フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

『遠い伝言―message―』 7

2008年09月28日 | BL小説「遠い伝言―message―」
 国境を越える舟だけはさすがに検査があるからと、リベラからミュルディアへ入るときだけ陸路を使ったが、あとは川を下っての旅は、今までの苦労が嘘のように楽に、たった4日で国名と同じ名の首都ミュルディアに到着した。ダーラン川の本流と支流が合流する地にあるミュルディアは、三国の交易の中心となる商業都市で、網の目のように運河が張り巡らされた、水の都でもある。内陸の都市の中では最も大きく、繁栄した町で、ここに比べればクィでさえはなはだ見劣りするのも当然だった。なにしろ、この世界へ来て初めてエドは、四階建ての建物を見たのだった。
 街の大きな本屋で、テスは宿賃三日分もする地図を買った。本自体、日用品と比べると高価だったが、地図はそれ以上だった。
「これから先が長いぞ」
 宿に入り、休む間もなくテスは床に地図を広げてルート作りに取りかかった。地図にはミュルディア、ダーラン南部、ローディアの国境付近までが書かれている。
「おれたちが目指すのはローディアの北部、だいたいこの辺り(とテスは地図からはみ出した床の上を指差した)だ。そうなると、まずミュルディアから北へ向かってダーランに入り、サイス山脈の終わるところでローディアとの国境を越えるのが最短の陸路だ。ただしサイスの裾野をかすめるこの道は、ダーランの都とローディアの首都サーランを結ぶ重要な街道だから、国境に検問がある。そこで途中で街道を離れ、更に北から越境する」
 言葉にすると簡単だが、ちゃんとした地図で道のりをたどってみると、その距離に気が遠くなりそうだった。越境地点まで直線距離でざっと1,000フォル。ヴォガからミュルディアまでの1.5倍だが、半分の行程を舟で移動できたこれまでと比べ、すべて陸路となる。単純に1日30フォル歩くとして、30日以上かかる。
 1か月、と考えてエドは思った。こちらに来て半月以上が経った。元の世界では、どれくらいの時間が流れたのだろう。同じだけ?それとも数時間、それとも何年……?
 エドは、頬を引きしめて不安を振り払った。今考えても仕方ないことだ。
「お前、ラテルには乗れるか?」
 ラテルというのは馬のことだ。といってもエドが知っているサラブレッドとは違う。もっと背が低く、足は太く、体全体にふさふさと毛が生えている。
 エドは首を振った。
「乗れなくても乗ってもらうぞ。これまでは町や村の間は近かったが、ミュルディアを離れるに従って、町と町の間が開いていく。徒歩では夜までに次の村までたどり着けなくなる。特にローディアは、北部にはほとんど町や村と言えるほどの集落はない。野宿は避けられないだろう。携帯する食料や水も多くなる。ラテルなしでは無理だ」
 顎に指をあてて考えをめぐらし、テスは、
「町なかで馬を連れていると金がかかる。ダーランに入ってから1頭買って、ローディアに入ったらもう1頭買おう。それまでは一緒に乗って教えてやる。…よかったな、おれがこどもで。でなければ二人乗りなどできないからな」
 そう言って目を上げて、いたずらっぽくエドに笑いかけた。そんな生意気な言葉も表情も、エドの胸をひどく騒がせることを、テスは知らないだろうが、エド自身は自覚し始めていた。
(……こどもなんかじゃないよ、君は……)
 少なくとも俺にとって、とエドに柔らかい表情を見せることが多くなったテスに向かい、彼はひとりごちた。この旅が──テスとふたりきりで過ごす日々が、早く終わればいいと思う。一緒にいたいと思うからこそ、早く別れなければいけないと思うのだ。
 帰れるのだろうか、帰れたとしても自分の知っている、自分がいるべき世界であってくれるのだろうかという不安や焦りとは裏腹に、このまま旅が続けばいい、いっそ帰ることはできないとはっきりわかれば……と思い始めている心の変化に、気づかずにはいられなかった。その理由がただ一つ──ただ一人の人の存在であることにも。
 小学生だか中学生だかの少年に、身も心も惹かれているなんて、自分でもどうかしていると思うが、一度傾いた心はもう止められない。自分を助けてくれたから、彼以外に頼る人がいないから、だから好意を恋だと錯覚しているだけだと、自分を納得させようとした。だが、そう考えると、先に眠ってしまったテスの無防備な寝姿に反応した欲望を処理したときの罪悪感は耐え難かった。これが恋でないとしたら、自分は最低の男だ。
「……元気がないな、エド」
 近くの食堂で注文し終わると、テスはテーブルの上に身を乗り出し、小声で切り出した。
「……そうかな」
 エドが笑って見せると、テスは眉をひそめた。
「……無理をするな。お前が…不安に思うのは当然だ。おれはこんなで、お前を安心させてやれるようなものは何も持っていないし、約束できることも何もない。だが、少なくとも一族のところへは必ず連れて行って引き会わせてやる。手がかりを得られるかどうかはわからないが、助けが得られるように……お前だけでも受け入れてもらえるよう、手は尽くすから、それだけは信じてくれ」
「テス……俺は」
 そんなことは思っていない、君が責任を感じることじゃない、とエドが答える前に、テスの意識と視線が逸れた。テスの横顔が、見る見るうちに血の気を失っていく。
「……じゃあ、ローディアは近いうちに代替わりってことか?」
「たぶんな。あのローディア王が摂政を置くなんて、病が重いに違いないってもっぱらの噂だぜ」
 隣りのテーブルで話す男たちを、テスは凍りついたように凝視していた。
「……テス?」
 エドの呼びかけは、彼の耳には全く入らなかったようだった。彼はグラスを引っ掴んで水を一気に飲み干すと、椅子を降りた。
「ねえ、おじさん。おれにもその話教えてくれない?」
「ああ?」
 隣りのテーブルの横に立ち、首を傾げた可愛らしい仕種で話しかける。
「ローディアの王さまの話。おれの父さんがローディアに商売に行ってるんだけど、何かあったの?」
「心配ねえよ。ローディアの王様が病気で、第二王子が摂政に就いただけのことだ。まあそのうち、王様が亡くなってその王子が次の王様になるだろうが、あそこは体制がしっかりしているから内乱だのごたごたは起こらないだろうよ」
 アルコールが入った赤ら顔で、男は機嫌よく答えた。
「待てよ。第一王子じゃなくて第二王子が跡を継ぐっていうなら、第一王子が黙っちゃいないだろう」
「ばーか、第一王子は妾腹の上、病気でいなかに引っ込んだきりここ数年、宮廷にも出てこないらしいぜ。とても王位を継げねえよ」
 男たちがわいわい話し出すのにテスは強引に割り込んだ。
「王さまの病気はいつから?本当に重いの?」
「そこまでは知らねえよ。オレだってローディア帰りの商人に聞いただけだからな」
 男はもう終わりだとばかりに手を振った。
 席に戻ったテスの顔は強張り、声をかけるのもためらわれる雰囲気で、運ばれてきた料理を口にする間も、宿に戻る道すがらも、彼らは終始無言だった。
 部屋に戻ってもテスは言葉少なで、交替で風呂に入ってあとは寝るだけになっても、ベッドの上で片膝をかかえて考え込んでいた。考える、というよりも、悩み苦しんでいた。それでエドもベッドには入ったが眠らずに、テスが心を決めるのを待っていた。
「エド……」
「ああ」
 エドは起き上がり、足を床に下ろした。
「頼みがある」
「うん」
 テスはゆっくりと顔を上げ、エドと向かい合った。決意を固めた、強いまなざしで。
「用ができた。予定を変更して、ローディアの都、サーランを経由して行く。…もしおれの用に時間がかかるようなら、誰か他の者に案内させて、お前が先に行けるようにする。何日か遅れることになるが、許してほしい」
「うん……かまわないよ、テス」
「……サイス山脈を越えてローディアに入る。迂回する時間がない。…野盗が出没する危険な道だ。お前まで危険にさらして、すまない」
「そんなこと。むしろ、俺の方こそ足手まといになるのなら、置いていってくれてかまわないんだ。だけど君が許してくれるなら、一緒にサーランまで行きたいと思うよ」
 それを聞くと、テスは一瞬目を瞠って、泣き出しそうなのをこらえるように唇を噛んだ。
「……おれも、お前とともに一族の村まで行きたいと思っている……」
「俺もだよ、テス。ありがとう」
 テスはうつむいた。
「……理由を訊かないのか。…サーランへ行く──」
「…君は、ローディアの人なんだろう?」
「そうだ……」
「それだけわかれば十分だよ。あとは……君が言いたくなったら言えばいい。君を困らせたくはないんだ」
「……おれは……っ!」
 弾かれたように顔を上げたテスは、けれども言葉を続けることはできなかった。彼はエドを見つめ、唇を震わせた。言うことも、言わないことも彼を苦しめるのだとエドは知り、迷った。いっそ教えてほしいと、強く、無理にでも言わせた方が彼にとっては楽なのではないか。
「……テス」
「すまない……」
 テスは唇をかみしめ、エドに背を向けた。
「もう寝ろ。おやすみ」
 機を失って、エドは、ベッドの中にもぐり込んでしまったテスの背を、苦い思いで見つめるしかなかった。もしかしたら、サーランが、テスとの旅の終わりになるかもしれないと思いながら。


『遠い伝言―message―』 6

2008年09月28日 | BL小説「遠い伝言―message―」

 翌朝は「夏迎え」というよりは「夏本番」の雲一つない良い天気で、気温も上がりそうだった。絶好の祭り日和だったが、洗濯日和でもある──とテスは考えたらしく、彼らは宿の娘とともに、川から水を引いた共同の洗い場に行き、今着ているもの以外、マントから靴まで全部、石鹸の泡にまみれながら洗った。といっても、泡まみれになったのはエドだけで、テスは自分の下着や小物を洗うと「あとはお前がやれ」とエドに命じ、その上、娘の手伝いもしろ、と宿の大量のリネン類も洗わせて、自分は日陰に座って見物していた。
「本当に助かったわ。どうもありがとう」
 エドとともに、川原に張ったロープに洗濯物を干していた娘は、頬を染めて彼に笑いかけた。
「どういたしまして。こんなにたくさん、大変ですね」
 エドは、たぶん自分と同じくらいか少し上かもしれない、化粧気のない素朴な娘に笑い返した。彼女のうっとりしたまなざしに気づきもせず。
「いつものことだから慣れてるわ。でも、おかげで早く済んだから、お祭りに行けそう。……よければ、いっしょに行かない?わたし、案内するわ」
「え……」
 彼は、テスを振り返った。土手の木の下に座っていたテスは、エドと目が合うとそっぽを向いた。
「弟に、訊いてみないと。だけど、弟は興味なさそうだったから」
「そう……」
 彼女のがっかりした様子にエドは申し訳なくなり、「訊いてくる」と言い置いてテスのところへ行った。
「どうした?」
 彼女に祭りに誘われたと話し、「断ってもかまわないよね?」と言うとテスは、
「行けばいいじゃないか」
 と答えた。
「おれ以外の人間と会話するいい機会だ。練習だと思えばいい。…邪魔だろうがついて行って、助け舟は出してやる」
「君がそう言うのなら…」
 内心を見せない無表情のテスの言葉に何か引っかかったが、エドは戻って彼女に行くよ、と告げた。
「じゃあ、急いで掃除とお昼の用意を済ませるわ。お昼ごはんは一緒に食べに行きましょう!」
 彼女は先に戻ってる、と慌てて走って行った。
 エドは、テスの横に座った。
「……出発せずに今日も泊まることにしたのは、ひょっとして俺のため?俺が、祭りを見たいと思って?」
「……別に。強行軍だったから、一息入れようと思っただけだ」
「そう?」
 仏頂面で答えるテスに見えないように、エドはこっそり微笑した。
「エド、手を出せ」
 テスは、ズボンのポケットから摑み出した硬貨を何枚か、彼の手に置いた。
「今朝、洗濯を手伝うかわりに宿賃をまけてもらった。その差額だ。お前の働いた報酬だから、受け取れ。それから、彼女といる間はお前が金を出すことになるから、これはその分だ」
 と、最初に渡した分に上乗せする。
「女性のお供をするんだから、けちけちせずに使え」
 昨日からテスはそのつもりだったのだ。祭り見物をしたそうな顔をしたエドのために連泊することにし、テスに負担をかけまいとする彼が、気兼ねせず自分のために金を使えるような方法を考え…報酬で得た金を持たせて、街へ行って来いと言うつもりだったのだろう。
(だったら、断ればよかった。そしたらテスを誘って、テスに楽しんでもらえたのに……)
 白くはためくシーツの波を眩しげに眺めるテスの横顔を見つめ、エドは心の中でため息をついた。
 午後、彼らは祝祭ムード一色に染まった街へ出かけ、大道芸人に手を叩いてコインを投げ、屋台で買った揚げ菓子を食べながら露店を冷やかし、特別に公開された王宮の前庭(そのほんの一部だが)を見学した。何もかもエドにとって珍しく、心浮き立たせる経験だった。宿屋の娘エリーもとても嬉しそうで、少しばかり緊張して彼女と接していた彼をほっとさせた。ただ、彼女がいるために「エドの弟」を演じ続けているテスのことだけが、気がかりだった。
 西の空に日が傾きかけた夕刻、干しておいた洗濯物を取りに川原に寄って、彼らは一旦宿に戻った。
「エド、夜も一緒に出かけない?10マル頃から広場でみんな踊り始めるわ。若い人はみんな参加するの。ふたりで踊りに行かない?」
 エリーは昼間の余韻で頬を火照らせて、恥ずかしげに誘いかけた。
「あ、でも……」
 見ると、テスは知らん顔で横を向いていた。
「ごめん、夜は…明日発つから早く休みたいんだ」
「そんなに遅くまでいなくてもいいわ。ね?」
 洗濯物をかかえたテスは、さっさと階段を上がって行ってしまう。
「ありがとう、でも、弟をひとりにするわけにいかないから。ごめんね」
 なおも言いかけるエリーを置いて、エドは急いで部屋に戻った。部屋に入ると、テスはベッドに腰かけて服をたたみ始めたところだった。
「……おれに遠慮せずに行ってくればいい。心配したほど会話に不自由はしていなかったようだし」
「いいよ。踊りなんて知らないし。それに、明日は出発だろう?荷作りして休んでおかないと」
 答えながら、彼はテスの表情をうかがった。なぜだかさっき、テスが腹を立てていたような気がしたからだった。しかし、もうテスの感情は読み取れなかった。
 昼間につまみ食いしたので彼らはいつもより遅めの夕食をとりに、すっかり日が落ちてから出かけた。街は夜になっていよいよにぎやかになり、店の軒先に吊るされたランタンが通りを明るく照らし、道を行き交う人々は目一杯着飾って、笑いさんざめいていた。客で溢れかえる食堂でなんとか席を見つけて注文を終えた頃には、陽気な雰囲気に影響されたのか、テスも機嫌を直したようで、目が合ったエドにかすかに微笑みかけたくらいだった。
 店を出て、昼間以上の人通りの中を帰路についた彼らは、何度も通った広場にさしかかった。行きは露店に人がたむろしていたそこは、今は露店はたたまれ、ダンスの輪が出来上がっていた。
 広場は、通りに比べて薄暗かった。中央の噴水の周りに並べ置かれたランプしか明かりがなかった。その中で、いくつもの大小の輪が、歌と手拍子と、ギターをひと回り小さくしたような弦楽器の旋律に合わせて回り、縮み、拡がり、隣りの輪とくっついたり離れたりしている。よく見れば、踊る者も見物している者も、十代から二十代と思われる若者しかいなかった。踊りの輪もしょっちゅう人が加わったり、抜け出していったり、崩れがちだ。
 独特の雰囲気に知らず立ち止まってしまったエドの後ろから、声がした。
「……お前、彼女の誘いの意味を知らずに断ったんだろう」
 振り向くと、テスはエドの視線を避けるように足元を見つめていた。
「え?」
「祭りの夜は特別だ。普段は知り合う機会のない相手と出会える。前から思いを寄せていた相手に心を打ち明ける者もいれば、一夜限りの恋を楽しむ者もいる。今夜出会った相手と付き合い始めて、結婚する者もいる。踊りながら気に入った相手がいれば誘って、相手にされなかったらまた別の相手を探すし、お互いに気に入ればふたりで抜け出していってもいい。……お前も、気に入った相手がいれば中に入ればいい。朝まで帰ってこなくてもかまわない」
 その意味を理解するまでには時間がかかった。わかった瞬間、エドの頬に血が昇った。
「……!!」
 腹が立ったのではなく、恥ずかしくてたまらなかった。テスに気づかれていたのかもしれないと思うと、気恥ずかしくて逃げ出したくなった。
 この世界に来た当初は、精神的にも肉体的にも余裕のない状態だったのだろう、そんなことは感じなかった。だが、ここ数日は、夜半、あるいは明け方、テスが眠っている間に処理するようになっていた。
 茫然と、うつむくテスを見つめているうちに、冷静さが戻ってきた。エドは、テスの表情に気がついた。いつもは感情を表に出さない彼が、自分自身の言葉に傷ついていることを隠しきれずにいた。
 深呼吸して、エドは一歩近づいた。
「テス」
「……なんだ」
「俺は、誰とも踊る気はないよ」
「……」
「好きになった相手は大事にしたいから、置き去りにするような真似はしたくない。俺は自分の世界に帰るつもりだから、そんな無責任なことはしない。戻る方法が見つからなくて、ここで生きる決心をするまでは、俺は誰かを好きになったりしない…好きになってはいけないと思ってる」
 テスは、ますますうつむいた。
「帰ろう、テス」
 エドが歩き出すと、テスのついてくる気配がした。エドは歩を緩め、テスが横に並ぶのを待った。ひどく落ち込んでいる彼に怒っていないと伝えたくて、少しかがんで彼の手を握った。テスは反射的に手を引きかけたが、振り払わなかった。エドは、自分の中になぜか哀しみが満ちてくるのを感じた。
 彼はふと、自分は嘘つきになるかもしれないと、思った。