【「夢」でお会いしましょう。】
弁護士・建築士・不動産屋さん・医者・警察・その他いろいろ・・・。
いろんな人にお会いしていろいろと考える昨今である。
自分は、直情的になる場面がある。
しかし、理性はある。
バカといえど。
数千万円の自腹のカネを投じた自分の「家」が、カベの材料の入っていない欠陥住宅と知って、笑っているバカはいまい。
また、さらに脅迫じみてると自分に思われることをされて黙っているニンゲンもいない。
また、さらにさらに睡眠障害や精神的障害を起こされて、黙っているバカもいまい。
そして、また、このサイトに「欠陥住宅被害者」としての「真実(?)」を記載するバカでもない。
「真実」はこんなブログにはない。
全ては、詰め将棋みたいなものだ。
全ては、闇の中、である。
あなたも孤独ですか? (ひかりさん) 2008-01-14 22:08:59
「はじめまして。
最近、「死にたい」という若い人が急増していますね。
裏を返せば、それは、「生きたい!」「生きる意味を知りたい!」という心の底からの叫びなのだろうか、と考えたりします。
人は一体、何のために生きているのでしょうか。
人はどこから来て
何のために、勉強し、働き、生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
なぜ、人は孤独なのでしょうか。 」
***
わたしの答え。
四の五の言っていないで、この2冊を読みなさい。
「聖書」なんかより、ずっと生きるヒントがあるはずです。
いつわりの宗教の世界に浮かれて、真の自分の孤独に向かい合えないニンゲンは、さっさと死ねばいいのだ。
***
辻仁成「人間は孤独でいる限り、彼自身でありうるのだ。
だから孤独を愛せない人間は自由を愛せない人間にほかならない。
けだし孤独でいる時にのみ人間は自由なのだから。」
鴻上尚史「どんなものを信じても、受け入れても、人は一生、
孤独と不安から自由にはなれないということなのです。
ならば、<本物の孤独>と<前向きの不安>を生きましょう。
<ニセモノの孤独>と<後ろ向きの不安>ではなく。」
わたしは、神など信じない。
コトバは、やすやすと自分を裏切る。
言行はカンタンに不一致になる。
皮膚を境目にして「内」と「外」。
「内」と「外」に引き裂かれていく自我。
三島由紀夫は、その裏切りを、行動と肉体を持つことで乗り越えようとした。
〈しかし、死に向かって〉
コトバを発するということ。
自分の意志表明をするということ。
「発語」するということ・・・・・。
その意味合いと重みを、スザンヌ・ヴェガは知っている。
まるで時におびえているかのような、かぼそいつぶやき・・・・。
ためいきが真なる自分の状態を表すように、それこそが「自分のコトバ」。
「内」と「外」とのあいだをたゆたうように。
わたしも、自分に向かい合う夜の時間を、自分につぶやく。
昨日は、午後、会社に寄って数時間、書類の整理をして、その後、秋葉原にストーブを買いに行った。
御茶ノ水まで歩き、コーシーを飲んで、駅前から出るバスで、西尾久2丁目バス停まで帰ってきた。
そういえば、昨日は「大学入試センター試験」とやらをやってたらしく、バスの車窓から、東大の赤門前を通過するときに、そのカンバンと腕章を付けた係りの人間たちを見た。
自分も20数年前に東大でこの手のものを受けたが、今と昔じゃ事情が違う。
いまや、小子化で、大学というのは誰でもはいれるようになってしまったから・・。
これからは、アメリカのように、入るのは出来るが、勉強しないと卒業出来ない、という方向に向かわねばならないのだろう。
しかし、誰でも入れるのに、2日間ご苦労なこった。
いまや、大学は来て貰う為の出血過剰サービス中。
建物はホテル並み、食堂もおしゃれ、警備員がいて、キレイな構内。
大学側は必死な様相。
こういう風に、甘やかして過保護にしてしまうために、モラトリアム期間にいい気になって、社会に入って、すぐ精神に破綻を起こしたり(誰だって異常を引きずりながらも生きているというのに)、続かずにニートや次から次に会社を変えていく軟弱なヤツが多くなってしまうのも仕方がないとも言える。
***
昨日、御茶ノ水で、コーシーを飲んでいたら、となりに、明治か日大の大学生のバカップルが登場した。
男がさかんに泊まりの旅行進めていてうるさかった。
聞く気も無いが、うるさくて聞こえてしまう。
とはいえ、途中から興味深深で耳をそばだてて聞いた。
男は、プリンターで出力した旅先の資料を女に渡す。
男「ネット検索したんだ。」
女「〈たばこふかしながら〉チョ~さいこ~っ。マジやばい~。」
男「日帰りじゃもったいよ。」
女「マジ、これよくない?」
男「俺を見直した?外観はマジやばいっしょ?」
大して可愛くも無い女なのに、男はセックスがしたくて仕方が無いらしい。
男「何人連れてこれる?」(そうか集団セックスか・・・)
女「…んん(資料に読みふける)。」
男「マジ、スノボー好きなやつしか行かねえとこ。
ジュース呑み放題(おさな~ぃ)。ゲームもいろいろ、チョ~飽きないってかんじぃ。
アウトドア好きなの?」
女「・・・〈紙を見たままとりこで無言〉」
男「二泊三日で3万円。はっきり言って”鉄板”だね。
俺の友達もそこ紹介してキューピットになったってわけぇ。」
女「スノボー初めて1年だしぃ…
いまいちまだ面白さわかんないけどぉ」
私「はいはいはい!じれったい!
さっさとセックスしたいならしたいで、はっきりしろ!
お前ら、実はどうなんだよ!」と、間に入った。
”私はエンジェル。
きみたちバカップルのキューピットになってあげよう。”
女「泊まんなきゃ損じゃない?」
まんまとだまされたバカ女。
男の膨張した肉棒をくわえる日は近いな。
男「マニアだけが知ってるとこぉ、ってやつ。
混まれちゃ困るんだよね。サークル系の。
今まで”ウゼッ”てほど、チョ~混んだことねえな~」
***
・・・・(>O<)ぷぷぷぷっ・・・・。
とにかく、このカッコ付けた「やりたいボーイ」の会話は笑えた。
笑いこらえるのつらくなってきて、狭い店を出た。
セックス出来たらいいね、「ぼ・う・や」。
デヴィッド・ボウイーの「ロジャー」に入っている「アフリカン・ナイト・フライト」をひさびさに聴いていた。
***
これを初めて聴いたのは、1983年夏。
ブライアン・イーノは、自分のVIDEOのインスタレーションを、ラフォーレミュージアム赤坂で行なうため、この夏に来日した。
それを期して、FM東京の深夜、(というか、夏だから夜明けというか・・)3:45~4:00の「民族音楽をあなたに」で、1週間ブライアン・イーノの関わってきた作品を紹介した。
ペンギン・カフェ・オーケストラ、デヴィッド・トゥープ、ララージ、ハロルド・バッド、ジョン・ハッセル、そしてボウイーなどを紹介してくれた。
案内は、田中みどりさん。
そこで「アフリカン・ナイト・フライト」を聴いたのだった。
***
「ロウ」「ヒーローズ」そしてこの「ロジャー」が、イーノとのベルリン三部作。
この「アフリカン・ナイト・フライト」も、背後で動くイーノの影がとても強い、めちゃめちゃカッコイイ曲。
イーノ得意のテープループが登場するが、それがプリペアド・ピアノで弾いた小節のリピート。これが良い。
プリペアド・ピアノは、元々、ジョン・ケージがやりだした手法だったかと思う。ピアノの内側のピアノ線のところに、勝手に色々なモノをはさむ。
それでピアノを弾くと、思いもしない偶発的な音が出る。
イーノは、実験的なその「偶発性にたよる」手法というのが好きだ。
<彼は、自分をミュージシャンと言われるのが嫌いで拒んでいる>
自分が、その演奏の主体者にはなりたくないのだ。
音を鳴らしながらも、それをコントロール出来る、一拍距離を置いた位置に自分を置く。
彼の作品というのは、そういうものが多い。
その手法を、ボウイーの作品でも垣間見ることが出来るのだ。
***
イーノは、本来、「現代音楽」なる分野でしか用いていなかった手法を、ポップフィールドに持ち込んだ元祖であるし、そういう音楽の「師」なのだ。
しかも、それが単なる「パクリ」ではなく、1本スジの通った見えない思想的背景を持っている過激さを備えている。
それゆえ、中学・高校の自分には、とてつもない衝撃力があった。
それは「音楽の果て」へのあくなき挑戦であり、当時のイーノは確実にそこに到達していた。
類いまれなる天才なのだ。