このように言うとまた物議を醸しだしそうですが、、、
でも考えてみてください。
音律は楽器にあるのではなく人の心の中にあるのです。
二胡は人の気持ちの中にある音楽を耳に聞こえるようにする道具です。
二胡は楽器です、それもまだまだ進化途中の、楽器です。
昔はと言っても60年ぐらい前に二胡はこの形と、お国が決めた形と構造がありました、
しかし、楽器つくりはそんな甘いものではありません、もっと良い物をと考えるのが楽器作りです。
これは二胡だけではなく、ヴァイオリンもです。
ストラデヴァリウス以上のものは出来ないと言われながらも、何を!!と、もっと良い物作るんじゃ!
人には言わなくても、皆そう思っています。(だから日本人なんかに良い楽器つっくられると本場の人はいろいろいやがらせもするのかも、でもそんな奴は楽器作りではありません、俺のがもっと良い物作ってやると思うのが楽器作りです。
ともあれ、
お国で決めた割にはもうずいぶん色々な楽器が出来て来ています。
ネットの画面で見るだけではわかりにくいかもしれませんが、胴の大きさや、長さ、棹の太さ、皮を張る位置、
内部に至ってhなんだかわけのわからない棒がたっていたり(ヴァイオリンの魂柱のつもりか?)
皮なども、表から塗料が塗ってあってぴかぴかした物、ワックスで仕上げた物、あるいは裏から紙を張った物、また裏に塗料が塗ってある物、
ずい分みんな工夫をしているのです。
これはとっても良い事だと思うのです、昔から決まった物だからとその上に胡坐を書いたら楽器作りとは言えません。
このように目に見えるくらいに楽器を変化させようと思うのは、まだ楽器としては二胡が完成していないからでしょう。
極端な話、二胡は2弦が張ってあって、フッレット無しで、胴が筒状態をしていて、弓が二弦の間に入って演奏すれば、二胡と言えます。
胴が。竹の筒であろうと缶からであろうと、二胡の音は出ます。
普段私は内弦をCで弾きます。
十分に良い音になりますし、ジョージガオさんなどは千斤を下げてAでも弾きます。
問題なく良い音になります。
遠藤芳晴さんは、内弦Gで外弦をCにして、4度の調弦をします。
これでもなるのが二胡です。と言いますか、24年も5年も前のお土産二胡(芳晴さんすいません)がとんでもなく良い音がします。
同じことを、ヴァイオリンでやってみてください。3度下げたらもう、なんだかうぶうぶう言うだけでしかありませんし、
3度上げたら、E弦が切れてしまいます。
そのくらいに楽器と弦と駒とがもう一体化された完成度なのです。
二胡の場合、3度くらい変化したとしても、楽器としては成り立ちます。
そこが良い所でもあるのです。
お客様の中に、二胡はなんだか音が高くて、むしろ二泉二胡あるいは、GDの楽器の方が日本人には合うねと言う方がとっても多いのです。
私もそう思います、だからドデカゴンなどと言う楽器も作り出しています。
たぶん、本格的に中国音楽を始めるとしたら、私が弾いているようにC、Dと一音下げたら、ずい分感じの違った曲になってしまいます、
そんなものは二胡の曲ではないといわれるかもしれません。
日本人が、中国曲をいかにも中国曲として弾こうとするときに、この辺にも無理は出ませんかね。
峠岡慎太郎くんが、「本当に二胡を弾きたいのであれば初心者こそポップスなどには手を出さず、まず中国の曲から学ぶのがやはり一番と思います!」とコメントに書いていましたが、
正にその通りだとは思います。
二胡独特の緩い弦とフレットレス、の感覚と言うのは、今のヨーロッパの擦弦楽器の技術とは違いますから、また人弓の中で音色を変えたりなどと言うのも(強弱ではなく)二胡独特の技術でしょう。
そういう曲と言うのは、というかその感覚と言うのはヴァイオリンなどの演奏の中にはありませんから、
そういう意味で行くと中国曲を最初から練習するというのは良い事かもしれません。
が、それは、相当高難度な話で、我々は(大変ごめんなさい皆さんを一緒に考えているわけではありませんが)まずは、
きちっと音色になる事そしてきちっと音階を正しく弾けることそのことにこそ力を入れるべきと考えます。
峠岡君の言う事はもっともなのですが、その前に、まずは二胡を楽しめればいいではないかという考えもあります。
間違っても上手くいかなくても、そこそこ聞けるのが二胡です。
(それがヴァイオリンだったらそうはいきませんただの雑音になります。
小さなかわいらしい子が、一生懸命ヴァイオリンを弾いているのは大人は、ほほえましいと、見ていられますが、たぶん私が弾くヴァイオリンを聴いたら、皆さんいなくなるか激怒します、いい加減にしろと)
でもそうやってでも楽しみたいし楽しめるのが二胡の良いところでもあるのです。
またまた続きます。
でも考えてみてください。
音律は楽器にあるのではなく人の心の中にあるのです。
二胡は人の気持ちの中にある音楽を耳に聞こえるようにする道具です。
二胡は楽器です、それもまだまだ進化途中の、楽器です。
昔はと言っても60年ぐらい前に二胡はこの形と、お国が決めた形と構造がありました、
しかし、楽器つくりはそんな甘いものではありません、もっと良い物をと考えるのが楽器作りです。
これは二胡だけではなく、ヴァイオリンもです。
ストラデヴァリウス以上のものは出来ないと言われながらも、何を!!と、もっと良い物作るんじゃ!
人には言わなくても、皆そう思っています。(だから日本人なんかに良い楽器つっくられると本場の人はいろいろいやがらせもするのかも、でもそんな奴は楽器作りではありません、俺のがもっと良い物作ってやると思うのが楽器作りです。
ともあれ、
お国で決めた割にはもうずいぶん色々な楽器が出来て来ています。
ネットの画面で見るだけではわかりにくいかもしれませんが、胴の大きさや、長さ、棹の太さ、皮を張る位置、
内部に至ってhなんだかわけのわからない棒がたっていたり(ヴァイオリンの魂柱のつもりか?)
皮なども、表から塗料が塗ってあってぴかぴかした物、ワックスで仕上げた物、あるいは裏から紙を張った物、また裏に塗料が塗ってある物、
ずい分みんな工夫をしているのです。
これはとっても良い事だと思うのです、昔から決まった物だからとその上に胡坐を書いたら楽器作りとは言えません。
このように目に見えるくらいに楽器を変化させようと思うのは、まだ楽器としては二胡が完成していないからでしょう。
極端な話、二胡は2弦が張ってあって、フッレット無しで、胴が筒状態をしていて、弓が二弦の間に入って演奏すれば、二胡と言えます。
胴が。竹の筒であろうと缶からであろうと、二胡の音は出ます。
普段私は内弦をCで弾きます。
十分に良い音になりますし、ジョージガオさんなどは千斤を下げてAでも弾きます。
問題なく良い音になります。
遠藤芳晴さんは、内弦Gで外弦をCにして、4度の調弦をします。
これでもなるのが二胡です。と言いますか、24年も5年も前のお土産二胡(芳晴さんすいません)がとんでもなく良い音がします。
同じことを、ヴァイオリンでやってみてください。3度下げたらもう、なんだかうぶうぶう言うだけでしかありませんし、
3度上げたら、E弦が切れてしまいます。
そのくらいに楽器と弦と駒とがもう一体化された完成度なのです。
二胡の場合、3度くらい変化したとしても、楽器としては成り立ちます。
そこが良い所でもあるのです。
お客様の中に、二胡はなんだか音が高くて、むしろ二泉二胡あるいは、GDの楽器の方が日本人には合うねと言う方がとっても多いのです。
私もそう思います、だからドデカゴンなどと言う楽器も作り出しています。
たぶん、本格的に中国音楽を始めるとしたら、私が弾いているようにC、Dと一音下げたら、ずい分感じの違った曲になってしまいます、
そんなものは二胡の曲ではないといわれるかもしれません。
日本人が、中国曲をいかにも中国曲として弾こうとするときに、この辺にも無理は出ませんかね。
峠岡慎太郎くんが、「本当に二胡を弾きたいのであれば初心者こそポップスなどには手を出さず、まず中国の曲から学ぶのがやはり一番と思います!」とコメントに書いていましたが、
正にその通りだとは思います。
二胡独特の緩い弦とフレットレス、の感覚と言うのは、今のヨーロッパの擦弦楽器の技術とは違いますから、また人弓の中で音色を変えたりなどと言うのも(強弱ではなく)二胡独特の技術でしょう。
そういう曲と言うのは、というかその感覚と言うのはヴァイオリンなどの演奏の中にはありませんから、
そういう意味で行くと中国曲を最初から練習するというのは良い事かもしれません。
が、それは、相当高難度な話で、我々は(大変ごめんなさい皆さんを一緒に考えているわけではありませんが)まずは、
きちっと音色になる事そしてきちっと音階を正しく弾けることそのことにこそ力を入れるべきと考えます。
峠岡君の言う事はもっともなのですが、その前に、まずは二胡を楽しめればいいではないかという考えもあります。
間違っても上手くいかなくても、そこそこ聞けるのが二胡です。
(それがヴァイオリンだったらそうはいきませんただの雑音になります。
小さなかわいらしい子が、一生懸命ヴァイオリンを弾いているのは大人は、ほほえましいと、見ていられますが、たぶん私が弾くヴァイオリンを聴いたら、皆さんいなくなるか激怒します、いい加減にしろと)
でもそうやってでも楽しみたいし楽しめるのが二胡の良いところでもあるのです。
またまた続きます。
てか、二胡なら無限にどんな音律でも。
ギターなら平均律一択。
ピアノだってその気になれば、調律師に頼んでいかほどにも…。
揚琴や古箏は平均律。けど、コンサートでピンポイントなら純正律やピタゴラスもやるでしょう。それに意味があるなら…。
そんなの西野さんならご存知のハズ。わざわさ過激な言い回しをしなくても…。
笛みたいな楽器は整数比で作ってるのかな?それでも吹き方で微妙にピッチ変えるんでしょね。
ブラバンの子達はアホみたいに純正律が生産む綺麗な和音を叩き込まれる。けど、よっぽどシンプルな曲でないと、純正和音を続けて曲を進行して行く事は出来ない。中学生でも知ってる音律の話。
わざわさ音律を持ち出してまで西野さんがしたかった話は、ちょっと違う話なのかと。過激なもの言いで西野さんが誤解されてしまわないかハラドキであります。
このはなし、まだ続くのです。
途中で色々な出来事が入ってきてしまって続きが欠けないだけです。
二胡は楽器です。二胡そのものには音律はありません
仰る通りフレットがありませんから、二胡は自由に弾けるはずです。その上キー音もかなり自由に替えられます。それを弾く人の頭の中に音律があるのではないですか。そんな楽な自由な楽器なのに、いかにも二胡には中国の音律が望ましい、というか、仁尾kは中国の音律で出来上がっていような考え方の人がかなり多いように見受けられるのですね。も確かに今の二胡は中国から来たものですが、そしていかにも二胡らしい演奏技術も中国から来たものではありますが、私はどなたか今の日本あるいは世界中の人に楽しんでもらえるような曲、二胡用の曲と言うのを、誰か作曲しないかなと願っている話です。そのくらいに日本の中にも世界にも定着して欲しいみんなが楽しめる擦弦楽器の一つになってほしいのです。
過激な発言お許しください、というか、題名と言うのは少し過激さも必要かと考えたのです。
一応これでも、小説やエッセイなどものしていますから。でうから、デザインの話ですが、「空の高さ」などと言う題名になってしまいます。
中身は、「あなたは空の高さを目で測ることは出来ますかと文章が始まるからです。