こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

航海日誌:そして また ふたたび、ね ことくらす

2024-01-30 18:30:00 | 雑記帳

備忘録。

気がつくと いつなんどきでも過去の出来事が走馬灯のように脳内で自動再生・反芻されている。
例えば、朝。意識して覚醒したとき、あるいは、その数分後 もう会社に行かないクセに焦ってしゃかしゃか歯を磨いているとき。そんなときに ほぼ絶縁状態に近い親兄弟への怨念、過去の出来事と人物、とかが勝手に反芻されて脳内に充満し 私にダメージを喰らわす。
朝一番から 若い日の全てが負の出来事に満たされた人生であったかのように思えてきてしまい、絶望し、そのガスが脳内を満たす。ビルで言えば足場になるところがグラグラになっている感じがし出す。そんな足場の上でぐらつきながらアクロバティックにバランスを取りながら、いま進行する「今」を生きねばならない現実・難問に、朝一番でぶち当たる。しかし、過去に何が起きようとも、ダメージを喰らおうとも、遅れている者がいても、そんなことは関係なく「今」は進行し、どこに向かうのか?時も船も黙って航行していく。

そんな朝一番の内部葛藤の中、目や頭は実際じんじんと痛み、しばし数十ッ分その苦しいトンネルの中にいることになる。何も朝に限らないが、それが毎日続く。
それでも人生を航海していくには仲間や伴侶が必要だと思う。だから、という三段論法じゃないけど、新しい出会いと流れの中から、十数年ぶりに ふたたびネコと暮らすことへ至った。決意とか決断とか、そんな大仰な言い回しや概念的な発想でそうなったわけではない。いきがかり上そうなっただけである。

数年前、ドクターストップで休職、その後 がたがたあったのち ほぼ自由業状態へ至り。
人生、まずは半世紀を全部一回 完全にリセット。そして新しい段階へ入り、新たに出会った人と交流しつつ、きっかけあって 外でかまっていたネコを部屋にむかえることになった。人生とは不思議な航路を描いていくものだな。

体内の病魔をごまかしつつ、新しい小さい家族とコミュニケーションを取ろうとする。
彼らとともに死なずに生きる作戦を考える。



■細野晴臣「住所不定無職低収入」1973■

美味い煙草をくれないかい
紅い色の炎をつけて
からだの奥が冷えているから
燃える炎をからだにつけて

うまい話はないのかな
宝島の地図が最後の望み
キャプテンクックの様に俺は今
住所不定無職おまけに低収入

今夜の夢見が良かったら
明日は海原ふらつく予定
そこで女神にめぐり会い
珊瑚の上で ララララランデブー

うまい話はないのかな
宝島の地図が最後の望み
キャプテンクックの様に俺は今
住所不定無職おまけに低収入

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航海日誌:おまけショット

2024-01-28 18:30:00 | 写真日和

昨年年末 大みそか、年賀状の写真選びをするために撮り溜めた写真を観ていた。
最近はもっぱら撮影するだけで満足して、疲れて見返すことがない写真たち。。。
それをこんなに長く見られるのも大みそかならではのことかもしれない。見ているうちに、本来の目的を離れて 見ることに夢中になってしまった。
そこで思う。つくづく写真というのは、狙って撮ったもの、また、構図やフレームサイズを意識して撮影したものがいかにつまらないことか!
そういうと大げさだが、記録という要素を除けば、左脳や意識で計算して撮影した写真は実につまらない。

***

撮影した写真を見返すうち、その中にあった撮影ミスや切れ端の面白さに夢中になってしまった。今、自分が持ち歩いているコンデジにはワンシャッターで3ショット連続撮影するモードがある。3枚写真を撮る以外に、撮影したフレーム枠の中の一部を切り取って勝手にトリミングした「おまけショット」が付いてくる。サイズはパノラマだったり、4×3、タテヨコ同サイズと色々無作為だが、それがまた時に面白い効果を生む。
写真とは偶然の産物だ。

若くから影響受けてきたアラーキー(荒木経惟)の写真集の1つに、横長パノラマサイズで日付入りで撮影された「A日記」という写真日記がある。そこに収録された写真を想い出す。この「A日記」は写真撮影日をわざと1年先にして、「1年後の未来の今日」を365日“先撮り”した写真集。写真そのものが本来持っている予知夢的な側面がうまく表現されている。これを自分に勝手に引き寄せるなら、「おまけショット」たちはこの写真集に載った写真に似ている。
また、もう1人の写真の師・森山大道さんが従来のフィルムカメラにフィルムを装填した際、最初の数枚・不意に空(カラ)シャッターを切ったときに映った写真を拾い上げて作品にしたことも想い出す。森山さん曰く、そこにたまたま写った像も世界の一部。。。うまく撮れた、とか焦点が合うとか、そういうことは関係が無くて、写ったものは全て世界の一部。
下は、自分が撮影した写真のごく数枚。全てがたまたまの切り取りでもないのだが、どれもがたしかに世界を構成する一つの像・一つのかけらである。写真は撮ることだけでなく、見ることによって、世界がいかに多面体であるか、新しい視点を教えてくれる。

面白がっているのは自分だけであっても、自分が面白いと思えばそれだけでも構わない。




















スナップ2023~2024より。。。
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航海日誌:Red Sails In the Sunset

2024-01-16 22:00:00 | 音楽帳

東京は今年一番の冷え込み、氷点下1度近い日となった。
下町では10メートル近い北風が吹いて、土けむり上がるほどに。

隅田川のわきで初めて梅の花をみた。
もうすでに咲いていたのかもしれないが、意識したのは今日のこと。

そして、ふたたび自転車に乗った“異次元への旅”・・・。
今日は、平山さんが走ったエックス橋を自転車で走った。
夕暮れが美しい。



■高橋幸宏「サンセット」(Co-producer, Arrange, Orchestration by 坂本龍一)1978■





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音盤日誌:Lou Reed 「Perfect Day」’72

2024-01-14 22:50:00 | 音楽帳

備忘録。

昨年、映画(パーフェクト・デイズ)の予告編を映画館の暗闇で不意打ちに観た瞬間、ゾオーッと総毛立った。というのも、映画そのものがとても魅力的だろうという予感が第一の理由だが、それとは別に 流れた曲がルー・リードの同名の曲だったからでもある。(映画は”Days”、曲は”Day”だけども。)
1月4日自転車の旅を経て、この曲が入っていたカセットテープを夜にがさごそ探していた。元々このルー・リードの原曲を初めて知ったのは、この曲が作られた70年代でも80年代でもなく、20年後の 90年代のクロスオーバーイレブンだった。山積みのカセットから、この曲が収録されている2本のカセットテープを探し当てた。1本は初めてこの曲を録音した1992年、もう1本が1996年。共にクロスオーバーイレブンの放送を聴きながら、残すことに決めたテープだった。

(ちなみに、この「パーフェクト・デイ」という曲を初めて聴いたのは80年代初め・1982年のことだった。ヘヴン17が別で作っていたユニット”B.E.F”によるカバー。彼らが好きなクラシック的名曲を選んでリメイクしたアルバム「ポップス黄金狂時代」に入った1曲。これもまたクロスオーバーイレブンで聴いた。)



このカセットテープにはたくさんの想い出がある。
まずはこれを録音したのは東京ではなく大阪だった。仕事を始めた頃、企業社会の奴隷一員として/転勤というシステムに乗っかり 右も左も全く知らない文化圏/関西に投げ込まれ、針のむしろの上で過ごしていた。当時の大阪、それも梅田近くという中心に住んだのに 本屋さんやレコード店がほとんど無く、テレビも東京でやっている番組の半分は放映されず、知り合いも話し相手もおらず、異国で寂しい日々を過ごしていた。そんなさなかにラジオから録音した「パーフェクト・デイ」と一連の曲たち。ひとりで1Kの狭いマンションの一室で聴いていたこれらの曲は、こたえるような寂しい日々に さらに沁みてくる物憂げな色をたたえていて、なんとも言えないものだった。
もがくように働いても働いても、なにもかもがうまくいかない、といった日々。人生とはそんなようなものだが、「パーフェクト・デイ」はそういう日々に相対して ただそこに“在った“。遠くではない/近い距離で鳴っていたが、決して寄り添うような曲ではなかった。じぶんの部屋のオーディオのあたり、1Kの部屋のすみっこに潜んで、同居している。そんな感じだった。

この曲が入ったカセットは90年代にかけてよく聴いた。
そして、この後、これらのお手製カセットテープと共に、この小さい部屋で阪神淡路大震災に遭うことになるが・・・。
それはまた別の日のお話しにしよう。

■Lou Reed 「Perfect Day」1972■

A面
1. Perfect Day / Lou Reed
2. Graceful Man / Jane Kelly Williams
3. Ladies Of The Canyon / Joni Mitchell
4. New Man / Howard Jones
5. Am I The Same Girl? / Swing Out Sister
6. 世界は恋人たちを愛してる (All The World Loves Lovers)/ Prefab Sprout
7. 1963/ New Order
(1~4が1992年7月13日録音、5~6は1992年11月17日録音、7はCDより落としたもの)


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航海日誌:異次元への旅

2024-01-12 22:30:00 | 写真日和


やっと一人の時間を作ることが出来たので、備忘録。
日々の断片。

昨年末新しい自転車を買った。
実は、自転車を十数年前に壊してから乗る機会を逸し、ひたすら歩きのみで生きてきた。
(その後 数年前に足の方もカラダも壊してしまったが、それでも律儀に歩きのみで暮らしてきた。)

***

1分の予告編で涙腺が緩み、年が明けたら見ようと思い、
長く待ち焦がれていた映画「パーフェクト・デイズ」。この映画を年明けにやっと観ることができた。
そこで久しぶりに気持ちが高揚したことの1つは、今自分が暮らし・過ごし・ぶらりと寄り道する場所が舞台になっていたこと。
浅草、千束、本所、亀戸・・・etc。
そして、さかんに桜橋が映る。ここはじぶんがふだん散歩で渡る道だけれど、”平山さん”はそこを自転車で渡っていく。じぶんが生まれ育ち、その後引き裂かれ 遠ざかり、そして再び戻り暮らすようになった下町。映画に触発されて、1月4日は買いたての自転車に乗って遠出をした。上野近くまで行ってしまった。気分は初めて自転車に乗った小学生の頃に戻っていた。

現代では、グーグルマップ等で 自分が居る場所や、行きたい場所への行き方もあっという間に調べられるから、世の中から未開の街の不思議さや魅力が消えてしまった、と絶望していたが、十数年ぶりに自転車を乗り回したら、そうでもないな、と思えた。
たしかに地図上に描かれた場所やその地の記録写真はその通りなのだが、自転車で走って通る道や場所はまったく違った見え方をした。
知識の世界と体感の世界は異なる。研ぎ澄ますべきは後者。
それは写真と同じように、たとえ同じ場所を通っても 季節や天候、風の吹き方など様々な要素がまじりあい、シャッターを切った画面はその日その時間にしか見えない風景である。すべてはそのときそのとき1回きりの出会い。(ゆえに写真も散歩もやめられない。)新しく手に入れた自転車は、全てを知りつくしてしまったような思い込みの倦怠を壊し、新しい角度の目線を与えてくれそうだ。

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