こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年3月31日 日曜日 「・・・とある日の、静かに背中を丸めた、ボクの街」

2013-03-31 22:00:31 | 写真日和

今日も、隘路(あいろ)を行き止まりにぶつかりながら、ちいさな息づかいに耳を澄まして歩く。
実は、「あれ」から2回、バッグに食べ物を詰め込み、ミミちゃんとおばさんに会いに行った。
細い路地で会うことは叶わなかったが、今日は手がかじかむほどの寒さ。
ネコたちも、さぶいさぶい・・・とどこか良い場所に移動したらしく、出会わなかった。
ミミちゃんとおばさんは、暖かい部屋で過ごしているだろうことを想いながら、路地にシャッターを押して、通り過ぎた。

■ムーンライダーズ 「さよならは夜明けの夢に」1977■

















































ミミちゃんには、また暖かい日が来たら、会いに行く。
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2013年3月31日 日曜日 デヴィッド・ボウイ&ブライアン・イーノ「苔の庭」'78

2013-03-31 12:25:14 | 音楽帳

金曜日の深夜帰宅後、なんやかんやで眠りに落ちたのは4時。
土曜日、いったん9時に起きて、ゴミ出し等々をして、グーグー鳴るお腹からパスタを茹でて、お米を研いで、食事をしたのがお昼。
そこから春眠暁を覚えず、横になったまま仮死状態で日を超えてしまう。
約20時間の仮死から起きると、日曜日の朝10時。
横になり過ぎで背中・腰に激痛。花粉症とは無縁だが、鼻が溜まっている感じとくしゃみとノドの痛み。
ノドの痛みは、3日タコ部屋にこもっている間、タバコを吸い過ぎたせい。

お湯を沸かして、まずは落ち着け・深緑のお茶を飲み・タバコを吸っていっぷくいっぷく。
ガラガラと洗濯機を回し出し、外を見ると曇天。道が濡れている。じゃっかん肌寒い。
ネットを開いて天気予報に行くと、今日はぐずついた天気が続くようである。そういえば、昨年の今日は、仕事場に居た。暴風雨吹き荒れる日だったな。。。

何をしようか?いろいろ迷ったが、この世に嫌気が差したら、ブライアン・イーノの最高傑作「アナザー・グリーン・ワールド」にたどり着いた。そして、ココロを開放し・旅に出させる。
すると、MZ師より電話アリ。奥さんが用事で不在とのこと。今夜から夜勤で明日朝まで(に終わるか不明だが)という。

すばらしい「アナザー・グリーン・ワールド」の世界に心洗われる。
引き続き、久しぶりボウイの「ヒーローズ」を聴く。
ドラッグ漬けでボロボロになったボウイが、そこからの脱出を掛けて・イーノに身をゆだね、2人でベルリンへ向かって出来た作品。この後、ボウイ&イーノの共同生活の中から産まれた三部作。ここで、ボウイはイーノの施術に拠って再生する。

当時、東西分断されたドイツの境目にあった、緊張感が漂うバイ・ザ・ウォール・スタジオ。
ウルトラヴォックス「エデンの嵐」・一風堂「リアル」・加藤和彦「ベル・エキセントリック」等々の名盤を創り出した、バイ・ザ・ウォール・スタジオ。

【ジャケットは、写真家・鋤田正義さんが撮影した印象的なショット】

「ヒーローズ」のA面は、エッジするどいナイフのような硬質な楽曲。
それに反してB面は、ボウイ&イーノの実験的インストゥルメンタル。このAB面対照的な創り方は、後作「ロウ」にも引き継がれる。
重い歴史を背負った深きヨーロッパに入り込んで感じた、ボウイとイーノが表現した世界。
「ヒーローズ」B面の中でも特に愛する「苔の庭」。イーノの描いたアトモスフィアの中で、琴を弾くボウイ。
ここには、遠き日本・アジアへの幻想が含まれている。このアジア幻想は、後のニューウェイヴに大きな影響を与える。逆利用したYMOしかり、JAPANの「ブリキの太鼓」しかり。
■David Bowie & Brian Eno 「苔の庭 (Moss Garden)」1978■



ここには、遠き夢の国・色彩に溢れる美しい日本(ジパング)を夢見たゴッホの想いが、ついよぎる。

ゴッホ 「タンギーじいさん」

***

明日から4月を迎え、じゃまな新人がうろちょろして、東京にはヒトがあふれ、青臭い空気に包まれる。
しかし、そんなものは相手にしていられないボクら。新しくガラガラポンされた組織の予算分解やら、雑務に追われ、黄金週間前までに終えねばならない任務。それが例年の4月。人間界の4月はロクでも無い月。
その合間で、ヒト呼吸しよう。
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2013年3月30日 土曜日 「右岸から左岸へ」

2013-03-30 02:58:37 | 写真日和
毎年毎年、結局のところ。。。泣く泣くギリギリのラインで、この年度末を迎える。
何も起きなかった、安堵の3月末など久しくない。
今日も、深夜まで、なんとかデータを仕上げて、サーバーに送り込まねばならず、タイムリミットが無い中、2人で黙々とここ三日カンズメになって、爆弾パスを受け取り・引き継がれる業務を。。。
途中から開き直り、なんとか午前0時少し前に、データーを放り込む。ここで形だけ、2012年度が終了した。

2人で、夜の街頭に照らされた桜を血管浮き出しのまなこで見やり、駅へと向かう。
さすれば、想定内通り、バッチイ酔っぱらいの渦と化した駅構内。駅が酒の匂いで充満している。想定通り、来た電車に乗れば、ギューギュー詰め。辟易となる。
・・・というのに、ゲームに熱中して、じぶんにもたれかかり続けるバカ30代男。
さすがにブチ切れて、ひざ蹴りを食らわす。「何するんですかあ!」とバカ。
「お前が、常識が無いからじゃあ!このバカタレが。」間に入る、オトナのヒト。
「みんな気が立っているんですから、納めて納めて。。。」
それでも、不服そうなバカ。その姿に再度ブチ切れて「警察でも行こか?」と言うが、オトナのヒトが止めてくれる。こういう場面は、ついつい多々あるのだが。。。

もはや、泥酔者どもの醜態による電車遅延もあり、向島までの電車は無い。
仕方なく、1秒でも早く・大嫌いな「ニンゲン」から離れたいのもあり、同僚と別れて、バカの足に再度食らわし・南千住で降りて、歩くことにする。

人の居ない道を歩くのは、疲弊した状況でも楽しいものである。出会った誰も居ない瞬間をカメラに納めながら。
コートを着ているから、寒いことは無いが、少し温度の低い風が吹いている。その風に揺らぐ、愛する桜や花々たち。
はらはらと散る桜を見て、花を見て、夜の静けさに眠る街・眠る「そこにあるべきモノたち」を眺めながら、シャッターを切りつつ帰る。
隅田川を渡ると、遠くから川を渡ってくる風がひゅーと吹いていた。水は滔々と川をコールタールのように流れる。
駅を降りて、風を感じてから、ずっとキング・クリムソンの「風に語りて」が脳の中を、エンドレスで流れ続けていた。なんとか岸を渡り、長い長い1年が終わった。
■King Crimson 「風に語りて(I Talk to the Wind)」■


1時半ころ帰宅し、缶ビールを開ける。
































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2013年3月27日 水曜日 AJICO 「波動」'01

2013-03-27 23:59:48 | 写真日和

昨夜、7年一緒に仕事をして、毎日毎日おもちをぺったんぺったんし合った仲間が去るので、彼へのお礼を言うために、外で一杯。
しかし、呑むと0か100で言うと、100になってしまうじぶんは、終電までとことん呑んでしまった。呑むと食は一切しないじぶん。
ベロベロで深夜1時に帰る。
お茶を1リットルくらい飲み、じぶんの時間が枯渇すると死んでしまう性格は、結果2:30頃「高橋幸宏のオールナイトニッポン」のテープ起こしでデジタル変換したmp3を、やっと聴いて寝るに至る。マヒした心身。

***

朝、6:50起きる。鏡を見ると、顔が真っ赤っか。目も血管が血走っている。案の定、カラダはだるく、ウツ状態。
そんな中、ヒゲ剃り・歯磨きをしていると、お袋さんから電話。
「今度は、右手を骨折しちゃったよ。今年に入ってロクなことないよ。」
朝からいきなり。。。やっと左手のギブスが取れたというのに。骨密度の検査をさせねば。

暗澹たる気持ちで仕事場でもみくちゃにされて戻る。
歳を取ると得るものが多い一方、失うものも多い。
「想えば遠くに来たもんだ」そんな白痴状態。

年度残り4日。4日では果たせない課題の山。
春は、人間界では残酷な季節。
相反するように、自然が輝いている。
■AJICO 「波動」2001■




























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2013年3月25日 月曜日 「リニューアル」

2013-03-25 21:57:55 | 雑記帳

大勢でのお酒の場には行けない中、遠くに行く仲間へのお礼のモノを選びに、秋葉原のヨドバシカメラで買い物をして帰った。
小雨が降り、ガスっているのもあり、写真を撮り歩く気分にもなれずに、用が済むとすぐに電車に乗った。

4月1日が年度の境目であるのは知りながらも、解せないことが多い。
それは、例えば好きなラジオ番組が終わっていくことだったり、街が変化したり、組織を改変させることだったり。。。
じぶんがよく思うのは、数年・あるいは・1年で「リニューアル」することに、どれだけ意味があるのか?という疑問である。

【最近、毎朝、したくをしながら数十分聴いている吉田照美さんの番組】

ラジオ番組で言えば、多くのファンが居て、安定した良さを聴く人が思っている中、一方ではスポンサーや経営者の意思に拠って打ち切られる。
結論を最初に言ってしまえば、そういうことだろう。
ラジオ番組の、何が良くて・何が悪かったのか?そんなことはどうやら一切関係がないようである。
小学生の頃から聴いているTBSラジオだが、かつて昼の「ストリーム」を営業車を転がしながら楽しみにしていたが、いきなり打ち切りになった時にそう思った。
ウラで何が動いたかは不明だが、番組改変は、聴く者とは無縁であるようだ。

また、街の変化や組織の改変も似たようなものだが、何かそこには強迫観念めいた、「いじらないと風化する」という思想。
普通の感覚とすれば、軌道に乗っているものは、それをそのままにすべきだが、いじくればリニューアル=活性化・UPするという思い込み。
まあ、東京という街が、そんな勘違いをしながら、記憶喪失都市であるのは、長いこと・嫌というほど見てきたが。。。

この分水嶺は、80年代という時代に始まっていて「それに組(くみ)したお前が言うな」というのも分かる。
しかし、それとこれとは違う、という感覚がしている。
80年代初期には、旧態依然としながら・守りに徹した・中身の腐ったモノへ向けて。。。
抵抗と破壊工作でありながらも、それが本当に新しい創造性として昇華されていたと、じぶんは思っている。

■Eurythmics 「シティの夜(This City Never Sleeps)」1983■


聞こえてくるのは地下鉄の音
まるで遠雷のよう
とてもたくさんの人が、この家に暮らしている
なのに、わたしはその名前さえ知らない

フィーリングだけなのね
都会ってところは

カベはあまりに薄く、呼吸さえ聞こえてきそう
耳を傾ければ、じぶんの心臓の鼓動を感じる

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2013年3月24日 日曜日 Bryan Ferry 「This Island Earth(この地球という島)」'78

2013-03-24 19:38:29 | 雑記帳

平日のお昼は、お弁当を買って食べる。
肉食は出来うるだけしないとしたじぶんだが、お弁当は大抵様々なおそうざいが入っているので、いくら選んでも、唐揚げの一個などが入るのは避けようがない。
あるいは、カップ麺を食べようとしたって、そこには動物のエキスが入っていたりする。
または、何かの会食に招かれた際には、もうすでにテーブルにはそんな食材が乗っていたりする。
既に殺されて食材と化してしまった段階では、実は手遅れで、いくらじぶん一人があらがっても、都会の欲望を満たす目的を中心として回る社会システムを止められない限り、じぶんのあらがいは単なる絶望的な妄想に過ぎない。それは重々承知している。
じゃあ、といってシーシェパード等のような団体に属すのか?という選択肢も選んでない。
「すべてのものは、同時代的であらざるを得ない」(坂本龍一)としても、じぶんはじぶんとして、出来うる限り、社会に属しながらも・社会の外の目線を忘れずに半隠遁しつつ行くしかない。(教授がマクロビオティック主義であったのを知った際には、意外であったが、今ではそこに至った道を理解する)
仙人と化して・どこかの地に移動するたくらみや、行方不明になることを、まだ三十代までの元気な頃にはよく出来たものだが。
本来は、そういった同志との繋がりを行動に変換せねば、単なる独りの中の勝手な思い上がりで、結局なにもしないのと同じ・・・というのも理解する。
今、じぶんに出来るのは、街を歩きながら、隙間にまだ残る、生き物たちが休息できる場所で出会った、おなかを減らしたり弱ったネコたちにエサを与えるくらいのことである。

テレビがもたらす「洗脳」効果、あるいは、もっと言えばマスメディアがもたらす「洗脳」効果は、相変わらず日本ではバツグンであるようだ。恣意的誘導を伴うウソとシナリオが付いて回るものに、見事に「乗っかる」。
だが、一方では、地道に真実なり、あるいは真実では無くとも、そこにたどり着こうとするメディアもたくさんある。ネットだけでは無くラジオだったり、本だったり。

そんな中、平日のお昼だけは、同僚と地上波テレビを見る。
なぜかいつも着いているチャンネルは「ひるおび」。今の恵俊彰に興味がある訳では無い。
理由は簡単。枡田絵理奈ちゃんと江藤愛ちゃんが可愛く癒されるだけのこと。
特に、枡田絵理奈ちゃんの「言っていることが難しくて、さっぱりわらないわ」という黙っている困った表情にグッとくる、という人が多い。

「ひるおび」を見ていると、おおよそ、マスメディアが「その日暮らし」を続けるため渇望するネタに飛び付いて、むしゃぶり喰っているさまがよく分かる。
最近では、柔道が暴力だのなんだのかんだの・・・。対象を標的に叩きに叩きながら「暴力で強くなるなんてことはない」などと出る者全員が、懲悪に徹するウソの様は、マインドコントロール的な不可思議な映像に写る。それが、あるときは体罰に関しての盛り上がりだったり。
麹町中学・巣鴨高校と、そんな暴力は日常茶飯事見てきた、同世代の人々も不思議がっていることだろう。
たんなるこれは一例で、マスメディアの捏造にはいとまがない。
「じゃあ、見なければよい」と言われるのは正論。だが、つい色に弱いもので、中身にああだのこうだの、同僚としゃべりながら、枡田絵理奈ちゃんと江藤愛ちゃん見たさに見てしまう。



昨夜、友人のMくんと話していると、この手合いの話も多く出た。

Mくん「ほんとうはやめたいけど、ついパチンコをしてしまう。今まで損した分を取り返そうとして。」
かたちんば「じぶんもやったことあるから、その気持ちは分かるケド、どこかで損切りするしかない。永遠にはまっても、取り戻せないように思えて。」
Mくん「そのパチンコでたまたまAKBの台があって、興味が無かったのだけど、はまってしまって、そこからCD買うまでになった。」
かたちんば「実はじぶんもわからないつもりは無いけど、馬鹿にして避けている。はまるであろう気配から、それが見えないフリをしている。
昔、神戸のMくんのマンションに遊びに行ったとき、ゲームがあって、Mくんが寝る中、朝までそのゲームをやってしまった。そのとき『これはヤバイ』と思って、ゲームは見えないフリして過ごしてきた。」
Mくん「そんなことあったっけ?」
かたちんば「お互いコリ症なのは似ていると思うよ。歯止めが利かない。じぶんはそれがわかったから、そういうモノには近づかない。ブレーキを掛けている。」

かつて、素浪人の頃、おニャン子クラブにはまってしまって、恋をしていたじぶん。AKBにはまる男子の気持ちは分かりつつも、風俗と同じで・流通商品として利用され、お互いの競争心理を煽りながらも、使い捨てされながら、その構図を俯瞰的に見た元締めに利益を収奪される構造。
それは、かつて行った中国に行った先に見聞した光景ともダブるし、それは今の日本の光景ともダブる。
■Bryan Ferry 「This Island Earth」1978■










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2013年3月23日 土曜日 「春の夢」

2013-03-23 10:03:14 | 想い出かたちんば
昨日、午後は月一回の定期検診。一挙に、そして同時期に、溢れ出るようにあちこちの桜が満開になった。
快晴と桜に誘われて歩いて御茶ノ水まで行った。通過する日本橋、大手町、駿河台・・・そして御茶ノ水へ。どこもかしこもカメラや携帯を持ち、桜に焦点を合わせる人々。
じぶんは、東京アッジェ(By荒木経惟さん)の如く、早足でそれらを通り過ぎながら、シャッターを切り続けた。

検診を終えて外に出ると、陽は長くなったもので、まだ夕暮れ。
空に地震雲的な光景。



そこから、淡路町、神田を通り越し、猥雑な空気をはらんだエリア、湯島~上野にと突入していく。コンビニの横にあるラヴホテルから出てくるカップル、入って消えていくカップルにもシャッターを切りながら。
上野公園にたどり着けば、蛆虫が湧いたような人の渦。

金曜、送別会、桜満開、再開発されゆく上野の4つが相乗効果を生み、ぐじゃぐじゃのカオスの街。
しばし、その外側でシャッターを切り続けたが、人ごみに疲れて、逃げるように帰った。
東向島を降りれば、静かなテリトリー。

幸福は、身近な近所と路地に潜んでいる。花なんか見ていない平成民の花見に、未だ疑問符???しか付かないじぶんは、近所に咲く桜を眺めて帰る。
なぜわざわざ桜を「花見」するのに、上野や浅草などに集合せねばならないのか?じぶんは、きたない人間の醜態を見たくはないので、人の居ない近所の公園の桜で十分ハッピーになれる。幸福は、身近な所に宿る。踊らされるのは、もうゴメンだ。

***

検診では、頚椎ヘルニアに関しても問われたが、時折強く襲って来る痛みは一生背負わないといけないものとは覚悟している。
いくら検査をしたところで、西洋医学では鎮痛剤かブロック注射しか手は無い。ブロック注射は既に試して効果がじぶんには無いと分かったのでやらない。鎮痛剤でごまかしながら、金曜で痛みが強いので、昨夜も今朝も自己流ストレッチを続ける。

***

昨夜は早々に午前0時前に消灯した。睡眠薬を服用し、ホワイトハウスのアルバム「グレイト・ホワイト・デス」を掛けながら。
ホワイトハウスというと、即ノイズミュージックにカテゴライズされるが、このアルバムは音量を最小にして掛けると、じぶんにはアンビエントミュージックになる。
■Whitehouse 「I'm Coming Up Your Ass」1985(From「Great White Death」)■

7:40朝日とすずめさんのちゅんちゅんのお話し声の中、起きて大きな伸びをする。たっぷり寝た感触は珍しい。

夢を見た。
夢に好まない仕事場の者が現れて、じぶんが追い詰められる。そういったことは多いのだが。
そんな場面もありながらも、1994年末・大阪で婚約寸前で破綻した葉子が出てきた。
街で、電車で、やたらとすれ違うのだが、横にいる女性の友人と話す言葉の粗さに、あの頃の牧歌的で愛らしかった葉子はもう居ないのだな、と思いながら。
あれから19年目の春を迎えている。

あの極寒の年末年始を経て起きた阪神淡路大震災。そのときに真っ先に電話をくれたのは葉子ではなくて、その前に別れた女だった。

昨夜携帯が鳴った。知らない番号と知らない声・・・と迷ったが取って話して分かるに時間を要した。10年ぶりくらいに、今は名古屋に居る大学時代の友人からだった。
芦屋の産まれ育ちの彼には、大阪時代には家探しから最後までずいぶんお世話になった。
阪神淡路大震災後、ボロボロの街の中を歩いて、彼の住む所に行ったり、彼をじぶんのマンションに泊めたりした。それからも時間が経過した。
明日、お墓参りがあって東京に来るので、夜に会わないか?という電話だった。今夜会う約束をした。
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2013年3月21日 木曜日 「あれから32年目の夜」

2013-03-21 23:56:24 | 雑記帳

辿る帰路。仕事が遅くなり、ふだんなら空いているお店が閉まっているから、とあまり入らないお店でビール6缶セットを買う。
夜道を、よたよた・いつものごとく歩いていたら、狭い道をクルマが来る。
脇にそれたとき、手に掛けた・重い・缶ビール入り袋をくいっと角度を変えた。
すると、ビニール袋が破け、道に缶ビールが産卵。ではなくて散乱。
「ああっ」と拾うが、あちらこちらで「プシュー」と穴から吹き出す音が。。。

・ついていない日だね。
・まあ、たまにはそんなこともあるよ。
・重量を勘案しないで、袋を選択するようなバイト程度の店だからだよ。

いろんな言い方が脳側からの自動生成でよぎるのだが、一番・瞬間に・強烈に浮かんだこと。

「要は、じぶんは産まれてこのかた不愉快を抱えて生きてきたのだ。」というカルマ。さすが根っからのペシミスト。
ああだのこうだの、言い換えをしながら、誤魔化して、「ああ、楽しいね」「ああ、キレイだね」そんな自己暗示を掛けて来たのだが、一番根幹にあるのは、既に三歳程度には、既に用意されていた、「この世は、なんでこんなに不愉快なんだろうか?いつまで、この不愉快に苦しめられ、周囲の不愉快な世界の中に居るのだろうか?そもそも何で、このような容器の中に居なければならないのか?」という自覚していた事実。

そんなことを言いながらも、自死未遂を経て、なんとかコトバをすり替え・すり替え、46歳まで来たのは、ある意味奇跡的なこと。
ヒトを殺して、塀の向こうに居ても、何の違和感も無い。

たかだか、缶ビール6缶セットを落としたくらいで、こう揺らぐのが、事実・今のじぶんの有様である。
往路・復路、とひさしぶりに中島らもさんの文庫本「恋は底ぢから」をめくり、間瀬きわみさんの・たぶん生涯好きであろうイラストに、ささやかな「見る」安堵をしていたさなかのこと。

しかし、思いもしない死を迎えたり・ミミちゃんのことを想えば「ふざけんな!」とは脳では理解しながらも、上っ面で・そこに肉体が伴わない夜。脳が疲れているのは、いつものことなのに。

***

道の途中で転がっていた袋に、缶ビールを置き換えて、急ぎ足で家に向かう。
助かった2本のうちの1本をコップに入れて飲むが、旨いとは言えない。のこり4本はとりあえず冷凍庫に入れた。

本当は、「そうだ。今日は、YMOの『BGM』のLPレコードの発売日だった。」と、思考を巡らせていたのだが、その気も失せた。

そんな1000円もしないビール「モドキ」の事故程度に、しょげるじぶんは、一生「太陽のように明るく・たくましく・強い」お袋さんにはなれない。
もとより、父・母どちらにも似ていない隔世遺伝のじぶんだが、運悪く・山陰は出雲の寺の息子として産まれた、暗く性格の悪い父のDNAをおおいに引いてしまっている。

陰と陽が、凸と凹のようにはいかぬまま、日々夫婦喧嘩三昧を切り抜けてきた、兄とじぶん。
決して豊かではないが、まずしくも無かった。
しかし、父は、異常神経症で、いっとき休職して自律神経失調症で居た。
それは、じぶんが産まれる前のことだが、それはその後の我が家庭に大きな影を作っていた。
あの天真爛漫なお袋さんが居なければ、家族は殺し合って終わっていたのだろう。

話せばとめどもなく落ちていくので、このへんでやめる。ブレーキだ。

本来は、YMOの「BGM」からの曲を掛けようと思ったが、事の次第でやめる。
その代わりといっては何だが、昨日見ていた・好きなDVD「おちゃらけソーセージ」に収録されている、実力あるインパルスのYOUTUBEを見て、午前0時を迎えたい。

DVD「おちゃらけソーセージ」も、中を見ると2003年。もう10年も経ってしまった。
地上波テレビをほとんど見なくなって数年が経つが、「お笑い」というカテゴリー(=単なる看板)とはなんだろうか?

それは昔も今もだろうが「お笑い」と呼びながら、ほとんどがココロの底から笑えるものが如何に少ないか。
少ないのに、笑っているフリをしているのが、如何に多いことか。

堤下さんの素直な性格と、説教臭くなってしまった太田光をも超える・板倉さんの狂気をコントに仕立てる能力の組合せのインパルス。
じぶんにとっては、ほんとうに笑える少ない・貴重な存在である。
■インパルス 「万引きGメン」2003■
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2013年3月20日 水曜日 「春ぼらけ」

2013-03-20 23:11:28 | 写真日和
春は、ニンゲン除く生き物たちに幸福たる季節。
しかし、今日のように曇天も手伝った春は特に、写真全体がぼんやりとする。

かつて、荒木経惟さんから教わったものだが、空気の冷度・光が、秋・冬には写真に大きな輪郭を与える。
荒木さん曰く「キーン、カーンとするんだよ。」
そして産まれた作品「東京は秋」。
また、妻の死へと向かう中歩いた街を写した「冬へ」。

今日は、そんな言葉を思い出しつつ、「春ぼらけ」の漂う道を歩いた。










































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2013年3月19日 火曜日 ジェームス・テイラー&J.D.サウザー 「憶い出の町」'81

2013-03-19 23:43:02 | 想い出かたちんば

明日は、とりあえずオヤスミ。
茨城に行った帰り道、長きお付き合いの方からお誘いを受け「まあ、いいか」と珍しく、お外で一杯。

昨夜は、大嵐が吹くという中、緑もネコたちも無事だっただろうか。
墨田区は、さほどのこともなく朝を迎えた。
ミミちゃんとおばさんは、今頃一緒にささやかな幸福の刻を過ごしているだろうか。

***

中学生になってから、FM東京・土曜昼は「ポップス・ベスト10」の洋楽ヒットチャートを、ノートに付けながら聴いていた。
秋から春にかけての移ろいの中で、今でも時々聴きたくなるシングル「憶い出の町」が聴きたくなった。
1981年3月14日のビルボードのチャートで、38位に登場した曲。

■James Taylor & JD Souther 「Her Town Too」1981■
中学生の頃、テクノ・YMOがある中、一方では、遅ればせながらイーグルスやウエストコースト・サウンドに酔っていた。
「ユア・オンリー・ロンリー」で出会ったJ.D.サウザーとジェームス・テーラーの、風を感じさせる優しいデュエット曲。

17日(日曜日)の旅の断片より






























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