イギリスのパンク革命に関わったバンドとして、語り継がれるのは、セックス・ピストルズ、ダムド、クラッシュ、そして、ポール・ウェラー率いるジャムということになろうが、その「パンク」の道を歩き続けることに疑問を感じながらやっていたポール・ウェラーは、1982年の「ザ・ギフト」を最後にして、ジャムを解散する。
そして、新たな気持ちで「スタイル・カウンシル」を設立する。
それは、様々なスタイルを用いながらも、それを全て受け入れる受け皿を「スタイル・カウンシル」という名前でくくってしまうという試みだった。
***
新しい音楽をやりたいというポール・ウェラーの意志は強かった。
そして、1983年後半、ミック・タルボットと2人で始めたスタイル・カウンシルは、順調に新しい音楽を創り出していった。
「今、音楽を創るということが楽しくてしょうがないんだ」と語ったポール・ウェラー。
それは、彼の本音だった。
しかし、それは次第に、「オシャレねえ~」でくくられる音楽に、誤解を生んでいく。
元セックス・ピストルズのジョン・ライドンやら、誰やらから、大いなる批判を受けることになる。
「そうじゃないんだよ」と彼がいくら大声で叫んでも、表層的に動くPOPSの世界では、そういうくくりの中に収束されていく。
その後、「コンフェッション・オブ・ア・ポップ・グループ(=ポップバンドの告白)」というタイトルのアルバムまで創るが、彼の意図がどこまで、聞き手に伝わっていたは疑問であった。
***
1985年6月10日に「マイ・フェイバリット・ショップ」は日本発売された。
後の1989年に現実化するベルリンの壁を歌った「ウォールズ・カム・タンブリング・ダウン」で「カベは絶対にぶっ壊せるのさ」と、かつてのポール・ウェラーのように青筋を立てて歌う曲も、狼少年を歌った名曲「ボーイ・フー・クライド・ウルフ」も、そして「ロジャース」も、余りに滑らか過ぎて、政治色の濃厚な歌詞でさえも、結局は「スタイル・カウンシル」という器の中で、日本では「オシャレねえ~」でくくられてしまう危険性を孕んでいた。
1. ホームブレイカー
2. オール・ゴーン・アウェイ
3. カム・トゥ・ミルトン・キーンズ
4. インターナショナリスツ
5. ストーンズ・スロー・アウェイ
6. スタンド・アップ・コミックス・インストラクションズ
7. ボーイ・フー・クライド・ウルフ
8. マン・オブ・グレイト・プロミス
9. ダウン・イン・ザ・セーヌ
10. ロジャース
11. ラック
12. エヴリシング・トゥ・ルーズ
13. アワ・フェイヴァリット・ショップ
14. タンブリング・ダウン
***
個人的には、スタイル・カウンシルは、初期の「ヘッドスタート・フォー・ハピネス」「ロング・ホット・サマー」「スピーク・ライク・ア・チャイルド」、それに「ユア・ザ・ベスト・シング」「ソリッド・ボンド・イン・ユア・ハート」など大好きな名曲も多く、それらの楽曲は、実に素晴らしいのだ。
しかし、である。
ポール・ウェラーの意図とは外れて、当時、違う意味での「オシャレねぇ~」でくくられた評価がなされていたことは、非常に彼にとって不幸な事であった気がしてならない。
今、新たに聴く若い人には、そんな風には聴こえないのかもしれないが、そういうムードが当時、彼らを覆っていた気がしてならない。
そして、新たな気持ちで「スタイル・カウンシル」を設立する。
それは、様々なスタイルを用いながらも、それを全て受け入れる受け皿を「スタイル・カウンシル」という名前でくくってしまうという試みだった。
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新しい音楽をやりたいというポール・ウェラーの意志は強かった。
そして、1983年後半、ミック・タルボットと2人で始めたスタイル・カウンシルは、順調に新しい音楽を創り出していった。
「今、音楽を創るということが楽しくてしょうがないんだ」と語ったポール・ウェラー。
それは、彼の本音だった。
しかし、それは次第に、「オシャレねえ~」でくくられる音楽に、誤解を生んでいく。
元セックス・ピストルズのジョン・ライドンやら、誰やらから、大いなる批判を受けることになる。
「そうじゃないんだよ」と彼がいくら大声で叫んでも、表層的に動くPOPSの世界では、そういうくくりの中に収束されていく。
その後、「コンフェッション・オブ・ア・ポップ・グループ(=ポップバンドの告白)」というタイトルのアルバムまで創るが、彼の意図がどこまで、聞き手に伝わっていたは疑問であった。
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1985年6月10日に「マイ・フェイバリット・ショップ」は日本発売された。
後の1989年に現実化するベルリンの壁を歌った「ウォールズ・カム・タンブリング・ダウン」で「カベは絶対にぶっ壊せるのさ」と、かつてのポール・ウェラーのように青筋を立てて歌う曲も、狼少年を歌った名曲「ボーイ・フー・クライド・ウルフ」も、そして「ロジャース」も、余りに滑らか過ぎて、政治色の濃厚な歌詞でさえも、結局は「スタイル・カウンシル」という器の中で、日本では「オシャレねえ~」でくくられてしまう危険性を孕んでいた。
1. ホームブレイカー
2. オール・ゴーン・アウェイ
3. カム・トゥ・ミルトン・キーンズ
4. インターナショナリスツ
5. ストーンズ・スロー・アウェイ
6. スタンド・アップ・コミックス・インストラクションズ
7. ボーイ・フー・クライド・ウルフ
8. マン・オブ・グレイト・プロミス
9. ダウン・イン・ザ・セーヌ
10. ロジャース
11. ラック
12. エヴリシング・トゥ・ルーズ
13. アワ・フェイヴァリット・ショップ
14. タンブリング・ダウン
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個人的には、スタイル・カウンシルは、初期の「ヘッドスタート・フォー・ハピネス」「ロング・ホット・サマー」「スピーク・ライク・ア・チャイルド」、それに「ユア・ザ・ベスト・シング」「ソリッド・ボンド・イン・ユア・ハート」など大好きな名曲も多く、それらの楽曲は、実に素晴らしいのだ。
しかし、である。
ポール・ウェラーの意図とは外れて、当時、違う意味での「オシャレねぇ~」でくくられた評価がなされていたことは、非常に彼にとって不幸な事であった気がしてならない。
今、新たに聴く若い人には、そんな風には聴こえないのかもしれないが、そういうムードが当時、彼らを覆っていた気がしてならない。