事実の検証はしていないおぼろげな記憶。
あくまで私の体内の何となくの残存感覚。
コトはたぶん1984年の夏のこと。
その夏は暑くなると予測され、実際7月は日々暑くなっていった。夏が次第に盛夏に向けて進むと共に「これはやはり予測どおりに猛暑になるかも」という恐れが確信に変わりつつあった。
そのとき自分は高校生で、ひ弱なクセして無理して入ったバレーボール部の夏季練習もあったはず。。だが、そのことは全く思い出せない。その代わりに、敗戦の日(8月15日)あたりの夏休みの感触がよみがえるのだ。
猛暑になるかも、という恐れを抱かせた夏の気温は、予測を裏決り、8月中旬辺りから急激に降下し始めた。何か空にうっすら雲がかかった日が何日もあった気がする。
そんな8月。猛暑のはずが冷夏みたいになった、ある日。
レコードを買いに行こうと急に思い立って、電車に乗り、秋葉原・石丸電気レコード館へ向かった。デペッシュ・モードの国内盤LP 年「コンストラクション・タイム・アゲイン」を正規の値段(2,800円)で買った。
このアルバムは1983年8月発売され、自分は発売直後ラジオで半分くらいをエアチェック。その曲をカセットで愛聴。→そして、実際のLPはこのように1984年夏に買った。
「コンストラクション・タイム・アゲイン」からエアチェックした曲は、密着型ヘッドホンではかなりアタック音が強かったのだが、いざ買ったLPレコードではさらっとした音に聞こえた。我が家の重いスピーカーで聴く彼らの音は、デジタル/テクノであるクセに、ドライでさらっとして、まるでアコースティック楽器のような感覚で、A面・B面すうっーと風のように通り過ぎた。
この軽いドライな手触りの音、想定外(暑くない8月後半)の陽気、淡い空の水色、それらは混じり合って、記憶の底に沈殿している。
あそこから40年目の夏、久々、再び「コンストラクション・・」を繰り返し聴いた。
野外ではスマホのiTunesにCDから入れたmp3をイヤホンで聴き、帰ってはLPレコードで再び聴いた。
一般人も音楽関係者もよくこのアルバムを大仰な語り口で話す。私もデペッシュ・モードへの愛着はひと一倍あるつもりだが、だからと言って私はそんな劇的大仰さでは語らない。
あまりロック的なものやうるさく躍動的な曲が肌に合わない自分なので、半分くらいの曲はあまり好みではない。好きなのはそれ以外の楽曲。
アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンからの影響で始まった物体を叩いた打撃音、それを楽器として用いる方法がこのアルバムから展開されていく。物体の打撃音はサンプリングされ、あちこちにちりばめられ、シークエンスされていく。そんな自宅録音みたいな原始的な行為が「単なる実験」に終わる音楽も多いが、デペッシュ・モードが使うと結果的にはポップス的な範疇におさまった。それこそノイバウテンみたいにもっと崩れて良いと思うのだが、お行儀よく、そこまで崩さず済ましている。そのへんが残念でつまらないと思う部分も大きい。ただ、この時点ではまだ通称“インダストリアル”の実験1枚目。
a-3「パイプライン」などは、うまくいった新境地だろうか。ボールの落下音とか細かなサンプリングが部分を成し、危ういバランスの上で次第に連なったシークエンスを刻んでいく。薄暗いトンネル工事の様相、この不完全感は今でも好きだ。
でも、この曲が入ったA面より(このアルバムから参加した)アラン・ワイルダーが創った2曲が入ったB面の方が好きかもしれない。相変わらずメロディアスな箇所が随所に見られ、彼ら何人かのコーラスがハーモニーとなって響くところが実に若々しくて美しい。
夏のイメージからは程遠いはずのデペッシュモードだが、夏になるとこの3枚目を思い出す。ハンマーを打ち下ろす男の背景にそびえる山と青空。そんなジャケットを視ながら、汗をかいてレコード盤を聴く。
■Depeche Mode「And Then・・・」1983■