フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

『遠い伝言―message―』 4

2008年09月15日 | BL小説「遠い伝言―message―」

 目が覚めたとき、驚いた余韻で心臓がどきどきしていた。
「起きろ」
 声のした背後に身を捩り、そこにテスの姿を見つけて頭がはっきりする。テスはすっかり身支度を整えていた。
「先に下に行っている。食事をしたらここを出るから、用意をして食堂に来い」
 エドはかくかくと大きく頷いた。
「荷物、持ってきてくれ」
 そう言って出て行きかけるテスに、慌てて声をかける。
「ごめん!もっと早く起こしてくれて良かったのに」
「……声をかけたが、起きなかった」
 ノブに手をかけて、テスは無表情に答えた。
「昨日も思ったが、お前寝起きは悪いな」
 エドは背中に残る感触で、彼を起こすためにテスがとった手段に思い至った。昨日も今朝も、どうやら蹴りとばされたらしい。きびきびした動作やしつけの良さから、いいところの生まれではないかと推測していたのだが、意外と足癖は悪いようだ。
 洗面を済まし、テスの見た目より重い荷物を持って食堂へ行くと、一人分の食事が残されているだけでテスの姿はなかったが、厨房の入口から彼と宿の女の会話が聞こえてきた。女の言っていることは、半分くらいしかわからなかった。テスの表現によると「気を読む」方法で意味を理解しているらしいので、相手が見えない状態ではよく読み取れないのだろう。それにしてはテスの言葉は完全に聞き取れるのが不思議だった。
 温かいお茶の入ったカップを両手に戻ってきたテスは、片方をエドに渡し、丸椅子を引き寄せて机の角をはさんだエドの横に座った。
「まずは市場で買い物をする。とりあえず、村を出るまでお前がしゃべっていいのはウィ、とネ、だけだ。おれが何か訊くかもしれないが、そのときはどちらかで答えろ。いいな?」
「ウィ」というのがYESで、「ネ」がNOだった。
「ウィ」
 とエドが答えると、テスは満足げに笑った。
 テスはエドが食べ終わるのを、お茶を飲んで待っていた。テスが持ってきてくれたカップの中身は、熱い、砂糖抜きのレモネードのようなお茶だった。飲んだあとにさっぱりした酸味とかすかな苦味が残り、おいしかった。
 宿を出ると、昨日の曇り空とはうってかわって青空が広がっていた。広場には露店が並び、それなりに朝の活気を呈していた。それなりというのは、本当に小さな辺境の村らしく、どうしても寂れた雰囲気が漂うからだった。
 エドはテスのあとをきょろきょろしながらついていった。売られているのは雑貨や食料品から農具、それに武器まで、品揃えや量は豊富とは言いがたかったが、とにかく一通りのものはありそうだった。
 テスはぐるりと市場を一周すると、その間に目星をつけておいたらしく、迷わず目的の店へ向かう。
 携帯できる食料、食事用の肉切りナイフ、フォーク、マグカップ、歯ブラシに櫛などの日用品。古着屋で服や靴も買った。そのときになってエドはやっと、教えられた「ウィ」と「ネ」を使う機会がやってきた。
「この服、大きくないか?」「ネ」「色はこれでかまわないか?」「ウィ」
 しっかりものの弟が兄のために服を選んでいる、という様子でテスは衣類を買い揃えた。買い込んでいた雑貨も、エドのためのものだった。
 エド用のリュックサックも買い、買ったものをひとまずそこに詰めこんで彼らは市場を離れた。共同井戸で水を壜に詰め──テスの袋が重かったのは、このガラス壜のせいだった──入ってきたのと反対側の門から村を出、しばらく草原の中を続く白い砂利道をひたすら歩いた。村がすっかり見えなくなり、人影も、放牧された牛らしい群れも、前後左右地平線まで全く見えなくなるまで。
「──テス」
 我慢できなくなって、エドはテスの後ろ姿に呼びかけた。
「もうしゃべってもいいかな?」
 ずっと、質問したくてうずうずしていたのだ。疑問はそのままにしておけない性質の彼は、昨日のショックから立ち直ると、何もかもわからないことだらけの状態のままではいられなくなってしまった。
「ああ。だが休憩はまだ先だぞ」
「わかってる。あれこれ質問されるのはうっとおしい?」
 テスは、横に並んだ彼を目線だけで見上げた。
「山ほど訊きたいことがあるのは当然だ。答えられる限りは答える」
「よかった…。まずは、ここはどの辺りなんだい?この世界のだいたいの地理を教えてくれないか」
「……我々が頭の中で描く世界は、通常この大陸だけだ。中央部から西海岸にかけては広大な沙漠で、ほとんど人は住んでいない。国や都市は海岸沿いにある。主な国は北海岸にキッサム、アーナム、ノードン。東海岸はすぐ近くにディヴァン山脈がそびえているため、大きな国はなく、独立した都市がいくつかある。西海岸は沙漠が迫っていて、町といえるほどのものはない。南は、東海岸との境であるディヴァン山脈から沙漠がはじまる間の地域に川と湖が集中して、豊かな平野が広がっている。ここに七つの国がある」
 エドは必死で頭の中に地図を作った。全体の形がわからないので、いいかげんな丸を描いて、特徴と国名を書き込んでいく。
「ちょっと待って。方角がわからない。南はどっち?」
 エドは上に昇りつつある太陽の位置が気になっていた。もしかしたら、と。
 テスは太陽を指差した。
「太陽が最も高くなったときの方角が『北』。『北』を向いて太陽が昇ってくる方向──と彼は手を右に動かした──が『東』、沈む方向が『西』、背中側が『南』だ」
 やっぱり、とエドは思った。太陽の動きが逆だった。この世界が「平面」だったり「天動説」でない限り、自転方向が逆か、そうでなければ南半球にいるとしか考えられない。
「……わかった、続けて」
 エドは、南半球にいると考えることにした。太陽が西から昇ると考えることには慣れそうになかったのだ。
「今おれたちがいるリベラと、メルビア、トーリア、ミュルディア、ダーラン、ナバディア、ローディアを称して、七つ国と呼んでいる。そのうちミュルディア、ダーラン、ローディアの三国で全体の七割の領土を占めている。東から海岸沿いにメルビア、トーリア、ミュルディア、ローディア、ナバディア。ディヴァン山脈とトーリア、ミュルディアに接しているのがリベラ、リベラの北にダーラン、ダーランとミュルディアの西にローディア、その西にナバディア。…あとで紙に書いてやる」
 テスは、エドがぶつぶつと国の名前を呟いているのを見かねたのかそう付け加えた。
「ヴォガは、七つ国側からディヴァン山脈を越えて東海岸へ出る峠道の手前にある町だ。といっても、東海岸へは海路を取るほうが各段に楽で安全だから、あの通り寂れているがな。おれは、東から峠を越えてきたところでお前を拾ったわけだ」
 テスの説明に、エドは昨夜、テスが「偶然で片づけられない」といったわけを理解した。人もほとんど通らない場所にいたエドがテスと出会ったことすら奇跡に近いのに、それが特殊な能力を持ったテスだったとは、これは偶然なんかではあり得ない。
(……あれ?)
 エドの中で、何かが引っかかった。「偶然」という言葉が、彼の記憶の何かを刺激した。
(何だったろう……何か大事なことを忘れているような……)
「…他には?」
「あ、えっと、言葉は?それぞれの国で使っている言葉は違うの?」
「いや、方言はあるが、元は同じ言葉だからだいたい通じる。ただ、キッサムはもともと他の大陸から流れ着いた人々が作った国だから、
通じにくいことはある」
「他の大陸?」
「遠く、北の海を隔てて大陸があり、この大陸とは少し外見が異なる人々が住んでいることはわかっている。けれどもその間に常に暴風雨が吹き荒れている海域と激しい潮流があって、そこを越えていくのは困難だ。同じく向こうからやってくるのもな。時折向こうの船がそれに巻き込まれ、奇跡的にこちらに流れ着くことがある。だから純粋のキッサム人は、黒い髪に黒い目と、褐色の肌をしている」
 テスの言葉が途切れたので、エドは訊いてみた。
「君は、そこの出身なのか?」
「……いや。だが、その血は混じっているのかもしれないな。混血も進んで、南海岸でもキッサム系の者は結構いるし」
「ああ、それで」
 エドは声を弾ませた。
「俺たちが兄弟だと言っても不自然じゃないんだ」
「…子連れ同士の再婚か、片親が違う程度にはな」
 テスは肩をすくめた。
「お前もその髪は目立つぞ。そこまで薄い色の者はめったにいない。光に当たるとまるで……」
 太陽は地上にもエドの頭にも強い光を注いでいる。彼を見上げ、テスは目を細めた。
「コーエンの綿毛みたいに透けてしまう……」
「…俺、髪には少しコンプレックスがあるんだ」
 エドは口を尖らせた。
「この色にくせっ毛だろう?短くするとくるくる巻いちゃって、赤ん坊みたいな頭になるんだ。それで伸ばして縛ってる。こうしていれば重みでウェーブが伸びるし、地味になる」
 とエドは信じていた。彼の自分自身のイメージは、地味で目立たない、だったので、派手なプラチナブロンドの巻き毛ほど、自分に似合わないものはないと思っていた。実際には柔和で端整な容貌に、肩甲骨まで伸ばした髪を無造作にまとめて垂らしている彼が、キャンパスでもカフェでも女性たちの視線を集めていることを知らないのは、本人だけだった。
 幸か不幸か、テスの「地味…?」という疑わしげな呟きは、彼の耳には入らなかった。
「だいたい大まかな地理はわかった。それで、俺たちはどこへ向かっているんだい?」
「とりあえず、リベラの首都クィを目指す。人の多いところの方が目立たずに済む」
 目立ちたくない理由があるのだろうか、とエドは思った。異邦人であるエドの正体がばれないようにという配慮よりも、自分自身が目立ちたくないという意識の方が、テスの言葉の端から伝わってきた。
「……君は、どこへ行く予定なんだ?それとも家へ帰るところ?」
「……」
 うつむき、黙り込んだテスの気配にエドは、
「ごめん、事情があるならいいんだ。ただ、君とどこまでいけるのかと思って…」
「……母の故郷に、行ってみようかと考えていた……」
 テスは機械的に踏み出す足先を見つめながら答えた。
「おれの能力は、母から受け継いだものだ。母の一族はこの能力のために、人里から離れ、身を隠して暮らしている。だからはっきりとした場所はわからない。だいたいの位置は知っているが……」
 それだけで、エドは悟った。テスには帰る場所がないか、帰る意思がないのだと。「母の故郷へ行く」というからには、彼の母親は故郷にも、そして家にもいないのだろう。それとも、亡くなったのかもしれない。父親は、他に家族はいないのかと問いたかったが、それ以上立ち入る権利は彼にはなかった。
「そこは、遠いの?」
「ああ」
 テスはフードをかぶった。日が高くなり、日射しも強くなってきた。風はさわやかだったが、日が当たるとじりじりと暑さを感じる。エドもテスに倣うことにした。
 白い道は草の進出に消されかけながらも途切れることなく、周りの景色もちらほら木立が目立ち始めたほかは変わりこともなく、ただディヴァン山脈の青い色は薄くなっていた。
「ここで休もう」
 道の脇で枝を広げ、ささやかな木陰を提供する木の下に座り込み、彼らは喉を潤した。
「さっき買った服に着替えておけ。荷物も重さが片寄らないよう詰め直した方がいい」
 本当にどちらが年上かわからないなと思いつつ、エドはTシャツとジーンズを脱ぎ、生成りの長袖シャツと上から被るくすんだオリーブ色のベスト、揃いのゆったりしたズボンを身につけた。テスは剣を吊るすための専用の太いベルトをしているが、エドはそれより細い、皮袋などを引っかける金具がついているだけのベルトを結んだ。
「……そういえばテス、君は剣を持っているけど、ここではそれが普通なのか?ヴォガでは、剣を持っている人は見かけなかったけど…」
「剣を持つのは、それを生業にしているか、それが必要な立場の者だけだ。例えば徴兵された者、傭兵を稼業としている者、職業軍人、身を守る必要のある富裕階級、旅の者、それに……野盗」
 エドはぎょっとした。
「野盗?!」
「ああ。お前の世界にそういう輩はいないのか?」
「いや…いるけど、警察……取り締まる役人もいるから…」
「大きな町には警備兵がいるし、自警団を組織しているところもある。だが、待ちの外に出れば基本的に自分の身は自分で守らなくてはならない。大人数で移動したり、金のあるものは私兵を雇ったりする。…お前は何か武器が使えるか、それとも武術ができるか?」
 テスに見上げられ、エドは赤面した。
「……すまない、何もできない」
「だろうな」
 彼はあっさりと言った。
「向こうでは何をしていた?」
「学生……学校で、勉強していた」
「学者になるのか?」
「なりたいと思っている」
「そうか。それはいい」
 テスはかすかに表情を和らげたが、すぐに引き締めた。
「この辺りは旅人も交易の輸送団もめったに通らないから、かえって安全だ。しかしこの先、もし襲われるようなことがあっても、おれを助けようとか戦おうとかは思わなくてもいいから、最低限、足手まといにならないようにさっさと逃げろよ」
「……わかった」
 とても不本意だったが、不承不承エドはうなずいた。その納得していない表情を一瞥して、テスは立ち上がった。
「行くぞ。次の町まではまだ20フォルト以上ある」
「20フォルト…」
 座っている間はずしていた長剣をベルトに付け直したテスは、両手を目の前にかざした。
「フォルトは距離の単位。『20』は両手の指の合計である『10』の2倍。『2』は腕の本数。まずは数の数え方から始めよう」
 それから町に着くまで、テスによる数字と単位のレクチャーは続き、宿に入ってからもエドはまるで小学生のように、その日の学習の成果のまとめと復習をやらされたのだった。おそろしく厳しい教師のもとで。