最近あちこちで二胡の音が聞こえるようになりました。
テレビだけではなく、
ラジオにも、一日に一回は二胡の音が聞こえてきます。
日本の各県に二胡の教室も有るようですし、むしろ日本古来の三味線などより、二胡の教室の生徒さんというのは多いかもしれません。
二胡は日本に定着したと言ってよいのでしょう。
今までは中国人の二胡の先生方が中心でした、勿論、いましばらくはその状態が続くと思います。
しかし最近になって、二胡の中国人の先生方も日本に帰化し、或いは帰化申請をなさっていらっしゃる方も多くなってきたようです。
ここで、とても残念な、かなしいお知らせです。
もうご存知の方もいらっしゃるとは思いますが程農化先生が、お亡くなりになりました事をお知らせします。
57歳でした、那須でのライヴの後、脳溢血だったそうです。
ここに謹んで哀悼の意を奉げます。
私にとっては、かなり頻繁に連絡を取り合う、また個人的なレッスンもときに請けさせていただく、大変ちかい存在だった方です。
一番の思い出は、私の作った二胡を試し弾きしていただいた時、先生が二泉映月を弾いて下さいました。
途中、トレモロの後の小節でしたでしょうか、突然に、駒が飛んだのです。
それほど激しく弾く部分でもないのに、先生が気持ちを込めて弾かれたからかも知れません、駒が、飛んだのです。
それから、2,3ヶ月して、また新しい二胡が出来上がり、また試し弾きをお願いしました。
同じ二泉映月でしたが、また同じ所で駒が飛んだのです。
その時に駒の事をいろいろお話いただき、様々に試して出来上がったのが、今のウチダ駒です。(もちろん私が作る以前に、「二胡やるぞー」というブログを書かれている内田さんは理論として完成し、試作も作られていましたので、敬意を表してウチダ駒と名前を付けさせていただきました)
劉継紅先生や、ジョージガオさん、或いは張艶先生、武楽群先生等沢山の先生方に二胡を作る度に試し弾きしていただいたり、教えていただいたりしたなかでも、特に程農化先生は私にとって近い存在でしたし、色々派閥があるような二胡の世界でもどなたにでも好意を持って迎えられる方でした、先生に教えてもらった、先生の良くいかれる新宿の中華料理屋さんへは、二胡仲間と良く行きます。
先日それこそ、先生のお亡くなりになられた前の金曜日に、来年のイベントに関して電話でお話をさせていただいたばかりでした。
日本にも中国人の先生方もだいぶ定着されて、程先生も、木原さんという、お名前で帰化されていらっしゃいますので、日本人による二胡のフェアを一緒にやろうかという話をしていたばかりなのです。
日本人の二胡の先生方や、演奏家も少しずつではありますが、増えてきています。
日本にこそ二胡が残るかもしれません。
、
テレビだけではなく、
ラジオにも、一日に一回は二胡の音が聞こえてきます。
日本の各県に二胡の教室も有るようですし、むしろ日本古来の三味線などより、二胡の教室の生徒さんというのは多いかもしれません。
二胡は日本に定着したと言ってよいのでしょう。
今までは中国人の二胡の先生方が中心でした、勿論、いましばらくはその状態が続くと思います。
しかし最近になって、二胡の中国人の先生方も日本に帰化し、或いは帰化申請をなさっていらっしゃる方も多くなってきたようです。
ここで、とても残念な、かなしいお知らせです。
もうご存知の方もいらっしゃるとは思いますが程農化先生が、お亡くなりになりました事をお知らせします。
57歳でした、那須でのライヴの後、脳溢血だったそうです。
ここに謹んで哀悼の意を奉げます。
私にとっては、かなり頻繁に連絡を取り合う、また個人的なレッスンもときに請けさせていただく、大変ちかい存在だった方です。
一番の思い出は、私の作った二胡を試し弾きしていただいた時、先生が二泉映月を弾いて下さいました。
途中、トレモロの後の小節でしたでしょうか、突然に、駒が飛んだのです。
それほど激しく弾く部分でもないのに、先生が気持ちを込めて弾かれたからかも知れません、駒が、飛んだのです。
それから、2,3ヶ月して、また新しい二胡が出来上がり、また試し弾きをお願いしました。
同じ二泉映月でしたが、また同じ所で駒が飛んだのです。
その時に駒の事をいろいろお話いただき、様々に試して出来上がったのが、今のウチダ駒です。(もちろん私が作る以前に、「二胡やるぞー」というブログを書かれている内田さんは理論として完成し、試作も作られていましたので、敬意を表してウチダ駒と名前を付けさせていただきました)
劉継紅先生や、ジョージガオさん、或いは張艶先生、武楽群先生等沢山の先生方に二胡を作る度に試し弾きしていただいたり、教えていただいたりしたなかでも、特に程農化先生は私にとって近い存在でしたし、色々派閥があるような二胡の世界でもどなたにでも好意を持って迎えられる方でした、先生に教えてもらった、先生の良くいかれる新宿の中華料理屋さんへは、二胡仲間と良く行きます。
先日それこそ、先生のお亡くなりになられた前の金曜日に、来年のイベントに関して電話でお話をさせていただいたばかりでした。
日本にも中国人の先生方もだいぶ定着されて、程先生も、木原さんという、お名前で帰化されていらっしゃいますので、日本人による二胡のフェアを一緒にやろうかという話をしていたばかりなのです。
日本人の二胡の先生方や、演奏家も少しずつではありますが、増えてきています。
日本にこそ二胡が残るかもしれません。
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とてもありえない力強い運弓で、西野さんの二胡のポテンシャルを測るように弾いていたことが、まるできのうのことのように思いだされます。
まさか、こんなに突然逝かれてしまうとは思いもしませんでした。
日本の二胡界の大きな損失であり、残した功績は多大な方でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
三越の音楽のある展覧会でも、演奏してもらいました。驚いたのは、初めての二胡に触って、試し引きもせず、調弦だけして、いきなり演奏に入ったことでした。「二胡は生音に限るとおっしゃって、なま音のライブを沢山なさっていました。
二泉映月あんなお洒落な演奏聞いたのは初めてでした。
パーティーに皆さんより遅れていらして、いきなり仁尾引き出したのにも驚きました、駆けつけ一曲。
そうそう、すうさんの言う公演の時に、初めてお会いしたのです。私の作った二胡いきなり良い音で引き出して、あの時には驚きました、いらっしゃると言うのを聞いていませんでしたから。プロの演奏の迫力を始めて感じた時でもあります。