの中で探す。
ミュージックマガジンに掲載された曲目から、ある割合の曲目が素晴らしい曲であるのを知ると、しげしげと白黒ジャケット写真を見て、ため息をつく。
お財布との相談をしながら、何を買い・何をエアチェックしたカセットテープで済ませるかを判断した。

LPレコードの新譜を販売即購入や予約、というのはYMO他ある程度限られた太鼓判が押されたものであって、手持ち金が限られた中での何よりもの頼りはカセットテープだった。

当時、創作していた「ニューウェイヴ」カセットシリーズは自分の中では重い存在であって、また、カセットテープなる形態のモノにはフェティッシュな感覚を抱かせる不可思議な魅力があった。
ヤズー、デペッシュ・モードに限らず、さまざまエアチェックした他の曲との絶妙な並び方をしながら入った曲たち。
その在り方は、LPレコードという作品の中でのA面・B面それぞれの曲順とは異質であり、別の曲のように輝いて聴こえた時代。

そんな中、ヤズーのデビューアルバム、デペッシュ・モードのセカンドアルバムを、LPレコードとして手に入れたのは、発売後、大半の曲を繰り返し聴いていた後のことだった。
1982年作品を1983年の秋に聴いていたのは、そんな背景もあり、また、やはり良い作品として再度聴いていたのもあり。

今では、CDまでも持ってはいるのだが、LPレコードのジャケットで見るデザインと色。
中身の音楽との密接な結び付き。

■Depeche Mode 「The Sun & The Rainfall」1982■







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