華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

動揺の中で感謝を思い出す

2015年03月10日 22時15分59秒 | Weblog
昨夜届いたセンセーショナルなニュースのため、モヤモヤを抱えたまま寝るはめになった。いくら自分が解雇対象外だったとはいえ、お世話になった先輩たちが解雇される話を聞いてショックを受けないわけはない。

今朝は残念ながら対象となってしまった、プライベートでもお世話になっている先輩に電話をかけた。昨夜は相当荒れたけれど、今日は落ち着いているという。先輩は契約労働時間を減らすなら残ってもいいという条件付オファーをもらったようやけど(退職一択の人がほとんど)、「また同じことが起こるかもしれん。そんなときがくるのを待ってられんわ」と辞める気満々のようだった。

余談やけど、この潔さは転職が当たり前のオーストラリアならではかも。中途採用は当たり前。たいていがいくつかの病院等を渡り歩いてきているので、職場が変わることに面倒くささはあっても抵抗はないんだと思われる。逆に“同一企業勤務40年”が当たり前の日本の風習が珍しがられる。

閑話休題。

午後になって、他の同僚からもボチボチと情報が入ってきた。病院の雰囲気は暗いとのこと。そりゃそうよな。ちなみにほとんどの人が今週中に病院を離れるらしい(これも日本では考えられんぐらい早い)。私の次の出勤は木曜日。先輩たちの姿を見たら泣いてしまいそうや。

こんな感じでストレスを抱えているけれど、我が家にも一人プレッシャーを感じている人がいることを忘れていた。
久しぶりに会社勤務のサラリーマンに戻るD。
もしも自分がDの立場なら、新しい環境に心を躍らせる瞬間もあれば、不安に押しつぶされそうになる瞬間もあるやろう。実際Dはソワソワしており、何をしていても身が入っていない様子。
私は今日、ふとした瞬間に、自分のストレスにばかり心をくだき、彼のプレッシャーに気づかないフリをしていることに気づいた。でもこれではいかんのよな。お世話になった人が悲しむ様子を見るのは辛いけれど、私にできることはなにもない。それ以上に自分の夫をケアせねば。

お昼前からは買い物に行きたいというDと一緒に隣町の大型ショッピングセンターまで行ってきた。自分の勉強用に、とノートをはじめ文房具を購入。あと髭剃りを新調。洋服は「痩せてから買う」とのことで今日は見送り。そしてコーヒーを飲んで帰ってきた。いろいろと出費はかさむけど、こんな嬉しい理由なら財布の紐も緩むというもの。

我が病院の解雇劇のせいで一気にマイナス思考となった私。Dも内定取り消しになるんじゃなかろか?と不安になったんだけど、無事に意志確認書が届き、今日サインをして送付した。近いうちに契約書が郵便で送られてくるらしい。これで私が無職になってもすぐには困らない。あぁ、良かった。

オーストラリアに来てから特に、大なり小なり浮き沈みのある人生を送っていると思う。しかし「もうアカン」というにっちもさっちもいかない状態にはなったことがない。もちろんそうならないように手を打っているつもりではいるけど、それより何より、自分がめちゃラッキーと感じる瞬間は決して少なくない。今回のことも本当にそう。自分の動物的直感を信じて行動を起こすと、運やら縁やらの助けを経て、今のところうまく転がっている。ありがたい。ほんまにありがたいわ。

その昔、兄から「健康で、仕事があって、借金がなければ基本は幸せ」と言われたことがある(当時兄は20代後半か30代前半やったはずやのに、今思うとえらい達観した言葉やなぁ。何があったんやろう?)。その言葉は私の指針となり、今でも何かあるたびに自分に言い聞かせている。煩悩は果てしないけど、今持たないものを欲しがるのではなく、今持っているものをありがたく思い、感謝しないと。

名曲はいつ聴いてもいい。
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