華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

あなたに会えてよかった

2015年03月21日 23時18分00秒 | Weblog
今日は午前シフト。
リーダーではなかったんだけど、私が担当患者割り当てをした。そしてそれが貧乏くじだとわかってて、あえて引いた。

その結果。

しんどかったー。

他の看護師が単独で5~6名担当するところ、私はアシスタントさんと11名を担当。
このアシスタントさん、以前にもどこかで触れたことがあるんだけど、ちょっと問題アリ。もう引退間近の年齢で、自分のやり方がしみついている。そして高齢のせいかなんなのか、しんどい肉体労働はやらない。朝はシャワー等で忙しいのに、そういう患者は避けて通る。アシスタントさんの仕事ですよね!?って言いたいけど、聞く耳持たず。
またナースコールには応えない。例えば私は誰かにシャワーをしており、5分も10分も応えられない状態になったらやっと動くという感じ。意識して無視をしているというより、目に入らない…のかも。
やることといったら、ぶっちゃけ優先順位の低いケアプラン(患者さんの様子をざっと伝える書類)へのサインや、看護記録などという体力を使わないものばかり。

別に正看だからといって楽をしようなんて思わないけど、正看にしかできないこと(主に投薬)があり、それを優先させないといけないのに、結局たくさんのシャワーとベッドメイク。さすがにヴァイタルサインまで手が回らなくて「一人分もやれてない」と言ったら、すんごい大きなため息をつかれた。さすがにカチンときたわぁ。

この人はうちの病院のベテランさん。決して悪い人ではなく、仲良くしている先輩も多いので、うっかりと愚痴もこぼせやしない。他のスタッフが座って談笑している中、私はひとりノンストップで動き続けた。あぁ、しんどかった。次に担当者を割り当てるときは、ペアは組まないようにしよっと。

さて。
今夜は解雇にあった先輩たちを見送る会が婦長の家で行われた(婦長の家は大きい)。一品持ち寄りとのことなので、私は簡単につまめて、お酒にも合う鶏のから揚げを持っていった(作っているそばからDに食べられたけど)。
婦長の家に着くやいなや、すでに数名の先輩や同僚がそこに。そして自分でも意外だったんだけど、いきなり寂しさやら空しさやらが込み上げてきて、涙がポロリ。婦長が、外国人で看護経験のない私を拾ってくれてなかったら今の生活はないわけだし(ウチの病院だけが内定をくれた)、他の先輩たちも親身になって面倒を見てくれた。そんな人たちが一気にごっそりいなくなるんやもん、そりゃ涙のひとつやふたつ、流れますわな。

年齢を重ねるごとに涙もろくなっている自分を自覚しているけど、それと同時に、特にこちらに渡ってから“一期一会”“袖振り合うも多生の縁”という言葉を実感するようになっている。なぜなら、つくづくと人様に助けられて生きていると思うことが多いから。今は自分のふるさとでも、Dのふるさとでもない街に住んでおり、今夜会うのが最後になる人も出てくるかもしれない。そう考えると、出会いに感謝するとともに、寂しい気持ちがこみ上げてきた。

明日は午前シフトなので、パーティーに行くこと自体どうしようか悩んでいたんだけど、行ってよかった。お世話になった人たちにちゃんとお礼を言うことができて、本当によかった。まだ寂しい気持ちでいっぱいやけど、一区切りはつけられたように思う。

早くおいとまするはずが、結局話し込んでしまって帰りは遅くなった。今朝の早起きのせいで、もうまぶたは閉まりかけ。明日も早起き。起きれるかしら? とりあえず寝よっと。
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