二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

二胡の楽しみ方、その3

2014-12-17 11:23:51 | ■工房便り 総合 
二胡の演奏は、中国の文化を身に着けない限り本格的な演奏が出来ない。???

と言うご意見があるようです。

まあ、ある意味正論という事は言えると思うのです。

反対に言ってみると、日本の三味線などは、日本人としてのその文化を知らなければ弾けないと言うのと同じかもしれません。

これも異論はないです。

しかし、新内や義太夫などの庶民的な本当に日本文化と言われる江戸時代に生まれた音楽を、いま普通の日本人がどれだけ演奏しきるのかと言う疑問も有ります。(プロは別です)

と言うか知っている人がどのくらいいるのでしょうか。

もしかしたら新内など聞いたことも無い方が殆どかもしれません。

語りと三味線の、その「間」で出来上がった音楽ですが、下手をするとその語りの言葉も意味も分かりかねる時もあります。

歌舞伎を見に行かれる方はかなりいらっしゃるかもしれません。

では人形浄瑠璃は?

新内などは更にでしょう。

そして、中国曲は皆さん子供のころから聞いていましたか?

皆さんが二胡を始めたきっかけの多くが、どこかで二胡の音を聴き、ああこの音良いな弾いてみたいなと始めた方が殆どだと思うのです。

この曲良いな、この中国の曲弾いてみたいとはじめられた方と言うのは、本当に少ないと思うのです。
(中にはいらっしゃるとは思います)

二胡の音色に誘われた方が殆どではないでしょうか?

かなり、専門的に二胡を弾いていて、自他ともに上手であるといわれている人の中に、二胡は中国の曲を弾けるようにならないと、上手にはならないという人もかな入ります。

それも解ります。

演奏家と言うのは更に上の技術を目指すのが当たり前ですし、

今のところ、二胡の専門の曲と言うのは中国曲きりないようですから。

「中国孝級曲集」などと言う、本も有ります。

それらの中の10級と言う難しい曲をたとえ弾けたとしても、もしかしたら、

もしかしたら、私が新内を謡うのと同じでとても意味不明の音楽になりかねないのも、解る気はします。

たぶん譜面通りに弾いたとしても、音楽にならないのでしょう。

或は中国の人に弾いて聞かせても、それ何!と言われかねないかもしれません。

もしかしたら、私が関西や沖縄の言葉をまねたとして、音はその通り話せてもとても関西や沖縄のいとのはなした言葉に聞こえないのと一緒でしょう。
(先日広島で、会員さんにお会いして、そのお嬢様がいった、「じゃけー」という言葉が可愛くて真似してみたのですが、、、無理でした、でも可愛かったです「じゃけー」)

中国曲と言うのは、その点では民族音楽ですから、日本人の専門家以外に、浄瑠璃や、新内などの曲をちゃんと音楽として聞かせられないのと一緒です。

上手い下手の問題ではない事なのです。

不思議なのは、中国人の二胡演奏家が、中国曲を弾かなければ、二胡はちゃんと弾いたことにならないというのは、解ります。

また、中国の文化を理解しないと中国曲をちゃんと弾けないというのは分かります。

彼ら彼女らは自分の権威として、そのように言うという事も有ります。

昔、植民地時代に本国の人々が、その権威として本国の文化を植民地に押し付け、なおかつその文化を理解しないと、西洋音楽は理解できないと言ったのと同じです。

そして民族音楽は、その民族以外にあるいはその言語を話、その文化の中で育たない限り、その音楽を、その言語もちゃんと話せなかったりもします。

しかし、それを日本人が言ったとしたらおかしなことではないですか?

言うのは構いません私も言いますから。

でも出来ない事をいかにも正当なように言うこと自体に問題はありませんか?

今の日本人で中国文化を身を持って体得した人がどのくらいいるのでしょう?

日本人以外にまたそのプロ以外に、ちゃんと音楽として、新内を聞かせられる人はいないと。

日本文化を知らなければ、??

これもへんですね。私は日本人ですし江戸っ子でもあります、また、娘が三味線などをやってもいました。

そして若いころは、、まあ、、深川ですから、、

でも、弾けないですね三味線、音楽にならないのです。

今の日本の文化の中で生活していると、この新内が謡える文化ではないと思うのです。

かつての江戸時代せめて、アメリカ文化がどっと流れ込んでくる前の時代の人なら、この事は言えるかもしれません。

でも私達、が育ったのは学校で、あるいはラジオから聞こえてきたのは、プレスリーや、ビーンクロスビーであったりしたのです。

とても、新内など聞いたことの無い世界でしたから。

最近、光舜堂は秋葉原ですから、中国人の観光客も多いのです。

すごく驚くのは、二胡に触った事の無い人が殆どでした。

私たちが三味線触ったことがある人と訊いた時と同じくらいの少なさのようです。

でも、二胡は好きです。二胡の音色にはとても惹かれます。

そこから、教条的にならず、原理主義に陥らずに、今ここで、ちゃんとこれだけ日本に沢山の二胡愛好家がいるということを考えてみたいのです。

この文章はそういう意味で自分に理解できるようにと考えている文章です。

まだ続きます。





 



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