こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Style Council 「My Favorite Shop」'85年6月

2009-06-27 06:29:32 | 音楽帳
イギリスのパンク革命に関わったバンドとして、語り継がれるのは、セックス・ピストルズ、ダムド、クラッシュ、そして、ポール・ウェラー率いるジャムということになろうが、その「パンク」の道を歩き続けることに疑問を感じながらやっていたポール・ウェラーは、1982年の「ザ・ギフト」を最後にして、ジャムを解散する。

そして、新たな気持ちで「スタイル・カウンシル」を設立する。
それは、様々なスタイルを用いながらも、それを全て受け入れる受け皿を「スタイル・カウンシル」という名前でくくってしまうという試みだった。

***

新しい音楽をやりたいというポール・ウェラーの意志は強かった。

そして、1983年後半、ミック・タルボットと2人で始めたスタイル・カウンシルは、順調に新しい音楽を創り出していった。
「今、音楽を創るということが楽しくてしょうがないんだ」と語ったポール・ウェラー。
それは、彼の本音だった。

しかし、それは次第に、「オシャレねえ~」でくくられる音楽に、誤解を生んでいく。
元セックス・ピストルズのジョン・ライドンやら、誰やらから、大いなる批判を受けることになる。

「そうじゃないんだよ」と彼がいくら大声で叫んでも、表層的に動くPOPSの世界では、そういうくくりの中に収束されていく。

その後、「コンフェッション・オブ・ア・ポップ・グループ(=ポップバンドの告白)」というタイトルのアルバムまで創るが、彼の意図がどこまで、聞き手に伝わっていたは疑問であった。

***

1985年6月10日に「マイ・フェイバリット・ショップ」は日本発売された。



後の1989年に現実化するベルリンの壁を歌った「ウォールズ・カム・タンブリング・ダウン」で「カベは絶対にぶっ壊せるのさ」と、かつてのポール・ウェラーのように青筋を立てて歌う曲も、狼少年を歌った名曲「ボーイ・フー・クライド・ウルフ」も、そして「ロジャース」も、余りに滑らか過ぎて、政治色の濃厚な歌詞でさえも、結局は「スタイル・カウンシル」という器の中で、日本では「オシャレねえ~」でくくられてしまう危険性を孕んでいた。

1. ホームブレイカー
2. オール・ゴーン・アウェイ
3. カム・トゥ・ミルトン・キーンズ
4. インターナショナリスツ
5. ストーンズ・スロー・アウェイ
6. スタンド・アップ・コミックス・インストラクションズ
7. ボーイ・フー・クライド・ウルフ
8. マン・オブ・グレイト・プロミス
9. ダウン・イン・ザ・セーヌ
10. ロジャース
11. ラック
12. エヴリシング・トゥ・ルーズ
13. アワ・フェイヴァリット・ショップ
14. タンブリング・ダウン

***

個人的には、スタイル・カウンシルは、初期の「ヘッドスタート・フォー・ハピネス」「ロング・ホット・サマー」「スピーク・ライク・ア・チャイルド」、それに「ユア・ザ・ベスト・シング」「ソリッド・ボンド・イン・ユア・ハート」など大好きな名曲も多く、それらの楽曲は、実に素晴らしいのだ。

しかし、である。
ポール・ウェラーの意図とは外れて、当時、違う意味での「オシャレねぇ~」でくくられた評価がなされていたことは、非常に彼にとって不幸な事であった気がしてならない。

今、新たに聴く若い人には、そんな風には聴こえないのかもしれないが、そういうムードが当時、彼らを覆っていた気がしてならない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Bryan Ferry 「Windswept」'85年6月

2009-06-27 05:31:39 | 音楽帳


ロキシー・ミュージックは「アヴァロン」という、これ以上の世界は無いという頂点で、解散した。

そして、その後・・・・・
ということで、ブライアン・フェリー個人名義のソロ・アルバム「BOYS&GIRLS」が、1985年6月25日に発売された。
しかし、基本的な音のベースは「アヴァロン」を継承しつつも、そつなくまとまったPOPSアルバムという感じで、まあ、「アヴァロン」のような「奇跡」的な事が2度起こるわけもないだろう・・・とは思ってはいたが、一方では期待しつつも・・・という複雑な心境の中出たアルバムであったので、正直、当時は、「可も無く・不可も無く」といったあいまいな感じがぬぐえなかった。

***



このアルバムからは、「SLAVE TO LOVE」「DON’T STOP DANCE」といったヒットが生まれたが、当時の自分には、納得の行くものではなかった。
数十年たって、今聴くと、それはそれで、やはり、そのへん一介に渦巻く「ゴミ音楽」とは比較にならないほど、洗練された、かっこ良いPOPSではあるのだが。

「アヴァロン」の世界を堪能してしまった人々にとっては、残念感というのは、ぬぐえないものだっただろう。

そんな中、自分が、1曲選ぶとしたら、「WINDSWEPT」かなと。
浮遊感に包まれたサウンドの中、後ろ髪引かれるやるせない感じ、ラテンっぽいギターが心引かれる曲。

***

この後、ブライアン・フェリーは、何枚もソロ・アルバムを出していくが、基本的には、「アヴァロン」ベースの音の続き・・・という世界を引きづったものとなっている。
ロキシー・ミュージックやブライアン・フェリーのソロにしても、様々な音楽手法や、サウンド感を持つ曲がたくさんあったのだが、そういう別の面のサウンドは捨ててしまった感がある。

***

当時、オシャレなアルバムとして、この「BOYS&GIRLS」、スタイル・カウンシルの「マイ・フェイバリット・ショップ」、スクリティ・ポリティの「キューピッド&サイケ’85」と立て続けに、この6月はそういうアルバムの発売が続いたが、なんだか、それを小脇に抱えたアーパーな女子大生の手頃なグッズになっていたのには、どうもしっくりこない気分が、自分にはあったのは事実であった。

それは、当時、自分が苦しい素浪人時代であったことにもあった。
もっと、そんな手ぬるくないプロとしての確固たる音楽が出てくることを期待していた自分には、甘ちゃんな世界に見えて仕方が無かった。
「なんかオシャレで、わかりやすくて、いい~じゃなあぃ~。」と言われても、応えは、「そ・そうですねぇ・・・」としか言いようの無い状況というのは、非常に情けなく思った感があった。

そういう意味では、プリンスの「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」は一線を画していたが・・・。

まあ、この後、このようなぬめぬめしたようわからん甘ちゃんな世界に、ニュー・ウェイヴ勢からは、叩きつけるような音楽の過激派が出てくることになるのだが、それはそれで、また、今度のおはなし・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊田商事会長の公開刺殺事件 '85年6月18日

2009-06-25 20:07:15 | 想い出かたちんば


また、浪人時代に、時は戻る。

1985年6月18日、「豊田商事会長の公開刺殺事件」が起きる。
豊田商事の永野一男会長が自室(大阪市北区天神橋3丁目のSマンション扇町5階)玄関前に「マスゴミ」取材班が集まる中、目の前で、男2人が「会長を殺すように被害者から頼まれている」と言い残し、窓を壊して、日本刀で刺殺されるのを、何事も無く、「マスゴミ」は何もしないまま、テレビは映し出していた。
当時、実に衝撃的な映像だった。

2人は、返り血を浴びた中、窓から出てきて「殺した」と言った。

「マスゴミ」は誰1人止める人も居ないまま、豊田商事会長は、公開処刑された。
「マスゴミ」はひたすら、写真と映像を流し続けた。

***

豊田商事は現物まがい商法による悪徳商法によって被害者数は数万人、被害総額は2000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として社会的に注目されていた。

豊田商事自体にも問題は相当あったが、自分が、体感したのは、80年代中盤から、どんどんと過熱化していく「フラッシュ」「フライデー」「フォーカス」といった雑誌に代表されるような、何でもいいから、より大きい「スキャンダラス」なネタへという、「マスゴミ」の報道の加速化、そのものが、この事件並びに、この後の個々の事件に繋がっていく流れだった。

***

1983年のYMOの「浮気なぼくら」に入っている「フォーカス」という曲は、この流れを歌にしたものだった。

色々、その後、「マスゴミ」は言い訳にした(=豊田商事は、悪党であり、公開処刑されても仕方が無いというムード)が、一体「報道」とは何なのだ?

そういう事を考えるには、良い題材である。

要は、劇的で人をより惹きつけるには、エロ・グロは「全然オッケ~」である、という事が公然と、ノリノリで行われ始めた時期である。

新聞や地上波テレビが、さかんに、真剣めいたCMや広告を出しているが、報道とバラエティの境目を壊すブルドーザーの動きは止まることなく動きだした時期という印象を強くした事件だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記

2009-06-22 22:55:49 | 雑記帳


暗い1日だった・・・。

6:20に、電話で起こしてもらい、すぐ支度。
6:40に、家を出て、タクシーで南千住まで行き、日比谷線で7:30に仕事場に着く。

昨夜、雨の中、家のパソコンに向かって、文章を作成して仕事場にメールで送っておいた資料を、仕事場のパソコンですぐ加工。
フォーマットを仕上げて、会議の人数分コピー準備。

実にきわどい綱渡り・・・。

8:30から、役員たちの出る会議で、なぜか自分が途中まで、仕上げた資料を説明。
後は、役員で説明を、と結論を振る。

***

正直、役員同士で話し合って結論だけ出してくれれば、それで終わるのに・・・・いちいち私のような一介の一等兵たちを入れて「会議」体にしないと、気が済まないのは、どの日本の会社も同じで、1人で結論出して、1人で責任を負うのが嫌だから、合議で決めたかのようにしたがるのだろう。

後は、自分は大学ノートにひたすら速記で、皆の発言をメモに取り、それを持ち帰り、わざわざ悩みながら数時間をかけて議事録に書き起こす馬鹿らしさ。

「それこそが仕事。」という割り切りをする場合もあるだろうが、それが、かたちんばの数倍の、1、000万円以上のお金をもらっている人たちが為していることかと思うと、馬鹿らしくてやってられない気分になるのだ。

***

とにかく、そういう時間が無駄に感じられ空しく想う日が多くなった。

それに反して、意義と実りある話し合いの日だってないこともないのだが、月曜日の早朝からこういう無駄な会議につまづくと、一挙に気分はダウナーへ・・・・。

真っ白けの抜け殻のような空しい感覚から脱出できなくなる。

ついでに、席に戻れば、こういう日に限って、電話で・メールで・更にモチベーションを下げる事件が次々起きる。
その1つ1つの「消火活動」をしている間に、次第に、「こげぱん」のように、生気失せた能面のような顔と・白い目になっていくのを感じる。

結局、今週は、朝から晩までろくな事がなかった1日でスタートしてしまった。

今週きわどい宿題がいくつもあるのに、その宿題については、何1つ前進出来ぬまま、21:00を向かえてしまう。
こういう日は、これ以上居ても何も進まないので、帰ることにした。

***

外に出ると、梅雨の湿気で空気はべったりんこしている。
東向島を降りると、またショップ99の前には「インデアンおばさん」が立っている。
うろうろと、入り口に居て、今日も商売のジャマをしている。

その横をすり抜けて、お店に入る。

ビール2本・野菜ジュース2本・ツナ缶1つを買って22:00帰宅。

向かいの家の三毛ネコ「ミケちゃん」が、足を引きずりながら家に向かうかたちんばの足音を聞いて、「あっ、帰って来たゾ!」とばかり、チャリチャリ鈴を鳴らしながら、玄関に急いで走って来るが、「ごめん、今夜は相手にしている余裕が無いんだよ。ごめんね。」と、今日は、彼女を家に入れるのを断る。

***

部屋に入ると、パソコンの電源とラジオを点ける。
TBSラジオ「アクセス」を流しながら、ツナ・コーン・しめじを入れた、ペペロンチーノを作り、食べながら、ビールをちびちび呑む。

痛飲の夜・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂本龍一&David Sylvian 「World Citizen」'04

2009-06-20 21:27:30 | 音楽帳
「恐怖の大王が降りてくる」こともなく、20世紀の「世紀末」は、終わった。
20世紀は、惨劇と多くの戦争を繰り返してきた世紀として、過去を振り返り反省しながら、次の21世紀が、おだやかな時代になることを祈る人々が居た。

そんな、21世紀の夜明けだった。

2001年9月11日。
アメリカは、ニューヨーク、マンハッタンのツインタワー(世界貿易センター)に、2台の航空機が突っ込み、2つのビルが倒壊し、テロとしては未曾有の規模の惨劇が起きると同時に、21世紀は、また暗い時代の夜明けと見通しへと、人々の精神を突き落とした。
「これからは平和な世界がくるんだ」という志向性は、ここで停止した。



***

事件後の新聞各紙や週刊誌などには、ビルが炎上・倒壊する写真のみならず、血まみれでうずくまる市民やビルの上層階から飛び降りる人の写真などが大きく掲載された。
アメリカ合衆国では後者の写真をめぐって論争が起こった。
アメリカで最大の信者を持つ宗教であるキリスト教は自殺を禁じているからであった。

***

坂本龍一とデヴィッド・シルヴィアンの出会いと交流は、彼のセカンド・アルバム「B-2UNIT」の制作、及び、YMOのワールド・ツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」があった1980年に始まる。

イギリスで初めて出会った2人は、JAPANの4枚目のアルバム「孤独な影(Gentlemen Take Polaroids)」のB面最後の曲、「Taking Islands In Africa」を共作する。

<1981年4月、「坂本龍一のサウンドストリート」の1回目の最初にかかった曲も、この曲だった。>

その後も、お互い惹かれあいながら、作品を作っていく。
1982年に、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」に俳優として出演し、かつ、制作したサウンド・トラック。
そのテーマ曲に、デヴィッド・シルヴィアンが歌詞を付けて「禁じられた色彩」を共作。

JAPANを自ら解散し、ソロとして再出発した後の、デヴィッド・シルヴィアンのファースト・アルバム「ブリリアント・トゥリーズ」(名盤)をはじめ、多くの作品に、坂本龍一は協力し、2人の交友関係は、どんどんと深くなっていく。

1992年の坂本龍一の「ハートビート」には、「胎内回帰」を共作。

・・・そして、2004年、この「ワールド・シティズン(世界市民)」。

かつて、矢野顕子は言っていた。
「坂本が作ったメロディーに、デヴィッドの歌が乗った瞬間に、とてつもなく、大きな化学変化を起こす」と。

もう、2人の間の絆の強さには、コトバすらも必要もなくなっているのではないか、と思える。
その凄みを、この「ワールド・シティズン(世界市民)」には感じられる。

***

共に、9月11日のテロに衝撃を覚え、深く考えざるをえなくなった2人が創ったこの曲には、深い深いスピリッツと、政治的なメッセージがこめられている。

エレクトロニカのサウンド面では、スケッチ・ショー=細野さん+幸宏も参加している。

【英詞】
What happened here?
The butterfly has lost its wings
The air’s too thick to breathe
And there’s something in the drinking water.

The sun comes up
The sun comes up and you’re alone
Your sense of purpose come undone
The traffic tails back to the maze on 101

And the news from the sky
Is looking better for today
In every single way
But not for you

World citizen

World citizen

It’s not safe
All the yellow birds are sleeping
Cos the air’s not fit for breathing
It’s not safe

Why can’t we be
Without beginning, without end?
Why can’t we be?

World citizen

World citizen

And if I stop
And talk with you awhile
I’m overwhelmed by the scale
Of everything you feel
The lonely inner state emergency

I want to feel
Until my heart can take no more
And there’s nothing in this world I wouldn’t give

I want to break
The indifference of the days
I want a conscience that will keep me wide awake

I won’t be disappointed
I won’t be disappointed
I won’t be.

I saw a face
It was a face I didn’t know
Her sadness told me everything about my own

Can’t let it be
When least expected there she is
Gone the time and space that separates us

And I’m not safe
I think I need a second skin
No, I’m not safe

World citizen

World citizen

I want to travel by night
Across the steppes and over seas
I want to understand the cost
Of everything that’s lost
I want to pronounce all their names correctly

World citizen

World citizen

I won’t be disappointed
I won’t be.

She doesn’t laugh
We’ve gone from comedy to commerce
And she doesn’t feel the ground she walks upon

I turn away
And I’m not sleeping well at night
And while I know this isn’t right
What can you do?



【日本語訳】
ここで何が起こったんだ?
蝶は羽根を失った
空気が濃すぎて息苦しい
飲み水には何かが入っている

陽は昇る
陽は昇るけれど、きみは独りぼっち
目的も見失い
流れのままに101号線の迷路へまぎれこむ

空から降り注ぐニュース
何もかも
今日は明るいものばかり
そう思えないのはきみだけさ

ワールド・シティズン(世界市民)
ワールド・シティズン(世界市民)

ここは安全じゃない
空気が悪くて
黄色い鳥(注)は総倒れ
ここは安全じゃない

ぼくらはなぜ存在できないの?
始まりや終わりなしでは
ぼくらはなぜ存在できないの?

ワールド・シティズン(世界市民)
ワールド・シティズン(世界市民)

もし立ち止まって
きみの話を少し聞いたら
きみが感じているすべての重みに
打ちのめされてしまう
孤独な心の緊急事態

感じたい
心がはちきれそうになるまで
この世でかなうものなら何でも与えてあげたいのに

破りたい
日常を覆う無関心を
覚醒しつづけられる良心がほしい

失望なんてするものか
失望なんてするものか
するものか

顔が見えた
知らない顔だった
彼女の悲しみは、ぼくの悲しみを丸ごと映す鏡

忘れられない顔
思いもかけないとき、現われる彼女
ぼくらを隔てる時間と空間は消えた

でも、ぼくは安全じゃない
皮膚がもう一枚ほしい
安全じゃないんだ

ワールド・シティズン(世界市民)
ワールド・シティズン(世界市民)

夜のあいだに旅したい
草原や海原を越えて・・・
消えてしまったあらゆる種の
損失を測り
その名をすべて正確に読み上げたい

ワールド・シティズン(世界市民)
ワールド・シティズン(世界市民)

失望なんてするものか
するものか

彼女は笑わない
舞台は喜劇(コメディ)から商売(コマース)へ変わったのさ
彼女はもう、歩いても地面を感じない

ぼくは目をそらす
寝苦しい夜
これじゃいけないとわかっているけれど
どうしたらいい?

失望なんてするものか
するものか

(注)かつて鉱山で一酸化炭素などの中毒を防ぐため、鉱夫たちが検知器がわりに鉱道へ連れて下りたカナリアのこと。

***

J-WAVEの15周年に発売された、このシングルCDのジャケットには、世界地図が描かれているが、
そこには、見事に、「アメリカ合衆国」だけが無い。

そのジャケットにも、深いメッセージが込められている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Eurythmics 「Conditioned Soul」'85年6月

2009-06-20 13:08:36 | 音楽帳


再び、1985年の浪人時代に戻って・・・・・。

6月5日にユーリズミックスの新譜「BE YOURSELF TONIGHT」が発売される。



このアルバムには、名曲といわれる、スティービー・ワンダーがハーモニカを吹く「ゼア・マスト・ビー・エンジェル」や、ヒットした「ウッド・アイ・ライ・トゥ・ユー?」などの曲も、アレサ・フランクリンとのデュエット「シスターズ・アー・ドゥーイン・イット」などもあるが、「テクノ道」の自分には、どんどん「ロック色」を強めていく、ユーリズミックスには、がっかりしたものであった。
正直、どの曲にもフェミニズムの影が漂っていて好きになれないのだ。

特に、このアルバムは、ヴォーカルのアニー・レノックスの力強いうたい方が印象的だが、少々、「お熱い」状態で、MTVで、腕を上げてフェミニズム的なスタイルには、やはり引いてしまいました。

自分が好きなのは、やはり初期の、エレクトロニクスに合わせて、極めて「クール」に歌う、蒼い目にオレンジ色の髪をしたアンドロイド的なアニー・レノックスです。

このアルバムで、とりあえず1曲を選ぶとしたら、静寂感のある「Conditioned Soul」でしょうかねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

China Crisis 「The Soul Awakening」'83

2009-06-19 07:32:27 | 音楽帳


今朝の1曲。
野菜ジュースを飲みながら。

全部のアルバムを、12インチ・レコードまで集めている大好きなバンドの1曲。

晴れた朝に、しっとり溶け込んでくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

David Sylvian 「Answered Prayers」'86

2009-06-18 07:22:41 | 音楽帳


珍しく、朝7:00に起きてしまう。
相変わらず鬱な朝だが。

今朝の1曲は、いつものデビちゃんの「Answered Prayers」で、ココロを癒す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記

2009-06-18 00:27:47 | 雑記帳


朝、またもやカラダがだるくて苦しんだが、7:40一挙に勢いつけて立ち上がり、ランニング&パンツ姿で、冷蔵庫に行き、野菜ジュースを取り出してぐびぐび。
Q&Pコーワ2錠に抗鬱剤を飲んで、たばこを1本ふかす。
朝の1曲にYMOの[テクノデリック]から「灯」を聴き、8:00出発。

クールビズで半袖シャツで出かけるが、少々スースーして肌寒い。

昼ご飯は、久々に肉断を解いて、ハンバーグ弁当を食す。

***

13:30課長と今日も午後、つくばの会議で、地下鉄&TXで往復。

まだ19:00というのに、駅に向かい明るく帰路を辿る、半ばラフランス(洋梨)リーマンたちに逆行しながら、本社へと帰る。

今年度から必死に人件費カットに勢力的で、今更「水曜日はノー残業デイ」と掲げられ、皆さん保身ゆえに無理やり帰る中、課長たちと仕事を続ける。

「帰りが遅い非効率なのは仕事の出来ない奴」という言葉は、そういうスーパーマン的天才に言われるなら納得しようものの、言ってる側に余りリアリティが無い中、天才では無い我々は、こつこつ1つずつ物事を時間かけて潰していくしかあるまい。

むしろ、逆にこの「ノー残業デイ」こそ、邪魔な人々が不在でゆっくり落ち着いて仕事が出来る。

***

・・・・といっている間に、今日も22:40の電車に乗るが、今日は少し心身共に楽な感じがする。

23:20駅を降り、家路を辿る。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Prince  「Around The World In A Day」'85年5月

2009-06-13 22:15:58 | 音楽帳


「Around The World In A Day」=「1日で世界一周」というプリンスのアルバムは、なぜかジャケットを含め、ビートルズの「サージェント・ペパーズ……」を連想させる。

ヒットした弦楽器の響きが美しい「ラズベリー・ベレー」には、70年代的な幸福感が、「ペイズリー・パーク」の重くて低いサウンドには、麻薬的なサイケデリック感が漂う。

共にかっこいい名曲だが、そこに更にトドメを刺すすごい曲が「ポップ・ライフ」という名曲である。



当時、すでにウツとノイローゼの兆候が出ていた、自分のふらふらの絶望感に包まれた重い心身を、何とか前向きにして、予備校に向かわせていた自力の元は、朝の1曲「ポップ・ライフ」であった。

あるいは、ティアーズ・フォー・フィアーズの「ワーキング・アワー」であった。

「ポップ・ライフ」は、かなおうがかなうまいが、我々は希望に向けて、歩き出すんだ、よろよろになってでも!
と深い情感に刺さり込んで来る。

この3曲を聴くだけでも、このアルバムを購入すべきである。
プリンスの中でも、重要なアルバムです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする