なんだか、ちょっと気が付かない間に、前の文章ほぉさんが書いてしまって、
もし、不愉快になる人がいたら、大変申し訳ありません。
ほぉさんが、、、お金の事で赤字だと、
こんなことは書くべきではないですし、
「お前が好きで勝手にやっているのだから」
と思われる方もいらっしゃると思います。
確かにその通りで私が好きで勝手にやっています。
大事な事はこの好きで、ということだとおもうのです。
私ももうすぐ70歳ですから、人生の終いが見えています。
ですから、好きでというのはとても大切なことだと、似たような年齢の方は解っていただけるとおもうのです。
でもここで、少しだけ誤解の無いように!
好きでというのは二胡のことではありません。
好んでと、大切にしていると、言い換えても良いかとおもうのです。
何を好んだかと言いますと、
人の信頼を得るという事です。
これがいかに成り立ちにくいかは若くても年取っていても皆さん、ご存知だと思います。
楽器を診てもらう、楽器を預けて修理するというのは医者いかかるのと同じくらいに信頼が大切です。
私は、自分自身が信頼することも信頼されるという事も大切な事の一番だと思っているのです。
私の技術を信頼してくれているというのは、今、この時期、
日本で、中国が本場と、いまだに言われながら。
二胡を健全に造り健全に鳴らすという事を、ばかばかしいほどに言い続けて来て、
やっとこのところ楽器も信頼され、修理も信頼され、
金沢や静岡、北海道や九州からも、それこそ仕事を休んで、
交通費宿泊費をかけてまで、光舜堂に来てくれた人から、
内の生徒の楽器も診てやってほしいと、頼まれるというのは、これは私にとっては他に変えられない、
信頼だと思うのです。
ありがとうございます。
お金はその信頼の結果でしかありません。
信頼されてそのことに応えて、みんなの楽器が少しでも良い音になり、
その時の皆さんの嬉しそう中をを見るだけでも、
本場の物では無い、
本当にこんなのが二胡の調整なのかと言われ続け、
たぶんいまだまだそう思っている人も多い中、
こうやって信頼されることの、大切さというのは、まだ若いほぉさんには、実感できないようで、
前の項のようなものを出してしまい、もし不愉快であったとしても若気の至りとお許しくださいませ。
光舜堂にいらしていただいて、私の二胡の技術を見て、信頼していただけるのでしたら。
呼ばれれば、どこへでも出かけます。
但し、私は飛行機は信頼していません。
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もし、不愉快になる人がいたら、大変申し訳ありません。
ほぉさんが、、、お金の事で赤字だと、
こんなことは書くべきではないですし、
「お前が好きで勝手にやっているのだから」
と思われる方もいらっしゃると思います。
確かにその通りで私が好きで勝手にやっています。
大事な事はこの好きで、ということだとおもうのです。
私ももうすぐ70歳ですから、人生の終いが見えています。
ですから、好きでというのはとても大切なことだと、似たような年齢の方は解っていただけるとおもうのです。
でもここで、少しだけ誤解の無いように!
好きでというのは二胡のことではありません。
好んでと、大切にしていると、言い換えても良いかとおもうのです。
何を好んだかと言いますと、
人の信頼を得るという事です。
これがいかに成り立ちにくいかは若くても年取っていても皆さん、ご存知だと思います。
楽器を診てもらう、楽器を預けて修理するというのは医者いかかるのと同じくらいに信頼が大切です。
私は、自分自身が信頼することも信頼されるという事も大切な事の一番だと思っているのです。
私の技術を信頼してくれているというのは、今、この時期、
日本で、中国が本場と、いまだに言われながら。
二胡を健全に造り健全に鳴らすという事を、ばかばかしいほどに言い続けて来て、
やっとこのところ楽器も信頼され、修理も信頼され、
金沢や静岡、北海道や九州からも、それこそ仕事を休んで、
交通費宿泊費をかけてまで、光舜堂に来てくれた人から、
内の生徒の楽器も診てやってほしいと、頼まれるというのは、これは私にとっては他に変えられない、
信頼だと思うのです。
ありがとうございます。
お金はその信頼の結果でしかありません。
信頼されてそのことに応えて、みんなの楽器が少しでも良い音になり、
その時の皆さんの嬉しそう中をを見るだけでも、
本場の物では無い、
本当にこんなのが二胡の調整なのかと言われ続け、
たぶんいまだまだそう思っている人も多い中、
こうやって信頼されることの、大切さというのは、まだ若いほぉさんには、実感できないようで、
前の項のようなものを出してしまい、もし不愉快であったとしても若気の至りとお許しくださいませ。
光舜堂にいらしていただいて、私の二胡の技術を見て、信頼していただけるのでしたら。
呼ばれれば、どこへでも出かけます。
但し、私は飛行機は信頼していません。
d
私はぜんっぜん不愉快なんて思いませんでした。
(逆にほぉさんと同じような経験もしたことがあったので共感したくらいです:笑)
ほぉさんのような方がいなければ多分現実問題として立ち行かなくなることが殆どだと思います。
(職人さんにありあまる資産があれば別ですが)
もちろん西野さんの「好きで」という思いがあったからこそ
今、多くの方が光舜堂を頼りにしていらっしゃるんだと思います。
私もその1人です。
でもだからこそ逆に西野さんが手弁当で骨身を削っているのが
「本末転倒」にならないかという(余計な?)心配もしてしまったり…
なので光舜堂はそういうお二人がいらっしゃることが魅力的で安心なのではないでしょうか!
生意気なことを申しましてすみません。
※ほぉさんのぼやきは「もうかりまっか? ぼちぼちでんな」のような関西人の挨拶みたいなもんで
本気で怒ったり不快になる人はいないような気がします(笑)
私は今は全く楽器造り以外見えなくなっています。出来上がる物出来上がる物みな納得できるのが出来ているというこんな時期が来るとは思いませんでしたから。
今まで一台作るのに、どれだけ無駄を出したことやらです。
いま、楽しくて仕方がないです。
でも職人というのは、こんなものです、一生お金に縁が無いのでしょう。