こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年9月30日 火曜日 「バラカン・モーニング」

2014-09-30 23:43:03 | 音楽帳

毎朝楽しみにしていたピーターさんの「バラカン・モーニング」(インターFM)が、今朝9月30日午前10時に終了した。
音楽がとにかく好き、というピーターさん。

ラジオ機器を通して聴こえてくる声と話し言葉の間合い、佇まい。
それは1982年6月に始まった「スタジオテクノポリス27」で初めて声で確認したピーターさんと、ある意味全く変わらない。
それでも、夜明けに最後の曲「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(アル・グリーン)を聴いた、あの最終回とは違う。

良い音楽を聴いては微笑む、ピーターさんのあの照れたような笑顔が、今でも自分は変わらず大好きだ。
「バラカン・モーニング」の存在を知ったのは、昨年の病室でのことだった。
偶然の15年ぶりのインターFM。

多様な音楽を聴いてきたピーターさんの知見の広さは「あの1982年」と変わらず、また新しい邂逅という形で、知らない曲をピーターさんから教わる日々がうれしかった。
毎週ごと、ではなく、毎朝、ということに驚いた。

かつて深夜3時に起きて聴いていた夜明け前の興奮でも無く、ポッパーズMTVを夜な夜な見ていた疲労色強い中、注射が沁みる夜でもなく。。。
まだぼんやりした朝ならではの絶妙な空気が、この番組「バラカン・モーニング」には在って、心地良かった。
ピーターさん自身もとてもリラックスして、好きな音楽を掛けていることが伝わってきた。

今日も秋晴れの良い天気の朝。
一年前もそうだった。
9時台後半にピーターさんが選曲した、自然体そのもののマイケル・フランクスの囁くような声が聴こえてきて、仕事でパソコンのキーを打ちながら、それまで耐えてきた涙腺がついに結解した。

この番組にコメントを寄せられる方の中に、仕事場のトイレにこもって聴いている、という方が居たが、そんなにも大勢の人が、この番組をリアルタイムで楽しみにしている方が居る事に、また、お互いがしあわせな風景に、感無量になった。
最後にピーターさんは、番組を締めくくる言葉を述べたが、途中から涙ぐみ、言葉が詰まって出て来なかった。

ただ、ありがとう。
とんでもない、こちらこそ。
ピーターさんのことだから、また、別の番組で、また会えるはず。自分はそう思う。

細野さんと並んで、音楽に対する愛が、わんさかわんさかあふれているピーターさん。
そんなピーターさんのDJをこれからも楽しみにしている。

■ティナ・ターナー&ヘヴン17 「レッツ・ステイ・トゥゲザー」1984(アル・グリーン・カバー)■




2014年9月30日、夜の神保町の路地でシャッターを切る
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2014年9月29日 月曜日 サーフィン・オン・サイン・ウェイヴ

2014-09-29 23:39:30 | 音楽帳

ありがたいことに両親ともに80歳を越えているが、この親同士は真反対の趣味をしていて、ゆえに大ゲンカが繰り広げられる日々を毎日過ごした子供の頃だった。
北野武さんの子供の頃を綴った「たけしくん、ハイ」というドラマで、木の実ナナさんがモノを投げる威勢の良い母さんを演じていたが、自分は当時シャレにならなくて笑えなかった。

今年の夏、家族一同集まった際、親父の誕生日にアロハシャツを贈ったら、喜んでくれた。
こんな自分にもそれなりに、親父を想う心があったのだなと思った。

よく「歳」が多いというだけで、古臭い服装になってしまうが、そういう時こそが「攻め」であって、明るく陽気な服を着ると良い。
それは、いっとき流行った「中年」様の自爆用語「チョイ悪」などという卑下と開き直りの成す、下劣な類のものではない。親父の猫背を思い出しながら、服を選び、不思議と脳天気で陽気な服が似合うと描いた。

両親は、昔よく言われた性格とは逆で(今ではその方が主だが)お袋が浪費癖で男臭く・きっぷが良くって、親父が陰鬱な節約限りなき者。
ようく、お袋が買ったブランドものの衣類を、何も知らない親父が着ているシーンを見る。その滑稽さ。
しかし、元々自分でミシンを踏んで、一から服を自分の手で縫い・仕立てていたお袋が選んでいるので、様々な色・デザインに配慮しているのだろうが、私から見ると無難すぎる。

そこには視線の違いがある。
生真面目な親父には、今むしろ鮮やかで派手な色・デザインが似合う。

こんなちぐはぐとしたはざまで育った自分は、場面場面で振幅が激しい。ある場面は、親父に似ていると思ったり、そうでなかったり。
そういう自分が何を着ているかと言えば、かつてはJプレスやマーガレットハウエル他の衣類を着ていたのにも関わらず、2010年肝臓を壊し、2011年の3・11を経てガラリと変わった。
「すべては作業着にしか過ぎない」と思い、すべて身に着ける衣類を黒に替えた。

歳相応とも捉えられるが、迷っているヒマも無ければ・考えたくもない、という理由。
基本、ぼろぼろになるまで着込み、それで限界を迎えたら捨てる、という発想。
そこから出たのは黒で、ようく世間が忌み嫌うカラスに例えられるが、自分はカラスが好きである。むしろその表現は、忌み嫌われる自分にはありがたい。

このような発想に至ったのには、大竹伸朗さんがジャージが一番機能的で便利で、多種多様な場面に対応しうる、と言った影響が大きい。
多くの人が天変地異に見舞われる中、黒の衣類は、まるでそれとリンクしたかのような臨戦態勢だが、自分にはお似合いだと思っている。

■Depeche Mode 「Stripped」1986■
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2014年9月28日 日曜日 町工場のある町・すみだ

2014-09-28 21:00:54 | 写真日和

小旅から夜に帰ったら、TBSラジオから「ベティ・デイビスの瞳」が聴こえてきて遠くなる眼。

地方から東京に来る者が、世田谷区・目黒区という言葉とハイソなイメージ「だけ」に導かれ、そういった場に住まう。そういう田舎者をまじかに見る。
彼ら/彼女らは、町の隙間にあるほのかな微細な顕微鏡世界には眼もくれず、見事に「視えないフリ」をして暮らし・過ごし、排斥をし、見捨てる。
そこにある現実を無視する。
住所にある文字に、舞い込むチラシやハガキに自分の住所と名前の組み合わせを見い出し、悦に入っているどうしようも無い存在。
愛がそこには抜け落ちている。「見れくれ」と形式のみの世界。

実際は、全く現場の実態とは異なるし、自分はそんなイメージに心惹かれない。
というより、先人たちを想わない、人でなしのクソにしか思わない。
よそから地図・雑誌片手に、観光気分だけですみだに来る、一日だけの訪問者=お前もおんなじ。



■ビリー・ジョエル 「アレンタウン」1982■



































いとしのすみだに愛をこめて。
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2014年9月27日 土曜日 島も秋

2014-09-27 22:42:05 | 写真日和



■XTC 「ワンダーランド」1983、秋■






















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2014年9月25日 木曜日 三年半

2014-09-25 23:27:44 | 音楽帳

昨夜。
21時半、やや早い時間に帰宅した。NHKラジオを聴いていた。
21:45、時空・平衡感覚のねじれみたいな体感。放送に差し込む形で地震情報。
福島震源で震度4。

その後、昨年の今頃何をしていたのか?と過去写真をめくると、お袋を何とか入院させた写真。
そうだろな、と思いながら、なんと一年が長いものか、時の進行速度を感じていた。

未だ福島原発すら何一つ片付いていない。というより、現地で何が起きているのかを、メディアは伝えない。いろんな単発的事件情報を、ドロンドロンと煙幕をまいては、目の前の視界を不明瞭にする。

多くの民もすべてが全体主義に傾いていることを「ヤバい」と分かっていながら、それを見えないフリをしている。そういう意味では、自分もその一部だろう。
だからと言って・・・というあきらめの念が、民の奥底に確実に「在る」。

かといって、潜伏する一方の情報メディアは陰謀論含めて、相対する反対の極に居て、果たして何が事実か否かは不明。どうして中庸な場所に位置する身近なマスメディアが無いのだろうか、という不思議は、昔も今も変わらない。
そう言っては終わってしまうので、足がかりとなるCUEをまさぐる。

そう思いながらも、ラジオで様相の確認をしたら、お米を研ぐ。
そうしていると、今度は明らかにカラダが揺れることを感じ、家にミシッという音を聞いた。
22時半、再度震度4、福島。

ふだん自分が一番接触している、マスメディア「ラジオ」。
そこですら、唯一リアルタイムにコトを伝えるのはNHKラジオだけである。
うがった見方をすれば、その後の「未来」になって”あのとき何で伝えなかったんだ”と後で攻められないようにという意味や、しょせんは国営放送的なので、来たものをそのまま伝えるだけで「くさいものにはフタ」報道となるだろうが、今ではNHKを全否定するつもりも無い。
というよりNHKラジオで好きな番組は多い。だから昨夜聞いていた。

2011年3月11日から三年半が経っている。その三年半が如何に長いものだろうか。
その間、この日本と呼ばれる場で過ごしてきた人は、見聞きして経緯と流れを感じているはずである。
そこから、このクニで起きてきたのであろう<自分らが生きていないはずの>歴史的過去に在った事実も、実はそういう成り行きだったのだろう、という想像を抱いているはずである。

それでも、みんな寝ればリセットされた朝が来て、時間になれば、カツカツとくつを鳴らして人々は駅に吸い込まれ、新しい一日が始まる。
それは希望でもあり・深い絶望でもある。

昨年の今、仕事を放棄して病院に居て、医者とお袋の間のバイパス・通訳となり、時間が止まった時空に居た。
それでも、通り過ぎて人々が動き、社会が回っていたのを横目に見ながら、「外」で過ごしたシーン・経験は貴重だった。一年すら長い。

■U2&Brian Eno 「約束の地(Where The Streets Have No Name)」1987■
このU2の曲を、まるで3・11の姿そのものだ、と言った方が居て、市村佐登美さんという方のホームページで歌詞を読み、あたかも神の予言のように思った夜。
その日からちょうど一年が経った今日。
あの日の夜の錯乱、絶望と背中合わせのエモーショナルな希求を思い出した。

『走りたい 隠れたい ぶっ壊してやりたい
自分を閉じ込めるこの壁を
手を伸ばして あの炎に触れたい
通りに名前もついてないその場所で

降り注ぐ太陽の光を頬で感じたい
ダストの噴煙が消えていく 跡形もなく
毒の雨からシェルターに避難したい
通りに名前もついてないその場所で

僕らは相変わらず築いては 愛を全部焼き払ってしまう
愛を全部焼き払ってしまう
でもあの場所に行くときは 君も一緒に連れていく
それが僕にできるすべて

町は洪水にのまれて 愛は錆に変わる
僕らは打ちひしがれて風に吹かれて 踏みにじられて泥まみれ

きっと君に見せてあげるよ
広い砂漠の荒野を見下ろす高台にある 通りに名前もついてないその場所を

僕らは相変わらず築いては 愛を全部焼き払ってしまう
愛を全部焼き払ってしまう
でもあの場所に行くときは 君も一緒に連れていく
それが僕にできるすべて

愛が錆に変わる
みんな打ちひしがれて風に吹かれて 風に吹っ飛ばされてる
ああ、愛が見えるよ
錆に変わっていく僕らの愛が

僕らは打ちひしがれて風に吹かれて 風に吹っ飛ばされてる
ああ、でもあの場所に行くなら 君も一緒に連れていくよ
それが僕にできるすべて』
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2014年9月23日 火曜日 東京は秋

2014-09-23 11:11:08 | 写真日和

秋のさわやかな空。そんな昨日の昼下がり。
FMラジオからは、交通情報お姉さんの声。
言葉を噛みながら「マンジュシャゲ公園に向かう車で混んでいます。」と恥ずかしそうにしゃべっている。

ポツリポツリ、と雨が降る中、昨夜帰る。
TBSラジオからは竹中直人さんの「月夜の蟹」。番組秘書の堀井美香さんのエロティックな声。その後、小雨はスコールに変わる。

この土曜も日曜も歩いた。秋のお彼岸。
歩けば、たくさんの艶やかな彼岸花に出会う。



■Virginia Astley 「From Gardens Where We Feel Secure」1983■

ヴァージニア・アストレイ
近時、腰痛が強い。それは歩いている最中のときだったりもする。
我も忘れて歩いているうちに、唐突に腰痛が舞い降りる。足がそこから前に進まなくなることがある。
携帯電話に入った歩数計を見て、その数字の多さに驚き、近くの道端で休む。その気は無いのに、歩くうちにそうなってしまう。

腰痛は寝ている間にもやってくる。
こちらを痛みで揺り起こし、その時間から眠れなくして、いたずらな妖精は去っていく。
初めは「適当なものをしいて、ござの上に寝ているから痛くなるのだ」と思っていたが、この休みに自ら腰周りをさわって驚いたのが、ホネホネになっていて肉が付いていない。
指に伝わってくるように、そりゃあ、痛いだろう。

食はちゃんと摂っているが、インナーマッスルが落ちていく速度に間に合わない。勝手な診断。



昨日、外に出て感じたのが、夏が終わったなどと言っている余裕もなく、秋を味わわないとすぐに季節は冬になってしまう。
それくらいに、この20日程度で、あっという間に陽が沈む時間が短くなり、17時前には赤い夕陽と空となる。

昨日も目的ない歩みだったが、午後になって外を歩くと、日の傾きはすぐにやってきて焦る。
そんな空には、ピカッ・・・ピカッ・・・と数秒おきに点滅する清掃工場の塔があって、どうせすぐに夜が来るなら、またあの塔の近くまで行こうと、直線距離を歩きだした。

もう落ち葉や紅葉の始まりを見た。
歩むに伴い、近くに次第に迫ってくる塔。
空塔の下でぽかんとクチを半開き、間の抜けた顔の集団を見るのは容易だが、この塔の下には誰もいない。





江戸川区との境界線である、川沿いのその場所は、エアスポットとして異質な空気を漂わせている。
この空気感は、幼い頃に、三ノ輪近所にあった空気。日本堤・千束・吉原・千住・小塚原・・・。

塔を巡って歩いたのち、東墨田に入る。妙に懐かしい思いと共に、切ないなあ、という街の後ろ姿が見えた。三ノ輪・千住方向には街工場が多くあり、遠くや近く、煙突の風景、機械の動く音、油の匂いがした。

自分の家の真裏にあった幼稚園の隣に、当時あったレンズ工場を思い出していた。
まだ背の低い子供の自分は、背伸びして窓から工場の中を覗いた。
機械の音が延々とし続けるその工場。トタンで出来た外塀は、グレイの色で統一されていた。
外に漏れる音以上の騒音が中を占めて、マスクをしたおばさんたちが並んでレンズの検品をしていた。



東墨田は町工場(まちこうば)が密集したマチ。
今でも仕事でこんな工場の現場に入るから、見慣れた風景でもあるが、これだけもの工場が並ぶと壮観である。
ジュースやビールのビンを作る工場の立派な看板に書かれた「製壜所」という文字、その背後に聞こえるカラカラという音。
それは、ビン同士が乗ったコンベアラインから、微妙な振動にこすれた音。プシューッと空気が抜ける音。

工場が並んだ場所を徘徊していると、YMO「テクノデリック」やビートニクス「出口主義」の音が聞こえてくる。

旧中川沿いに抜け出る。歩いていると、ランニングやウォーキング、あるいは散歩の人とすれ違う。
しかし、それも夜に向かってどっぷりと暮れていくと、ひとけの無い道となっていく。

旧中川はまるで三日月湖そのもので、蛇行しているため、方向音痴の自分は東西南北が分からなくなる。葉を落とした合間から見える建物、川面を可愛く鳴きながらつがいで遊ぶカモ、それらを見上げた、その組み合わせの水場のシーン。逢魔ヶ時。
北欧のフラ・リッポ・リッピのジャケット写真を思い出す。

ずいぶんと遠回りをしながら、荒川脇に出るが、一帯には次第に闇が降り、工場の合間を縫っていく。
その果てしなく寂しげな道を歩くと、歴史的な名残りを残した地の痕跡。

ひたすらの暗がりをてくてく歩いて、やっとのことで電車が荒川の鉄橋を渡っていくのが見える。
川堤の内側の長くまっすぐ進む道と鉄橋が交差する所は、短いトンネルになっていて、灯りを放っている。その灯りを目指し、周囲に感ずる視界にシャッターを切りつつ進む。

道を通り過ぎてから、はっとして振り返り、数m戻る。
家と家の間に空地があり、大荒地野菊らが暴れ咲く中、一つの石碑があり、両脇に花束が置かれていた。小旅の中でどうにも引っかかる風景に出会うことは多い。
近付いてひざまづくと石碑には、関東大震災で亡くなった中国人や朝鮮人の方々への鎮魂が記されていた。夜の墓地も神社も平気な自分だが、誰もいない道の暗がりで、そこは特異な時空の磁場を放つ。分からないながらも、ひざを付いて碑に記された文字を読み、シャッターを切り、黙した。

赤線・玉ノ井のことや荷風先生のことは知りながらも、無知の自分はこの碑が何を意味しているのかは分からなかった。帰って調べて、その碑が意味しているものを知った。単なる震災で亡くなった方への碑では無かった。
本当の事実はもはや確認しようもないが、関東大震災があった1923年にここで起きた、と言われている事件への慰霊碑だった。

2014年、改めて戦時中の占領地での事件が議論になる昨今。
そこと繋がるかのような景色が、経緯を知らぬ自分の目の前に現れるというのには、何かがあるのだろう。
事実がどうあれ、いずれにしても不幸であり、不毛に感じる。
国家と国家、というはざまで市井に生きた人が、押し潰されていったと言われる風景は、他人事ではなく、自分と地続きであることを、今一度思ってみる。

■フィル・コリンズ(コーラス:スティング)「ロング・ロング・ウェイ・トゥ・ゴー」1985■




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2014年9月20日 土曜日 土曜の夜はパラダイス

2014-09-20 22:17:15 | 音楽帳

ゲイリー・ニューマンのシングル「アイ・アム・ダスト」を聴いて思い出したのが、デペッシュ・モードの「バレル・オブ・ア・ガン」(1997年作品「ウルトラ」収録)だった。共にハードな音像だが、生と死の境目の匂いが共に漂う。
崩壊の限界地点では、そこまで来たからこそ裂け目から見える、一寸の生と空がある。

デペッシュ・モードのセカンドアルバム「ア・ブロークン・フレーム」(1982年)は、今でも僕にとって大事な作品である。それは彼らとの初めての出会いだから、ということではない。
エレクトロニクス楽器のみで奏でられるテクノ、そこに乗っかるメロディとコーラスが描くハーモニーの愛おしさと美しさ。
そこに影を落とす蒼き心情の青年たちの憂鬱。
LPレコードのインナースリーブにモノクロで差し込まれた一人一人のポートレイト写真を眺めながら聴いていた、ひそやかな時間。

勢いを持ったミュージシャンが、期待する次のアルバムまでの合間に出すシングルには、その合間を埋めながら、更に期待を持たせる曲がある。そういった曲には、次のアルバムの設計図・青写真を描かせるものがあり、ヒントがある。結果はそうならなくても、そんな希望を持たせてくれる。

■デペッシュ・モード 「ゲット・ザ・バランス・ライト」1983■

「ア・ブロークン・フレーム」の後に発表されたシングル「バランス・ライト」は150%以上の伸びを見せて、うれしくなった記憶がある。こうやって発表したシングルが、次のアルバムへの鍛錬や練習の場だったりして、次のアルバムに収録されないことも多くある。しかし、練習を超えて、そんなフリーな時にこそ優れたミュージシャンは優れた曲を書く。

他の経験。

スクリティ・ポリティの「ソングス・トゥ・リメンバー」の後、次々に発表されたシングルは、それ単独でも十分に素晴らしくかった。その後のアルバムに期待を寄せたが、待った割には、結果はそれらをまとめただけのものだった。

雑誌「フールズメイト」の北村昌士さんのレコード評に感化されて、御茶ノ水のディスクユニオンで輸入盤「ザ・ハーティング」を買った。追い詰められた少年2人がその怨念を吐き出したティアーズ・フォー・フィアーズのデビュー作品。
ピーター・ゲイブリエルに大きな影響を受けた音は、そのアルバム発表後、「ザ・ウェイ・ユー・アー」等これまた素晴らしいシングルを発表したが、進むべき方向性を考えすぎ迷っていることが明白に漂っていた。

結果どうなったかと言えば、迷いの果てで/内から外へ/インプロヴィゼーションから産まれた曲を多く含む、突き抜けたセカンドアルバム「ソングス・フロム・ザ・ビッグチェア」に結実する。

1981年YMOとイギリスが最先端を巡ってしのぎを削る日々の中。
イギリスでヒットしたヒューマンリーグの「愛の残り火(Don’t You Want Me)」。その曲を収録した「DARE!」。
(「愛の残り火」は、その後アメリカのビルボードチャートまで食い込み、トップ10がほとんどイギリス勢という「ブリティッシュ・インベンション」と呼ばれる現象を生むことになる。しかし、ヒューマンリーグ自体にとっては、この曲がヒットし過ぎてしまい・彼らの代名詞となってしまい、その後の活動に鎖を掛けてしまう。)
クロスオーバーイレブンでエアチェックした「オープン・ユア・ハート」に希望を見い出す中、暗く厳しい季節を抜けて高校生になった自分。



■ヒューマンリーグ 「ミラーマン」1983■

そんな折、毎週土曜深夜2時ラジオ日本の「全英トップ20」を聞きつつ、チャートに現れた彼らの新しいシングル「ミラーマン」。モータウンのリズムにテクノが乗っかった、という具合の曲調にウキウキした。
まだ、このシングル発表時のフィリップ・オーキーには、勢いはあれども、プレッシャーは無かったように見えた。

土曜日も男同志の汗臭いバレー部の練習を終えて、米屋でジュースを飲みながら、自分よりイギリスの音楽に詳しい、アタッカーであったイケメンの彼と音楽の話をしたシーン。
駅までの暗い坂をみんな重いカラダを引きづりながら歩くが、今週もこれで終わったという解放感と、帰った後のテレビ&ラジオを楽しみにする心持ち。それが、夜を照らす街灯りとラヴホテルの電飾看板と呼応して幸福を運んでくれた。そんな1982年、1983年土曜の夜。

音に想像がふくらんだら心があのときにワープして、明るく和らいだ2014年土曜の夜。
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2014年9月18日 木曜日 深夜日記

2014-09-19 00:12:29 | 音楽帳

未だ自分の中の幼児が体内に宿っている。
それは変わりゆく周囲から置き去りにされる稚拙さでもあり”経済と合理化、それが一番大事”と讃えられる世界の中で漂うには弱く、暴風雨にさらされ、吹き飛びそうになりながらも、幼児は自分のカラダにへばりついている。
指が食い込み、掴まれた部分からは血がにじみ出ている。

厳しい現実を目の前にして、自分は途中で折れてしまい、つい身近な”些細な幸福”を手に入れようとまさぐり、掴んだものを後生大事にしてしまう。
そういう帰結を辿ってしまう。
その方向性は、対女性をはじめとして、あらゆることに通ずる。

動物たちを模した小物、世間では紙ゴミと扱い・捨ててしまうだろうもの、そんなものが散らばる中に座って、ラジオを流す夜は、自分に安堵を運ぶ。
ネコと毎日暮らしていた頃は、彼が友であり生きる伴侶だったが、そうやって夜に遊べる彼は居ない。/外に行けば、会えるのだが。

ユングは、ヒトの中に沈んだ幼児性こそが、死と再生の繰り返しの中で浄化を運ぶ貴重な切り札だと語った。ユングにクライシスを乗り切るヒントを得たのは、四半世紀以上前だが、最近はその頃読んだ本をめくっていない。それくらいに殺伐とした日昼なんだな、と今夜認知する。

レコーダー兼mp3プレイヤーの中に入る曲を、こないだ入れ替えた。
操作方法が分からないまま5年近く使っているのだが、一定容量、140曲くらいを超えると入れても再生できない。
完全な意識をしてはいないが、温度湿度・日の長さが変わったのに伴って、衣替えをした。夏向けから秋に聴いていた曲へ。

今夜暗い帰り道で、ビッグカントリーの曲が顔を出し、暗くてもほの明かりが見えた。
スキッズを解散して、1983年ビッグカントリーを結成したスチュワート・アダムソン。
それはジャムを解散させてスタイルカウンシルを結成させたポール・ウェラーの姿と重複し、ギターで奏でるバグパイプの音に新しい音楽を演奏する喜びが見える。

■ヤズー(ヴィンツ・クラーク&アリソン・モエット) 「Nobody’s Diary」1983■
セカンド&ラストアルバム「You&Me Both」より


TBSラジオ「たまむすび」を聞いて知りながら・遠ざけてきたのが、ジェーン・スーさんだった。
語気強く・ずばっと核心を突く発言をまくしたてる様に、聞こえないフリか・他に集中してごまかしてきた。

そんな折、お盆の休みに手を休めて、じっくりと「たまむすび」を聞く中で流れてきたスーさんのお話し。説得力を持った語りにすっかり魅了された。
身近にもいるが/女一人でまっとうに働き・辛酸をなめつつ、砂を掛けられた”世間”を身に体感し、それを言語化して独自の道を展開するスーさん。
当然そこには才能があり、機微をかぎ分ける動物的カン、頭の良さがある。

開き直り、というよりも経験値からの(虫に例えれば)変態。
傷口に塩を塗るような痛みを覚えるのは、こちらも同じ40代だから。だからこそ、避けてきた。
ただそれだけではない部分に、スーさんの魅力があるのだろう。
みずから”おじさん”おばさん”と平気で言う40代を嫌悪する自分だが、スーさんが言うと、さほどの嘔吐感はしない。

彼女の本「きさま、いつまで女子でいるつもりだ問題」は読めていないが、買って読んでみたいと思っている。女子うんぬんなどはどうでもよくて、彼の視点や語り口を知りたい。

8月末初めて、スーさんがやっているラジオ番組「相談は踊る」を通して聞いた。土曜、ずーっイヤホンでTBSラジオを聞きつつ、島を歩いていた末に、夜7時に始まった。8月30日のこと。

まずは、録音じゃなく生放送であることに、度量を感じた。
その次、番組始まりで”これで夏が終わった、と思ったら甘い。9月は何度やっても夏です。
もうすぐ暑さはぶり返して来るから、40代はカラダに要注意、と言うイントロからいざなわれ、歩く夜道で大笑いする。
語り部としてのラジオDJ能力が極めて高い方だ、と感心する。

相談番組がたいていありがちな結論に向かうこともなく、あっという間に2時間の生放送は過ぎてしまった。親身になって、相談側に付き添う中には、厳しさゆえに背中合わせの優しさが現れる。
毎週土曜夜は、あっという間に2時間が愉しく過ぎていく。

クチざわりの良い”女性が活躍出来る社会応援”が、既に終わった日本国内社会の労働力不足を”少々”補てんするだけ・・・。戦時中の国家総動員でもあるまいに・・・と苦笑するが、冗談とも言い切れない2014年。「とうに涅槃を過ぎて」とは橋本治さんの書のタイトルだが、そこから30余年経過し、もうココに対する諦念も極みにある。

全体脈絡が抜け落ちた暴走は続いていて、意味不明なこの国。
此処がどこなのか?自分が立っているココが、最近分からなくなる。
記憶喪失じみた感覚、コレが世界、と認識していたすべてが一挙に反転してしまったことへの確信・間近への予感。

万物は流転していくのだから、雨宿りしたいっときに、その場で自分が共有し得たものも、すべては一個人としてのまぼろし。だが、そう言ってしまうのであれば、何が一体残るのだろうか?

じゃあ、これは私個人の問題なのか?と言えば、私に繋がる先人たちも悩み、今浮かれた人もいずれ悩むであろう。しかし、もう取り戻しの出来ない極北に来ていることを、どれだけの人が察知しているのだろうか?

広告世界に飲み込まれ・その一部としてしか存在していない新聞という存在。だというのに・同じ穴のムジナ同士は、同調した世間と共になってお祭りをして、日本と呼ばれる道の真ん中で、足を引っ張り合ってもめている。
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2014年9月16日 火曜日 アイ・アム・ダスト

2014-09-16 23:28:20 | 音楽帳

珍しく混んだ22時過ぎの車中。
”世間体”は休み明けなのに、早々から酔いどれた三十代男がカラダを屈して長椅子にはまり込んでいる。かといって労働によって弱った形跡が一切ない男。
両隣の方は心配して落ちたモノを拾ってあげたり、どこで降りるのか聞いてたりしているが要領得ない。

結果、途中自分と降りる駅で運悪く一緒に降りるが、同意しかねる態度。
勝手に酔ってくださいな。
そんな夜。往路復路と本に目を落としていた。

夏に、みうらじゅんさん「さよなら私」・養老さんの「死の壁」を読了した後は、旅の渦中で出会って買った本が溜まりに溜まり、積んだそれらを数冊並行で読みながら、えんぴつで線を引いたり、あちらこちらと気付く点を自分に照らして考えていた。

昨日は仕事帰りに寄ってしまった本屋さんで、香山リカさんと辺見庸さんの本を買い、さらに何本もの本とエンピツ平行線が日々に加わっていゆく。

夢中になって読む本もあれば、ばさっとめくったページから始まる本もある。
結果、全ての本は遺物処理として引き取られるか、捨てられるか、燃やされるか、誰かがカネに替えるかは、自分の知るところではない。
せいぜいは自分のために、今は手に入れた本を振り回し、濫用することだ。

この夏、神保町を歩いているときに、古本屋に吸い込まれた。吸い込まれると数時間を喰うことになる。
このとき出会ったのが、阿部謹也さんの「『世間』とは何か」。95年発表の講談社現代新書の一冊である。
パラパラめくって買うと決めたのは、永井荷風を例にして、日本人(?)が常に左右されだまされ続ける「世間」なるものを分析した章があったことだった。

原文そのままではなく、平易な文章に置き換えて、写経してみる。
「自分はなぜ一年一年とはなはだしく世間の交際を忌むようになるのか、自分ながらもその感情を押さえきれないのに驚いている。

実際吾輩はうんざりしてしまう。カラダに疲労を感じるから自分はしきりに”それ(訪問者の接待)”を避けたい。
そう思いながら避けることが出来ないから、悲観もする抵抗もする冷笑もする。
しかしもしこれが、ルウズヴェルトか星亨のような蛮力のあるカラダで世間というものを自分の精力の玩弄物にしている事が出来たなら、自分が目下の地位と財産ほど自分に愉快を与えるものはあるまい。」
(この本で引用された永井荷風「冷笑」の一節)

■ゲイリー・ニューマン 「アイ・アム・ダスト」2013■
新譜「SPLINTER (SONGS FROM A BROKEN MIND)」より
テクノの先駆者=ゲイリー・ニューマンの新譜で素晴らしいと思ったのは、2006年の「JAGGED」だった。

初期のジョン・フォックス率いるウルトラヴォックスに影響を受け、ヒトとの交わりを絶ったアンドロイドとしての顔に始まった、チューブウェイ・アーミー/ゲイリー・ニューマン。
彼の音楽とジャケット写真は少年の心をくすぐった。
レコードよりもミュージックカセットで聴きたい、と思った音楽。

その後、良い時もあれば・悪い時もあり・・・空回りの不幸な時代を耐え忍んだ末、「JAGGED」の頃には、自分の子供を愛してやまない彼の姿。
子供に勇気付けられた彼の姿があった。
作品「JAGGED」は素晴らしいものだった。

そこから7~8年。実際の発表は昨年だが、この世間様の休みに出会ったシングル。
行き詰まりと迷走の果て、様々な怒りが外に向かって放出される。
このシングルの素晴らしい音像に貫かれた憤怒と衝動。

またもや買わねばならないアルバムが登場した。
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2014年9月13日 土曜日 島のはしっこへの旅

2014-09-13 22:12:20 | 写真日和

歩いているうち、産まれて初めての地に足を踏み入れた。
旧中川は荒川の内側に分かれた川。すみだの端っこ。
ずっと、気になっていた煙突みたいな塔が墨田清掃工場なんだと、今日知る。

間近に見る煙突の圧倒的なかっこよさにシャッターを切り続けた。
昔、武蔵野線沿いの鉄塔を制覇しよう、と冒険に出た少年たちの切ない映画を思い出した。

寺島村の鎮守様にも白鬚神社があるのだが、もう一つの白鬚神社に参る。
人っ子一人居ない境内。

この辺りは、まだ昭和の匂いが残っている。おきざりにされた辺境にこそ、古き東京が残っている。
廃屋と化した家が多く存在し、路地に入ると、ウンコと腐った匂いがする。
それが妙に懐かしい。
その家の前に、ネコたちがまどろんでいる。

思いだけで突き進んでしまったときの帰路は遠い。
闇は早々に迫ってくる。
といって普段の苦しさは遠く、迷い道の楽しさがある。

誰も待ち人は居ないから、全てはココにあり、何一つ気にすることは無い自由。
幼少の頃の小旅みたいな、夕飯の時間に間に合わず怒られる、ということもない。
あらゆるものから放たれている。

帰路、八広まで入った暗い道で、迷って困った黒人さんに声を掛けられる。
駅はどっちなのか?という彼に、片言の英語とボディランゲージで説明する。
少し安心してもらえたらしく、顔が明るくなる。

かなり時間を食ってしまったので「Sorry」というと、「No,No、、、OK!」と、親指をグイッと笑顔を自分に向けた。
「アリガト」と言う彼に、夜道で別れた。

■デペッシュ・モード 「変わりゆく風景(The Landscape Is Changing)」1983■
サードアルバム『コンストラクション・タイム・アゲイン』より

愛聴盤からの愛曲。
この曲名をタイトルにして、高校の卒業文集の文を綴った記憶がよみがえる。

発売当時のLPレビューで、今野雄二先生がこの曲の歌い方は明らかに、ブライアン・フェリーを意識している、とそういえば言っていた。










コメント (2)
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