土日は、室内に引きこもっていた。
外からの視線もイヤで、スクリーンを降ろしたうす暗い部屋。
どうせ、外など行っても、不快なスカイツリー客・祭客を回避しながら自由に歩くのは、至難の技。
人/ゴミに拒否反応が強く出て来て、心身不調の中、ひたすら安静にする。
布団に横になり、ラジオや音楽に耳を傾けながら。
カラダじゅうのコリのひどさから、ヨガマットを巻いた「サンダーボルト」で背面や首をぐりぐり。
「サンダーボルト」?
***
頸椎ヘルニア、及び、首・肩・背中・腰の痛みひどい自分に、ハブ噛み師匠が勧めてくれたのは、自分も買ったという細長の丸い棒。
棒の上でごろごろ。
それが「効く」という。
先日、MZ師と3人でいつものように旅をする途中、その棒を買いに行った。
本モノの棒は、非常に硬くて、ハブ噛み師匠いわく「これは硬すぎて、逆に痛いよ」。
近くでは、似て非なるヨガマットが、丸めて売っていた。
それを手でモミモミ。
「そうそう、この程度のクッション性があった方が良い」(ハブ噛み師匠)。
その勧めで、アメ横でヨガマットを買って帰った。
3人でしゃべるうちに、その棒を「サンダーボルト」と命名。
いつの間にか屈折された名前が付いてしまった。
それが一番、呼び名として似合っていたのだ。
***
横になった土日、サンダーボルトで、カラダじゅうをぐりぐりする。
伊集院光さんの過去の「ジャンク」をパソコンで聴く。
ほこりだらけのラジオを点けて聴く。
画面を見続ける気力が無い自分は、肝臓を壊した数年前から目をつぶって、耳だけを使うことが多い。
他人から見れば、ヒゲ&ハゲ姿で、汚れたむさくるしい中年独身男の部屋。
そいらじゅうに適当に散らばり・積み上がった、本や雑誌・CD・LP&EPレコードなど。
買ったは良いものの、買っただけで満足して、ろくに読んだり・聴いたりしていない本や音楽を見聞きする。
たまに缶ビールを飲み・タバコを吹かす。
お好み焼きを焼いたり、焼き魚を焼いたりする。
しかし、何かを飲食した後に横になっていると、必ずと言ってイイ程、その後に眠ってしまう。
起きると数時間が経過。
そうやって、先週の土日も、今週の土日も過ぎていった。
***
昨夜、0時過ぎに、過去の録音したTBSラジオ「DIG」で、藤木さんのビニ本文化の話を聞いて寝る。
7時半、鉛のカラダに負けそうになりながら「ガアァァアーッ!」と叫び、一気にゾンビのように、カラダを90度起こす。
絶不調。
たくさん寝た時間も、土日の休息も効き目なし。
それとは関係なく、気まぐれなカラダ側のにぶい反応。
気分はふさぐし、カラダはだるい。
お茶を飲もうと、外を見るとやけに薄暗い。
雨でも降りそうだ。
「おやおや、天気予報と違って、一雨来るんだろうか?」
そう思いつつ、ゾンビはふらふら、この世の終わりの如き・夕方みたいに暗転する中、駅前へと吸い込まれていく。
振り向いた空を見て「ああ、そうだ。何だか日食とか言っていたな。」と合点が行く。
電車の端っこの奥をキープ。
外を流れるがままの風景の中、よだれでも垂らしそうな生気を失ったまま、カベによっかかる。
どんよりした頭。
半眠半覚の境地で数十分を過ごす。
***
今日・明日は、キケンなニュース番組に要注意。
「彼ら」のネタは、今日は日食どんちゃん騒ぎ、明日は<人工そらまち>でどんちゃん。
(今週も、ラクで良かったね)
テレビはともかく・・・・。
ラジオも、それに触れないわけにもいかないのだろうから、今夜も撮り溜めたmp3を聴くかね・・・・。
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どんちゃん騒ぐ者をよそ目に、こちらは今週もブルーな月曜日。
・・・ということで、ニューオーダーの「ブルー・マンデイ」・・・・
といきたいところだが、あの曲を掛ける気にはならない。
好きではないのだ。
当時の評論家がよく使用した「ブルー・マンデー」への言い回しは「ジョイ・ディヴィジョンの幻影を振り払った作品」。
ある面ではそうかもしれない。
ヒットもした。
じゃあ、自分の感想は?音楽としての中身は?
と言えば、どっちつかずの曲で、30年近くたっても、しっくりこない。
「ブルー・マンデー」とは、前身であったジョイ・ディヴィジョンのヴォーカル、イアン・カーチスが首吊り自殺した日が月曜日であったことに由来する。
自分は、ヒットと評論家の言葉につい、実はこの「ブルー・マンデー」の12インチ・シングルを買った。
しかし、何度聴いても、自分の中のしっくりこない感じから、中古レコード屋さんに売ってしまった。
ジョイ・ディヴィジョンのアルバム「クローサー」同様、「ブルー・マンデー」も、音楽周囲にフィルターやノイズがあった。
取り巻く事象に嫌気が差して、音楽そのものを聴けなかった。
正直、「ブルー・マンデー」は未だに好きではない。
そもそも「死人に口なし」という言葉通り、イアン・カーチスが自殺した要因は、彼にしかわからない。
さまざまな勝手な説が出てきたが、どれも、朝日新聞や三文週刊誌のようなウソ臭さがぷんぷん匂った。
イアン・カーチスの自殺を、伝説化させようという働きかけへの抵抗もあったし、「ブルー・マンデー」を取り上げる際の語り口も、そんなシナリオの流れに沿っていたことへの反感が強かった。
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むしろ、自分が好きなのは、ジョイ・ディヴィジョンなき後、「ニューオーダー(新しい秩序)」と命名して、再スタートを切りながら、どうやって新しい音楽スタイルを作るか?
少し長く聴き続けていると、当時その世界に拒絶反応が起きそうにもなったが、
さまざまな実験を試みながら、歩み出したあたりのものが、今でも好きである。
ファースト・アルバム「ムーヴメント」、シングルの「エブリシング・ゴーン・グリーン」「テンプテーション(7インチの方がベストテイク)」そのB面「ハート(Hurt)」など。
ニューオーダーというユニットは、「ただ人が群れればバンド」「はい、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム・・・ね」という風にして、音を作っていくのを、全て捨て去った所からスタートしている。
まるで建造物を作るかのごとく、どう材料を配置し、構成主義的に組み合わせるか、という観点。
その実験が次第に、確実にニューオーダーの独自性として、実を結んでいく。
かつて、クロスオーヴァーイレヴンでも掛かった「ハート(Hurt)」。
ペインなどに近い、キズや痛みといったニュアンスの言葉。
ヴォコーダー、ピアニカ、シンコペイトするパターン、調子外れでくぐもったバーナード・サムナーのヴォイス、低音質・・・。
実に、なまなましい初期のニューオーダーらしい。
今夜は、高校生の夜によくかけた、この曲を聴く。
■New Order 「Hurt」'81■