NICK HEYWARD-cafe canada
晩秋には、この曲。
ニック・ヘイワードのシングルのB面に納められたインストルメンタルなので、案外知らないヒトも多いかもしれません。
映像の太った写真は当時のものではないです。
当時は、やせた、幸宏が「可愛い」を連発していた「青春」していた青年でした。
晩秋には、この曲。
ニック・ヘイワードのシングルのB面に納められたインストルメンタルなので、案外知らないヒトも多いかもしれません。
映像の太った写真は当時のものではないです。
当時は、やせた、幸宏が「可愛い」を連発していた「青春」していた青年でした。
凹み人の詩 (へこみびとのうた)
スゲーッ、ヒット曲を発見!
というか、うつこさんから教えてもらったのですが・・。
最高です。2008年のベストテンには、必ず入るな、うんうん。
スゲーッ、ヒット曲を発見!
というか、うつこさんから教えてもらったのですが・・。
最高です。2008年のベストテンには、必ず入るな、うんうん。
robert wyatt - at last i am free
よく物事に生きづまるとき「殺される訳じゃないから」という言葉をなぐさめで言うヒトがあるが、あまり救いになるせりふではないと言える。
説得力に乏しい。
実際の刃物以上に、言葉は殺傷力が強い。
今、われわれ労働者が対峙しているのは、そういうストレスではないのか?
***
見えるものというのは大して怖くない。
見えないで進行しているものが怖いのだ。
まさにガンのように。
わたしは、得体しれない仕事場の空間の空気が、昔から嫌いである。
そこに群がるヒトも。
わたしは、臆病という病気なのだ。
***
被害妄想とは、害をこうむるという妄念に絡まれる状態のこと。
だが、害は実存する。
妄念と断定は出来ない。
そこでそれをどうふっきるか・別の思考パターンにスイッチするかだ。
***
先日、同僚のBくんが、急死した。
さぶい土浦まで通夜に行った。
居る人間の会話、奥さんの会話から、自分は類推するに、ウツの果ての自死だった。
Bくんは、スイッチを失っていた。
自分も、過去、スイッチを失い、追い詰められたことがあるので、理解は出来た。
***
眠れない・・・眠りたい・・・そう、彼は言っていたという。
奥さんは、お棺で眠る彼に「もう、ゆっくり眠れるね」と言った。
彼への鎮魂歌として、ロバート・ワイアットの「さいごに、わたしは自由である」。
この曲を贈る。
よく物事に生きづまるとき「殺される訳じゃないから」という言葉をなぐさめで言うヒトがあるが、あまり救いになるせりふではないと言える。
説得力に乏しい。
実際の刃物以上に、言葉は殺傷力が強い。
今、われわれ労働者が対峙しているのは、そういうストレスではないのか?
***
見えるものというのは大して怖くない。
見えないで進行しているものが怖いのだ。
まさにガンのように。
わたしは、得体しれない仕事場の空間の空気が、昔から嫌いである。
そこに群がるヒトも。
わたしは、臆病という病気なのだ。
***
被害妄想とは、害をこうむるという妄念に絡まれる状態のこと。
だが、害は実存する。
妄念と断定は出来ない。
そこでそれをどうふっきるか・別の思考パターンにスイッチするかだ。
***
先日、同僚のBくんが、急死した。
さぶい土浦まで通夜に行った。
居る人間の会話、奥さんの会話から、自分は類推するに、ウツの果ての自死だった。
Bくんは、スイッチを失っていた。
自分も、過去、スイッチを失い、追い詰められたことがあるので、理解は出来た。
***
眠れない・・・眠りたい・・・そう、彼は言っていたという。
奥さんは、お棺で眠る彼に「もう、ゆっくり眠れるね」と言った。
彼への鎮魂歌として、ロバート・ワイアットの「さいごに、わたしは自由である」。
この曲を贈る。
Ulrich Schnauss - Monday Paracetamol
やたらみんなほめる、このウルリッヒ・シュナウスの2枚目は、自分は好きになれない。
やはり、1枚目のクリアーなつきぬけるPOP感と、新しい時代のエレクトロ音楽を感じた点で、自分にとって1枚目は、稀有な存在だ。
さてさて、この2枚目だが、唯一好きなのが、この「Monday Paracetamol」という曲。
少し、というか、かなり暗めの曲で、まるで「BLUE MONDAY」だが、ダウナーな気分の時には、ぐっと入ってくる曲である。
やたらみんなほめる、このウルリッヒ・シュナウスの2枚目は、自分は好きになれない。
やはり、1枚目のクリアーなつきぬけるPOP感と、新しい時代のエレクトロ音楽を感じた点で、自分にとって1枚目は、稀有な存在だ。
さてさて、この2枚目だが、唯一好きなのが、この「Monday Paracetamol」という曲。
少し、というか、かなり暗めの曲で、まるで「BLUE MONDAY」だが、ダウナーな気分の時には、ぐっと入ってくる曲である。
夜、いつのまにか、灯りをつけたまま、眠ってしまっていた。
テレビをつけたままだったが、その音が自分に入ってきて、夜中2:30に目が覚めた。
本田紘輝君という、12歳で亡くなった「アーチスト」の、病気との闘いの日々を綴った番組だった。
***
【ドキュメンタリー大賞 負ケテタマルカ!!~画用紙に描いた命の記録~】
本田紘輝君は7歳の時「脳腫瘍(髄芽腫)」を発病し、以来常に生死と隣あわせで生きてきた。
そんな絶望の彼を救ったものがある。
それは絵を描くことー。
圧倒的な迫力で、見る人の心を揺さぶる紘輝君の作品は県内外の絵画展、CGアート展で数々の賞に輝き、アジアを舞台にしたコンテストでも小学生初の受賞を飾る。
画用紙に彩られていく赤や青、緑にピンクといったカラフルな色には紘輝君の“生きること"“生きたいと願う望み"が込められていた。
紘輝君が絵を描く時、いつも励みにしていた言葉がある。
“負ケテタマルカ!!"
絵を描きながら病気と闘い続けた紘輝君の2年間の記録を通して、“生きる"とは何かを考える。
***
今週、自分の仕事場の同僚Aさんが亡くなった。
急なことだった。
朝、そのAさんの死を知り、夜、土浦まで、通夜に向かった。
土浦の駅を降りると20:00.
東京との温度差に震えながら、タクシーで斎場に向かった。
お線香を上げ、お棺の中に眠る彼の顔を見ながら、この「生」と「死」のへだたるものの境目と根拠というのは、一体なんなのだろうと、今更ながら、自問自答していた。
***
本田紘輝君のドキュメンタリーを見ていて、つくづく思った。
その絵の、パワー、エネルギーの凄さもそうだが、「絵」は、彼という筆者が消えて死んでしまっても残る。
音楽もそうだが、アートというのは、出来た瞬間に、その作者の手を離れて、自由になる。
「生」にも「死」にもまたがる、そういう存在に感じられた。
時間、時代という軸を超越して、アートというのは輝く存在なのだった。
僕は、本田紘輝君の絵を、その彼の病気や死という背景さえも越えて、永遠に輝けるアートだと感じた。
自分も、最近サボッている「モノを創る」という行為に、ふたたび向かわねば・・・・、そう思った。
テレビをつけたままだったが、その音が自分に入ってきて、夜中2:30に目が覚めた。
本田紘輝君という、12歳で亡くなった「アーチスト」の、病気との闘いの日々を綴った番組だった。
***
【ドキュメンタリー大賞 負ケテタマルカ!!~画用紙に描いた命の記録~】
本田紘輝君は7歳の時「脳腫瘍(髄芽腫)」を発病し、以来常に生死と隣あわせで生きてきた。
そんな絶望の彼を救ったものがある。
それは絵を描くことー。
圧倒的な迫力で、見る人の心を揺さぶる紘輝君の作品は県内外の絵画展、CGアート展で数々の賞に輝き、アジアを舞台にしたコンテストでも小学生初の受賞を飾る。
画用紙に彩られていく赤や青、緑にピンクといったカラフルな色には紘輝君の“生きること"“生きたいと願う望み"が込められていた。
紘輝君が絵を描く時、いつも励みにしていた言葉がある。
“負ケテタマルカ!!"
絵を描きながら病気と闘い続けた紘輝君の2年間の記録を通して、“生きる"とは何かを考える。
***
今週、自分の仕事場の同僚Aさんが亡くなった。
急なことだった。
朝、そのAさんの死を知り、夜、土浦まで、通夜に向かった。
土浦の駅を降りると20:00.
東京との温度差に震えながら、タクシーで斎場に向かった。
お線香を上げ、お棺の中に眠る彼の顔を見ながら、この「生」と「死」のへだたるものの境目と根拠というのは、一体なんなのだろうと、今更ながら、自問自答していた。
***
本田紘輝君のドキュメンタリーを見ていて、つくづく思った。
その絵の、パワー、エネルギーの凄さもそうだが、「絵」は、彼という筆者が消えて死んでしまっても残る。
音楽もそうだが、アートというのは、出来た瞬間に、その作者の手を離れて、自由になる。
「生」にも「死」にもまたがる、そういう存在に感じられた。
時間、時代という軸を超越して、アートというのは輝く存在なのだった。
僕は、本田紘輝君の絵を、その彼の病気や死という背景さえも越えて、永遠に輝けるアートだと感じた。
自分も、最近サボッている「モノを創る」という行為に、ふたたび向かわねば・・・・、そう思った。
黒いひとみは大きな目立つ特徴だった。
ひとみの中にビルと街が映っていた。
空と雲が映っていた・・・。
***
ひとみから、ヒトの内面までを見てしまうことはよくあることだ。
ヒトの相性は0コンマ数秒で決まるという、ある説を、僕は半ば信じている。
目はクチほどに物をいうものだ。
細野さんは「音楽は、数秒聞いただけで、そのヒトが持つスピリッツが見えてしまう」(1994)というのも、自分もそう思っている。
電車や街ですれ違う女性のひとみが、最近、ひどく現実的で、自己主義で、いじわるな形をしてきたと思ってしまう。
それを、僕の被害妄想や思い込みと言ってしまえば終わってしまうのだが・・・・。
***
過去、中国へ行った時、田舎から出稼ぎで出てきた女性に、今は日本には亡き、昭和の時代の「目」を見た時、自分はいかに遠い時代に来てしまったかと、頭を打たれた思いをしたことがある。
そんな思いを思い出しながら、御徒町の夜道を、とぼとぼと歩いていた。
地下鉄に乗る。
自分は、また、現在のひとみの中に包まれて、狭い満員電車の中、じっとしていた。
彼女のひとみは、まだ、あのときのままなのだろうか?
それとも、時代の流れに巻き込まれて、くすんでしまったのだろうか・・・。
ひとみの中にビルと街が映っていた。
空と雲が映っていた・・・。
***
ひとみから、ヒトの内面までを見てしまうことはよくあることだ。
ヒトの相性は0コンマ数秒で決まるという、ある説を、僕は半ば信じている。
目はクチほどに物をいうものだ。
細野さんは「音楽は、数秒聞いただけで、そのヒトが持つスピリッツが見えてしまう」(1994)というのも、自分もそう思っている。
電車や街ですれ違う女性のひとみが、最近、ひどく現実的で、自己主義で、いじわるな形をしてきたと思ってしまう。
それを、僕の被害妄想や思い込みと言ってしまえば終わってしまうのだが・・・・。
***
過去、中国へ行った時、田舎から出稼ぎで出てきた女性に、今は日本には亡き、昭和の時代の「目」を見た時、自分はいかに遠い時代に来てしまったかと、頭を打たれた思いをしたことがある。
そんな思いを思い出しながら、御徒町の夜道を、とぼとぼと歩いていた。
地下鉄に乗る。
自分は、また、現在のひとみの中に包まれて、狭い満員電車の中、じっとしていた。
彼女のひとみは、まだ、あのときのままなのだろうか?
それとも、時代の流れに巻き込まれて、くすんでしまったのだろうか・・・。

「ははははは。キングアラジンは捕まらんでしょう」という、「怪奇大作戦」の第1回目の魔術師を思わせるジャケット。

うらを見ると、SABRAS OF PARADISEや竹村延和の名もあるので、購入した1枚。
秋葉原RECOFANにて、380円のところ、200円引きで、180円で購入。
誰も、こんな不気味なジャケットのものを購入しないのだろう。
2週間ぶりに店に行ったら、2週間前と同じ場所にあった。
全5曲と少ない。
1・These Are the Blues
2・Beyond the Breeze
3・Red Light, Blue Light
4・Indigo: Sabres of Paradise Remix
5・Seashel-Nobukazu Takemura Mix
手書きで「アブストラクト」とあったが、まさにアブストラクト。
とらえがたい音が続く。変化はあるものの。
とらえがたいのも、キングアラジンそっくり。
比較的わかりやすいのは、竹村延和のリミックスかな。
YMO 散開LIVE @BUDOKAN「SHADOWS ON THE GROUND」 22/DEC/1983
帰り道に、寄り道をすることが少なくなった。
時間がもったいないこと、体力がないこと、金がないこと…そんな理由だ。
帰ってから寝るまでの数時間が、自分には一番大事な・貴重な自分の時間。
夕ご飯をかき込んだら、早々に万年床に横になり、パソコンをいじり、ラジオや音楽を聴く。酒とたばこをやる。
夕ご飯は、できるだけ作るようにしている。といっても、麺類かご飯だけど。
最近は、米を研ぐ時間や労力が惜しいので、無洗米を食べている。
昔、椎名誠は、米を研ぐ、ということにこだわっていた。
他のサブカルチャーの人々も、いかにして米を研ぐか?が熱い男の議論になっていた頃があった。
その影響で、「やはり、男は、米を磨げ!」といいたいところではあるが、「中年シングルライフ」の日々の時間の短さに影響されて、無洗米という邪道に手を出してしまった。
しかし、邪道とは言ったが、食べると美味しくて、邪道を撤回した。
美味しいから、みんなも買ったほうがいいっすよ。
***
11月・・・
と始まる、YMOの「シャドウズ・オン・ザ・グラウンド」。
最後のアルバム「サーヴィス」の中でもとりわけ好きな曲。
こんな風に、少し寒くなり出すと、この曲が聞きたくなる。
秋の定番。
「エブリデイ・アイ・ダイ」
と言ったのは、ゲイリー・ニューマンだった。
毎日せっせと走り急ぐ現代都市の人間には、こういうことだろう。
夜とそれに続く朝は、死と再生の仕組みなのだ。
自分は、その日の嫌な事を忘れるためには、酒と友人との電話、それに音楽かな。
42年、「心地よい朝」とやらに無縁だ。
「新しい朝が来た~♪絶望の朝だ」(ラジオ体操の歌)
朝が来てしまうのは仕方ないとすれば、こんな曲で朝を迎える自分。