「黄金週間」とやらに無縁なじぶんは、今日も365分の1日として働いて帰る。
じぶんの高校時代の友人に、実家が手打ちのおそば屋さんで、今ではそば一筋で生きている人が居るので、ようく分かるが、彼らは月~金仕事の者たちが、横柄な態度で休みを謳歌(しているようには見えないが)する中、サービスする側で身を粉にして働いている。
お互いは50:50なのに、横柄な態度をする者を、じぶんは蔑視する。
***
深夜番組のホラーであった「トリハダ」。
ここには「人間なるモノが如何に(この世で一番)残酷な生き物か」が描かれている。
その一話に、横柄な態度でタクシーに乗るビジネスマン。運転手に対してあっちだ・こっちだ・早くしろ・・・と言いつつ携帯片手に偉ぶるが、運転手は言うことを無視した道を行き・人をひき殺す。それは、別れた女房(だったような・・・[記憶違いかも])。
元々、リストラ(というねじれて解釈されているコトバ)で、タクシーの運転手をやっている人は、現代では多い。そして、給与も雇用形態も過酷。/一方では、昔ながらのいい加減な運転手も居るが。
そんな時代の断面を示した、リアリティある回だった。
***
じぶんの住む街には、まだ共同体の要素が残っているので「あれ、このおばさん、どこかで出会ったよなあ?」と思うと、スーパーのレジとコンビニエンスストアのレジを掛け持ちしていたりする。
また、制服姿のスーパーの女性や100円ショップの女性に、不意に電車で出会ったりするが、女性らしい私服姿で仕事場での顔とは違う「素(す)」の面を見て、いろいろと感じるところがあったりする。
共に優しい人だが、それぞれの方には、生活・家族等々の背景がある。当たり前のことだ。
しかし、ヒトはそれを忘れて「役割を果たす」労働面のみを見て、ああだのこうだの、まるで機械のように過剰に偉ぶる場面に出会う。
サービス過剰な現代の日本では、悪しき「お客様は神様」的、とてつもない勘違いをする馬鹿家族が絶えない。
いくら、この世が芝居を演じる劇場だとしても「お客様は神様」ではないのに。。。
そんな話をしたかった訳ではなかったのだが、こーいった「連休」とやらにかこつけて、やりたい放題している誰かが、今もどこかで何かをやらかしているのは事実だろう。
「カネさえ払えば、何をやったって許される」という資本主義の下で、ガキがコンビニやファーストフード店でやりたい放題している様はよく見る光景。
そうでは無いことは、もうここまでねじれて逸脱してしまい、遠くに来てしまった世界では、実際刺されないと、じぶんが何をしているかさえも分からないのだろう。
■トリハダ 「拭えぬ罪悪感と客観性の存在」■
今日は、4月30日。気がつけば1年の1/3を生きたことになる。
だからといって、明日なにが起きるかなんか、誰にも分かったものじゃない。
カネが回ることだけが資本主義の道だから、モラルを規定することは義務として付随していない。これが悪い方に回った様が、今のありさま。