ユーリズミックスの初めての強い印象は「スゥイート・ドリーム」のMTVであった。
MTVを伴いイギリスの優れたNEWWAVEアートストたちが「ブリティッシュ・インベンション」という名の元、落ちてゆく80年代アメリカン・チャートを席巻・侵略するきっかけの1曲でもあった。
短髪で金色に染めブルーの目をしてスーツを着こなすアニー・レノックスが、まるでアンドロイドのようで、微笑みに悪意と毒と恐ろしさを感じたのを覚えている。
エレクトロニクス全般を担当するマーク・スチュワートの方といえば、表情1つ変えずに、丸い黒サングラスにヒゲを生やした、これまた毒のある姿で居た事が、恐ろしさのイメージに加わっていた。
その毒に「また、すごいデュオがイギリスから出てきたな」と只者では無い気配を感じた。
当然、すぐアルバムを聞き込んだが、多様なエレクトロニクス・ポップスの曲に混じって「シティの夜」というイギリスの深い夜の闇世界を思わせる曲も入り、ゾクゾクした。

彼らは、ヨーロッパの深い闇と繋がっていた。
1982年6月頃始まったFM東京の深夜3時の「スタジオテクノポリス27」(DJ:ピーター・バラカン&矢野顕子)で、初めて聴いた彼らのファースト・アルバムに納められた「ベリンダ」というシングルは、まだギターがかき鳴らされ、多少のロック&ポップスの味があったが、この2枚目の「スゥイート・ドリーム」というアルバムで大きな化学変化を起こした。
ファースト・アルバム「イン・ザ・ガーデン」は、コニー・プランクがプロデュースで関わっていた割には、毒を感じなかった。
むしろ2枚目の方に、ポップス、ロックを拒否する、ヨーロッパらしい主体性があったのは不思議な事だった。
***
胃潰瘍で入院した1983年の秋~冬には、「Love Is A Stranger」をよく聴いた記憶がある。
「幸宏のオールナイトニッポン」で、11月23日に流されたテープがある。


また、芝居仕立てのヴィデオ集が発売され、TVで放映されたのを録画して見た。
アニー・レノックスは、元々整った顔の美形の男性的な人だったが、ヴォデオでブロンド長髪の売女やら・・・さまざまな姿で現れるのには、その後現れたアーチスト、シンディ・シャーマンを先取りしていた。
「Love Is A Stranger」も「スゥイート・ドリーム」に負けず、好きな名曲です。
MTVを伴いイギリスの優れたNEWWAVEアートストたちが「ブリティッシュ・インベンション」という名の元、落ちてゆく80年代アメリカン・チャートを席巻・侵略するきっかけの1曲でもあった。
短髪で金色に染めブルーの目をしてスーツを着こなすアニー・レノックスが、まるでアンドロイドのようで、微笑みに悪意と毒と恐ろしさを感じたのを覚えている。
エレクトロニクス全般を担当するマーク・スチュワートの方といえば、表情1つ変えずに、丸い黒サングラスにヒゲを生やした、これまた毒のある姿で居た事が、恐ろしさのイメージに加わっていた。
その毒に「また、すごいデュオがイギリスから出てきたな」と只者では無い気配を感じた。
当然、すぐアルバムを聞き込んだが、多様なエレクトロニクス・ポップスの曲に混じって「シティの夜」というイギリスの深い夜の闇世界を思わせる曲も入り、ゾクゾクした。

彼らは、ヨーロッパの深い闇と繋がっていた。
1982年6月頃始まったFM東京の深夜3時の「スタジオテクノポリス27」(DJ:ピーター・バラカン&矢野顕子)で、初めて聴いた彼らのファースト・アルバムに納められた「ベリンダ」というシングルは、まだギターがかき鳴らされ、多少のロック&ポップスの味があったが、この2枚目の「スゥイート・ドリーム」というアルバムで大きな化学変化を起こした。
ファースト・アルバム「イン・ザ・ガーデン」は、コニー・プランクがプロデュースで関わっていた割には、毒を感じなかった。
むしろ2枚目の方に、ポップス、ロックを拒否する、ヨーロッパらしい主体性があったのは不思議な事だった。
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胃潰瘍で入院した1983年の秋~冬には、「Love Is A Stranger」をよく聴いた記憶がある。
「幸宏のオールナイトニッポン」で、11月23日に流されたテープがある。


また、芝居仕立てのヴィデオ集が発売され、TVで放映されたのを録画して見た。
アニー・レノックスは、元々整った顔の美形の男性的な人だったが、ヴォデオでブロンド長髪の売女やら・・・さまざまな姿で現れるのには、その後現れたアーチスト、シンディ・シャーマンを先取りしていた。
「Love Is A Stranger」も「スゥイート・ドリーム」に負けず、好きな名曲です。
