こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

TBSラジオ「ストリーム」 最終回ポッドキャスト

2009-03-28 21:26:47 | 雑記帳


「ストリーム」の終了は、相変わらずショックだが、TBSラジオのホームページに行ってみた。
そうすると、なんと「ストリーム」のホームページ自体も3月31日で閉鎖!
という。<みんな、急げ!>

いかん!
と思って、ダウンロードしていない、ポッドキャストを全部ダウンロードした。

そして、最終回の放送を、全部聴いた。



小西さんも、松本ともこさんも、8年間、本当にお疲れ様でした。

思えば、いつも、小西さんと松本さんと、周りを取り囲むサブ・カルチャーの仲間たちに、自分もその仲間に入ったみたいにして、笑ったり、癒されたり、教えられたりしてきた気がする。

特に、松本ともこさんの優しい声には、癒されてきました。

番組は終わってしまったけども、自分の中に「ストリーム」は残ると思います。

それから、12日の日曜日にに始まる新番組「松本ともこ ミュージック・チャーム」絶対聴こうっと。
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かたちんば徒然日記2

2009-03-28 15:51:57 | 雑記帳


ショックである。
さっき知ったが、TBSラジオの13:00~の「ストリーム」が昨日で終わってしまったらしい。

好聴取率であったし、8年も続いているし、「そんなカンタンに終わる訳ないだろう~」と、気を抜いているところをやられてしまった、そんな感じで呆然としている。
残念で仕方が無い。
「TBS、上層部!何やってんだ!」

営業時代は、よく営業車で聴いていたが、社内の仕事に変わって聴けなくなってしまったので、つくばからの帰り道のTX(つくばエキスプレス)の中や、休みの日にしか聴けなくなってしまっていたが、

マッピー、こと松本ともこさんの声が、とにかく大好きだった。
あと、小西さんと松本さんのやりとり、あの場のなごやかな雰囲気は、いつも疲れぽっちょの自分に、うるおいの気分を与えてくれていた。

昨日は、マッピーは最後泣き崩れていたそうである・・・。

・・・・しかし、である。
替わりにといったら、なんであるが、マッピーの新番組が始まる。
「松本ともこ ミュージック・チャーム」という番組です。
日曜日の12:30~の30分番組です。それだけが救いです。

第1回目は、4月12日。
「ストリーム」は、終わってしまい残念ですが、ファンはこの番組に期待しましょう。

***

今朝は、5:00に起きてしまったので、また再び寝ようと思ったが、眠れず、こたつに入って、ラジオを聴いていた。
うとうとしながら・・・・
次第に、8:30~「永六輔 その新世界 ~土曜ワイドラジオTOKYO~」が始まった。
この番組は、まだ続くようで安心。

永さんの放送は、時間がゆっくり流れていくようで好きです。
恵理ちゃんのころころした笑い声が好き。
疲れた仕事人には、ほっとする瞬間です。

緊張が解けていく感じがして、土曜にはぴったりです。

***

しかし、今日は寒いっすね。
明日も寒いそうですよ。

寝て少し楽になったけど、相変わらず首と肩と頭が凝っている。
マッサージに行かねば。
でも、寒いから外出る勇気無し。
プチ引きこもり状態。
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坂本龍一& Thomas Dolby  「Field Work」'85

2009-03-28 06:25:09 | 想い出かたちんば


「フィールドワーク (Field Work )」1985年2月にリリースされた坂本龍一とトーマス・ドルビーとのコラボレーションシングル。
まずは、2月に7インチのシングルが発売されたので、すぐレコード屋さんに飛んで買いに行った。



A面が、トーマス・ドルビーによる「ロンドン・ミックス」
B面が、坂本龍一による「東京ミックス」。

浪人を目の前にした1985年2月、よく聴いた。

***

そして、その後、1985年4月、ついに浪人が決定した時、みんな高校の仲間で、駿台予備校のある御茶ノ水に集まった際に、自分は、このシングルの12インチ盤を、ディスク・ユニオンで買った。

新しい人生の局面のスタートに、この「フィールド・ワーク」の12インチの「ロンドン・ミックス」が流れていた。
これを聴きながら、自分で自分を勇気づけていた気がする。
名曲である。

***

アレンジは坂本龍一と立花ハジメが行い、立花ハジメが、ジャケットのアート・ディレクションを行っている。

作曲は、ロンドンと東京のテープの往復で作られていったようである。

あと、個人的に好きなのが、12インチ・シングルのB面一杯に、15分にわたり収まっている「エクジビジョン(Exhibition)」という曲。



様々なノイズ、音波、短いフレーズがくり返しかかるアンビエント調の曲だが、この曲を、東京の夜のビルの明滅する風景を見ながら・歩きながら、よく頭に描いたものである。
浪人時代の曲の中でも、想い出深い曲である。
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かたちんば徒然日記

2009-03-28 05:20:32 | 雑記帳
今週は、毎日遅くまで働いていたので、全くブログの更新も出来ずにいた。

しかし、何とか、自分に与えられた予算作りの仕事は今日出来上がったが、
「とりあえず出来た」という程度で、内容は十分に分析・吟味されていない。

それというのも、3月31日の売上結果を見て、もう1回作り直すのが明白だからだ。
という割には、苦労して半泣き状態で、毎晩遅くまでパソコンと戦っていた。

おかげで、眼と首と肩と頭をやられてしまい、凝りと痛みでガチガチ。
鎮痛剤を毎日飲んでいたが、大して効かず苦しんだ。
マッサージに行く暇も無いので、自分で自分をマッサージしたり・ストレッチしたりしていた。

金曜日、21:30仕事場を出る。
すると、小雨が降っていた。
傘も無いので、濡れながら、駅までとぼとぼ歩いた・・・・・・。
電車は、駅で酔って野たれ寝しているヒトや、車内も酔っ払いが多かった。

***

まあ、何はともあれ、明日・あさっては休めることになった。
まずは、小休止である。

***

食事は、作る時間がもったいないから、ついうどんを煮て野菜散らして食べたり・カップラーメンやいなり寿司などSHOP99のお世話にもなった1週間だった。
思い切り炊きたての白ご飯を食べたいものだ。

夜も寝る時間優先にしたので、あまり音楽・ラジオ・テレビ・ネットと接しなかった。

しかし、あと数日で、不安な2009年度が始まってしまう。
とにかくユウウツな仕事案件が多くあり、4月が来て欲しくない。
まずは、自分の身が保つかどうか?自信が全く無いというのが、正直な気持ちである。
発狂せずに乗り越えることなど出来るだろうか・・・・・・・。

自分には基礎体力が無いと思っている。
それを少しでもカバーするために、カラダを動かそうと思っている。

***

22:30帰宅すると、SHOP99で買ったパンとやきそばを食べ、こたつでビールをぐびぐびしていたら、いつのまにか寝てしまっていた。

灯りもラジオも付けっ放し・・・
ラジオからスターダストレビューの「木蓮の花」が夢の中に侵入してきて、「おかしい」と思って起きると、明け方5;00。

布団に入って、眠り直す。
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大貫妙子&坂本龍一  「ベジタブル」'85年 春

2009-03-22 16:52:38 | 想い出かたちんば

1985年の春の資生堂の化粧品のCMは、大貫妙子さんの「ベジタブル」だった。



この曲も、たしか坂本さんが、アレンジをしているはずです。

***

瞳の青空 はるかな草原
梢にまどろむ 光のささやき

ふりしきる 花びらで
街中 夢からさめたら

ベジタブルな 甘いキッス
おとずれた 春の誘惑
愛をこえて 愛し合う
とりたての気持ち とどけたい

流れの岸辺に はばたく水鳥
緑の輝き 私のジオラマ

春風と 競いあい
私をむかえに来た人

ベジタブルな 甘いキッス
目ざめたばかりの誘惑
愛をこえて 愛し合う
とりたての気持ち 伝えたい

何も知らぬ 気高さよ
生まれたばかりのくちびる
胸の中で さわぎだす
不思議な予感を 伝えたい

***



当時、高校生から浪人に突入していく、暗い心境だった自分には、まぶしすぎる、透き通るような、春の名曲だった。

いつ聴いても、大貫妙子さんの声というのは、オシャレで美しいですな。
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鴻上 尚史  「朝日のような夕日をつれて」'85

2009-03-21 21:22:34 | 想い出かたちんば
藤森くんと芝居を見たのは、もう1つあったのを思い出した。



それは、鴻上 尚史の「朝日のような夕日をつれて」だった。
鴻上 尚史も、如月小春同様、当時の小劇場のブームを担う、「新人類」の1人だった。

インターネットで調べると、新宿・紀伊國屋ホールで、1985年2月2日~6日の公演である。

ということは、如月小春の「MORAL 2nd」より前に見に行ったことになる。
記憶というのは、いつもあいまいなものだ。

***

公演前、藤森くんと2人で、ロビーに佇んでいると、鴻上 尚史、そのものが居た。
「あれ!鴻上さんじゃないか!」と、自分は興奮しているのに、藤森くんは、「ああ、そうだね」と普通に言った記憶がある。

芝居というのは、そういうもので、余りそれくらいで興奮しちゃいけないんだ、そう自分を恥じたように思う。
如月小春は演出家ながら、芝居にも出るのに反して、鴻上さんは、あくまでも演出家に徹していた。

鴻上さんは、何気なく、身近にいるファンと語りながら、タバコを何気なく吸っていた。

***

鴻上さんは、当時、「オールナイトニッポン」をやっていた。
そして、それは、1985年3月で終わることになっていた。

思い出したが、如月小春さんの「MORAL 2nd」を、3月28日見終わった後、藤森くんに連れられて向かったのは、出版界の人々が夜な夜な集うというバーだった。
そこで、お酒をご馳走になり、酔いながら、サブカルチャーの研究をしているという美人の女性の大学教授と、生意気な会話をした記憶がある。
ありったけの自分の思い込みと、妄想じみた80年代のサブカルチャーについての生意気な会話を、彼女は、うるさいそのバーで、耳を傾けてくれたのを覚えておる。
かたちんば、18歳のキチガイ間際の、頭でっかちな、でも、感覚だけはやけに鋭い生意気神経症少年がそこには居た。

***

さんざん酔った上で、藤森くんの家に向かうことになった。
彼の家は、奥多摩の羽村(はむら)にあった。

最終の電車を乗り継ぎながら、羽村を降りると、藤森くんの運転する自転車の後ろに乗り、彼に掴まって、走った。

雨が降っていた。
雨は横殴りだった。

その中を、夜中の未知への道を、酔った2人は走った。

途中で、コースを誤って、草むらに突っ込んだ。
「いててて・・」
自転車は、転がり、2人は草むらになだれ込んだ。

再度、体勢を立て直して、彼の家に向かった。
彼の全速力の自転車は、また、再び、その速度を取り戻した。

家に着くと、すぐラジオを点けた。
というのも、この3月28日の放送が、鴻上さんの「オールナイトニッポン」の最終回だったからだった。

何とか無事、ラジオにたどり着き、最終回の放送を、2人で、もう後半に差し掛かっていたが、聴き、3:00の終了まで聞き終えた。

最後、鴻上さんは、「しあわせになってください」・・・。
そんなセリフをつぶやいたように思う。

***

・・・・そうして、かたちんばの高校生の生活は終わりを向かえた。
・・・・未来の見えない、新たな至難の時代に、自分は、突入していく、その前夜の嵐の夜だった。
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如月小春   「MORAL 2nd」’85年3月28日

2009-03-20 13:01:50 | 想い出かたちんば


3月19日 木曜日

こちらは、予算作りに追われて、四苦八苦しています。
今日も、22時に退社しました。
今週キツかったので、今朝、大寝坊しました。

時計見て青ざめました。なんと9:44(*_*)!
今週は、パソコンとにらめっこだったので、かなり「キテ」いたのは事実ですが。
まさか、こんなことになろうとは・・・・。
情けない。

4月からは、大幅な人事変更で、尊敬する上司が変わってしまったり、その上の「長」が、厳格な方になったりと、いろいろ変化があります。

いつからか、「春」という季節は、「憂鬱」以外の何者でも無い季節になってしまいました。

予算作りは、時間との勝負になって来たので、土曜日には出社します。
うちのチームはみんなそんな状況です。

正直、心身ともに、憂鬱でしんどい。
ああ、体力が欲しい、と思う今日です。

****

今日は、休みをもらった。
11:30まで寝て、起きると皿洗い・洗濯・コメ磨ぎをすませ、コメが炊くのを待ちながら、WBC 朝鮮VS日本戦を見ています。

如月小春との想い出を探して、大荷物の中をまさぐっていたら、その当たりのノートが出てきました。

1985年のノートには、3月28日に芝居「MORAL 2nd」を見た時のメモが残っていた。

****

「大人と子供 言葉(名前)をつけることで安心してしまう人間

誰1人として、この都市(東京)について、説明できる者はいなく
誰1人として、その方向を指導する者すらいない

”課長!命令を!命令をください!”

その行く末が、たとえ、やばい領域であっても、今のまま、突っ走るしかない
止まったら最後、おぼれていくのみであり、それについて、誰も気を留める者はいないだろう

”わたしは粗大ゴミの一部”  」

****

当時の自分と東京の状況を反映した「吐露」である。
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如月小春との想い出  '85

2009-03-19 23:47:18 | 想い出かたちんば


1984~1985年、当時、朝日ジャーナルの編集長だった筑紫哲也さんが、「新人類」と呼び、「若者たちの神々」という特集を始めた。

この中にも、納まっているが、劇作家、如月小春を知ったのは、高校生の友人、藤森くんの影響だった。
多くが、「オトコ」という色を出した男子校において、彼だけは、親が本の編集の仕事をしていた影響もあるが、音楽や、サブカルチャー全般において、話せる少ない友人だった。

彼との交流は、この高校3年生の冬、多かったように思う。
もはや、自分は、浪人が決定的だった頃、彼に誘われ、自分も興味があった芝居を見に行った。
自分が見た芝居と言えば、スーパー・エキセントリック・シアターしかなかったが、彼が誘ってくれたのは、如月小春の劇団「NOISE」の「MORAL」という芝居だった。

***

如月小春のことは、まず第一印象が、「なんて美人なひとなんだろう」ということだった。



藤森くんと、渋谷の劇場で見た「MORAL」。
地球を抱いた仮面を付けたヒトが椅子に座る中、女性の数人が出てきて、不思議な文字遊びのようなせりふをくり返し、踊りながらしゃべる。



退屈なヒトにはこれほど退屈なものもなかったろうが、自分には、その初めて見る如月小春の作り出す、世紀末的な恐怖を感じさせる「場」に、絶望を抱きながら、引き込まれていた。

***

如月さんは、坂本龍一との交流の中から、1枚「都会の生活」というアルバムも作ったり、丁度、1986年岡田有希子が自殺した頃だったか、「アイランド (それは、次第にあおむけに狂っていったのだった・・・・)」という芝居を作ったりしたが・・・・・・・



それから時間を経て、彼女の存在を、自分はすっかり忘れていた。

そんな頃。
2000年の12月、突然の訃報で、彼女の存在と、あの1985年がフラッシュバックした。
彼女は、突然の「くも膜下出血」で、44歳という若さで亡くなったのだった。

80年代という特殊な当時の時代空間を語れるヒトが、また1人消えたと思った。
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斉藤由貴 「青春という名のラーメン」CM '84 冬

2009-03-16 22:24:17 | 想い出かたちんば


1984~1985年の冬は、雪が降り、寒い冬だった気がする。

その冬から、高校卒業に向けて進む中、このCMはテレビに登場した。

「胸騒ぎ・・・ください」
斉藤由貴のデビュー作である。

中学生の頃、松本伊代ちゃんのCM「センチメンタル・ジャーニー」に、胸をドキュンとやられた少年たちは、また、その数年後、このCMに、またやられたというヒトも居ただろう。
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Dali's Car 「Lifelong Moment」'85年2月

2009-03-15 22:55:31 | 音楽帳


1985年2月、元JAPANのミック・カーンと、元バウハウスのピーター・マーフィーが「ダリズ・カー」というプロジェクトでアルバムを作った。

その第1弾のシングルに収まっているのが、この「Lifelong Moment」。

当時、土曜日の夜中3:00にFM東京で、「FMトランスミッション/バリケード」という、アンダーグラウンドなニュー・ウェイヴの音楽を紹介する摩訶不思議な番組があり、そこでエアチェックして、よく聴いた。

自分には、深夜の暗いまっすぐな道を、ひたすら静かに走る車の中で、聴こえてきそうな音楽に思えた。

ミック・カーンの不気味なうねるベースが、とても気味悪くて、好きな曲である。
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