
新しいモノを買うのではなく、すでに身の周りにあるモノを活用する。あるいは、手直しをして使う。
2013年消費じゃぶじゃぶ世界の「世間さま」側視点からは、ケチと呼ばれる行為に当たるだろう。では「世間さま」が多用するエセ「エコ」かと云えば、そこにくくられるほどでもない。
否定するつもりも無いのは、生き物だったり、まだ色気や匂い残る街・路地だったり、虐げられし人だったり、好きな人だったり、そういった類への配慮だけは持っている「つもり」である。
「つもり」=「出来ている」わけではない。
しかし、大嘘付きの「世間さま」に後ろ指をさされるつもりもない。
近時読んだ鶴見済さんの本「脱資本主義宣言~グローバル経済が蝕む暮らし~」は記憶に新しい。
ココロに響いた一冊。「じゃあどうすればいいんだろうか、じぶんは」という戸惑いも覚えた。
やれることは限られるのだから。

かつて、エンピツで線を引きながら読んだ寺山修司さんの本「書を捨てよ、町へ出よう」に、「一点豪華主義で生きろ」といったくだりがあったと記憶している。ここでは、持ちガネがどうせ限られるなら、一張羅のスーツ、ときには馬券の一点買い・・・そんなくだりだった。
しかし、現代における(真性の)日本人の一部が、倹約をしているとするなら、それはケチでも何でも無く、不安時への備えだろう。
有事の時にこそ、それは開かれる。

先日、急いで歩かねばならない場面があって、駅への道を走ったのである、珍しく。
そうすると、買ったクツの頭がパカッと割れてしまった。
そこで、100円ショップで買ったボンドでクツの手直しをした。
すると、何事もなく、調子よく歩けるようになった。
自分は、基本、生き物を殺してつくられた皮製品は買わない。
燃えるごみの収集に、この島には週2回、区の作業の方が来られる。独り者でもあれば、ごみをごみとも思っていない暮らし方もあって、温度が低いこの時期には、週1回、あるいは2週分をまとめて出す。
暑く腐りやすい時期は別として。あるいは、雨風の強い日には出さない。
くつしたというのはよく穴が開くものだが、ハリと糸でかがる。
あるいは、ティッシュは出来るだけ使わず、繰り返し使える雑巾やタオルを用いる。
今の「世間さま」や企業に呑みこまれた全般が、異端扱いするこういうじぶんの行為。
しかし、思えば、ボクらはそういったことが当たり前だった時代を過ごしてきた。
だからと言って、当時「エコ」などというエセ用語は使われていない。
ずいぶんと、日本人様もえらくなったものである。えらくなった、というより、異常な状況を異常と思わなくなったのである。
20年以上の凋落、3・11を経てすら、見栄を張り、常人・平成というエセ蓑の陰に隠れようとする大嘘が日々繰り返される様。
寅さんを毎夜観て、気持ちを浄化させ、正気が何か?へ自分をリセットさせる。
掛け値無し。愛しの寅さん。。。