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2016年3月。
この夜、お袋さんが楽しみにしていたライヴのピンチヒッター代行として、武道館に行った。
兄と席で待ち合わせ。ライヴはTOTO。ステージは7時10分ほど過ぎて始まる。
曲が進むに従い、どんどんと醒めていった。
ライヴが終わって2時間弱、兄と2人でお酒を呑んで話をする。
兄に「どうだった?」と聞かれ、思わず深いため息をもらす。たぶん既にこちらの感じ方を察していたことに”やはり”と笑いが起きた。
店に入ったとたん「締め注文は何時」とせわしないおばちゃんに「うるせえな」と感じつつ、話しながら、じぶんの状態が何を示していたかを理解できた。
「TOTOは中学生のころ好きで、今でもシングルレコードを大事に持っているし、
あのときのレコードの音はじぶんの中では未だ大事なんだけどね。。。」
前夜にはピンクフロイドを聴き込んでおり、完全にモードがそちらに行っていたのもあるが、「今のじぶん」がTOTOから相当遠くに来てしまった感が強い。
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80年代初頭時点、一連のプログレッシヴ・ロックは恐竜時代や化石みたいに旧世代音楽だった。
さしたる年数は違わないことは今にしてみれば。。。であって、若気の至りで、当時は「古い」という認識だった。
ただピンク・フロイドは唯一80年代に生き延びたプログレバンドとして存在し、ビルボードアルバムチャートに作品「狂気」はいすわり続けていた。
一方クリムゾンは1981年「ディシプリン」で新たな復活の仕方をした。
TOTOの一番最初の印象はシングル「99」、オーディオCMに「99」をバックに白い服装で演奏していた姿。とても素敵だった。
それに「セント・ジョージア&ザ・ドラゴン」。。。その後の新譜「ターンバック」からのシングルカット「グッバイ・エリノア」のサウンドの新しさに狂喜した記憶。
”あれ”から36~7年の今、不思議なもので関心ある音楽がまるっきり逆転している。
TOTOのライヴステージは今のじぶんにはリアリティがなく、遠くのものに感じた。
もともとはボズ・スキャッグスのバックを演奏したり、といった名うてのスタジオミュージシャンだから、技術的には上手い。
今回驚いたのが「あれ?TOTOってこんなノイジーなハードロック調音楽だったっけ?」
過去の楽曲たちも、まったくその曲と気付かず、途中からやっと「ああ、あの曲か」という始末。アレンジの違いという意味ではない。
「99」という曲のたたずまいのように、本当は静かな音で、演奏に絞ってシンプルに聴かせるスタイルでライヴを行えば、もっとぐんと引き立つと思う。
・・・なのだが、ギターやドラムの長々したソロや客席に歌わせたり煽るポーズなど、いやいやどうも。。。
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醒めた意識になっていく中で、俯瞰的に見て、じぶんは結局初期のTOTO、せいぜい4枚目までの音にしかシンパシーを感じていないことがよくわかった。
その後も「I’ll Be Over You」など好きなシングルはいくつかあるが、アルバムタイトルに「TOTOⅣ」とナンバーを付けるあたりから、どうも匂ってきていた。
名曲「アフリカ」はⅣだが、「ロザーナ」は人工的に創られた感がじぶんの中で否めなかった。
カネの匂いがぷんぷんする。渋谷さんがよく言っていた”産業ロック”という言葉を思い出しながら、そのゆとりかました姿に首をかしげる。
いまさらヤボなことを言うなと言われるだろう。
しかし、3・11のとき、すべてのコンサートを無期延期した割には、”ニホンのファンの皆さん・・・”。ずっと引っ掛かっていたことだった。
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おもえば昨年の今少し前ごろ、シンディー・ローパーをここ武道館で見ていた。
間際までラジオCMを打ち続けても埋まらなかった客席。それでも、彼女を愛する人が多く集まっていた。
そんなことは、人によっては”音楽には関係がないじゃねえか。しょせんショービジネスは人数が稼げなければ成立しないんだよ。”
しかし、じぶんにはそうは思えない。そういったことのほうに引っ掛かりを持てる。
”いいんだよ、そんなこと、ノリだよノリ”そう言っている。
じぶんは”ノリ”だけで音楽を聴くことができない。
ライヴの最中、こんな雑多なことが脳を駆け巡ってて、宙を舞っていた。
3・11のとき日本行き飛行機に乗っていたシンディー・ローパーや、今を超えようと戦っている多くのミュージシャンのことがよぎった。
ひたひたと迫りくるものの中で、何を今聴くのかを最近よく思う。
どこぞかの国の首相が”人生いろいろ”だの言った後からの流れや、その後継者と末裔たちが。(2016.3.8)