こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年11月30日 月曜日 「雑記帳 冬の気配 -日記・11月25日(水)-」

2015-11-30 23:25:34 | 音楽帳

【ロバート・フリップ 「ノベンバー・スイート」】
まずは、音をポンと置いてみる。

■Jansen・Barbieri 「Breaking the Silence・・・The Way Light Falls・・・Distant Fire」1985■

11月30日(月)
NASAのVIDEO音楽のオファーが、元ジャパンのリチャード・バルビエリにあったのは、1984年・夏のことという。その”BGM”がLPレコードとなった『Worlds In A Small Room』。

A面始まりの「ブレイキング・ザ・サイレンス」は、イーノとハロルド・バッドがコラボレーションした「鏡面界」A面始まりの『ファースト・ライト』からの影響そのまんまである。
イーノは1983年、NASAの月への挑戦を実映像にした映画「宇宙へのフロンティア」のサウンドトラック『アポロ』を制作している。

その片方では、途中ブワァーと鳴る音色(おんしょく)は教授の「戦場のメリークリスマス」からの影響。そしてメイン曲のメロディは「戦メリ」そのもの。アルバム全体が、イーノと教授からの影響がないまぜとなって出来上がっている。

1987年、大学時代知り合った友人の下宿に泊めてもらうと、彼は実家・久留米から持ってきたこのLPとD.シルヴィアンの2枚組「ゴーン・トゥ・アース」をカセットに落としたテープを掛けていた。
2人で明け方まで話しながら、その背景で『Worlds In A Small Room』がよく鳴っていた。

11月25日(水)
朝、お茶とパン。三島さんの命日。長袖ヒートテック着る。傘を持ち外に出る。まだ雨は無い。
車中マニュエル・ゲッチング。立っているのが苦しい、そう思ううち電車は着く。白い空、川端で一服。
昼近く雨が降り出した。

マスクして仕事、たまにハナをかむ。
午後、外に出ると雨。冬らしい寒さというのに街燈てっぺんには泊まるカモメ、川ではカモたちがみんなで遊んで泳ぐ。鳥たちには寒さも雨もまるで恵みのようで、愉しそうに見える。
電車を待っていると偶然O氏に会い、途中まで座って話すことになった。
建物に合い、誰にも喜ばれるものは何だろね。などと。
そんな話をしているうち経由駅に着く。幸手の工場に向かうという彼と別れた。

駅前のらーめん屋で、ラーメン・チャーハンセット食べる。おろしニンニクをたっぷり入れ、カラダをあたため励ます。
寒い中、湯気が立つラーメンをすする。男の学生さんが楽しげに友達とラーメンを食べるのが目立つ。
雨のなか一服着ける。破れ三度笠みたいなボロボロの傘、ホネが壊れたままでも差すかわいい女の子が通り過ぎた。そのさまがほほえましい。

あいにくの各駅停車。ハナが出るから、と前日より着用し始めたマスク。
マスクは便利な道具。顔の防寒対策にもなり、すれ違う人が会いたくない場合も、わからずに相手が通り過ぎていってくれる。一種の変装になる。

地方駅、不思議な色をした花。スプレーで着色されたかのようなピンク。
寒い中歩くとしんどいとともに息切れが苦しい。

打合せ終えて外に出ると暗闇になっていた。歩いて無人駅に着く頃には、顔耳冷たくなってヘルニアも登場し出す。地方から都内に戻り、見舞いへ向かう。

駅前にはクリスマスのイルミネーション、もみの木、そしてクリスマスソング。北風がピューピュー吹き、道行く人は肩をすぼめて足早に歩く。
病室に入ると、久々に意識ある相手。会話やりとりもあり安心したと思えば、数分で痛い痛いが始まる。
脇でつくTVから天気予報、明日西日本には雪が降るらしい。天気予報が終わると「ためしてガッテン」が始まり、山瀬まみちゃんが出てきた。

病院を出ると雨が再開、橋を渡り坂を下る。さぶいさぶい、そう言いながら数キロ歩いてしまう。さぶさでいつもの首肩痛に加え頭痛がする。あったかくすればよくなるはずだ。
お腹が空くが外で食べるとお酒が呑みたくなり、呑んだら帰るのがおっくうになるからやめる。

駅構内、通る人の顔を見るがみんな冴えない顔付きに見える。電車乗るとがらがらの席に座り、先週のパカパカ行進曲を聞く。
島に着くと北風と雨が強くなっている。チョコパイとレーズンパンを買う。家に向かう道、寒さから来る首肩痛がひどくなり小走りになる。
帰って湯を沸かし、ほうれん草・にらを追加した野菜スープをことこと弱火で煮る。

夜半、原節子さんが9月に亡くなっていたことを知る。唐突過ぎて、何も言えない。
みうらじゅん先生の「仮性フォーク」掛けながら寝た。


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2015年11月25日 水曜日 「雑記帳 備忘録-観覧車-」

2015-11-25 23:44:59 | 想い出かたちんば
11月24日 火
辺見庸さんのNHK番組をアップしてくれた方がいて、夜にそれを見ていた。
タイトルは「世紀末の風景」。90年代の終わり・21世紀前ころの番組と思われる。
ありがたい発見と機会。辺見さんの深いところからうめき漏れてくるような声。その声と語り口が好きなので、話題はどうあれ落ち着く。
https://www.youtube.com/watch?v=qzzaEE5G4ng

最初に観覧車が映る。辺見さんは、その速度感に”しみじみとしてしまう”。ものを考えるのに一番良い速度。
それなのに、それを忘れてより早く、より遠くと指向する社会と人間。

このくだりで想い出したのが、大学時代当時のこと。
経済に一切関心がないじぶんが、無理矢理潜り込んいた桜井哲夫先生の「社会学」の授業。
その教則本のあとがきに観覧車が登場する。その本の一節が好きで、よくめくる。

「ウィーンのプラーターと呼ばれる地区に遊園地があり、そこに、最高点64.75mの大鉄輪にゴンドラを吊った大観覧車がある。1896年につくられたこの大観覧車は、映画『第三の男』で有名となった。
たまたま、九月にこのプラーターの観覧車に乗る機会をもったのだが、最初、そばにゆくまでこの観覧車は止まっているとしか思えなかった。近くにゆけば、たしかにゆっくりとだが観覧車は動いているのである。
そのとき感じたあの奇妙な感じは、この観覧車の近くにあるジェットコースターに乗ってみたときにさらにはっきりしたものになった。

どうやら、われわれの身体は、20世紀に入ってからというもの、とてつもない「速度」のただなかに投げ込まれてしまい、かつてのリズムなど静止したものとしか感じられなくなってしまったのではないだろうか。そしてこのスピードのただなかで、人びとはあとさきもみずに、ただひたすら走らされているのではないだろうか。
ふと、九月だというのに肌寒いウィーンの街角でそんなことを考えたことを、今、思いだしている。」(「近代」の意味 1984年著)

この本は1984年に書かれているが、この本にわたしが出会ったのは1987年のこと。

1984年秋から冬へ。なにかがつっかえて行き詰まった時節。
当時、渚十吾さんが編集人となった雑誌「LOO」を毎月買っていた。
この本は未だにめくる頻度が絶えない、ある種のバイブル。

その12月号に「廃墟のルナパーク」というエッセイがある。はさみこまれた写真は、浅草の花やしきだった。雨の日、水たまりに向けて撮ったショット。文章は伊藤俊治さん。
未だ不思議な時空。それを漂わせた、数少ない昭和のにおいが残る花やしき。

この冒頭で伊藤さんはある本の一節を引用している。
「ずっと昔から子どもたちは、あらゆるものが永遠回帰するということを知っていた。」
(ウォルター・ベンヤミン『メリーゴーラウンドに乗る子ども』)

つながりを意識したこともないが、その後発狂する80年代中盤の東京にて、また別の観覧車に出会う。
後楽園遊園地の観覧車だ。
当時、御茶ノ水の予備校に通い、夕方から歩き出し、水道橋で折れて春日通りを進み出すと、観覧車は姿を現した。毎日毎日。

春日通りを歩くと、後楽園の観覧車を左側にして眺めながら歩く形となる。
夕方にはその左側に夕陽が沈んで行き、バックから光を浴びた球場と観覧車の輪っかが見えた。それを毎日見上げ、樋口一葉がかつて住まっていた菊坂近くの図書館に通っていた。

日航ジャンボが落ち、岡田有希子さんが亡くなる等々うちのめされるばかりの85-86年、ひたすら暗く厳しい素浪人の戦いの風景のなか。

月日は不明だが(たぶん)86年、阿刀田高さんのショートショート集「街の観覧車」の一つをドラマ化したものを視た。
ここに後楽園遊園地の観覧車が登場する。ドラマタイトルに”観覧車”表記はなく”三人娘”といったタイトルだったように記憶している。

このドラマに「冴えない中年父親」という具合にして、役者・きたろうさんが出てくる。
幻のような”娘”を追い掛けて、たびたび後楽園遊園地の観覧車に乗る彼。
劇中、ジ・アート・オブ・ノイズのデビュー12インチ「イントゥ・バトル・ウィズ・・・」の曲が要所要所で掛かる。

そして、ドラマ最後”幻の娘”と共に乗った観覧車から身を乗り出し、彼は転落し亡くなる。その背後で「モーメンツ・イン・ラヴ」が掛かりエンドロールが流れる。

あまり暗い話ばかりはしたくはないのだが、そんなことを想い出した。
辺見さんと同じく、じぶんも観覧車が子供のように好きである。

西尾久に棲んでいたわずかばかりの頃。
よく夜、人がいない近所を自転車で走っては荒川遊園地に行き、まったく動かない遊園地を眺めていたことを想い出す。

■The Art Of Noise 「Moments In Love」1983■
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2015年11月23日 月曜日 「雑記帳 備忘録」

2015-11-23 23:53:42 | 雑記帳

11月22日(日)雑記memo
天才、坂本龍一も細野晴臣も、人の限界時間を超えたなら、もっとたくさんの作品を80年代に創ったであろう。
二人とも厳格に中途半端を許さない。それがボツ曲を産んでいたはずである。
それを拾って集めただけでも数百曲はあったはずである。
特に坂本龍一はいじればいじるほど、作品は劣化する。そうして潰してしまった曲のカケラたち。

当時の二人の脳にダイレクトに線を直結して。
時間経過とともに現れては消えていく去来するもの、そのエッセンスを鮮度あるうち、くだもののように凝縮出来たなら、もっともっと数千曲の響きが聞こえたかもしれない。

そう夢想する。

***

毎年年始におろす日記兼スクラップ帳は時間に追いやられ、白紙ページのまま師走をむかえようとしている。白紙ページを塗りつぶそうと思いながら、圧倒的雑事と時間速度はじぶんを超え凌駕していく。

昔、兄に云われた言葉を想い出す。
”負けが込んで来たら、人はどこまでも堕ちていく”。
どこかでそれを一気に挽回せねばならない、という意味として”ありていな言い方で申し訳ないが、おまえは大学に行くのが今一番いい選択肢である”。
二十歳のきちがいの頃、最後のつもりであいさつに行った兄の家で云われた。

いまやそんなことは遠く、どうでもいい。勝ちも負けもない。

細野さんが言っていた言葉、心に届いた言葉がよくよぎる。
そのときそのときで(その日どんなに不調であろうと)ベストを尽くさないといけない。三十代・四十代。。。
それが後になって効いてくる、ボディブローのように。実際そんな言い回しをしてはいないが、そう捉えている。

***

21日(土)夜、ニーチェ(100分で名著)付けたまま寝てしまっていた。灯りはつけたまま、首にタオル巻いて。眠っていたじぶんに気付き、明け方5時灯りを消す。

朝・地震で目覚めた。つぶあんぱん一個食べる。ノドが痛い。
ラジオからビージーズ「愛はきらめきの中に」。寝床で吉村弘のCDを聴きながら、ちくちくウニウニ、伝染るんですのページをめくる。
そのうち、手に本を持ったまま、また眠ってしまう。

疲労から起きると午後。お茶とパン食す。
mp3内の曲入れ替え、片付け物、入浴、そうやって時間稼ぎをするうち、夕方5時の外出となる。外はどっぷり暮れてしまった。
写真を撮る中、山谷で絡まれる。よくあることだ。それを抜け出る。指がかじかむ。

途中でバスに飛び乗る。耳からソフトヴァーディクト。
適当に降り、歩き、親の見舞いへ。

夕方以降、外で出現してきたランダムプレイリストを聴きながら、歩き、シャッターを切る。
エリザベス・ウェルチ『ストーミー・ウェザー』
柴野さつき『星たちの息子(サティ)』
ヨ・ラ・テンゴ『ブラック・フラワーズ』
ヨ・ラ・テンゴ『More Stars Than There In Heaven』
ヴァージン・プリューンズ『Sad World』
ビートルズ『丘の上の阿呆』
ウルトラヴォックス『ウエスタン・プロミス』
グローバル・コミュニケーション『14:31』
トレイシー・ソーン『スモールタウン・ガール』
ロバート・ワイアット『シップビルディング』
ポール・ヤング『愛の放浪者』
ペイル・ファウンテンズ『パーム・オブ・マイハンズ』
レイ・ヴァンピレット『ビオムタンテン』
吉村弘『ミュージック・フォー・9ポストカード』

22時過ぎ帰宅、湯を沸かす。心臓苦しい。
ラジオ点けると橋幸夫・地球楽団、お茶とあんぱん、MZ師にTEL、鼻をかむ。

1時過ぎ灯りを消し、坂口安吾の語りを耳だけで聴いていたが、眠れず明かりを付けた。
お茶飲むことをやめ、酒を引っ張り出した。
1月初旬に撮った写真を見ていた。撮ったら終わりで振り返らないことを、いやというほど教えられる。そうしているうち明け方になった。

■YMO 「ソウル・ミュージック」2011・イン・サンフランシスコ■
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2015年11月21日 土曜日 「雑記帳 ラジオの時間ですよ。」

2015-11-21 09:23:32 | 音楽帳

11月21日 土 朝、晴れ
設定を間違ったアラームが鳴る。消しては眠り消しては眠り。
ちゃんと消さないから、これを繰り返す。無意識と意識の合い間で。
それをきっかけにして、7:00起きる。昨日から始まったノドの痛みを感じる。
寝る前呑んだお湯割りと白湯のせいで、尿意が最高潮。仕方なく起き上がる。

お湯をヤカンで沸かす。
その間に、塩を入れた塩水でガラガラとうがいをした。
入院する者を看護をする側のじぶん。そういう者が風邪など引いている場合じゃない。

お茶を煎れる。一度別の入れ物に一滴残らず落とし、しばらくムラした上で移し替える。
おいしい藪北せん茶の葉っぱも最後になってしまった。新しい葉っぱを買い足しにいかないと。

布でさえぎった薄暗い室内に、次第に陽光が届き始める。
塩水うがいを終えてすぐはノドが痛い。しばらくすると、痛みはなじんでおさまる。

ラジオをひねるとジプシーキングス。
一曲終わると放送事故か?沈黙が長い。
何か変だ。
『・・・・・こちらはニッポン放送、すみだ放送局。
東京スカイツリーから、ただいま試験電波を発射しています。』

『・・・・両チャンネル。
左チャンネル。
右チャンネル。』
発射音が聞こえる。

合点が行く。
昨夜、渋谷陽一さんの放送を聴いた後、そのラジカセは消された。
いつもはAMになっているのに、スイッチがFMになっていたのだ。
起き抜けにがさがさ。ランダムにチューニング回した中から出てきた、スパニッシュギターの心地良さ。

その後、美空ひばりさんか?一声一声の発声が鮮やかに聞こえる。
スタンダードジャズナンバー。これもまた素敵だ。
ジャズナンバーは何曲も続く。最初はひばりさんと思っていたけど、そうではないよう。

再度左右チャンネルテスト。
続いてパッヘルベルのカノン。パイプオルガンが優雅なテンポで演奏される。

***

冬開局を目指して試験を行っている、そう言われてきたAMラジオのFM放送化。
宮川賢さんら大好きなラジオDJは、今年早い時期からよく話しに出してきた。
「なんだか気恥ずかしい」し、気取ったFMのメンツを壊す行為に連中は嫌がってんだろう、そう言っていた。

なんでも簡便に済ませることで、人が元来持っていた心と体の機能を失ってきた平成21世紀の流れ。その延長線上。
あらゆる場所に防犯カメラが設置され、あらゆるものがネットワークで直結された相互監視の監獄。そこをシステム人間だけが跋扈する。
そんな中にあって、このラジオの新しい形だけには、現段階であまり抵抗拒否感が無い。

現実ラジコにもお世話になってきた。
ふだんチューニングしてもうまく聞こえない局が聴けるだけ有り難かった。
決して、FMなみのクリアさで聞きだいわけじゃない。
わたしにとってのラジオは、やはりノイズ混じりの中から伝えてくる、それを聞き分けようとする切実さにある。

ラジオを愛する老若男女並びに植物や生き物や沈黙するものたちへ、生きる力を運ぶならば、それで自由と豊かさが生まれるならば、これからもラジオだけは応援したい。

おだやかな朝。その一シーン。

■細野晴臣 「僕は一寸(ちょっと)」1973(ホソノハウス)■
8時を過ぎてTBSラジオ。生島淳さんが出ている。
「昔、TBSラジオは950ヘルツだった。」詳しいですね、と堀尾さん。
そりゃそうですよ、親父が当時『夜はともだち』のパーソナリティでしたから、と淳さん。

その放送を塾の行き帰りに猿楽町界隈、イヤホンで聴いていた。
じぶんが初めてラジオでハガキを読まれたのは、その『夜はともだち』冒頭だったことを想い出した。

今日は、せっかく早起きした晴れ間。
いつもより早く、街歩きの旅に出ようと思う。




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2015年11月19日 木曜日 「雑記帳 GRADATED GREY」

2015-11-19 22:42:36 | 雑記帳

11月18日 水 
夜明け後五時台のアラーム。音と意識は何度もあちらとこちらを漂う。
高台に昇りてっぺん屋根からたなびく雲、その横広い景色真ん中には、起立し数秒おきに光を放つ塔。
東墨田の清掃工場の塔は、この朝やけに厳然たる主張をする。その姿が朝焼けに鮮やか見える。

昨年歩き倒したすみだ全域。そこで肉体で解することが出来た川に沿う場所。
この歳になって、やっと東側東京の過去からのつながりを肉体に。体内で全体像が結ばれた。
生地・三ノ輪から千住域、山谷吉原、荒川地区方面、橋を渡って墨田・向島・玉ノ井とその周辺等々。一帯を貫く一枚の絵が脳に描かれた。

朝のゴミ詰め、茶を煎れすすり服薬、朝風呂。
外に出ると朝もやが漂い、シャッターを切る光の輪郭をぼやかす。

歩くに向かないテラテラの革靴風合成皮革がきつい。こんなクツを履かねばならない公的儀式の日も、もうおしまいにしよう。
この日、ふだんは選ばない経路を辿り、都心の規律に従う。人ごみ。
葬列を成し行列行進する連中は、電車で・駅で見事に互いに無言でもぶつからず、交通整理を自発的に行う。

こういう世界空気が距離置いて見えるほどに、ある種の毒はすっかり抜けてしまった。
どれくらいぶりかのネクタイが苦しい。
耳からはYMO「カモフラージュ」。
ギャヴィン・ブライアーズ「オマージュ」、シャドウファクス「ゴーストバード」等。
白々しい世界を寸分だけ離れるべく、途中脱線し、露地で一服点ける。

かつての東京ウォーターフロント、バブル残滓は赤字を日々垂れ流しながら、それを隠しているつもりで堂々と未だ在る。
工場に漂う名残と匂いは自らの救いでも、レジャーランドと繋がる地区は無駄な建造物ども。そんな臨海地区で丸一日仕事。時代遅れのコンパニオンが痛々しい。

人間のえげつなさ下品さのカルマ。
二千十五年のびじねす(商売)、女子力と自ら言う者の価値と表層。
営業は水商売と同じ。説教臭い男の暑苦しいうんちくよりも、惹きつけるいやらしいカラダと色気さえあれば、カベは容易に乗り越えられる。
あちこちで見られるエロス的結合。ネットがエロで発展したように、くだらんうんちくより女にねだられる方がモノは売れる。

いっとき”社畜”という言葉がハヤッたが「畜」とは失礼千万。
(電通が産み出した首からカードぶら下げスタイル、その連中のみっともない風景が思い出される。)
それで思った、”社犬(しゃけん)”でどうだろう?しかし「しゃけん」とは車検みたいだし、畜を使わない分・語感に荒々しさや強さがない。頼りがない。
「脱社犬」。なにか間抜けでユーモラスだが、それくらいで良い。
この「社」は、会社の社であり、社会の社である。
忌み嫌いなものたち=ほとんど。

仕事を終えて外に出ると土砂降り。月島へ向け走るタクシー。
雨を吹き飛ばしながら走る。曇るガラス越しに、渡る川向こうのレインボーブリッジがかすむ。

見舞いにいく、そのたび会話をしていく。
意識は明白だ。ただ病室に居なければいけない時間が長くなると、場と時間を超えてしまう。

「夜にそこにお前が居た」と言われる。
「2人で立っていただろうに。」

その2人は誰なの?そう聞く。
「その日によって変わるんだ。昨夜はお前と女。
別の日は別の人がつっ立っている。そういうものさ。」

「さっき来た看護婦さんは、その冷蔵庫にある残り食材で料理を作るらしいよ。
夜中にみんなで食べるんだ。」
冷蔵庫にはペットボトルなど水類しか入っていない。家の寝室と病室がだぶっている。
これは別に意識がおかしいのではなく、投薬の反作用でよく現れる現象と医師に説明を受ける。

人が幻と、どこをどう認識して境目の判断を下すのだろうか?
先日、主治医に訊いてみた。それはわたし自身のことについて。今一度の再確認。

文化圏や社会背景、精神病判断は欧米基準にまずは照らすが、日本的風土には適用できない部分が大いにある。それを補うのは会話を通じた身振り手振り。或いはある種のカン。

私は、昔出会った色川(武大)さんの「狂人日記」を引き合いに、尋ねてみる。
「・・・でも結局、自らが吐露/言語化しなければ、各々の中で荒れ狂う生身、
その放置された個自身が描く像は共有し合えないのではないか?
しゃべくり上手でなければ、自らの状態さえ伝えられないんじゃないか?」

しかし、結論は砂に埋もれる。
「今まで長く話し付き合ってきた”あなた”には、明らかな病像と呼べるものは無い。」
そう断言される。

それはお墨付きと楽観視も出来ようが、短絡的で安易な結論でもある。
これらの受け取り方は、安易な病名でも云われて、つまりは犯罪者の刻印でも押された方がよほどマシだという、それである程度の安堵を覚えたい一心なのかもしれない。
幾度となく、嫌というほどこんなぎくしゃくとしたやりとりは、今までの数十年ところどころにあった。
結局何も明確な気の置き場を見失い、容易にくくれず像を結べない居心地の悪さに戻るだけ。
よくあることである。

■YMO 「灰色(グレイ)の段階」1981■
(1981年11月21日、テクノデリック)
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2015年11月13日 金曜日 「みんな集まれっ」

2015-11-13 23:52:36 | 写真日和

今日、仕事の合い間・川を眺めていたら、カモさんたちが大量に川面(かわも)を行進する姿。
集団ネッシー状態。
その珍しさから、なかまに指差して、その姿を数人で眺めていた。
ぼうっと。ほほえみながら。

田中さん「みんなゼッケンをつけて欲しいね。」
鈴木さん「競争にしてはノロいですね。なんか集会でもあるんすかね?」
わたし「上期を無事過ごせたから、飲み会でもあるのかな。」

毎日鳥を視ていると、不思議なことに、寒い時期のほうが、たくさん現れることに気付く。
冬に備えてのミーティングかもしれない。

***

鳥が大好き。
と言っても、生き物全般好きなのだが、この世のすべての鳥を知っているわけじゃないから、東京に住むじぶんが日常・密接にかかわり合うのは、スズメ、ハト、カラス、カモメ、そしてカモさん。
いずれも付き合うと、実に愉しく教えられることも多い。

こういう集会の際に、よく鳴いてはお互いコミュニケーションを取っているシーンに出会う。
一秒でも多く、われわれも含めて、こんな幸福な姿があるように。
そう単純に思う。
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2015年11月13日 金曜日 「1984年11月の空気」

2015-11-13 23:05:36 | 音楽帳

聴きたい、聴いてみたい。。。
少ないおこづかい。その数百円で買った雑誌を、何度も何度もめくる。
めくる頻度が高くなっていくと、そのザラ紙は想いと反して、しだいにケバ立っていく。

数センチ角のジャケットとレコードレビューから、どこかでそのLPレコードを聴く機会を願うが、一曲もFMで掛からない。そんなLPレコードが体内には沈殿している。
くまなくFM番組表を見てエンピツや蛍光ペンでアンダーラインを引き、不確かな番組に淡い期待を掛けて、ねばり強く聞いてみるが掛からない。

残る糸口は、ニューウェイブ系貸しレコード屋かアンダーグラウンドレコード店だが、四六時中そこに向かえる環境ではなかった。そうして時が過ぎてしまう。
ぼやぼやしているつもりはないのに、1ヶ月経つと、雑誌はたくさんの新譜を伴って新月号が発売される。聴けないLPは何枚も幾重にも重なっていく。

時折振り返っては、紙面から匂う想像だけの音楽に想いめぐらせるが、文通相手に出会えないように、永遠に異邦であり続ける。

この三十余年の間に、その実像に出会えたものもある。
唐突の出会いが、いきなり突然現れることだったり。
それは、中古レコードを置くお店。
そんなつもりもなく、カタンカタンとレコードをめくっていくうち。

長年の恋が、会った途端にあっさり醒めてしまうものもあれば、想った通りの青い鳥や美少女だったこともある。あるいは、朝の電車を待つプラットフォームで一目ぼれしながら、そのままのイメージで温存された幻想の音盤もある。



■Band Apart 「As I Watch The Train」(1984年10月21日国内発売LP『マルセイユ』収録)■
バンド・アパートの「マルセイユ」は欲しい・聴きたいと切に祈りながら、”あの”1984年秋から31年目にして初めて聴いた。

港の夕暮れどき、背中を丸めた恋人同士が居る風景。
このジャケットのモノクロの色あせた紙だけで、1984年の秋が想い出される。





音盤エレジー。体内には、未だ少年のころのうずきが宿る。
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2015年11月10日 火曜日 「1982年1~2月の空気」

2015-11-10 23:38:14 | 音楽帳

11月8日 日曜日
土曜の夜、しくじった。。。と言えばしくじった。
深夜ぼーっとしているうち、寝るのが朝6時となった。
ただぼーっと出来ることは幸福。何も成さない”無”を味わう(無為)。
みずからの心身がそれを欲していたのだから、それで良いのだ。

室内の灯りが点いた空間。
そのかたわらで伊藤政則さんのFM放送が夜明け5時まで、聞こえるか聴こえないかの小さい音量で流れていた背景。
11月2日・国際フォーラムへ観に行った、ホワイトスネイク/デヴィッド・カヴァーデイルの来日巡る話しが途中にあって、そこあたりから最後までラジオは流れていた。

***

朝6時に寝て・昼過ぎに起きるなんて、今のじぶんらしくない。
目覚めると外は曇天、雨の音が聞こえた。さらに肌寒い。それですっかり室内にこもってしまった。

平日が毎日毎日歩き出したいほどの秋日和だったのに、歩ける日に限って雨に阻まれる。
出鼻をくじかれると痛い。
もんもんと室内作業の挙げ句、夕方になって、やっと外に出て歩き出した。
こういった時期の夕方では、すでに手遅れ。そのことは、四六時中太陽と過ごしているじぶんが一番よく分かっている。

救いは再度入れ替え作業をしたmp3プレイヤーから流れる曲の連なり。
曲の出し入れをしていると、どこかで偶然、巧妙なプレイリストにぶち当たる。
そこに、言語化しづらい悦楽を覚える。

11月9日 月曜日
前日の夕~夜さんざ歩いてしまい、起きると眼がへっこみ・痛い。
眼痛はここ1,2年慣れてしまったもの。

朝風呂に浸かり外に出ると、雨はやんでいたが朝もやが出ていた。ガスる空気。
蒸し暑いなか、雲が流れている。
ラジオで”きょうは23℃まで気温が上がる”と言っていたので、薄手の夏服にして正解だった。
今朝の電車の中では、チャリチャリの「オーロラ」に始まり、入れ替えたmp3プレイヤーから久しぶりの曲が流れた。

ニューオーダーの好きな曲も追加したら、追加した曲が、またもや午後インターFMから流れた。
シングル「リグレット」。

***

入れ替えていくmp3の中、デヴィッド・トーマスの1982年の曲「家の中でのクリケット」が現れ、その良さに気付いた2015年11月9日だった。
この曲は、パソコンでダウンロードができるようになった、90年代終わり以降のフォルダから入れ込んだもの。

元を辿れば1982年2月の雑誌「ミュージックマガジン」に行きつく。
帰ってから色あせた古文書をひも解くように、雑誌を引っ張り出してめくって確認する。

1982年2月号は、来日したクラッシュが表紙。レコードレビューは、当時聴いていたバウワウワウ、トムトムクラブ、ヒューマンリーグ、ヘヴン17、マッドネス、パーラメント、OMD、ポップグループ、レインコーツ、キャバレーヴォルテール、ビートニクス、果てはイモ欽トリオまでが並ぶ。

その中で、関わり合いを持てないまま過ぎてしまったのがデヴィッド・トーマス&ザ・ペデストリアンズのLP「ザ・サウンド・オブ・ザ・サンド」。
「家の中でのクリケット」はA面3曲目に当たる。こんな曲も無料で聴ける時代。そういった面は幸福。

このLPは当時聴けていない。
でも、当時聴きたいと思った理由は、中身よりも数センチ角のモノクロ広告写真に載るジャケットだった。
ハワイみたいな波の音がする砂浜に1本のマイクスタンドがある絵。

どんな音が入っているんだろう。。。実験音楽だろうか?もしくは自然音か?。
そう想像するだけでシアワセになれることは、音楽にはよくあること。

結局、このLPの中身を聴く機会に恵まれたのは2000年以降。
ジャケット云々よりも、国内発売から33年数ヶ月の今日ランダムに出てきた「家の中でのクリケット」。
それはパソコンのフォルダに眠っていたものを、その海からたまたま引き揚げた形となる。
ランダムにmp3プレイヤーに放り込んだ中から現れて、誰のどの曲という情報も視ず、耳に良い時間をもらった。

■David Thomas & the Pedestrians 「The crickets in the flats」1982■
デヴィッド・トーマスは、ペル・ウブのヴォーカリスト。
このLPには、フェアポート・コンベンションのリチャード・トンプソンや、ヘンリー・カウ、ボニーM、アート・ベアーズ、ヤングマーブルジャアインツ、レッド・クレイヨラ等の人たちが参加している。
そんな背景はどうあれ、この曲をいろんな音楽の間にひそませると、なかなか面白い効果を産み出す。




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2015年11月6日 金曜日 渋谷さんの番組でニューオーダー新譜を聴いた

2015-11-07 00:52:01 | 音楽帳

今夜は、”不意に”という偶然を超えて、準備万端23:00に渋谷陽一さんのラジオ放送が始まるのを待っていた。
入院する親の見舞いを終え、帰ってぐつぐつおでんをゆでながら。

そのせいで、アイドルの学園祭レベルのラジオ芝居の断片や、「ふたりの部屋」に比べてずいぶんとヘタになった印象強いFMドラマなど、音を小さくしながらも聞こえてしまった。

渋谷さんが変わりなくラジオ番組を持っていることは知っていた。
それでも、熱心にそこに対峙することはなかった。
それは教授や幸宏氏がラジオに出演する場合もそうだった。
理由は明らかで、1つ1つの放送内容が、じぶんにとってあまりにも重過ぎた、という他ない。

***

正確に言うなら、渋谷さんはまだそうではないが、YMO3人についてはその周辺ミュージシャンも含め、雑誌・レコード・日々の動き・そしてラジオ・・・
そこで掛けた音楽、それらを全部聴いて全部脳内咀嚼”せねばならない”日々が80年代は続いており、全部咀嚼できるわけもなく、一日の時間ほとんどと持ち金をはたいても、次第にマラソンで言えば周回遅れになっていった。
絶え間なく時々刻々と進むリアルタイムと焦燥感、それに伴う窒息感。全体掌握が不可能なところまで、心身はそれでも掴み取ろうとするもの。

ひたすら伴走者として走らねばならない日々は、音楽がひたすら愉しくて聴いているというより、どんどん”お仕事的”意識に傾き、彼らそれぞれが新しいアルバムや動きに出るたびに、どっかりと山積みの仕事を渡されたようで、ため息をついたのだった。
そして、その疲労困憊からマラソン路の途中で泡を吹いて倒れて棄権、となった。

一回、みんなが走る路と場から離脱すると、容易に戻れない。
戻りたくない。入っていけない。
そういう感覚。

***

しかし、それも時間が経過して抵抗がない地点になった。もうこだわりはあまりない。
渋谷さんの放送は先週も聴いた。先週はプリンスの新譜だった。
聴いていくと、時というへだてや固まった意識は消えていく。(しばらくは、これを維持したい。)
まずもって、時間帯や番組名は違うけれど、「サウンドストリート」と変わらないじゃないか、と思えてしまう。

今日は、ついに出たニューオーダーの新譜から始まった。
先行シングルはインターFMで聴いていたが、それ以外の曲を聴くのは初めて。
感慨深いという印象はあまりない。21世紀に入ってからのニューオーダー新譜には、想い入れが無かったせいだろう。

***

じぶんが持ち歩く(主目的は野外録音用の)mp3プレイヤーは、(今までも書いたが)190曲くらいしか入らない。その中の7,8曲がニューオーダーである現在。

その「7,8曲」は大好きな曲か?ベストな選曲か?というとまったくそうではない。
いろんな曲を入れ替えるうちに適当に残った曲に過ぎない。

たしかに好きな「ユア・サイレント・フェイス」(『権力の美学』収録)は入っているが、それ以外はいい加減なものである。その中には、1枚目のアルバムの曲も数曲入っている。
聴いていた当時は、あまりの暗さと出来損ない感と虚しさに引きづり込まれる怖さから、3曲以外は一定距離を置いていた。

今はそういった感情は湧かない。
じゃあ、なぜ1枚目「ムーヴメント」の曲が入っているのか?
起承転結や形骸化した音・商業音楽に疲れ、嫌気が差したときのサーモスタット・頓服剤として入っている。
mp3プレイヤーには、ジョイ・ディヴィジョンでは「アトモスフィア」「トランスミッション」、それにトリビュート盤「A Means To An End」から数曲入っている。



■トータス 「アズ・ユー・セッド」(ジョイ・ディヴィジョン・カヴァー)■









■ケンドラ・スミス 「ハート&ソウル」(ジョイ・ディヴィジョン・カヴァー)■
コメント (2)
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2015年11月5日 木曜日 つくえの上の小宇宙

2015-11-05 23:58:31 | 音楽帳

家に戻ると、たいてい同じ位置の座布団にあぐらをかいてしまう。
そこが、ほぼゆかに近い位置に置いたパソコン前に当たる。

ホントはもっと広い空間があるのに、そこに座ってしまう。
確かにそれ以外の場所は、本・CD等々堆積物がじゃましている。
いいかげん少しはきれいにしたらどうだよ、とじぶんに向かって言いたくなる。

ほかの人はたぶん、その人にとって一番心地良い場所に座っているのだろう。
さらに言えば、じぶんの部屋に居るときくらいは・・・と自堕落になれるようにセッティングした位置に座っているんだろう。
いろいろなリモコン、それにテレビ、飲み物、やわらかいクッションに長いすなどが快適に配置された絵ずらを想像する。

***

今夜はゴミ整理もかねて、久しぶりに周囲の堆積物をよける。
大阪の独り暮らしから使っている長いテーブルに座った。つくえの上は雑多なものにあふれている。
しかし、いくら周囲に堆積物があろうと落ち着く。
これは中学のときに覚えた感覚と一致する。

当時は、手の届くところにコンポとジャックをつないだヘッドフォンがあり、それを耳にあててチューニングをし、つくえにA4大の雑誌を開いて、電灯を点けて・・・。

それだけで小宇宙が夜に花開く。
もはや、まわりがいくら汚くても気にならない世界。

***

文学家がつくえに座る写真が好きである。
今、手近にあるものといえば、三島さんの好きな写真。雑多な書類に囲まれた文筆場所。
そこでたばこをくゆらせる。三島が可愛がったネコがつくえのこっち側でそれを眺めているショット。

もう一つは、こないだ神保町で買った「堕落論」にも入った坂口安吾の有名な写真。
こちらは見ると苦しげな空気があるが、それは見る側だけの感想じゃないかと思う。



今夜は、やっとカセットテープのmp3化を”よっこいしょ”とやっていた。
USBメモリーを刺せるタイプのラジカセは、もう数か月前に買ったのに、やっと重い腰を上げた。30余年のあいだに、カセットテープがかなり劣化やカビが生えだしたのもあるし、もう時間が無いのもあり。

手始めに、先週から1本mp3化した。それはブライアン・イーノのインタビュー。
そして、今夜は1985年9月28日、土曜深夜3時の「FMトランスミッション/バリケード」。
トレイシー・ヤングに始まり、OMD、ブレイン・L・レニンガー、プロパガンダ、DAF、スクリティ・ポリティ等々。

60分テープのA面、B面それぞれを聴いていると、B面終わりに、FM東京のジングル、そして明け方4時の時報。
番組「夜明けのプレリュード」のイントロが流れてテープは終わった。

■Tracie Young 「Nothing Happens Here But You」2008■
この曲は1984年夏によく聴いたアルバム「恋のしぐさ」からの1曲。
それを2008年に演奏したもの。曲そのものもだが、この人の声が好きである。

昨日は午後兄と一緒に、何とか再び親を入院させる諸々の手続きをして終わった。
今回は、病名も治る道筋も見えているので、兄弟ともども2年前のような不安はない。
もうお袋さんは眠っているだろうか。
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