前回書いた通り、1983年までから一転、1984年の音楽シーンは自分にとって、より暗い状況、と感じられた。
自らの心身の不具合も一因となり、リアルタイムの現実は大きな暗雲として立ちはだかっていた。
自分は1983年秋〜冬、クリスマスまで2回に渡り合計1ヶ月以上、精神性胃潰瘍で入院していた。何とかクリスマスに退院して年の瀬をシャバで過ごすことは出来たが、年が明けた1984年以降もひどい胃痛症状は継続していった。
1983年末をもってYMOは散開した。
年が明けた1984年からはアフターYMO時代。
だから、というわけじゃないのに、年が明けたら、世界をビロウドのようにおおっていた魔法は解け、干上がった現実に戻されたようだった。
自分にとって大事だった、何か磁場のようなものが見える周囲から消えていった。
虚しい荒涼たる世界を前にして、この先どうやって生きていっていいのか?途方に暮れていた。
これを誰かに言って、それはあなたの中の幻想、まぼろしだよ。と言われても仕方ない。でも自分の中では確実に起きていた感覚であった。
追いかけていたニューウェイヴの世界は、そのありさまを変容させながら、いくつかの方向に向かっていった。
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1983年暮れに知ったジ・アート・オブ・ノイズのデビュー12inchシングル「イントゥ・バトル・ウィズ・ジ・アート・オブ・ノイズ」。それを聴いた者たちの反応とざわめき。
もう一方では1983年からメジャーシーンに出てきたヒップホップの影響。その影響は例えばローリングストーンズといったロックやポップスのメインシーンのみならず、ニューウェイヴにもエッセンスとして現れ出していた。
ジ・アート・オブ・ノイズとヒップホップの影響から同系列の音を鳴らし、ハードでタイトなドラムと密な音で埋め尽くされた世界に向かう人たち。
あるいは、そんな流れと離れ、それまでエレクトロニクスの音一辺倒だった世界への反動から、ニューアコースティックムーヴメントのように生音や静かな音へと向かう人たちが顕著に現れ出した1984年。
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そんな1984年に出会った一つがトレイシー・ヤングだった。
彼女が唯一残したLPアルバム「恋のしぐさ」。当時NHK=FM夜の番組「サウンド・オブ・ポップス」はよく新譜を紹介してくれていて、ありがたい存在だった。その新譜特集からカセットテープに録音した「恋のしぐさ」。このアルバムを1984年夏は繰り返し聴いた。
音楽雑誌ではこのアルバムはボロクソ叩かれていた。トレイシーには特に秀でた特徴があるわけではなく、アイドル的要素も薄く、卓越して歌が上手いわけでもなく・・・。それは聴いた自分にもよく分かる意見であり、その通りだと思う。なぜ、暑き血潮が漲るポール・ウェラーが彼女にここまでチカラを費やしたんだろうか?などと思ったこともあった。
しかし、何の情報もなくたまたま出会った「恋のしぐさ」が気に入ってしまい、ずいぶんと大事に聴き込んだ。
過剰に自己主張しないさりげない魅力に惹かれていた。そこには自己主張しなくても世界に受け入れて欲しい、という自分自身の無意識の願望が重ねられていたようにも思う。理詰めで批評されることはどれも正しいかもしれないが、それとは無縁に聴いていたこのアルバム。
トレイシーの声や歌はみずみずしくのびやかで、清くさわやかだった。ポール・ウェラー他から提供された楽曲にはメロディアスな曲も多く、アコースティックな曲では必要最低限におさえた質素な演奏も実に魅力的だった。
エルビス・コステロ提供の楽曲、a-1「(I Love You)When You Sleep」。あなたが眠っている姿が好き、というささやかな言葉の永遠。この名曲はイギリスでシングルカットされた。その7inchシングル盤も持っている。ポール・ウェラーが作った曲はアルバム10曲中の5曲(a-2・3・5、b-3・5)。
モロジャム、モロスタイルカウンシルといった風情の曲もある。a-5は(なんと!)バナナラマのファーストアルバムにも収録された曲。
何よりも美しい名曲はa-4「ひとりぼっちの夏(I Can't Hold On 'Till Summer)」。
身近なすぐ話せる友達などいなかった1984年の夏。
このアルバム、これらの曲を聴くと、あのやたら方向を見失った空虚な夏、そんなひたすら長い夏休みの孤独な感覚がよみがえる。
■Tracie「I Can't Hold On 'Till Summer (Without Strings)」1984■
・・・・あっという間に時は巡り、今年も8月15日が来て、手を合わせる。