こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Somewhere In Tokyo 2021(7月)4

2021-07-31 22:00:00 | 写真日和














































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音盤日誌:ニューウェイヴ・カセットシリーズ10 1982.7 A面

2021-07-24 12:30:00 | 音楽帳


このカセットの曲は、ほとんどが渋谷陽一さんのサウンドストリートを聴きながら録音したもの。
当時のサウンドストリートは、木曜、金曜と2日連続で渋谷さんが担当していた。

夏は晴れやかな季節と扱われる事も多いが、決してそんな風に割り切れない。
2021年7月現在みたいに「イノチを守る」べきレベルの「酷暑」ではないが、約40年前・1982年ですら「東京の夏は温暖で理想的な気候」(元首相談)ではなかった。
カセットを聴くと、7月の蒸し暑い自室で、夜のラジオと格闘していた空気がよみがえる。

A面
1/オルタード・イメージ「ファニー・ファニー・ミー」
2/オルタード・イメージ「ソング・サング・ブルー」

・1982年7月国内発表された彼らの2枚目LP「ピンキー・ブルー」からの2曲。
久々に振り返って聴いて、当時こういった曲まで貪欲に聴いていたんだ、と気付く。
と同時に、渋谷さんが新譜紹介でオルタード・イメージを掛けた、という事実も不思議に思える。

だがしかし、オルタード・イメージの曲はピチピチ跳ねるように躍動感があって、新鮮さを未だに感じさせる。
この時点でも今でも「〇(マル)」。渋谷さんが掛けたからといって、貴重なカセットテープに残さない。

デビューアルバム「ハッピー・バースデー」は1981年作品だが、日本盤は1982年4月と遅れての発売だった。
そのレコードレビューをゼルダの小嶋さちほさんが書いていて、その実際の音を聴けない状況下で、その文章を何度も読んでは音を想像するだけだった。
そうして3か月経ったら、あっという間に2枚目アルバムが発表された。

オルタード・イメージは男だらけのメンバーの中に紅一点クレアがヴォーカル、とブロンディみたいな編成で、クレアは当時イギリスではアイドル扱いだった。
1982年初夏、まだMTVが一般的になるには早く、カラー映像すらジャケット写真か雑誌以外なかなか見られない時期。
ラジオでエアチェック出来る曲すら制約あって、ヴォーカルがかわいい女の子かどうかは知りようもないし、そんなことはどうでも良かったように思う。
40年目にして、初めて映像で彼女らの「口パク」演奏を見たが、見なかったほうが良かった、というか特段の感動もなかった。。。

1曲目は「ファニー・ファニー・ミー」が正式な曲名なのだが、インデックスカードには「ファンキー・ファンキー・ミー」と書いてある。
というのも、渋谷陽一さんが声で伝える曲名を耳で聴きとって走り書いたからである。
別に渋谷さんが悪いわけではない。今みたいに後から放送を振り返ることが出来ない時代だったから仕方がない。




3/シアター・オブ・ヘイト「ポッピーズ」(ライブ)
・シアター・オブ・ヘイトはニューウェイヴを特集する本には必ず載るバンドだが、その割に「当時、聴いていたよ」という人に会うことは少ない。
久々に聴いて、当時はもっとハードで怪しい1曲に感じたのだが。。。違う印象だった。それくらい聴いていなかった。
彼らの怪しさは、ついD.A.F.を連想させる。




4/ボウイ「バールの賛歌」
・BBC放送のドラマ「バール」のサントラ。ボウイ自身が吟遊詩人バールを演じ、そのテーマ曲を歌ったもの。




5/スティール・パルス「サウンド・システム」(ライブ)
・1981年の「レゲエ・サンスプラッシュ」ライブLPから。このLPには日本語の副題として「ボブ・マーリィに捧ぐ熱い4日間」とある。
「レゲエ・サンスプラッシュ」はその前から毎年夏やっていたが、レゲエ界の神、ボブ・マーリーが1981年5月に亡くなり、そのタイミングでのライブイベントだった。
45組のレゲエバンドが4日間にわたって出演。ライブLPはその中から有名どころをセレクトした1枚。




6/サード・ワールド「ラヴ・アイランド( Try Jah Love)」
・当時シングルヒットとなった1曲。日本語タイトルは「ラヴ・アイランド」なのだが、原曲タイトルは「トライ・ジャー・ラヴ」である。
自分はこの曲で初めてサード・ワールドの存在を知った。青空の下の島、美しい色合いが哀しい何かと背中合わせを思わせる。ジャケット写真の印象がとても強い1枚。
キーボード演奏およびプロデュースをスティーヴィー・ワンダーが行っている。




7/トム・トム・クラブ「おしゃべり魔女」
・A面が少し余ったので、1981年よく聴いていたこの名曲を再度録音した。
トム・トム・クラブは、トーキングヘッズのティナ・ウェイマスとクリス・フランツ夫婦、それにウェイマスの姉妹が参加したユニット。
ヘッズを離れ、自由な活動から生まれた面白く・可愛い音楽。




そういえば、前回記載した企画盤「パシフィック」(細野さん・達郎さん・鈴木茂さんの作品集)のプロデューサーである酒井政利さんが、つい先日亡くなってしまった。
良質な作品と出会わせてくれた方へ心から感謝し、合掌したい。
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Somewhere In Tokyo 2021(7月)3

2021-07-23 12:00:00 | 写真日和

今年も梅雨が明け、セミが鳴く夏が来て、アイスコーヒーを飲み、パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」を聴く。


■Percy Faith 「Theme From A Summer Place」■
















































「五輪がもし開催されるならそれはただ残念でしかない。
開催されても/しなくても、
徹頭徹尾、最初から最後までこの企画が踏んだプロセスに対する疑念は晴れない。」

そうこないだ漏らしたが、この機に及んでも、いまでも五輪中止を願っている。
それは2013年以降、コロナが無い時からの切なる願望、祈りである。
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Somewhere In Tokyo 2021(7月)2

2021-07-14 22:30:00 | 写真日和




















































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音盤日誌:ニューウェイヴ・カセットシリーズ8 B面 1982.6

2021-07-10 19:00:00 | 音楽帳


B面
1/カン「ゴモラー」

・この曲を初めて聴いたのは1981年11月。カンとして1曲目に知った曲だった。
微細な揺らぎのフレーズの中にとどまる心地良さがクセになり、催眠のようなこの曲を知った当時、毎日毎日繰り返し聴いていた。
クロスオーバーイレブンで再び放送された1982年6月。この曲にはどうやら4分モノと5分モノがあるようで?
カンのどのLPレコードにどのヴァージョンが入っているか調べるのに苦労した。
原曲は1974年発表の「Limited Edition」に収録されている。
この曲を含むアルバムを聴こうとした結果、90年代に入って編集盤「Unlimited Edition」のCDをジャニスで借りて、カセットテープに録音したものを聴いていた。
ジャケットデザインに、YMOの「増殖」をつい想起してしまう。




2/細野晴臣「最後の楽園」
3/山下達郎「ノスタルジア・オブ・アイランド」
  (Part 1) バード・ウィンド
  (Part 2) ウォーキング・オン・ザ・ビーチ

・アルバム「パシフィック」収録。細野さん、達郎さんの名曲。これを聴くと「夏やなぁ~」と思う。
「最後の楽園」は、幸宏がドラム、教授のシンセ・ピアノで参加。教授は「ノスタルジア・オブ・アイランド」の方にもシンセで達郎さんと共演している。
「ノスタルジア・オブ・アイランド」は9分を超える二部構成だが、その長さを感じさせない。


4/デュラン・デュラン「セイヴ・ア・プレイヤー」
5/デュラン・デュラン「ザ・ショーファー」

・2枚目作品「リオ」B面、アルバムのエンディングに向けたスローな2曲。
1980年に現れたムーヴメント「ニューロマンティック」。
その代表格バンドはヴィサージだったが、それから約40年、結果的にニューロマンティック勢の中で一番最後まで生き残ったのはデュラン・デュランだった。

この1982年はデュラン・デュランに限らず、ヴィサージ、スパンダー・バレエ等各バンドが2枚目のアルバムを発表した年。
その中でもデュラン・デュランの作品「リオ」は、メロディアスで分かりやすくポップな曲が多いアルバム。捨て曲が1つもないLPとして突出しており、多数のシングルヒットを飛ばすことになった。その分かりやすさは、まるでジャニーズのようにヴィジュアル的に映えたメンバーのルックスの良さもあって、このアルバムはイギリスのみならず、海を渡ったアメリカで大ヒットする。「ブリティッシュ・インヴェンション」と呼ばれるムーヴメントにつながり、1982~1983年にかけてビルボートトップ10の半分以上がイギリス勢という異常事態にまで発展していく。

「セイヴ・ア・プレイヤー」のシンセサイザーの揺れるフレーズには、明らかなYMOの影響が投影されている。




メイン・ストリートの角の壁に
もたれている僕を見かけたきみ
きみの窓枠に街のライトがまばゆく輝く
独りでいても退屈なだけ きみはスリルを求めてる
どうすればいいのか きみは充分心得てるね

今 僕に祈りを捧げないで
明日の朝まで大切にとっておいて
今 僕に祈りを捧げないで
明日の朝まで大切にとっておいて

内部深く吹くそよ風を感じるかい?
井戸を覗いてみるといい
炎に染まったこの世界が見えるだろう
思いきってやってみるんだ
(夢想家たちが他の道を見つけられないように)
夢を追うことはない ただ今日(いま)を生きるんだ

美しく伸びていく道
僕は肌に浸みこんでいる旅への誘惑を抑える
なぜかは聞かないで
僕は約束どおり 氷を溶かしてみせよう
きみが踊りたがっていたから
僕はきみにダンスを申し込んだ
でも 心のどこかで恐れていたね
それを一夜限りの恋という人もいるけど
僕らにとっては楽園なんだ

祈りは明日の朝まで大切にとっておいて
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Somewhere In Tokyo 2021(7月)1

2021-07-07 22:00:00 | 写真日和




















































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音盤日誌:ニューウェイヴ・カセットシリーズ8 A面 1982.6

2021-07-01 18:00:00 | 音楽帳

15の夜、のもう1本。カセットNo.9と同時並行でエアチェックしていたNo.8。
たまたま初夏の時期に録っていったのだが、「夏っぽい曲」が多くなったため、わくわくした少年はインデックスカードに「Summer Music In '82」と書いてしまっていた(苦笑)。
しかも、書いただけでなく、実際このカセットテープとラジカセを持って夏の海に行った。浜辺にラジカセ、と良い時代の風を感じる。
そんな想い出をたくさんはらむ、全曲「クロスオーバーイレブン」からのエアチェックテープ。

A面
1/ヴィサージ「ザ・ホースマン」

・ニューロマンティックのムーヴメントが開花してから2年。1982年4月25日に国内発売されたヴィサージのセカンド・アルバム「The Anvil」。
国内発売のLPタイトルは「舞(ダンス)」。バンドの顔はスティーヴ・ストレンジだが、実際の音創りの黒幕はミッジ・ユーロ/ウルトラヴォックスを核としたメンツ。
1枚目ではおとなしく裏に隠れていたミッジ・ユーロは、この2枚目であからさまにヴォーカルやギターでその存在を主張している。
アルバム・ジャケットの幻想的写真は、写真家ヘルムート・ニュートンによるもの。

そのセカンド・アルバムのB面1曲目がこの「ザ・ホースマン」。
この曲では、やたら乾いたドラム音が気になって仕方がない。なぜタイトなデジタル感あるドラム、ゲートリヴァーブ的な音にしなかったのだろう?と当時も今も思う。
スティーブ・ストレンジは「このアルバムはエレクトリックファンクを目指したものだ」と言っている事を知って、そんなアプローチ・観点で再び聴いてみた。
なるほど珍しく明らかにミッジ・ユーロと分かるエモーショナルなギター、バックヴォーカル、コーラスの声はファンキーな音ではある。メロディも良い。
しかし、せっかくのそれらの素材に対して、バサバサ打撃音ばかりが強いドラムはやはりマッチしていない。

「The Anvil(ジ・アンヴィル)」は名曲多き名盤なのだが、「ホースマン」はどうも・・・。
そう言いながら、エアチェックしたからには、と数百回聴いてきた。出会ったからには付き合う、という性格のじぶんは、そうやって生きてきた。
サマー、で誰もこの曲を選曲しない。初夏に出会った「サマー」イメージと直結しない1曲。


2/カン「アイ・ウォント・モア」
・「ペルシアン・ラヴ」で出会ったホルガー・シューカイが所属したバンドであるカン。
そのカンに関心は抱いていたものの、実際の音楽は1981年11月に「クロスオーバーイレブン」で出会った。この曲は2曲目に知ったもの。
「アイ・ウォント・モア」は1976年発表の「フロウ・モーション」収録、シングルカットもされたポップな1曲。






3/XTC 「ヨット・ダンス」
・前作「ブラック・シー」から一転し、アコースティックでフォークロアな世界が展開する「イングリッシュ・セツルメント」。
プロデューサーは、ヒュー・パジャム。師匠のスティーヴ・リリィホワイトと違い、ナマ音の繊細さを大事にして仕上げを行う音職人のプロデュース。
この作品は本土イギリスで2枚組として発表されたが、日本では編集された1枚組として4月21日に発売された。個人的にはその国内盤をすぐ買いに行った想い出。
2,800円の正規値段は高かったが、XTCへの敬意を払い、素直に国内盤を買った。
「ヨット・ダンス」は、教授のサウンドストリートでも掛かったキャッチーな1曲。ワルツ調の音に、つい波間のヨットの風景が映像として浮かぶ。XTCにしては素直な1曲。




4/坂本龍一「ゴナ・ゴー・トゥ・アイコロニー」
・「サマー・ナーヴス」収録曲。1979年発表された「坂本龍一&カクトウギセッション」のアルバムより。
まだカタカナ名時代の「高橋ユキヒロ」がドラムで参加。そして、エフェクトを掛けてダブ処理した、英語のバックグラウンド・ヴォーカルは山下達郎。
達郎さんの声を歪ませた南洋的アイランドミュージック、と言って想い出したのは、教授のソロアルバム「音楽図鑑」(1984)に収録された「パラダイス・ロスト(失楽園)」。
この曲にも達郎さんが参加しており、この「ゴナ・ゴー・トゥ・アイコロニー」の後継曲みたいに勝手に思えてきた。
まあ、単なるこじつけと妄想ですが、、、どちらも永遠に忘れ得ぬ夏の名曲であることは紛れもない事実。

じぶんが持っているCDは「CD選書」として廉価版発売されたもの。浅井慎平さん撮影「パシフィック」のLPジャケットに載せてみた。


5/ホール&オーツ「ユー・アー・No.1」
・たまたまクロスオーバーイレブンの放送の流れの中で録音した曲。
まだホール&オーツがブレイクする手前の1979年アルバム「X-Static」収録曲。日本盤は「モダン・ポップ」というタイトルで、ラジカセをビニール袋に入れたジャケットデザインから
FMレコパルの雑誌でやたら紹介していたのをかすかに思い出す。


6/ウォー「ベイビー・イッツ・コールド・アウトサイド」
・1982年5月発表された当時の新譜「アウトロー」に入ったバラード曲。




7/鈴木茂「ノアノア」
・この日のクロスオーバーイレブンをきっかけに、企画盤「パシフィック」(1978年)の存在を知り愛聴盤となった。
毎年夏になると、今でもこのアルバムを聴く。

以下は田中雄二さんによる「パシフィック」の紹介文章より。
・・・「パシフィック」のプロデューサーは、山口百恵、郷ひろみを育てたことで知られる酒井政利である。
これは、電通がスポンサーとなって78年、酒井、横尾忠則、浅井慎平、池田満寿夫、阿久悠ら個性派のクリエイターが参加し、まだ珍しかったサモア諸島を旅行した時の体験が下敷きになっている。池田は同じくこの体験をもとに小説 『エーゲ海に捧ぐ」を執筆、同名の映画を撮り、横尾はトロピカル・コラージュを、酒井は島での時間感覚をもとに矢沢永吉「時間よ止まれ」をプロデュースし、池田の映画のために阿久悠とジュディ・オングの「魅せられて」を作った。

浅井慎平がジャケットを撮り、酒井がプロデュースした「パシフィック」というアルバムも、その副産物と言えるものだ。
細野、山下、鈴木が三者三様に南洋のイメージをインストゥルメンタル曲にしたためたこのアルバムの中に、なぜか1曲だけ不調和なドイツ風ディスコ・ビートが入っているのが「コズミック・サーフィン」である。・・・


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