こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年6月30日 月曜日 かたちんば・夏の100曲 ~大祓~

2014-06-30 23:27:21 | 音楽帳

6月28日 土曜日
0時過ぎてから寝たが、4時に明るくて目覚める。
そこからひたすらラジオを聴くが、昼に野菜のお味噌汁とご飯を食べると眠ってしまう。外は雨が降ったりやんだりの不安定。室内で過ごす。

6月29日 日曜日
安住さんのラジオを聴き、午後雨がやんだスキを狙って歩き出す。
入道雲と青空。それが綺麗で、空ばかりにシャッターを切る。
そんなうちに、空はねずみ色に覆われてスコール。
対策済みの濡れても良い格好で居たので、痛くもかゆくもない。
降ってはやんで青空の繰り返しを、歩く間三回見る。



6月30日 月曜日 大祓
神社に行き大祓をするつもりも、目の前の仕事に流され、島に着くと既に指定時間を過ぎている。
夜の曇り空。
それでも神社に向かうべとも思ったのはほんのわずかで、人が集まる場所に向かうわずらわしさから、心の中で大祓をする。それで充分。



■細野晴臣 「エサシ」1989■
正月といえば、人が見向きもしない場所に行き、大勢が向かう場所には出向かず、人が少ないだろうという機を見て、神社仏閣に向かう。
ネコと同じで、多勢や強要の圧力を感じると逸れる。

この半年の速さは、俯瞰的に見ても加速度を増している。
こんな感覚は、産まれて初めてかもしれない。
余計な邪を、よりいっそう削ぎ落としていかねばならない。

コレンドア
彼の惑星より生まれ来たれり。
コレンドアとは「宇宙人のふるさとの星」といった意味の、新しい言葉でしょうか。
見慣れぬ月の下で、ルナティックなピアノを弾いているのはインセミノイド。
そこで思いめぐらすふるさとは、きっと日本の田舎の音がするでしょう。(細野晴臣)



■細野晴臣 「プリオシーヌ」1989■
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2014年6月28日 土曜日 かたちんば・夏の100曲 ~南佳孝「憧れのラジオ・ガール」'80~

2014-06-28 22:36:13 | 音楽帳
今はラジオを、再びネットで聴くことが出来る。
ラジオ番組「たまむすび」の4月22日放送分がアップされていたので、薄い焼酎のお湯割りを呑みながら聴いて浸っていた。
外は雨が降ったりやんだりが続く梅雨らしい日。

通常・火曜日は山里亮太さんが番頭さん(ホスト)だが、この週はホスト2人の「増えるパートナー週間」ということで、金曜日の玉袋筋太郎さんを加えて、赤江さんと3人の放送。

この放送数日前18日金曜日に、スタッフと出演者で行われたという呑み会(決起集会)を話すイントロ。
その夜がいかに楽しかったか。。。が伝わってくる、心が温まる貴重な放送だった。
「たまむすび」も4月から3年目を迎えて、番組を作っていくチームメンバーたちの自然な結びつきが見えた。

初めて一緒に呑んだという玉袋さんと山里さん。
山里さんがどんな面白れえヤツかを、玉袋さんは語りながら、山里さんの気力を持ち上げる。
その一方・全員にお酒を振舞いながら、早々にべろべろになったという赤江さん。
男の子みたいな女の子がそのまま育った、この人が持つ天性の天真爛漫さ。

玉袋さんの声と話し方は、周囲をハッピーにする。
他の人を立てて皆にモチベーションを与え、場を盛り立てる。
その包容力と説得力の大きさに、いたく感心しながら聴いていた。

さすがは、新宿で生まれ、酒場を渡り歩きつつ、危険と背中合わせの中、我が身で人のありようを得てきた男らしい、さすらい感とにじみ出る優しさ。
正直、金曜日の放送は余り聴いていなかったので、目の覚めるような想いがした。

若い頃、毎日毎日酒場で「呑む」というより、先輩に連れ回されて無理矢理酒を注がれては説教の日々だった。
ひどい時は、大阪の道端で寝ていたりもした。(その一方で、先輩らは、ひっかけ橋の真ん中・人が大勢行き交う中2人で寝ていた。)

そのような時代が終わり、自分も肝臓を壊し、考え方が変わったのもあり、外で呑むのを控えている。
歳は説教出来る側に回っているが、そのようなことはしない。上も下も無い場でしか、自分はお酒を呑まない。
いまや外で呑む回数は一年一桁だが、それゆえに行きたいと思った呑み会は、実に楽しい。
夜の語らい・笑い・お互い無理強いの無い中で呑むお酒の旨さ。
そんな夜は、良い夜だったという余韻が残るものである。

自分の主治医は、お酒は一滴たりとも毒、という認識の人である。
医学的確信があって言っているとは思えない。
そろそろ、キミはどこかで考え方を変えた方が良いよ、と説教をせねばならないと思っている。



■南佳孝 「憧れのラジオ・ガール」1980■
作詞:松本隆
作曲:南佳孝
編曲:坂本龍一


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2014年6月28日 土曜日 かたちんば・夏の100曲 ~China Crisis「Diary Of A Hollow Horse」'89~

2014-06-28 09:40:09 | 音楽帳

昨年後半から夢中で聴いているTBSラジオ「たまむすび」のように、「今」輝いてまぶしい『旬』を逃がしてはなるまい、という志向性の一方、リアルタイムで受け入れ出来なかった音楽も、改めて出会う、という機会に恵まれて再発見する日々が続く。

1982年今頃始まった「スタジオテクノポリス27」で初めて知ったチャイナ・クライシス。曲は「スクリーム・ダウン・アット・ミー」。
そこから前後の曲を蒐集しながら、心地良い同時代を過ごすが、自分との齟齬を覚えた1985年シングル「ブラック・マン・レイ」以降。
それでも彼らを追い掛けはしたものの、自分勝手に思い込むチャイナ・クライシス像と乖離し出し、今回もダメだ。。。という繰り返しをして、その果てで彼ら自身が作品発表を停止するに至る。

その後、偶然、大阪は梅田地下街で「ワープ」というCDでの新作に出会い、再びの邂逅を果たす。異国の地の偶然、奇妙で素晴らしき縁。
まるで、自分がそのお店に向かうことを知って「どっきりカメラ」が、店頭にCDを分かる位置に置いたみたいな不思議だった。

あきらめをしてしまっていた1985から1989年のチャイナ・クライシスを振り返りつつ、トレースを繰り返してきたのは、ここ十年。
CD化されたアルバムで聴きながら、過去ダメだと思ったアルバムに珠玉の曲を見つけていく。

***

お互い心に深い悩みを持つことが縁で、大学時代に出会えた、長き友人・Mくんを思い出す。
彼は、可愛い少年がそのまま大学生になったような美少年だった。
よくコロコロ笑う彼が、自分より年上とは思えなかった。

彼の実家が兵庫は芦屋であった偶然。
自ら汗水かいてメシを喰うために、いきなり放り出されたのは、真反対の文化圏・関西。
この地で住む場所を導いてくれたのは、彼だった。
この時点で、彼の両親は芦屋から別の場所に移動していた中、彼だけが芦屋でマンションを借りて住んでいた。

大阪に降り立った初日、彼は不安な自分と一緒に不動産屋めぐりに終日付き合い、夜には自分の車でカラカラテルメなる場所に案内してくれ、一緒に湯に浸かって過ごした。

その後、阪神淡路大震災に遭い、彼との連絡を取り合いつつ、うちに泊めたり・行ったりをしていた。
そんな折、同じように音楽が好きな彼の傾いたアパートで、レコード&カセット棚を見て「どんな音楽を今聴いているのかな」と興味津々。
フラ・リッポ・リッピの「ソングス」やチャイナ・クライシスの「ダイアリー・オブ・ア・ホーロー・ホース」があるのを確認しつつ、お互いが通り過ぎてきた時を思った。

彼は「勝手に聴いていいからね」と言いながら、いつのまにかソファで寝息をし始め、ボクは置き去りにされた人の室内でチャイナ・クライシスを聴いていた。

チャイナ・クライシス2人が好きだったスティーリー・ダン。
そのウォルター・ベッカーにプロデュースされた80年代後期。
憧れの人と音楽を創ることに彼らは喜びを感じていたのだろうが、聴くほうは望んでいない方向に向かっていると思っていた。
お互いの距離を感じたが、自分が「旬」ばかりを追い掛けていたせいもあった。。。そう今では言える。

1985年の「未完成」
1989年の「デイリー・オブ・ア・ホーロー・ホース」
共にウォルター・ベッカーとの作品。

(彼らにとっての)憧れの方向にいざなわれて自らを失っている、と当時は思ったが、細かく聴いていくと、やっぱりここにもチャイナ・クライシス2人じゃなければ奏でられない音がある。その音が今では聴こえる。

■China Crisis 「Singing The Praises Of Finer Things (live in Liverpool)」■




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2014年6月26日 木曜日 かたちんば・夏の100曲 ~Fra Lippo Lippi 「Songs」'86~

2014-06-26 22:36:26 | 音楽帳

今日は、明るく行きたい。
なんでそのようなことを言うのかは、昨日、それなりの打撃を受けたからである。
それを語るには時間を要するので、別場所に置いておいて。。。

太宰治か寺山修司さんが言った言葉。
幸福なときには不幸を祈る、みたいな、人の心が持つ身勝手さ。
冬には、ああ暖かくならないかな、と言っておきながら、暑くなれば寒さを恋しくなる人間のわがまま。
僕には、そういう気はないつもりだが。猛暑以外は四季折々良い。

青くさい(あおくさい)という言葉は、つい否定的に使われがちだが、
何も若者の馬鹿さ加減を表現するだけの言葉ではない。

一つに、公園で接したり・育てる植物たちが発散する、彼らの香り。
もう一つは、中高生に出会ってから未だ聴いている音楽。
美しいものを形容する用語として”青くささ”はある。

チャイナ・クライシス、ロータス・イーターズ、ペイル・ファウンテンズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、フラ・リッポ・リッピ。。。等々(以下省略)たくさんある。

その中でも、イーノとスティーリー・ダンが好きで、2人で音楽を奏で始めたチャイナ・クライシスは、少年の憂いの投影そのものの美しさ、永遠のみずみずしさをたたえている。
まるで友だちか兄弟のような気持ちで、一番シンパシーを覚えるのだが、それも嗜好が似ているからだろう。
実際、へこんだ今日は朝も夜も電車に居る中、彼らの音楽を聴いていた。
「それでも、希望」と光を見い出そうとする姿に寄り添い、一緒に音楽の中で、草原の上で寝転ぶ自分。

チャイナ・クライシスとの寸分も無い身内感は特別だが、フラ・リッポ・リッピも近い距離感を持っている。
デビューアルバムで暗さの中に輝く何かを描いた彼らは、2枚目ではヨーロッパの秋冬の静けさを見事に音に定着させた。
そして、3枚目はそこにポップな要素をふりかけて、多くの人の心を掴んだ。



■Fra Lippo Lippi 「Come Summer」1986■
この「カム・サマー」は、3枚目のアルバム『Songs』のA面始まりの曲。
1986年東京。。。1995年大阪。。。2014年島にて。

こんな感じだよ
境界のむこう、手の届かないところに
ボクは誰も見つけられないような所に隠れていて
シンプルな暮らしに浸っているよ

さわやかな夏が来たら、そこに居たい
太陽と海と新鮮な空気と
夏が来たら、これほどの真実は無い
天国のどこかで、月のむこうがわで

こんな感じだよ
一番高い山のてっぺんに昇って
青いカーテンの裏に、何が隠されているのか見るんだ
ボクらに与えられているものが何か、見るんだ(カム・サマー)
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2014年6月24日 火曜日 かたちんば・夏の100曲 ~My Life In The Bush Of Ghosts~

2014-06-24 23:12:39 | 音楽帳

6月23日 月曜日
週の始まりというのに、朝はあちこちで次々に人身事故が起きるに伴って、選択可能な経路がせばまっていく。
その中をかいくぐって、何とか都内に辿り付いた。
常に寿司詰め電車を回避してきたのだが、止む無く潰されながら揺られて始まる。
相変わらずモラル無き車内では、いくら混雑しようと、ゲーム・モバイル映像に熱中する者、デカサイズの少年マンガを読む者、リュック族等々が異臭を放つ。
それらを視界から外に置きつつ突破する。

よくこういった事態を、この2014年と結び付けて述べるケースは多々あるが、思えば6・7歳の頃、地下鉄通学デビューした時代と大して変わらない。
むしろ、もっとひどい状況を見てきた。所詮、そういう程度のものだろう。

今年の夏至は、土曜日21日だったそうで、頭には3ヶ月置きの23日あたりというのがあり、気が付いたら、既に通り過ぎてしまっていた。

夜、湿度高く蒸し暑く、家の”倉庫”でレコードをがさがさめくっているうちに汗だくになる。
現場作業そのもの。
Tシャツ等々も脱ぎ、トランクス1枚に首にタオルを掛けて缶ビールのプルを空ける。

6月24日 火曜日
朝いつものように植物たちに水やりをする。
きゅうりは大きく実ってはいるものの、総じてみんな元気がない。
葉っぱの色合いを見て、そう思う。それも、太陽があいまいなせいなのか?と想像してみる。
顆粒と液状の栄養剤を適宜、それぞれにほどこす。

10時を過ぎて、カミナリごろごろ鳴り出し、雨。夏の通り雨。
朝お水を上げる必要はなかった。
次第に、スコールのような一時局所的雨が降ったようで、そのニュースを見つつ、皆の心配をする。
ピーマンは最近虫が付いた影響もあり、元気が無かったが、ピーマンは余り水が多過ぎるといけないと言われているので、大丈夫だろうか。

心配しながら島に戻る。
しかし、夜道を歩いていると、廃校になった校舎をマイペースで野良猫さんが歩いている。
路面は濡れてはいるが、空を見れば雲はあるものの、星さえ見える。
帰ってみれば、植物は皆・久しぶりの雨に洗われて、むしろ元気。

生命力の強さは、自分より上。
きゅうりは、朝見たより一段大きくなって、市販品を越えて見た事無い巨大きゅうりになっていた。

■Brian Eno・David Byrne 「The Jezebel Spirit」1981■

当時”神懸かり”的なキレを見せていたブライアン・イーノとトーキングヘッズのリーダーであるデヴィッド・バーンが共作した「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」。
アフリカ音楽に傾斜し、その後の音楽界に大きな傷痕を残した歴史的一枚。
国内LP盤のレビューを書いているのは、中村とうようさん。

このタイトルは、ナイジェリアの作家であるエイモス・トゥトゥオーラの「やし酒のみ」からの引用。
それを知って、当時三省堂本店でこの本を買って読んだが、日本語翻訳が困難な面もあったのだろうが、夢物語的な文章で、いまいち理解出来なかった。

「ブッシュ・オブ・ゴースツ」には、イーノの録音したカセットテープのコレクションが活躍している。
ベーシックトラックを作った後に、そこにラジオ番組他、様々な録音テープを乗せて加工していく。
音譜や規定の音楽の在り方を否定し、自らを”ミュージシャン”と呼ばれることを極端に嫌い、テープレコーダーという道具の可能性を追求したイーノ。
これは、その後1982年発表されたソロ「オン・ランド」では、自然音を使った大地の響きというカタチでも現れる。

アルバムA面を締めくくる曲「ジザベル・スピリット」は、当時住んでいたマンハッタンで、イーノが聞いたラジオ人生相談の録音テープから引用されている。
ラジオを通じた悪霊祓いの相談者と祈祷者のやりとり。

この曲は、その後1982年に始まった、ピーター・バラカンさんとアッコちゃん(矢野顕子さん)のFM番組「スタジオテクノポリス27」(土曜深夜3~4時)のエンディングテーマ。特に想い出深い一曲。
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2014年6月23日 月曜日 かたちんば・夏の100曲 ~ちんさぐの花~

2014-06-23 23:28:33 | 音楽帳

今日は、取れるかどうか分からない夏季休暇の予定表とにらめっこ。
取れるかどうか不明でも、そのような行為そのものが平和なのだろう。

老い先短いと思っている、今年夏。
自分が思っているのが、果たせるかどうかは分からないが、日本の風土残る場所への旅。
自らが、その場の空気を吸って、日本を感じられる場所への旅路。

近代やアメリカやグローバリゼーションの結果もたらされた均質化してしまった「観光地化」という「魔」から逃がれた場所。

数年前、夏に既婚女性と行った場所は、東海地区のとある漁港だった。
海辺と潮の匂い。ぎんぎんギラギラの太陽の下、「とりあえず」というやる気の無い態度で、外で売られている乾物と、それを売る小屋。
歩けば、いわゆる海水浴場はあるが、人もまばらで人気(ひとけ)も無い。
近所には、すたれてしまってもはや商店街とは呼べない、しもた屋が並ぶ。
その様が心地良かった。

初めて沖縄に行ったのも、数年前。
当時無職で、50以上の企業の面接を受けても、どこにも箸にも棒にもかからず、ヘタっていた九州男児・先輩に提案した気分転換の旅だった。
異国・大阪で出会い、週の半分うちに泊まって、まさに同じ釜のメシを喰った彼とは、ほぼ2年差程度というのもあり、先輩というよりも公私共に辛酸をなめた旧知の仲。

群れを成す連中に背を向けるように、2人が選んだのは、人が居ない伊計島。
二泊三日・何をする訳でもなく、海から吹く海風に漂い、草木の生い茂った岩場を歩き、浅い海にすそをまくり上げて足を浸し、カニや魚が泳ぐ様を見たりして過ごした。

3日目・帰路の間際に行った首里城。
ここで演じられていた琉球王国の踊りとお芝居にいたく感動し、その場を去った。

3・11のパニックの際、彼が居る九州、それに北海道からの電話。
そこに悟ったのは「こんな小さい国土なのに、一緒では無いのだな」ということ。
東日本大震災・日本全土の危機と思ったが、距離があって・揺れた事実すら共有化できない人には、事態は把握できないという意味では当たり前だった。

過去、阪神淡路大震災のときに、人が生命の危機に面しているというのに、フジテレビアナウンサー・安藤優子が顔に「他人事」と書いて、キャーキャーとテレビではしゃいでいたのを思い出す。
街と人が消えていくというのに、自称ジャーナリストの様は一生忘れない。
そのような完全な悪人とは別にして、九州に居た先輩も、北海道の反応も、ごくごく普通の反応だった、と今では冷静に分かる。

おばあちゃん・お袋から聞いた話し。
B-29に追いかけられるようにして、必死に走った、当時十代のお袋さんの姿。
空で音がすると、灯りを消して、皆、黒い布をかぶって突っ伏していた。
その東京大空襲の話があってこそ、自分にはリアリティがある。

今、ガキと家族がピースで写真を撮っている浅草・隅田川のとあるポイント。
アサヒビールうんこビルに掛かる吾妻橋は、死体が積まれた状態だったこと。川面には死体が埋め尽くされていた、という話し。

■坂本龍一 「ちんさぐの花(沖縄民謡)」1989■
沖縄であった事実は、文字・写真という脳では理解しても、そこには距離がある。
可能かどうかは不明だが、肉体で感じられないならば、現地にこちらから向かうしかない、と思っている。
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2014年6月22日 日曜日 かたちんば・夏の100曲 ~トランスミッション~

2014-06-22 23:37:54 | 音楽帳

奇妙であいまいな天候が続く。
何も土日に。。。という反面、疲れを取るには”絶好”かもしれない。
そういうわけではないが、昨日土曜は珍しく歩くことなく、ひたすら横になってラジオと音楽を聴いたり、本を引っ張り出して読んでいた。読書にハマり込む。

かなり”脳”疲労が溜まっている。
本当はそういう時こそ歩くべきで、判断を誤った気もするが、それはそれで良いだろう。
久しぶりに4時間以上眠ることが出来たのだから。

やっと今日午後になってのったりと・やっと外に出られたら、この一日半の様は、歩くと平衡感覚がおかしい感じに囚われる。
時には太陽を裏切るべきだが、日の昇り・沈みと共に過ごすことの大事さを覚える。

昨日の天気は終日曇り。
今日日曜午前は雨降り、午後は曇り。
外で過ごすと、少し歩くだけで、ひやっとした危ない汗。
それはどちらかと言えば、こちら側の体調というより、梅雨独自の湿気過多のせい。Tシャツと後頭部は、少し歩くだけでびっしょり汗をかいている。
そういう意味では、ごくごく当たり前の日頃なのだろう。

【ジョイ・ディヴィジョン 12インチシングル】
ジョイ・ディヴィジョンがどうして夏なんだ?というのが大抵の方の意識だろうが、自分には接点があると思っている。
そこにあるのは、たまたま12インチシングルを買った日が夏だった、ということが影響しているが、それだけでもない。

御茶ノ水交差点のディスク・ユニオンで買った「トランスミッション」。
レコード屋さんは、当時、学生だった自分の隠れ家だった。
特に、ディスク・ユニオンはオレンジ色のライトの暗がりで、そこでドゥルティ・コラム等のレコードを無償で聴けた、数少ない場所だった。
浪人の頃、太陽が黄味がかって見えるほどの疲弊する中、この12インチを買ったのは偶然でもない。
夏、というのは、暑さが生命の危機を招く、そういう季節の側面もある。

いわゆる「ロック的なもの」とは無縁であった自分が、ニューウェイヴ自体が機械音の渦と化していく1985から1986年、ジョイ・ディヴィジョンの「トランスミッション」に向かっていくのは、如何に当時がヘヴィーだったかを現している。
・・・と言いながら「トランスミッション」を掛けるのもどうか?と思うので、夜には適したスローペースで好きな別の曲を掛ける。



■Joy Division 「The Eternal」(From「Closer」1980)■
こないだ肉体労働場面で、同僚の後輩くんが着るTシャツ。
「お前、それはアンノウン・プレジャーじゃないか。」
彼はなんにも知らず「何ですか、それは?」
「ジョイ・ディヴィジョンのジャケットだよ、ジョイ・ディヴィジョン。」
「はあっ?何すか、それ。」
彼は、それから検索して調べていた。
「そのTシャツ着ていて、知らないんか。」
「いや、たまたま売っていて買ったんですけど。。。」
「はぁ?たまたまだと?」

縁もゆかりの無い好青年の彼が、ジョイ・ディヴィジョンを着ていた違和感。
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2014年6月21日 土曜日 かたちんば・夏の100曲 ~キング・サニー・アデ~

2014-06-21 08:55:49 | 音楽帳

1983年・その存在を教えてもらった中村とうようさんとピーター・バラカンさんに感謝。
夏らしさを覚える1曲。

■キング・サニー・アデ 「シンクロ・フィーリングス-イラコ」1983■
とうようさんが、当時夢中だったキング・サニー・アデ。
彼を中心にしたバンドを知ったのは、雑誌ミュージックマガジンの記事だった。
一番、最初にその音に触れたのは、ピーター・バラカンさん(とアッコちゃん)のラジオ「スタジオテクノポリス27」。
初めてきいた曲は「マアジョ」だった。この曲は当時のFMあちこちで掛かっていたし、その存在はまさに「旬」であり、他のミュージシャンへの影響を及ぼしていた。

その後、日本国内発売されるアデさんバンドのレコード。同時にアフリカ音楽のコンピレーション盤「サウンド・ダフリカ」と共に。
もっぱら自分は、それらが掛かった「スタジオテクノポリス27」を録音したテープで聴いていた。

上の曲「イラコ」は、アルバム「シンクロ・システム」のA面1曲目。この曲は、教授がサウンドストリートでも掛けていた。
そのアデさんバンドのCD「シンクロ・システム」を購入したのは、数年前だったが、ジャケットが上の正規盤ではなかった。

正規盤のジャケットが素敵なのは、演奏する1人1人の楽器と共に掲載されていること。
CDはLPと違ってサイズが小さいから、それゆえアデさんだけのジャケットになったのだろうか。
何はともあれ、CDなどはLPと違って、聴ければ良い程度のことだが。

とうようさんが、当時、多分外での打ち合わせか移動の途中なのだろうが、アデさんバンドのアルバムを(ウォークマンか?)収めたテープを、陽光をしのいた公園の木陰で聴いていた、というシーンが浮かぶ。

きゅうりは発育良く、どんどんと実を結んで大きくなっている。
きゅうりは今年初めて育てているが、日々見ながらそのチカラ強さに驚いている。
「植物は愛情を注いだ分だけ答えてくれる」とは、不断草を頂いた街の「かあさん」の名言だな。

漬けた梅はまだ3日目だけど、良い色に変わっていく。色の変わり方を見ることだけでも楽しい。
梅にはよく殺菌作用があるというが、邪気を祓ってくれる気までしてくる。
夏越の祓えまで、あと十日。




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2014年6月20日 金曜日 かたちんば・夏の100曲 ~間と魔~

2014-06-21 00:46:46 | 音楽帳

疲労すると適当さが増し、自動筆記になる。

意味がある、とか、無い、とか、そういう世界に産まれないのは、どの赤子も同じ。
寺山修司さんが言った「自分は不完全な死体と生まれ、時間をかけて、完全な死体となって死んでいく」。
万能感を抱いた赤子は、社会なる外枠にはまるべく次第に慣らされて行き、それと共に本来持っていた動物的能力を削いでいく。
動物から非動物たる、にんげんなるものに変態しないと、生きていけないがゆえの移行。
そこから逸脱した者は、社会不適応者なるレッテルを貼らされるが、そこで社会外能力を持ちえる者を進むか、否か。

「人は人生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。
だが、やがて”歌のわかれ”をして詩を捨てる。
そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のまま年老いてゆくのである。
私もまた、詩を捨て損なったにがい心をいだきながら、群集の中におし流されていきつつある。
だが、もしも船出にまにあっていたら、私は冒険家になりたかったのである。」(寺山修司)2005記載

別に「否」は「非」ではないが、経済に取り込まれずに生きていくには困難たる道がある。
悩まず生きていけるならば、それで構わない。
ただ、本人に選択権は無い。

異端で生きていけるほどの力が無い自分は、何とか社会と引っかかりを持つべく、一定の妥協をしつつ相反する世界との間を行ったり来たりする工面をする。

今年に入ってから、「先生」と話しているうちに、彼は正規分布を紙にペンで書いた。
『自らを異端とするか否か、は、属する社会の在り様だから、社会が正常か異常かを決める。そう判断するのは他者。』
そんなことは重々承知の助だが、苦労が白髪となり白衣を着た年下の彼は、自分に語った。
それを導いてしまったのは、自分の発言の片鱗に彼がアンサーしただけのこと。
「お前も、いずれ分かる」そう思いながら。

***

過去読んだ本は今夜見つからなかったが、大学時代に読んだユングに熱中していた頃、彼が提示した概念「シンクロニシティ(共時性)」に関するくだりを、もう一回確認したかった。
その後、私の脳内で脚色されたかどうかは知らないくだり。
ユングが学会で、その概念を発表すると大笑いになり、現代で言うオカルト的と揶揄される中、室内に「バーン」と拳銃を打つような音が響いた。
そのとき、一堂はシーンとなり、ユングが「今の音が今言った”それ”です」。
そのくだりを読みたかった。

***

この2014年6月、朝は4時過ぎにおとずれる夜明けと共に鳥が鳴く声に起きてしまう。
それは幸福な朝日と異なる日があるのだが、その後眠れないのが大抵である。
寝たら最後なかなか起きないことは、全く無くなってしまった。

日が沈むのは、東京では7時(19時)半ごろ。
実際は、その前に日は沈んでいるのだろうが、それくらいまでは暗くならない。
よって、この間に外で佇む日がある。
逢魔ヶ時、と呼ばれる、濃紺があたりを満たす時間が現れる時節。
昼と夜の境目。次第に忍び寄る闇の手前。

■Japan+坂本龍一 「Ghosts」(オールド・グレイ・ホイッスル・テスト 1982)■



これを以って、全ての回答とす。
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2014年6月18日 水曜日 暮らしの風景 ~旬(しゅん)をあじわう~

2014-06-18 22:01:14 | 雑記帳

【ふうー、疲れた】
TBSラジオ平日午後の番組「たまむすび」を聴いていると、最近楽しすぎてニコニコしてしまう。
そこには、”タマちゃん”こと赤江珠緒さんの可愛さが確かにあるのだが、どうもそれだけではない。

番組「たまむすび」が始まった時の広告を見たときには、「ああ、また浮かれた女子アナの番組か。。。小島慶子氏の番組が終わったのか。。。」とだけ思い、脳裡に拒否反応が浮かんだ。

ラジオというものは、単純に「容姿が可愛い」では聴き続けられない。
ラジオはいつも自分にとって、耳から入る情報のみからスタートし・その向こう側をイメージし・その世界が広がり・それが実態と乖離していても・・・その異世界を夢見れるか?否か?が基準となっている。

現代ではラジオ番組にはホームページがあり、容易にむしろ視覚情報が入ってしまう。
ただし、毎回毎回聴き続けられるには、魅力が無いといけない。
過去で言えば、「教授のサウンドストリート」への想い入れは1981~1983年が濃厚に体内に染み込んできたが、それ以降は(ゲストにも因るが)それまで絶えず聴き続けた熱心さが自分には無かった。

【夜、実家で取った梅の梅干しつくりをする】
当初「たまむすび」に拒否反応を示した自分だが、昨年、休みにカメラを持って街歩きをしながらイヤホンをして、晴天好日の折、公園でタバコを吸ってぼうっと聴いているうちに、幸福感が舞い込んだ。
それを契機に、ガラリと思い込みは変わった。
なんとコロコロした可愛い番組なんだろうか、と思った。

【愛する竹中直人さんがゲストの回】
確かに赤江珠緒さん自体の容姿は可愛いが、たいていそういう人のラジオほど、実態はギミックが透けて見えてつまらない。
だが赤江珠緒さんが兵庫出身というのが大きく作用していると思うが、おおらかで気取らない。
そこに投影されたものは、自分が体感した関西の女性との経験。それがダブって聴こえたのかもしれない。
よくピエール瀧さんが赤江さんを「制服来た中坊に見えて仕方がない」と言うが、自分には小学校の同級生に居た女の子のイメージがオーヴァーラップする。

【赤江さんと瀧さん】
じゃあ、赤江珠緒さん1人でこの番組の魅力が成立しているのか?
というと、それも想像しがたい。
月曜日から木曜日へ、4人の相手をするパーソナリティとのコンビネーションがあってのことと思う。

月曜日・・・カンニング竹山さん
火曜日・・・山里亮太さん
水曜日・・・博多大吉さん
木曜日・・・ピエール瀧さん

やっと「旬(しゅん)」な時期になり、こなれて実ってきたようにみえる。
4人との会話のキャッチボール/支えがあってこそ、赤江珠緒さんの魅力が引き出されている。

【瀧さんと竹山さん】
月曜日・水曜日も好きだが、個人的には、火曜日・木曜日が好きである。
竹山さんは、過去深夜3時からのラジオを聴いて「この方は、お笑い(視覚)よりラジオに適した人だなあ」と、声と語り口に魅力を覚えた。むしろ竹山さんは1人でのラジオの方が向いている。

その一方で、山里さんにはお笑いにも(と言っても過去のテレビだが)深夜ラジオにも、必死さが前面に出てしまっていて、特に後者は聴いていてこちらが苦しくなるほどだった。
しかし、むしろ山里さんは合い方が居て・そのサポートという役割の方が良い。
「たまむすび」においての山里さんは、とてもリラックスした余裕がありながら、赤江さんと絡むことで良い引き出しがわんさか出てくる。

番組にも人にも音楽にも「旬」の時期とそうではない時期がある。
それは周囲との関係性だったり、時代だったり、努力も偶然も作用する。
(それを越えて、絶えず輝ける人こそが、アーティストなのだろう)

この後どうなるかは分からないが、ラジオ番組「たまむすび」は今が旬である。

■「たまむすび」6月3日の一部■
みうらじゅんさんが作った「マイブーム」という概念が示す通り、自分が旬と思ったときが夢中になるとき。
そんな果実を毎日味わえる喜びを覚える近時である。

【梅をビン詰めして寝かせる】
PS:過去、営業車を転がしている頃聴いていた、小西克哉さん&松本ともこさんの「ストリーム」がとても好きだった。
番組終了を非常に残念に思ったが、このとき作られたコーナー・ゲスト・フォーマットは今も変わらない。
ゼロか100かではなく、こういった蓄積が産み出したものを大事に継承していることも、「たまむすび」の楽しみの1つである。
コメント (2)
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